日記の履歴 12
第 12 集 犬と歩けば・ふたたび 901〜1000 2008.4.9〜2008.9.25


2008年9月25日(木)
犬と歩けば・ふたたび 1000

9月25日(木) 晴れ  pm7時24

 夕刊の一面(毎日)に、大空に飛び放された2羽の朱鷺が舞っていた。“これがトキ色というのか”と、もう一度よく見た。サーモンピンクに見えた。私の母は良く《ときいろ》と言う言葉を使ったが、私にトキ色のイメージはなかった。動物園でも見たことはなかった。言葉は時代を写す。昔、トキは当たり前にいた鳥で、今はサーモンの方が身近と言うことだ。朱鷺はコウノトリ科で羽根を拡げると130pにもなる大きさだという。大きな白地の羽根はトキ色に染まり、グレーの混ざった青のアクセントがあった。新聞の見出しは『27年ぶり 佐渡に舞う』。先日のテレビで、トキ保護センターの中で人間が田圃で農作業する様子を朱鷺に見物させている様子を放送していた。トキも人間も、同じ地球上の生き物だなあと教えられた。
  公園の芝生広場は、いろいろの行事が終わる11月一杯、犬の立ち入りは禁止するという看板が建った。「だから、昨日からトイレの下の斜面で遊ばせてる」と、サムのお母さんは言った。今日もその斜面でみんなが「きれいな夕焼けだねー」と、残照の残る西の空を眺めた。あかね雲はどんどんその形を変えている。「さあ、直ぐに暗くなるから近道して帰らなきゃ」とエマのお母さんが立ち上がり、みんなもそれに続いて公園を後にした。

2008年9月24日(水)
犬と歩けば・ふたたび 999

9月24日(水) 晴れ  pm7時24

 朝食の座卓に座布団を出して座った。これまでは畳のヒンヤリした感じが心地よかったが、今朝は温もりが欲しかった。日中も良く晴れて、空が高い。北海道の大雪山には初冠雪があったとか。 今日は久しぶりに仲間と食事の約束があって出掛けたとき、強い日差しを避けるのに日傘を使った。
 コタの家に12時の予約がしてあったが、初参加のMさんが1時から予定があるというので、昨日30分繰り上げてくれないかと頼んだ。が、電話に出た親方がダメだと言う。今時の市場は4時なんて早い時間にはやっていない。今日(23日)の材料はみんな使い切ってしまうから、明日仕入れてきてから逆算すると、12時より前には出せない。ウチの料理は最低4時間はかかるんだと仰る。私はハイハイわかりました、それで結構ですと引き下がった。良く切れる包丁を持った人に逆らえる訳がない。前菜から始まって出された料理はどれも美味しくて、予定のない人もがつがつと食べて満腹になった。なってからようやく、さてあの料理の食材は何でしょうねなんて話しをした。
腹ごなしは「カラオケ」で。でも幾ら上手に歌っても、1曲あたりのカロリー消費量は8とか9せいぜい大きくて11キロカロリーなのだ。カラオケで痩せるのは大変だ。
さて締めは編集長の「ハーモニカ演奏」。そう、いつの間にか編集長は師範級の腕前(口前?)になっていて私たちは驚いた。もしかして、7月は入院したなんて言って実は、ハーモニカ道場に泊まり込んで練習していたのかも知れない。
仲間と楽しく遊んだ1日だった。

2008年9月23日(火)
犬と歩けば・ふたたび 998

9月23日(火)秋分の日 晴れ  pm7時24

 サムは飽きたのか、厭なことでもあったのか朝晩公園へ行くのを嫌がるようになって、しばらく経つ。だからベルと一緒に昨日は市民の森、今日は天戸中学校前の緑地公園へと出掛けた。「ほらね、これは昔の歩き方」とサムのお母さんは言う。サムもベルも飼い主を引っ張るようにズンズンと歩く。これが公園方面へ行くときは親の後からでれでれのそのそ、あっちにひっかかりこっちでオシッコをしたりと進まないのだ。緑地公園は高低差のある雑木林の一角で、ずっと下ると田圃になる。幸い人も犬もいなかったので人間達が休んでいる間(サムちゃんは一服、私はブランコ)に、2匹は追いかけっこをして遊んだ。稲刈りが済んだ田圃は先日の雨で水たまりが出来ているところもあったが、構わず2匹は入って遊び、泥水を飲んだ。帰りは違う道を選んだが、団地への道に入った途端のそのそ歩きとなった。
  今日こそ宿題をやろうと意気込んで座り直した途端、電話が鳴って「あらいたの?」と聞こえてきた。私が良い返事をしないので諦めて一人でバスツアーに参加したAさんからである。2泊3日の美術館めぐりコースだったらしい。「それがね、金持ちの独り者が結構何人も参加してるのよね」と切り出して、彼女たちが未だに小泉を礼賛するのがいやらしい。(小泉さんて、オペラがお好きで楽譜なんかも読めるんですって、凄いわねなんて)言ってる。楽譜ぐらいアタシだって読めるわよと意気込む。(格差社会って言うけど、それなりに努力しなくちゃ、私たちのようにね)なーんて言っててさ、やっぱり自民党を支持する人が多いってわかった。それにあの人達はどこそこの美術館へ行ってきたという事が大事なのよ。わかる?」と息巻く。うんうんと相槌を打って、午前中が終わった。

2008年9月22日(月)
犬と歩けば・ふたたび 997

9月22日(月)雨  pm7時24

 予約してあった年1回のドッグ検診を受けに出掛けた。去年までの問診は知り合いの保健婦さんだったが、今年は良く喋るお兄さんである。体脂肪率29%であるから後5s減量せよと迫る。アー昨日、公園で海のお母さんも海を5s減量させなきゃって、言っていた事を思い出す。「何か運動していますか?−いいえ、していません」「何か食べ物で気を付けていることはありますか?−ありません」「ではこれからはじめようとか、気を付けようと考えていることはありますか?−いいえ、ありません」「それでは5sの減量は出来ません」と言い「このままでは糖尿病予備軍に入るようになります」と脅迫してきた。夕方友達にこのことを話すと、(そうなのよ。ウチの向かいの奥さんも−もう70歳過ぎているのよ−2月までに痩せなきゃぁって、言ってるの。もう年なんだから良いじゃないのねぇ)と言った。今回の改悪で、医療機関も実績を残さないと診療報酬の額に拘わってくると聞いているし、彼等としても熱心にやらざるを得ないのかも知れない。しかし数字に振り回されるのはいやだなあ。因みに家人の体脂肪率は17%だとか。ほぼ同じものを食べていて(いや、むしろ家人の方が多く食べる)この個人差である。それに鍼の先生からは、年を取ってからは痩せると体力が落ちるし、少し太り気味の人の方が長生きすると聞いている。しかし、着る物のウエストがきつくなっているのも事実だし、どうしようか?

2008年9月21日(日)
犬と歩けば・ふたたび 996

9月21日(日)晴れのち雨  pm7時25

 天気予報は午後から雨だったので、義姉を早めに迎えに行ってお彼岸の墓参りに行った。昨日、お墓に飾るお花を買いに行って、しばらく悩んだが小菊が主の墓参用花束を避けて、リンドウや女郎花ススキなど秋の七草仕様の花束を選んだ。何故かと問われれば、(暑い夏が過ぎて、やっと秋になったね)と、故人に話しかけたい気分とでも説明しようか。「週刊金曜日」に「自分のためのお葬式」という連載があって、そこにも『「菊はお葬式の花みたいでイヤ」という声が多数派で、深紅のバラやカサブランカ、ヒマワリが人気』と書かれていて納得した。先日弔問に訪れたお宅でもやはり、カサブランカや胡蝶蘭が目に付いた。小雨が降っている夕方の公園で、久しぶりに海、サム、ベルの3匹が集まって、一緒に遊んだ。他に常連の犬たちは見えない。芝生の斜面ではレインコートを着たワンタが、お父さんとボール投げをして遊んでいる。ワンタのお父さんはカウボーイの投げ縄のように、18メートルもの長いリードを腕に巻いて遊ばせていた。
海は未だによそへ預けられていて、土日だけ帰ってくる。海は大きな口の周りがすっかり白くなっている。サムも背中の三分の一ぐらいは白髪になっている。茶毛のベルは、もともと口の周りは白いから、白髪があっても目立たない。「でもベルちゃんは身のこなし方が違うよ」と海のお母さんはだみ声で言う。それはそうなのだ。海もサムものそのそと歩くだけだが、ベルは軽々とあちらこちらへ走り廻る。36sの海、22sのサム、そして10sのベルがつるんで走り回った頃、親たちも元気だった。今よりもずっと。

2008年9月20日(土)
犬と歩けば・ふたたび 995

9月20日(土)晴れ  pm7時25

 町内回覧板が廻ってきて「Aさん家でご主人が亡くなり既にお葬式も済ませが、ご遺族の希望で通知を送らせた。」とあった。早速向かいのBさんと相談して、弔問に伺った。Aさんは、ウチやBさん家よりも5,6年遅く引っ越されてきたが、その時はもう亡くなったご主人はご病気の様子だった。でも毎日毎日杖をついて歩いていたので、お目に掛かったとき挨拶はしていた。奥さんも挨拶はしていたが、それ以上踏み込まれるのを拒否する感じがあったので、ご近所といっても余り親しい付き合いはなかった。だからお仕事も、病名も知らなかった。Aさん宅でお焼香を済ませてから(長い間の看病、ご苦労様でした。10年位でしたか?)と尋ねた。Aさんはイイエと強く否定してから「20年いえ、アメリカから帰って直ぐでしたから22年になります。」と続け「夢中で働くばかりで・・」と、声を詰まらせた。細かい事情はわからないがやはり、過労死の類ではなかったか。
 今日はグループ展が終わってから初めてのお絵かき。でもたった7名しかいない生徒のうち、3名も休んでたったの4人で淋しい。Yさんが家庭菜園でとれた冬瓜とニガウリを持ってきて、みんなに分けてくれた。Tさんは「この次はなにが貰えるの?」と催促していた。所が、今日は入会希望者の見学があると事前に仲間に知らせたら、じゃどんな風に話しをしようかとか、どこに座って貰おうかとか、そわそわムードだった。いよいよおおらかな女性2人が登場すると、みんなが浮き足だった。

2008年9月19日(金)
犬と歩けば・ふたたび 994

9月19日(金)曇りときどき雨  pm7時24

 台風が来ているって言うのに、西日本では大雨による水害が出ていると言うのに、(歩く会だったか、史跡散歩の会だったか)家人達は、市原に出掛け午後4時過ぎに「降られなかった」と言って帰ってきた。尤も帰りのバスに乗った1時半頃からぱらぱらと降ってきたそうだが。事前に申し込んであったが、実際に発掘に携わっている人が丁寧に市原国分寺・国分尼寺の説明をしてくれたという。勿論無料で。年寄り連中でみんな熱心に聞くから1時間も説明をしてくれて、ま一寸飽きたけど良かったなどど家人は自画自賛している。(よかったね。で国分寺はいつ頃出来たの?)「天平時代だよ。聖武天皇が世の中を鎮めるために全国に造ったんだ。」(ふーん、でそのお寺はいつ頃まで使っていたの?)「そんなこと言わなかったな。今、チラシ見るから。造られたのは1200年前だ。」(そんなに昔から尼さんがいたの?)「寺が出来たんだから、いたんだろうな」とここまでやりとりして、尼さんが一体いつ頃から存在したのか知りたくなって検索してみた。こういうときパソコンは便利だ。果たして6世紀初めに仏教が伝来して6世紀末には尼さんが誕生して居た。尼さんは『比丘尼は500戒ともいわれる戒律をまもり,解脱のため修行しなければならない。そのかわり乞食(こつじき)して布施をうけ,労働せずして生活を維持することができた。』と言うから自立して生活出来た訳で、『女性の職業』のはしりではないか。女性の一番古い職業は「娼婦である」と言うが、それに続くのではないか。もっとも後年、江戸時代になると比丘尼は娼婦の意味も持つようになったという。
ともかく『624年には569人の比丘尼がいたと伝えられる。』には意外に多くて驚いた。

2008年9月18日(木)
犬と歩けば・ふたたび 993

9月18日(木)雨・曇り  pm7時25

 夕べから、大型雨台風がやって来るくるとテレビラジオで繰り返し聞かされ、予定を変更したりして何となく落ち着かない。このあたりも午後から強い雨になると天気予報が言うから、朝ご飯が終わって直ぐにケアハウスの義姉を訪ねた。いつものようにシーツの取り替えなど寝具類の始末をしてから部屋やトイレを掃除した。終わって、7月に退院したときから預かるようになった預金通帳を見せて、説明など少し話しをした。いつもなら一緒に近くのスーパーへ買い物に行くのだが、今日は雨が降っているので中止。所で新しいシーツを取り出すのに整理ダンスを開けたら、今までよりもキチンと整理されてた。部屋の中もテレビはベット近くから、タンスの上に移動し、余分な段ボールもかたづけてあり整理された感じがした。随分落ち着いたらしいと、一安心する。掃除のとき、ゴミ箱の中に50tの缶ビールの空き缶を2つ見つけたが、知らん振りをする。糖尿病もある義姉はアルコール類は禁じられていて、職員に見つかると注意されるが、このくらいの楽しみは必要だと思う。お彼岸の墓参りで日曜にまた迎えに来ると言って、帰る。エレベータを待っていると、義姉の声がしたようで戻りかけると義姉がこちらへ来る。どうしたのかと尋ねたら丁度職員がいて「お見送りね」と言うと、義姉も頷いた。
 2日前、Aさんから電話があった。年に1回だけ一緒にお花見をする仲間である。Aさんは興奮していて、電話口を1メートル離しても耳に響くような大声で叫んでいる。Bさんが検診で肺がんが見つかって落ち込んでいるから、私からも激励してやって欲しいという。直ぐにかけたが繋がらない。その後何度かかけたがダメで、今日は留守電に入れた。
被爆手帳をもつAさんの過剰反応もわかるし、何度も繋がらない電話で、こちらの気持ちも萎えてしまった。

2008年9月17日(水)
犬と歩けば・ふたたび 992

9月17日(水)曇り  pm7時25

 川柳仲間、紀の治さんの話。小学校1年の時朝鮮から引き上げてきて、口減らしのために伯父さんの家に預けられた所までは書いた。3年後伯父さんが亡くなると、親元に返された。「母が迎えに来てくれてねえ、山口から鳥取に帰るのに伯備線に乗ったら、途中から(どこの駅だったか、聞き忘れた)曇り空になって雪が降ってきた。
駅に着いたらこんなに雪が積もっていてね」と手で指して見せた。こういう経験をもつ人は多いのではないか。私も東北本線、八戸と青森の間(昔から温泉地で名高い、浅虫)で天候が激変する経験をしたことがある。地元の人に聞いたら、やはりそうだと言った。普通なら明るい山陽から暗い山陰へ移るのは気が重いだろうが、この時の紀の治少年はウキウキしていたんだろうと想像する。さて田舎の学校に転校したチビの紀の治少年は級長になったが、副級長の女子はこれ又人一倍身体が大きくて、どうしても見上げないと話しが出来ない。この彼女には、通りすがりに足をかけられる、後から首じめをする、用事を作って部屋に閉じこめられると散々いじめられたと言う。であるからいつも彼女を避けて、びくびくしていたんだとか。所が男の子は化ける。高校に入った途端、雨後の竹の子みたいにぐんぐんと背が伸びた。夏は海、冬は山で働いて家計を助けていたので、身体も出来る。そうなったら主客転倒、彼女は自分が散々いじめた分だけ仕返しをされるかと、ちょろちょろ隠れるようになったと言って笑った。

2008年9月16日(火)
犬と歩けば・ふたたび 991

9月16日(火)雨のち晴れ  pm7時24

 2日連続でNHKテレビ「兵士は戦場でどう戦わされてきたか」「ママはイラクへ行った」を見た。口実はどうでも、軍隊とは人殺し集団であることが、あっけらかんと示される。人殺しのコツは、相手が自分と同じ人間でないと思いこむ事。成る程、日本の太平洋戦争の時も「鬼畜米英」と教え込まれたという。兵士は「敵」と思ったら、反射的に引き金を引くことを、徹底的にたたき込まれる。然し殺人を犯したことで兵士は傷つき、やがて精神的に壊れてしまう。イラク派兵の中に含まれる多くのママ兵士の場合は、本人だけでなく子どもを愛せないという形で、家庭が崩壊してしまう。では何故軍隊に入るか?若者の多くは大学進学資金獲得の為であり女性の場合は安定した就職先、州兵登録すれば土日の訓練だけで月30万円は美味しいからといずれも経済的理由である。はっきりと言えば「生活費」を稼ぐためで、子どもに問われれば「災害救援・イラク復興支援」などと答えるが、それは建前である。48歳の女性兵士は2度目のイラク派遣となり、10歳の息子に「どうしてママがイラクへ行くのか」と問われ「陸軍が決めた」と答える。続けて息子は「陸軍はどうしてイラクに行くのか」と聞き母は「イラクの人達を助ける為」と返事をする。「でも、アメリカはイラクの人達に嫌われているんだって」と追い打ちをかけられて、母は絶句する。
アメリカを後追いしている日本が、他人事として見過ごせるだろうか?

2008年9月15日(月)
犬と歩けば・ふたたび 990

9月15日(月)晴れ  pm7時25

 夕方の散歩でサムは市民の森へ行きたがったが(お母さんが疲れているから、公園にしようね)と説明して、公園へと向かう。所がサムは不満で、度々立ち止まったりノロノロでれでれと歩いて抵抗する。遊歩道への岐路にさしかかると今度はベルが、そっちへ行きたいと言う。眺めると、公園の芝生広場はまだ子ども達でいっぱいなので、下に降りて池を周り花島観音下の公園へ行く。ここはノラが沢山にて、ベルは鼻を鳴らして追いかけようとするから、そうはさせじとリードを強く引く。川沿いのコスモスが咲き始めている。川向こうから犬の声が聞こえて、耳ざとく「あれは、りょうだ」とサムのお母さんが言う。続いて聞こえたのはりょうのお母さんの声だ。そこで橋を渡ってりょうくん家へ行った。橋を渡るときベルは、欄干の間から何度も鼻先を出しては川面をうかがうが、なにをしているのだろうか?サムはやらない。りょうくんも誘って、木立が被さって薄暗い田舎道を(やだよ〜、こんな所一人じゃ来られないと、りょうくんのお母さん)機嫌の直ったサムとベル、りょうが楽しそうに走って遊んだ。 
  総選挙が近いと云われている今、自民党だけがNHKや民放を使って、毎日毎日繰り返し宣伝している。候補者の中には防衛省関係者が2人もいる。更に消費税10%は当然のように世論作りをしている。自民党のために福田さんは(深謀遠慮をもって)この時期に辞任したという評論家もいる。彼等の画策したとおり私たちは、この物価高、不景気の中で、消費税が増えるのも、防衛にお金を廻すのも仕方がないという風に考えさせられてしまうんだろうか?

2008年9月14日(日)
犬と歩けば・ふたたび 989

9月14日(日)晴れ 中秋の名月 pm7時26

 天気予報は雨だったが、良く晴れて十五夜お月様が見えている。やほちゃんに貰った「矢羽根すすき」も穂を出した。
昨日、一宮に自然塩を買いに行ったとき、そこの仙人のようなお爺さんが留守で、話しが出来なかったのが心残りだったが、今朝の新聞を見て、不在の原因がわかった。
一宮玉前神社のお祭りだったのだ。秦さんというお名前で、春分秋分時の日の出は一宮玉前神社と山陰の出雲大社を直線で結ぶ線上に上るというお話を伺った。
 夕方、サムちゃん達を散歩に誘おうと思い電話したら、用件を言う前に「ハイハイ・行きます行きます」と返事をくれた。私たちはいつもとは違うコースで、花見大橋を渡って遊歩道をのんびりと歩いた。でも今日のサムのお母さんは、数日前までとは見違えるほど元気に見える。咳も出ていない。昨日はまる1日サムと寝ていたからで、風が冷たくなったらまた咳が出ると思うなんて言った。その時サムのお母さんのケータイが鳴って、「息子だ」と言った。電話を切ると、「一緒にご飯を食べようって」とニコニコした。しばらくして今度は娘さんからも電話があって「2人で連絡したんだ。息子の家にみんなが集まって食べるんだって。私を迎えに来るって」と、もう嬉しさを隠せない。(良いお子さん達ですね。これだけ気を使ってくれたらお嫁さんも上等よ)と言えば「や、気を使ってくれたのは息子。嫁さんじゃあない」と返す。やれやれ。お嫁さんの話になるといつもこうだ。

2008年9月13日(土)
犬と歩けば・ふたたび 988

9月13日(土)晴れ  pm7時27

 今日は千葉県東部を買い物ドライブで、遊んだ。松尾町で昼食をとり、九十九里でイワシのみりんぼし、下がって白子で天然塩を、反転して上る途中でのスーパーでトイレタイムとつい目に付いた安い品を買って更に北上、干潟駅前で新栗の羊羹、閉店5分前の多古の道の駅へ飛び込む。西へ戻って富里で栗と梨(これはただで貰った)とまあー良く廻った。運転は上手なNさんにすっかり任せて、私たちは食べたりしゃべったり景色を眺めたりとツアー気分を満喫した。
 数年ぶりに、イワシのみりんぼし加工所を訪ねた。ここはずいぶん前から近くの「イワシのコース料理」を食べに来るたびに立ち寄って、お土産に買った。九十九里浜に近い場所で、空き地の台の上にはズラリとみりん干しが並べて干してあり、廻りは網でかこってあった。いつかの秋に来たときは、その網に頭を突っ込んで御用となったスズメや私の知らない鳥が沢山、鳥かごに入れられていた。空き地から隣接する加工所まではレールが敷かれ、作業小屋には2人のおばあさんが背中を丸めて、背黒イワシを1匹ずつ手開きして並べていた。イワシの頭や内臓や骨は、家畜の餌用に回収に来ると教えられた。小屋には大きな水槽もあり、凍ったイワシの塊を解凍している。漬け込みようの大きな樽もあった。作業小屋は屋根の高い工場に続き、人の背丈よりもずっと大きな冷蔵庫があって、注文するとおじさんは、ここからみりん干しを出してきて、梱包してくれた。いつものように干し場から入って行った。みりん干しが干してない。いや雑草を踏んで進むと工場近くに少し干してある。作業小屋を覗いたが、誰も居ない。水槽もタレ桶もない。工場の中はと見ると、もともといろんな物が乱雑に置かれていたが、様子が違い荒れている感じがした。思い切って大声を出して呼びかけたら、ああと驚いて薄暗い中から人が立ち上がった。工場の隅で寝ていたらしい。いつもあっていたおじさんである。おじさんは「もう、潰れそうなんだよ」と寂しそうに言った。私たちはイワシの事やいろいろな話しを聞いて、「ここへ買いに来るのが楽しみだから、どうか頑張って続けてください」なんて言ってしまった。そうそう値段は1s2千円。10年前に初めて来たときと同じ値段だった。

2008年9月12日(金)
犬と歩けば・ふたたび 987

9月12日(金)晴れ  pm7時25

 日が短くなって、夕方も6時近くなると月が明るく輝きだした。今年は、明後日の14日が十五夜らしいから、今夜は十三夜というになる。友人のOさんはずっと朗読の勉強を続けていて、年1回その成果を発表会で披露される。毎年聞きに行っていたが、去年は体調が悪くて出掛けられなかった。その埋め合わせもあって、今年は勇んで出掛けた。Oさんとは二十数年前、同じ職業病患者として出会った。同じ病院の同じ医師にかかっていた。初めてお目に掛かったときから、Oさんの声・特に鼻濁音の美しさに気が付いた。それを言うと「商売上の声よ」と笑ったが(Oさんは国際電電の交換手をされていた)、朗読で声の良さはやはり大きな魅力である。悪声を個性にする人もプロではいるが、素人ではなかなか難しいのではないか。そんなわけで2年振りにOさんの朗読を聞かせて頂いたのだが、その成長というか飛躍に驚いた。今までは、がちがちに緊張していたOさんが、今回は余裕を持っているせいか声が良く出て伸びる。宇野千代作「おたよの恋」という作品を語ったのだが、瀬戸内海の言葉がたおやかで、聞く者の耳に心地よく届いた。成る程、故郷の言葉は身体のなかから出てくるのだと納得した。Oさんは香川県のご出身である。そんなわけで、いつもは彼女の出番が終わると席を立って帰ったのだが、今回はもっと聞きたいと言う気になってお昼を挟んで聞き続けた。樋口一葉の「十三夜」が聞けたのも良かった。

2008年9月11日(木)
犬と歩けば・ふたたび 986

9月11日(木)晴れ  pm7時25

 夕方、雨模様だったので、1時間(4時半に)早くベルの散歩に出掛けた。自転車でベルを走らせながら、この時間なら未だサムちゃん達は家にいるかも知れないと思い、目的地をサムちゃん地へ変更した。サムのお母さんは近所の人と立ち話をしていて、サムはその廻りをうろうろしていた。後から聞いた話しでは、(疲れたので)車に乗せて公園へ行こうとしたのだがサムは乗りたがらない。サムが乗ってくれるのを待って、15分もああしていたと言う。さて、ベルがやってきたのでサムも直ぐに動き出す。公園ではなく市民の森を目指す。サムのお母さんは「ん?サム、どっちへ行きたいの?あ、そっちへ行きたいのか。よしよし」なんて言っている。でもサムのお母さんは見るからに疲れた様子だ。大丈夫かと尋ねたら、「今日は合同作業があったから」と答えた。普段は各自一人ずつ別々に作業しているが、飛び込みの仕事とか時間に追われた仕事が入ったときなど、作業員が何人も一緒になって一斉に同じ作業をすることがある。普段はマイペースで仕事をしているから、疲れたと思えばいつでも休憩を取ることが出来る。しかし合同作業は、監督者がいてその指示に従って作業をするから、普段よりもずっと疲れる。それに今年の暑さである。サムのお母さんが熱中症で倒れたのも、合同作業の時だった。あの時はサムのお母さんが病院へ運ばれた騒ぎで、その間他の作業員達は休めたので助かったと後日言われたそうだ。市民の森へ行くのは2ヶ月振りぐらいだ。犬たちは喜んで走り回ったが、サムのお母さんは上体を倒すようにして歩いた。咳もまだ取れていない。咳き込まないだけ良くなったとは言っているが、声にも元気がない。

2008年9月10日(水)
犬と歩けば・ふたたび 985

9月10日(水)晴れ  pm7時24

 日差しは強くても、乾いてヒンヤリした風が、季節の替わりを告げていた。
今日はやほちゃんがセットした「紀の治さんを励ます会」の為に、4人が喫茶店に集まった。お線香をあげに自宅へ伺おうかとの声もあったが、いやいや余分な気を使わせないようにと言うことで、喫茶店になった。 いやあ、男性がお酒抜きでも良く喋るんだって、よーくわかった。ま、話し相手も雰囲気も良かったって事もあるけど。
(笑い)話題の大筋は紀の治さんの(生いたちの記)と、川柳だった。
 紀の治さんの父親と言う人は、戦前朝鮮半島で大手土木の下請け会社を起こして、鉄道敷設の仕事をしていたとか。そんなわけで、紀の治さんは平壌生まれだが、現地の日本人小学校へ入った年、父親が36歳で急逝。敗戦直前、母親は3人の子どもを連れて帰国したと言った。その時、末の妹は生まれて半年も経っていなかった。帰国したものの口減らしの為に、小学1年で長男の紀の治さんは一人、父親の実家(山口県)伯父さんの家に預けられ、伯父さんが亡くなって親元へ帰されるまでの3年間、そこで暮らした。今でこそ紀の治さんはガッチリとした体格で、180pはあると思うがそれは高校時代に急に伸びた結果で、小中学校ではいつも一番前に並ぶチビだった。さて伯父さんの家に預けられて直ぐに風呂の水くみの仕事が割り当てられた。井戸で水を汲んで風呂場まで運んで、風呂桶をいっぱいにする。運ぶったって、昔の桶は木だから余計重かったでしょうとたみちゃんが口を挟む。それに昔の木の風呂桶は高さが1mはあったと思うから、チビの紀の治さんには大変な仕事だった。注意しても桶に水を入れるときにこぼれて、身体にかかる。夏は未だ良いが、冬には胸まであかぎれになったとさすった。私たちは、息をひそめて話しを聞いた。

2008年9月9日(火)
犬と歩けば・ふたたび 984

9月9日(火)晴れ  pm7時25

 「おつかれさまです。会計報告了解です。再、再送が来るかと一日様子を見ていました。じっくり、制作に集中してください。」と、こんなメールを貰ってしまった。私は仕事を残すのが厭で、さっさと片付けたいクセがある。グループ展の会計報告を日曜日段階で締めた。所がアクシデントがあってで出てこられなかったAさんが、月曜の搬出時に見えてカンパを下さったので、夕べやり直した。簡単な足し算が違っていたことにメールを出してから気が付いて、訂正を訂正した。これを送ってくれたBさんは現役時代、さぞコワーイ上司だったんでしょうね。
 とまあグループ展で疲れたので、昨日今日は完全休養する。ごろごろしながら12チャンネルで、映画「カサンドラクロス」を見た。30年も前の映画だが、アメリカの底知れない陰謀を描いていて、成る程9.11はその延長上にあるのかと思わせられる。バート・ランカスターは、いつ見ても魅力的。エヴァ・ガードナーの毛皮のコート(ギンギツネかてんか私には見分けが付かない)と、ソフィア・ローレンのリバーシブルコートの豪華さと見事な着こなしもさすが女優と、見応えがあった。更に「大陸(ヨーロッパ)横断鉄道」が進行する沿線の景色も(本物かどうかわからないが)楽しめた。私もこの秋には、汽車に乗りたい。因みにこの映画はイギリスとイタリアの合作だという。

2008年9月8日(月)
犬と歩けば・ふたたび 983

9月8日(月)晴れ  pm7時26

 10日振りに、夕方の公園へ行った。しばらく行かないとサムちゃんが、様子を見に来る。先日も、エマのお母さんの展覧会の招待状を届けたくれた。エマのお母さんは画家で、去年まではポルトガルの市場で働く女性を、でっかーく(100号のカンバスに1人)描いていた。5時半頃の公園では蝉と虫の声が競い合っていたが、6時を過ぎるともう虫の鳴き声だけが夕闇の中に響いている。サムちゃんは、私の留守の間の出来事を報告してくれる。昨日、急死した「サクラ」のお母さんがやって来て、みんなにいなり寿司を配ったこと。急死の原因は、なにか毒物を拾って食べたことにして自分(サクラのお母さん)の気持ちと折り合いを付けようと思っていると言ったこと。でもね、とサムちゃんは立ち止まって困惑する顔をした。話しをしていると急に興奮して、大きな声になってね(サムが死ねば、アタクシの気持ちがわかるのよ)って言うの。誰も自分の気持ちなんかわからないって。サムちゃんはさぞかし困った事だろう。その上サクラの家にね、この間雷が落ちたんだって。夜の8時頃地震と同じで、ズシーンと凄い音がして壁が壊れ、電気製品がみんな壊れちゃったって。2種類以外は。その2種類は何だったかナー、何たって甲高い声で早口にまくし立てるし、うっかり口を挟もうものなら(サムが死ななくちゃアタクシの気持ちなんてわからない)って言われるから、聞き返せなかったと首をすくめた。

2008年9月7日(日)
犬と歩けば・ふたたび 982

9月7日(日)晴れ  pm7時29

 搬入からあっけなく1週間が過ぎて、今日はグループ展の最終日。校長先生だったというTさんには、さすが訪問者が多い。教え子って、何人ぐらいいらっしゃるの?と誰かが聞いていた。50年ぶりに会ったと言う方もおいでだった。人波が一段落した頃やって来たお婆ちゃんとは、1時間余りもお話をしていた。私ははじめ、Tさんの隣りに座っていたのだが、お二人の話はもう終わったのかと思うとしばらくの沈黙の後・・あの時のぉー・・なんて具合に繋がって、そこからまた延々と(多分、昔話)始まる。別に聞きたいわけでないが耳に入る。でも飽きてしまって席を立った。
彼女がお帰りになってから、Tさんは高校の同窓生だと言った。私は驚いて、Tさんの時代に男女共学(古い言葉だ)があったのかと、尋ねた。Tさんは記憶をたどるようにして、入学したときは旧制中学だったが、途中から高校になって何でも女学校と半々にしたとか。でも部活は一緒だったが、クラス編成は女子クラス男子クラスに別れていたと説明を受けたが、いまいちハッキリとイメージしがたい。(で、元カノなの?)と聞いてみた。Tさんはアハハと笑って、そうねぇ、そうならいいねぇと答えた。隣で聞いていたIさんも身を乗り出して「なんやの?それからずううっとお付き合いしてはるのん?」と、突っ込む。Tさんはもう一度アハハと大きく笑って、「昔の知り合いが、こうして尋ねてきてくれるから嬉しいよね。」とかわした。無駄にトシはとっていないと感心。

2008年9月6日(土)
犬と歩けば・ふたたび 981

9月6日(土)晴れ  pm7時29

 「千葉市花の美術館」は、9時半に開く。川柳のなかま達は八千代から9時50分にはどやどやと駆けつけてくれた。1枚ずつ絵の前でああだ、こうだと声高に感想を述べている。私の絵「チベットの少女イマブチ」の絵を説明する。昨年のチベット旅行で出会った人々を15人書き込んだ。いや、犬も1匹描いたのだが見る人によって、サングラスをかけた犬に見えたり、人に見えたりとするから面白い。またイマブチのお母さんには4人の夫がいて、彼等は実の兄弟だと説明したら(今まで説明した人たちと同じように)信じられなーいと言ったが、ヨネちゃんだけは(あらどうしましょう。子どもを沢山生まなくちゃならないし、大変じゃないの)とか言って、顔をあからめる。仲間の誰かに、(アンタねー、なに考えているの?アンタが彼女じゃないんだから、余計なこと心配しなくっていいのよ)とか言われている。2階の家庭菜園手前のスペースに幾つかの椅子とテーブルがある。気が付くと誰かが手際よく紙コップに6人分のお茶を注いで、私も座ったらおせんべ1枚と飴1個が配られた。まあ飲食禁止とは書いてないが、多分いけないことだと思うがおばさん達ののりというか流れで小休止した。館内をくまなく歩いて隣接のレストランで食事、と私はここまで付き合ったが、その後彼女たちは園外を楽しみ海まで行ったとか。更に帰りは仲間の家2軒でお茶をしたので、帰宅したのは夕方。一寸した旅行気分で楽しかったと、電話を貰った。なんともエネルギッシュな女性達である。

        

2008年9月5日(金)
犬と歩けば・ふたたび 980

9月5日(金)晴れ  pm7時26

 グループ展4日目の今日は、午前午後の当番でさすがに疲れた。でも去年も同じ頃にここで開催したときは、たった半日の当番で身の置き所がない位ぐったりしたから、それに較べたら随分とましになった。午前午後と私の仲間や知人が駆けつけてくれた。午前、NさんTさんと一緒においで頂いたNさんの色鉛筆仲間のGさん達とは1年ぶりにお会いした。一緒に食事をしたときGさんは、私が以前あった時とは別人のようだと仰った。顔色が良くなって、雰囲気も若くなったと言ってくれた。午後お母さんと来て頂いたTさんも雰囲気が柔らかくなったと、遠慮がちに言った。傍で聞いていたお絵かき仲間のIさんまで「そうやねん、時々ひどく疲れた様子してたわ」なんて言うではないか。
 ついこの間まで私は、いつも全身に鉛が付いているように身体が重く、少しの負荷で疲労困憊状態となった。少し改善された自覚はあったが、他から見てそんなに大きな変化を指摘されたのは意外だった。
 でも私は元気を取り戻しつつあるし、好きなお絵かきももっと出来る。仲間がいる。これからの老後はバラ色だ。

2008年9月4日(木)
犬と歩けば・ふたたび 979

9月4日(木)晴れ  pm7時26

 今日の午後は、火曜日から始まっているグループ展の当番だった。12時から4時45分までの入場者数は67名でまずまずと言ったところ。以前市川の画廊を借りたときは、場所が駅から離れていたし、幹線沿いだが人よりは車の往来が激しい所だったので、会員の関係者以外は殆ど見て貰えなかった。それに引き替え今回の開催場所である「千葉市花の美術館」は、まあ交通の便が良いとは言えないが、入館者がついでに立ち寄ってみてくれるという、利点がある。
 午前中の当番のTさんは2時と4時に見に来てくれる人がいると言い、そわそわして待っていた。4時に来る人は学校の先輩で、そのまま2人で飲みに行く予定だという。更に明日は、小学校時代(宮城県)の同級生の女性が2人来てくれるので、お昼ぐらいごちそうしなくっちゃなあと嬉しそう。私の関係も、マグノリアさんが友達を連れて見に来てくださった。Toさんの水墨画の先生と言う方も熱心に見てくださって、私は過分のお褒めを頂いた。やっぱり、幾つになっても嬉しい。

2008年9月3日(水)
犬と歩けば・ふたたび 978

9月3日(水)晴れ  pm7時28

  「ほにゃほにゃ、ホーニャホニャ」サムのお母さんが言うところの、ベルの最高レベル甘ったれ声がこれ。夕方ベルと散歩に行こうとしているところへ、サムちゃん達が車でやって来た。病院へフィラリヤの薬を貰いに来た帰りだという。ではと、車に同乗させて貰って公園へ行った。サムちゃんの車に乗せて貰うのは久しぶりだ。前はしょっちゅう子ども達(犬たち)と九十九里へ行こう、幕張海岸がいい、佐倉城趾公園の外側は人が来ないから犬を放せると誘われていたが、最近はぱったりと言わなくなり疲れた顔をするようになった。今日も暑くて早めに仕事を上がったので、久しぶりにベルと公園以外の所へ散歩に行こうと思っていたが、ちょっとの積もりで横になったら寝過ぎてしまってその時間がなくなったと、残念そうに言った。
 車に乗り込んだベルは、早速窓から顔を出して外を眺める。公園に集まったいつもの犬達は、サムのお母さんが病院から貰ってきた何種類ものドッグフードのサンプルを競い合って食べた。親たちはお喋りに忙しい。話題は昨夜の総理大臣突然の辞任。
「私は安倍総理とは違うって病気じゃないと言ってたけど、じゃあもっと悪いじゃないねえ」「ったく、無責任だよ」と、福田さんへの風当たりは強い。日が短くなったねえと言いながら6時を過ぎて腰を上げた。「帰りは歩いて行くからいい」と断ったのに、ベルはまっすぐにサムちゃんの車を目指しドアが開けられるのを待った。

2008年9月2日(火)
犬と歩けば・ふたたび 977

9月2日(火)晴れ  pm7時28

 今日は日差しも真夏に戻って蒸し暑かったが、夕方の公園では風が通って幾らか過ごしやすかった。「似合わないからよせって言うのに、一度はスキンヘッドにしてみたかったんだって」ナナちゃんのお母さんが、マルコメ味噌の坊やのようなくりくり坊主にしたお父さんの頭を眺めながら言った。ヘアースタイルはどうであれ、ナナちゃんはお父さんが大好きだ。お母さんが呼んでも、お父さんの傍を離れない。お父さんがリードをお母さんの方に放ってやるとナナは、それをくわえて戻ってきてしまう。その時お父さんは、思わず会心の笑みを浮かべたのを見てしまった。「だってさ、晩酌をやりながらナナにつまみを食べさせているんだよ」とお母さんは口を尖らせる。ま、絵に描いたような平和の風景である。
  「麻生さんに意外に早く番が回ってきたね」サムちゃんに言ったら、ウンと渋く返事をしてから(意外に公明党が強くて・・)とつぶやいた。この頃は「総理大臣」という仕事もパートで勤まるらしい。1年で2人も「ヤーメタ」と放り出した。“2度あることは3度ある”と諺でも言うではないか。2世、3世議員の麻生さんもあるいは・・・ね。

2008年9月1日(月)
犬と歩けば・ふたたび 976

9月1日(月)晴れ  pm7時28

 ヤッパリ今日も秋刀魚にした。生きの良いのが1匹98円。重油が高くて漁に出ても赤字になると聞いているので、なんだか悪いような気もするが、良くて安いのは嬉しい。
活きが良いのはお刺身でも煮ても焼いても美味しいが、今日は塩焼きで食べた。腸の苦みは大人の味。たっぷりの大根下ろしと一緒に、ビールを飲みながら食べたけれどうーん美味しかった。コープで新栗も見つけた。2Lの大きさで30粒入って1袋500円。この秋初めての栗ご飯にした。それにしても食料品売り場を見て歩くたびに、少しずつ値上がりしている。必要な物だけを買う。安いからと言って、安易に買わないと自分を戒める。 春菜さんから「別に用事はないんだけど、声が聞きたくて・・」なんて電話が架かった。宿題が出来ない。亭主が未だ帰らない。(ヨットの現在地は苫小牧とか)犬の具合が悪いと珍しく次々愚痴る。終いに(ボランティアでミスっちゃって)と唸った。「疲れが貯まってくると、いつものことでもやり損なうよ。少し休んだら?」なんてえらそーな事を言ったが、他人事ではなくてこちらも緊張した。

2008年8月31日(日)
犬と歩けば・ふたたび 975

8月31日(日)晴れ  pm7時26

 半日粘ったが、川柳の宿題が出来ない。午後は諦めて図書舘に行くと、リクエストした本(寡黙なる巨人 多田富雄)が届いていた。そのままパン屋に寄ってケーキを1個だけ買い、無料のコーヒーを飲みながら読んだ。以前私はNHKテレビで「脳梗塞からの(再生)免疫学者・多田富雄の闘い」を見た覚えがあって入りやすかった。
編集長の闘病日記に、町内会で親しくしている人の奥さんが欠かさず検診を受けていたにもかかわらず発病し、急逝された事が書かれていたが、この著名な(と言われても、私は知らない)免疫学者の場合も、ご本人も奥さんも医者で定期検査も受け何の異常もなかったというから、人間ドックとか健康診断は“やらないよりはまし”程度なのかも知れない。
この本の「はじめに」の部分を引用する。
『あの日を境にして全てが変わってしまった。私の人生も、生きる目的も、喜びも、悲しみも、みんなその前とは違ってしまった。でも私は生きている。以前とは別の世界に。半身不随になって、人の情けを受けながら、重い車椅子に身体を任せて、言葉を失い、食べるのも水を飲むのもままならず、沈黙の世界にじっと眼を見開いて、生きている。それも昔より生きていることに実感を持って、確かな手応えをもって生きているのだ。』
多田先生は(今、厚生省の役人に負けてはいられない)と、小泉内閣が行った障害者のリハビリ制限(最長でも180日)と闘い続けている。それは自分の中に新たに生まれた「巨人」が政府と渡り合っているのだと書いている。

2008年8月30日(土)
犬と歩けば・ふたたび 974

8月30日(土)雨・時に晴れ  pm7時28

 昨日あたりからまた、蒸し暑い夏が戻ってきた。
「駆け足に行こうと思って出たらね」ジョギングから帰った家人が、汗を拭いながら言った。筋向かいのAさんの娘さんに出会って、先日の「鍵が掛からない事件」のお礼を言われたという。Aさんは、パーキンソン病で5年あまり薬を飲んでいるので(その副作用もあるかも知れないが)この所急に痴呆症状が進んで、少しの事でパニックになる。私たちに急用があったときのために、今日は1泊のデイサービスに行って貰ったと説明を受けたと云う。でもあの時、電話して私に頼めたし、その事を娘さんにもちゃんと言えたんだから(まだまだ大丈夫)と私は、抗弁した。無駄な抵抗だとは十分わかっているが、私の廻りで義姉に続いてAさんまで続いてこうなるなんて、きつい。
  今月分のフィラリヤが未だだったので、10時になるのを待ってかかりつけの動物病院へ出掛けた。ゆっくり歩いても5分位の近くにある。雲間から陽も差してきたので帰って来るぐらいまでは大丈夫だと思ったのが、間違い。待合室にいる間に空模様は急転し、この所おなじみとなったバケツをひっくり返したような雨となった。ベルはびくびくしている。呼ばれて診察台に上がっていつものように、ざっと健康診断を受ける。先生は聴診器を置いて「なにか心臓音が、いつもと違うような気がします。
老犬になると心臓も悪くなるので、咳とか症状が出たら精密検査をしてください。」と言うではないか。先月までは、「ハイ、大丈夫ですね」と言われていたのにである。さてと考えて、ベルの心臓音の変化はこの所の雷が原因だろうと、保護者は思い至ったがどうだろうか。

2008年8月29日(金)
犬と歩けば・ふたたび 973

8月29日(金)雷・曇り雨・時に晴れ  pm7時28

 晴れたり曇ったりで何となく過ぎた1日。このまま大雨予想も外れるかと思い始めた頃、ドッカーンと雷が近くに落ちたような音がしたのが始まりだった。それからピカ・ゴロゴロ・ドドーンの大合唱で、ベルはすっかり尻尾を下ろしてこそこそと家の中に入ってきた。
 午後、花束と小さなケーキを持って、ケアハウスに義姉を訪ねた。明日は義姉の75回目の誕生日である。(アラそうなの)と喜んだ。未だ、雨も大丈夫そうなので、部屋の掃除の後、買い物に誘うと付いてきた。スーパーで商品を見て歩くときの義姉の目は輝いている。パック詰めのブドウを選ぶときも、素早く新鮮で量の多いものを選ぶ。大体義姉は料理が上手だった。魚も1本をさばいて刺身や煮付け、或いは干物にアラ汁などに無駄なく使った。南瓜を見て、どんな料理が一番美味しいかと尋ねると、(ヤッパリ醤油と砂糖酒で煮付けるが一番じゃない?南瓜は余計なものを入れない方が美味しい。)と、自信たっぷりと答えた。だが然し、「今日はお風呂の日だったでしょ?サッパリとしているね」と義姉に言ったときは、(いや、入らない。おかしいな。お風呂の日は声かけに来るのに)と、答えるのだ。午前中の事は忘れている。でもまあ、歩いてスーパーへ買い物に行け、自分の好きなものを選べる。それだけで充分だ。帰りも手を繋いで、ホームまで帰った。

2008年8月28日(木)
犬と歩けば・ふたたび 972

8月28日(木)はれ  pm7時28

 昨日の夕方、サムちゃん達と公園から帰るとき、道路の向こう側から声をかけられた。目立たない食堂の前で、白衣を着たおじさんが右手に持ったビニール袋を高く上げて振って見せている。「あ、くれるんだ」サムちゃんが小さく言ったとき、車が切れておじさんがこちらに渡ってきた。多分、客が残したトンカツが幾切れか入っていた。「この頃は年2,3回しか行かないんだけど、この間孫が来たときにトンカツを食べに行ったから。」とサムちゃんが説明した。それにしても、サムちゃん達が帰る頃合を計って待っていてくれたのだ。ベルも1切れ貰って直ぐに食べたが知らんぷりしているので、私が代わりにお礼を言った。
 それにしても北朝鮮はやりますね。今度は「脱北者を装う女スパイ」事件。韓流ドラマも嘘っぽくて、こんなシナリオは書けなかったんじゃあないかと思うが、(事実は小説より奇なり)である。それにしても「毒薬」や「毒針」はどんなもので、どんな風に隠していたのか知りたい。重要情報を握って日本に渡った脱北者とは?(スパイ小説は大好きなのだ。)いずれ映画になると思うから、そのあたりを注意してみたい。そうそうあのメタボの小父さんは、映画が大好きだった。

2008年8月27日(水)
犬と歩けば・ふたたび 971

8月27日(水)はれ  pm7時25

 昨日の私にピッタリの句を見つけた。「秋の日の老齢眠り続けたり」
十分眠ったせいか、今日はすこし元気になって宿題に励んだ。夕方電話が鳴って受話器を取ったが、遠くでフニャフニャ言っていてよくわからない。もし、もぉーしと大きな声で呼びかけたら、なんと筋向かいのお宅のAさんだった。何でも4枚戸が良く締まらないと言っているようだが、理解できない。でもただならぬ声の調子なので、直ぐに行くと返事をした。家を飛び出ると、Aさんが玄関から顔を出して待っていたので、ご本人の無事を確認出来てほっとする。案内されて庭へ廻る。庭に面したリビングにガラス戸が4枚入っている。言っていることがもひとつわからないが、ガラス戸を開け閉めすると、(アラどうして?)と言う。(どうして鍵が掛かるの?)と聞く。鍵は、戸を2枚ずつ2ヶ所で取っ手を持ち上げて施錠するごく普通のものである。ま、片方は端の1枚が少し戻り気味でピッタリとは行かない。Aさんはその施錠に手こずっていたことが、やっとわかった。ご自分でもやって貰って、やっと納得して貰った。鍵が掛からないので、家の人が誰か帰ってくるまで、犬の散歩に出掛けられなくて困っていたと言った。Aさんは5,6年前からパーキンソン病を患っているが、(こんな簡単なことで)困惑しているAさんを目の当たりにした私はショックを受けた。私よりも2歳年長。美人で身の回りはいつも小綺麗にしているAさん。明日はわが身だ。今年の誕生日には遺書を書くとしようか。

2008年8月26日(火)
犬と歩けば・ふたたび 970

8月26日(火)曇りときどき雨  pm7時24

 この所、秋の長雨の様なお天気が続いている。夏の疲れが出たのか、老化で気温の変化について行けないのか、今までの疲れが出て来たのか、はたまたそれらの複合なのか幾らでも眠れる。昼寝をしていたら電話が鳴って起こされた。以前1年ほど一緒に川柳で遊んだAさんである。一方的にまくし立てる話しを、ボンヤリと聞いていた。彼女曰く、同じ団地内の紀の治さんにバッタリと会って、奥さんが亡くなったことを初めて聞いた。いつですかと聞いたら、今日で百日目だと即座に答えたのよ。団地ってねえドアをぱたんと閉めてしまえば隣近所の付き合いもないし、孤立しちゃうのよ。ま、あたしなんかうるさくなくてそれが良いんだけどね。で、奥さんも向こうのお墓に葬ったし、田舎へ帰ろうと考えているんですって。いろいろと話しをしている内に、淋しいと言ってぽろぽろ涙をこぼすのよ。で彼女の用件は紀の治さんの送別会をやるときには、参加したいので連絡して欲しいと言う事だった。あの身体の大きな紀の治さんが、立ち話で泣いている様子を想像して、胸が痛んだ。
 2006年現在、60歳以上の一人世帯は490万であるという。私自身一人暮らしの立場におかれた場合、孤独に耐えうるだろうかと自問してみたが、自信なんか無い。それをカバーするためにはなにが必要か?仲間作りか?宗教か?

2008年8月25日(月)
犬と歩けば・ふたたび 969

8月25日(月)晴れときどき雨  pm7時25

 昼前、同級生から電話があってお喋りした。お互いになんだか具合が悪かったり、体調がイマイチでもその原因がハッキリとしない。なんたって老化を経験するのは初めてだから、ここは自分をいたわらなくてはいけないのか、いやいや自分は怠けているのではないかと思ったりしてね。そうそうと、慰め合う。私は目覚めがスッキリとして、朝ご飯が美味しいときは体調良好と判断しようとおもうが、なかなかそうはいかない。もっと基準を下げなければいけないのかも知れない。
 今日は数ヶ月ぶりに編集長と会った。頬のあたりが少しほっそりしたようだが、顔色も良く元気そうで、とても爆弾を抱えているとは思えない。ところで、昨日の「闘病日記」には「遺言を書き換えた」とあった。その部分を読んだとき、かつての名ドラマ「北の国から」の中で、田中邦衛扮する黒板五郎が嬉しそうな顔をして「一度書いた遺書は、次々と書き直すのが病み付きになる」と言った場面を思い出してその事を尋ねた。編集長はニコニコしてそれは本当だと言い、私たちは「遺言」について話しをした。編集長はあれこれの具体例を引きながら遺言は@自分がどうして貰いたいか、ハッキリと伝えられる。A遺族は(いろんな推測をする手間や苦労が省け)本人の希望に添ってスムースに事が運べるので、大事なことだと力説して私たちはフンフンと傾聴した。
 編集長を自宅に送り、Nさんと2人になって「ねえ、家族に言い残す言葉って、考えたら編集長の(心の声)あの通りだから、あれをコピイしようかしら」と言った。
ハンドルを握ったままNさんは、反っくり返って大笑いした。

2008年8月24日(日)
犬と歩けば・ふたたび 968

8月24日(日)晴れときどき雨  pm7時28

 金メダルを取ったソフトボールチームが帰国して、ニュースで彼女たちのお顔を拝見した。(私はラジオで試合を聞いた。)エースの上野選手は、素朴でどこかのんびりとした感じのお姉さん。この人が終盤2死満塁のピンチを冷静にくぐり抜けた人かともう一度見直したが、やはりどこかはにかんでいる様子さえ感じられた。彼女とバッテリーを組んだ峯選手(千葉県)は、弱冠20歳で、26歳の上野の良いところを引き出す様に心がけたと語っている。うーん凄い。佐藤監督は、見た目犬仲間ナナちゃんのお母さんに似ている。素朴で気の良い田舎のおばさんに見えてしまう。どうしてもシンクロコーチのきつい顔と較べてしまい、こんなに優しい感じの人が世界1のチームを育てたのかと不思議だ。然し上野選手は「最後は強い気持ちを持った方が勝つんだとわかりました。」と、きっぱりと語ったがハテ、星野監督はこの言葉をなんと聞いたでしょうか?

2008年8月23日(土)
犬と歩けば・ふたたび 967

8月23日(土)晴れときどき雨  pm7時23

 わが家の玄関には、私の描いた絵が飾ってある。F30号という大きさで、約70×90pの大きさである。新しい気に入った絵が出来上がると取り替えるが、家人もベルも気が付かない。飾ってあることも知らないだろう。7月末に娘が息子を2人連れて泊まりに来た時、5歳になったちっちは、入って来るなり「あ、絵が替わっている」と言った。それを聞いて私は、へエー見ていたんだと驚いたが、勿論嬉しかった。そして今日、むすめ達がひとつだけ泊まりに来るというので、この秋のグループ展に出品する絵をせっせと描いて今朝取り替えた。ちっちに気が付いて貰いから。
 残念ながら2人とも風邪気味で、お泊まりは中止になったがその代わり、長男のいたクンが参加した学童のキャンプの写真がどっさり届いた。いたクンと馬の写真があった。いたクンは馬に顔を寄せて、馬の大きな鼻の穴を上から覗き、かがんで下からしげしげと眺めている。馬はジッとして動かず、むしろいたクンをいたわるような眼差しで見つめているのが、心に残った。

2008年8月22日(金)
犬と歩けば・ふたたび 966

8月22日(金)晴れ  pm7時22

 夕方、サムちゃん達と公園から帰るときに、虫の鳴く声を聞いた。サムのお母さんはまだ風邪が抜けない。風邪薬を変えたら大部良くなったというが、顔がひとまわり小さくなったような気がする。今年は暑さにくわえて、とにかく仕事が忙しいのだそうである。話しを聞いてみると、忙しい原因はどうも除草剤の使用禁止がひびいているらしい。雑草の伸びが良いから、手作業に時間がかかる。1ヶ所に時間がかかるから、今まで2週間に一度行けてた所も遅れ気味になる。遅れるから余計に雑草の根がはびこって、抜いたり掃除したりの手間がかかるという悪循環に陥っているようだ。
車6台分の駐車場の作業に1時間もかかってしまったという。と言うことは、1台分(80円)×6台=480円で、時給480円となる。請負だから道具その他は自分持ちで、この値段である。請負と良いながら、会社の抜き打ちの検査があるから、気が抜けない。
 所で未だ続いているオリンピック。夕べは作業しながら女子ソフトボールの決勝戦を最後まで聞いてしまった。陸上競技になると、がぜん黒人の出場が多くなるような気がするが、どうだろうか?例えば獲得メダル数を黒人、黄色人、白人と分けて合計してみたらどうなるだろうか?

2008年8月21日(木)
犬と歩けば・ふたたび 965

8月21日(木)晴れ  pm7時27

  ひとつずつ気長にやってみるかと思ったものの、やってみると想像以上の煩雑さで厭になった。書類を揃えても医者が、「未だその時期ではない」と言うかも知れないではないかと、止める理由を医者の所為にしようと考えた。
 診察室に入ると医師は私を見て、義姉に「この人を知っていますか?名前はなんと言いますか?」と聞いた。義姉は私の名前を一度は間違ったが、言えた。私は医師に「後見制度申告の時期について」尋ねると、「申告するしないは、私が決めることではありません」と、云った。その通りなのだ。医師は私と義姉にかわるがわる質問をしてから、一旦私は外へだされた。少しして、義姉が私を呼びに来た。これも検査の内なのかも知れない。また幾つかの質問−毎月の生活費は幾らか?預金残高は?−があったが、具体的な数字に義姉は全く答えられなかった。お金持ちですかと聞かれた時は即座に義姉は「違います」と言ったが、何故お金を貸してしまうのかには、頼まれると断れないと答えた。そうある程度親しくしてきた人達だから、断れないのだ。
私にしてみたら義姉の状態をおかしい、変だと言いながら(それを利用して・結果的にはだまして)お金を取り上げる人達に我慢がならない。「診断書が出来たら取りに来てください」さっきとは変わって、医師はきっぱりと言った。ああ、これで私はまたやらざるを得なくなった。
 診察室を出ると義姉はしょげて「生きているって事は、大変なことだ。・・早くお迎えにきてくれないかしら」とつぶやき、それを聞いて私は(義姉に辛い思いをさせるなら、やはり止めようか)と、また自信がなくなった。

2008年8月20日(水)
犬と歩けば・ふたたび 964

8月20日(水)晴れ  pm7時30  夜・雷

 義姉と心療内科の医師に面接した。2時間近く待たされた事もあるが、義姉は「トイレに行く」と席を外したまま帰ってこなくて、慌てた。余り遅いのでトイレの中で具合でも悪くなったかと思って、全部探したがいない。病院の1階部分を2周し、外も1周したが見つからず、ホームに帰ってしまったかと電話したがそこにも居ない。
事務所の人が心配して病院へ駆けつけてくれた。あんまり大げさにしたくはないが、どうしたものかとうろうろしているとき、ひょいと向こうからやって来た。
 さて今日は、私が義姉の「成人後見人」になった方が良いかどうか、かかりつけの医師と相談したくて出掛けてきたのだ。
 話しは6月末に遡る。6月中旬に義姉の口座からカードで、多額の現金が引き出されており、銀行から偽造カードを使われたのではないかと、照会が来た。実はもうひと月前にも引き出されており、義姉は「貸した」と言った。前々からこんな事がくり返していたが、(今度こそ手を打たなくては、将来的に困る)と、決意した。ではどうすればよいか。「成年後見制度」と言うのを見つけ本を読んでみたが、イマイチハッキリとしない。
 家裁の相談窓口へ行ったが、用紙をくれて「専門家に手伝ってもらったら」というアドバイス。然し、多額の費用がかかる。大体印紙代や診断料などで10万は確実にかかるし、専門家に頼めば手数料が上乗せになる。私が渋っていると担当者は「決心して、自分でやってみなさい。」と言った。

2008年8月19日(火)
犬と歩けば・ふたたび 963

8月19日(火)晴れ  pm7時30

 暑さが戻って、夕飯はまた素麺となった。
ご馳走も毎日続くと有難味がなくなる。「いい加減オリンピックは飽きたね」と言うと家人は「なんだ、これからじゃあないか」などと言う。テレビを付けっぱなしで毎晩寝ているのは、どこのどなたでしょうか?
 日月と涼しかったが、喜んだのはベルも同じ。夏の間は日陰になる北側に繋いであるが、涼しいと南側に出せと騒ぐ。勿論人間の言葉で言う訳ではないが、吼え方と状況でベルの要求は理解できる。ベルだって「お座り・お手・マテ・進め」位の日本語は理解してくれるから、まおあいこである。
来月初めのグループ展を目指して、私は追い込み中である。

2008年8月18日(月)
犬と歩けば・ふたたび 962

8月18日(月)晴れ  pm7時27

 友人と船橋で待ち合わせて、彼女の希望で昔からの料理屋でお昼を一緒に食べた。ここは昔、なかま達と船橋労働基準監督署へ通った頃、良くランチを食べに寄った。
安くて美味しく、雰囲気も良かった。また井上ひさしが市川に住んでいた頃、ここで食事をしてからこの直ぐ先のストリップ劇場へ通ったという。確か色紙も飾ってあった。最近は滅多に行くこともなくなり、この前来たのは去年の梅の咲く頃だったろうか。
 所で今日の料理は(友人が奢ってくれたので黙っていたが)、質も味も格段に落ちていて値段は上がっていた。従業員も見慣れた顔はなく、お酒の銘柄も変わっていた。店に入ったとき、何となく違和感を感じたのだが、トイレに入って「掃除が行き届いていない」のがはっきりとわかった。以前は隅から隅まできりきりと掃除をした気配が感じ取れ、成る程料理屋とはこんな風に掃除をするものだと、感じ入ったのだが。
 この町は、私たちが10代の頃数年間働いた職場がある。食事が終わってから、彼女はストリップ劇場は未だあるか、○○呉服店は?○△商店はと立て続けに聞くので、ゆっくりと見てまわった。変わらないものがあるはずはないが、昔の店舗が同じ場所でなんとか体裁を守っているのを幾つかみつけて、友人はほっとしていた。ちなみにストリップ劇場はなくなっていた。 あの頃「ツッパッテイタ」彼女も私も、年老いた。

2008年8月17日(日)
犬と歩けば・ふたたび 961

8月17日(日)曇りのち雨  pm7時24℃

 今晩は、煮込みうどんにした。
夕べから涼しくて、避暑に行った気分だ。毎日地面を掘って伸びているベルも、今日は犬小屋に納まっている。
雨の中、ベルを走らせて公園へ行った。私は、ベルのリードを持ち傘をさして自転車に乗れるのだが、ま、あちこちの忠告を勘案してハイキング用の雨具を着て、傘は止めた。雨は小止みなく降り続き、公園に犬仲間は誰も居なかった。公園内を一周して帰ることにした。グランドで野球の試合が行われていて、雨に濡れながら小さな子ども達が4人バックネットの網に手をかけて、試合を見ていた。キャッチャーフライをミットに収める場面では、みんなで拍手もしていた。(誰を応援しているの?お父さんが出ているの?)と、4歳ぐらいの女の子に聞いた。(ううん、見ているだけ)(面白いから)隣の男の子が口々に答えた。2年生ぐらいの男の子が一人であと男の子2人と、女の子1人は未だ4,5歳に見える。女の子が可愛いと言って、ベルの名前を聞いてきた。
 公園を出たところでサム達と出会ったので、一緒に公園へ戻った。サムのお母さんは風邪をひいたという。疲れているなと思ったが、口には出さなかった。今日も午前中は仕事だったが、涼しくてはかどったという。サムとベルは、猫を探して茂みの中を走り回った

2008年8月16日(土)
犬と歩けば・ふたたび 960

8月16日(土)晴れのち雨

 天気予報通り、夕方は雨・・と言うよりも夕立があった。丁度お絵かきから帰る時間で車の中だったが、家に帰るほんの20分ぐらいの間に、何度も土砂降りと止んだ状態を経験した。
所で、お絵かきで今日のおやつに蒸かしトウモロコシを持参して、みんなの食べ方を観察した。と言うのも、私はハーモニカを吹くように両手で持ったトウモロコシ(トンモロコシ)を左から右へと囓って行く。一方家人は左手に持ち、右手で一粒ずつ外して食べるのである。そんな家人を見て、そんな食べ方をする人もいるのだという事を知った。私は、時々歯の隙間にトウモロコシの繊維を挟みながらかぶりついてこそ、トウモロコシは美味しいのだと固く信じていた。運動会の玉入れじゃあないし、一粒ずつ口の中に放り込んではトウモロコシの美味しさなんてわからないと、思っていた。そこで世間ではどうなのかと黙って仲間の食べ方を見ていら、7人中4人が一粒食べだった。私を入れると、丁度半分ずつだ。そんなことにこだわっている自分が、バカバカしくなった。

2008年8月15日(金)
犬と歩けば・ふたたび 959

8月15日(金)晴れ

 暑い暑いと言って、今日も暮れた。でも本当に暑かった。正午に室内気温が34℃もあった。明日の宿題をすこし進めた。
Nさんから電話があって、また食べに行く相談をした。Nさんは私の声の調子が随分と元気になった、以前と変わらない程になったと言ってくれたが、未だ私に回復の自覚はない。義姉の細かな手続きが終わったら、かなり楽になれると思う。
  川柳仲間2人と、1時間ずつお喋りした。

2008年8月14日(木)
犬と歩けば・ふたたび 958

8月14日(木)晴れ

 夕べも前の晩も、夜中に2,3回目を覚まして夜空を仰いだが、白っぽく雲が出ていて流星群は見られなかった。
それにしても暑い。麦茶なんかばかり飲んでいるから余計に、口がマズイ。そこで先日買ってきた「辛」という、韓国製のカップラーメンを取り出してお湯を注ぐ。仲間に「美味しいわよ」と勧められて買ったのだが、成る程辛くて旨い。ヒーヒー、フーフー言って、余計に汗をかきながら食べる。
 義姉をケアハウスに迎えに行って墓参りをした。思いのほか道路が空いていて、予定よりもずっと早く済んでしまったから、姉の家に寄って休憩。四方山話にハナを咲かせた。姉は「今年はさ、何となく(墓地の)花飾りなんかもさっぱりとしていなかった?こんな所にも不況の風が吹いているんだなあと思った」と喋るが、同感。私が買った墓参様の花も1束840円で、去年より100円は高くてしかも花数が少ない。兄の思い出話しをしていると突然、義姉は「どうして夫は死んじゃったの?}と言うが、聞いているこちらは義姉の真意が計りかねる。その経過は一番近くにいた義姉が一番良く知っているはずである。然し義姉は本当に、わからない(忘れた)のだ。日々変化する義姉の理解力がどの程度であるかを理解するは、とても難しい。ツイ面倒になると、寝たきりとアルツハイマーの2人を看護しているTさんを思い出して、自分を戒める。

2008年8月13日(水)
犬と歩けば・ふたたび 957

8月13日(水)晴れ

  「具合が悪くなったからって、会社は面倒見てくれないわよ。本当に気を付けてね。」と、エマのお母さんは公園からの帰り道に言った。「ウウン、自分の限界を知ってるから。駐車場の砂利に雑草がしっかりと根を張っていて、鎌がダメになったしホラ、指が2本動かなくなった」サムのお母さんは右手の中指と人差し指を見せ「2,3日使わなければ治るんだけど。あっちが痛い、こっちが痛いって休んでいたら仕事にならないし」と続けた。確か去年まではお盆はゆっくりと休んだ筈である。
それなのに今年は(仕事が遅れ気味だから)といって、出ている。表情も冴えない。
エマのお母さんは心配して、ちょくちょく夕飯のおかずを差し入れている。「今日も、もうダメだと思って11時で上がった。汗を流して、昼ご飯を食べたらそのまま眠ってしまって、5時になって息子(サム)に起こされるまで気が付かなかった」とも。文字通り汗水流して稼いだお金で、《麻生太郎》の後援会(年会費1万円とか)に入っているのである。人間て、不思議だ。

2008年8月12日(火)
犬と歩けば・ふたたび 956

8月12日(火)晴れ

 オリンピックも良いけれど、こうも四六時中「勝て勝て、金メダル金メダル」と煽られると、うんざりする。犬仲間が(ボールが飛んできているのに、とんでもない方に手を出しているんだもの、ありゃダメだ。)なんて言ってるからツイ「アンタやってみたらって言われるよ」と憎まれ口を叩いてしまった。国中が、にわかに評論家になっている。中国や北朝鮮を笑えない。
 3日間ぶらぶらしたが体調がイマイチなので、治療に行った。こういうときは、足、特に足の裏を良くマッサージするようにと教わる。先生は、足裏は人間の身体の中でも特に芸術作品ですという。足の裏が何故こんなに高低ががあるのかわかりますか?と聞かれる。勿論−威張るわけではないが、わからない。そんなことは考えても見なかった。また足指は、歩くとき小指から着地して親指で返りをする。フンフン。とまあ足裏に関する先生の蘊蓄を伺う。家人も時折ここのお世話になっているが、先生は家人の足を誉めた。ジョギングが趣味の家人は、年中「甘い物」を探して食べているというと、走ると脳が疲れるから、脳が甘い物を要求するのだと言う。これまたビックリ。
 まとにかく、明日から「竹踏み」をやろうかなと考えている。

2008年8月11日(月)
犬と歩けば・ふたたび 955
8月11日(月)晴れ

 早朝から1オクターブ音を高くして蝉が鳴いている。暑さが戻った。
夕べ2軒先のAさん宅へ、救急車がきた。ご主人がもう20年近く闘病されているので、なにか急変する事態でもあったのだろうか。今朝は筋向かいのBさん宅へデイサービスの車が迎えに来た。Bさんもパーキンソン病が進んだのか。昨日、娘さん夫婦が家庭菜園で作ったゴーヤを届けてくれた時、いつもは玄関まで入ってくるのだが、ウチの入口の1段が上がれなくなったらしく、垣根の外から声をかけていた。
  今日も1日中ごろごろとして、夕方ベルを公園まで走らせた。数日でも会わないとサムは私に近寄ってきてべたべたする。顔や手をなめ回し、背中を掻いてくれと言って身体をすり寄せ終いには膝の上にちゃっかりとお尻を乗せる。「サム、暑いからくっつかないで」と向こうへ押してやると、もっとくっついてくる。お母さんはニヤニヤして見ている。「海のお母さんはいうのよね。サムも海もお母さんと2人暮らしなのに、どうしてサムはあんなに甘えん坊で、海は言うことを聞かないのかって?」と、エマのお母さんが言った。去年12月、海に引っ張られて右腕の付け根を骨折して以来、未だに海のお母さんは一人で海を散歩に連れてくることが出来ない。土日の娘さんが来たときだけ、一緒に公園へやってくる。海のお母さんもとても海を大事にしているのだが、それが海本人に伝わっていないからだと思う。ではベルはどうだろうか。
2008年8月10日(日)
犬と歩けば・ふたたび 954
 8月10日(日)曇り

 昨日今日と室内気温が30℃を下回っていて、とても快適である。身体が楽チンで ある。この涼しいときにあれもこれもと算段したが、かえって身体が動かない。さっ さと諦めて、オリンピックを見たがこれもいけない。気が付くといつの間にか肩や腕 に力が入っているのだ。自分でも呆れたことに、選手と一緒に演技をしているらし い。
 夕方スーパーへ行くと、大振りの新秋刀魚が1匹88円だった。ツイ先だってまで 1匹250円はしていた。3尾買って、刺身と塩焼きにして大根下ろしをたっぷり添 えて食べたが美味しかった。所で大根下ろしをすると大根汁が沢山出るが、家人はそ れを飲む。美味しいと言って。胃腸の弱い家人には高ジアスターゼがたっぷりだから 良いだろうが、ヘンな爺さんである。あっけなく夏の1日が終わった。
2008年8月9日(土)
犬と歩けば・ふたたび 953
8月9日(土)曇り

 昨日は朝のうちに、義姉をケアハウスに訪ねて、いつものように部屋の掃除をしてお盆の仕度を届けた。お花やお飾りは並べるだけだから、義姉に任せる。友達に貰ったオモチャ−抱きあっているパンダのぬいぐるみを引き離すと、戻るときに「ハァワァユー」と音が出る−を、やってみせると素直に笑って喜んだ。帰るとき、パンダのようにハグをすると、もっと喜んだ。で午後は仲間と遊んだので、今日は疲れて朝からゴロゴロしていた。家にいるといろんな電話が架かってくる。墓地もあると言って断ると、近くかと突っ込んでくる。畳屋は張り替えの予定はないかと聞く。相手の必死さが伝わるので、だんだん断りづらくなって来るが「申し訳ありませんが、予定はありません」と伝える。仕事がないんだ。
 「この頃はしょっちゅうオリンピックやっている感じだね。」歯医者の先生が言った。「昔はさ、オリンピックとオリンピックの間がかなりあったと思えたんだが」と続けるが、まったく同感。昨夜のオリンピック開会式は、絢爛豪華てんこ盛り。中国の発明は紙、印刷、羅針盤と中国5千年歴史のお勉強。選手入場は、アルファベット順ではなくて、中国表示名の画数順だったのは意表をつかれたが、見ていていつのまにか眠ってしまった。
2008年8月8日(金)
犬と歩けば・ふたたび 952
8月8日(金)晴れ

 Nさん・Tさんの誘いに乗って、印旛沼のほとりへウナギを食べにいった。実は7月の土曜丑の日の前に、「マスコミで有名な」ウナギ屋に行ったのだが、予約以外はダメと断られた。やむなくその向かいにあるウナギ屋へ入った。ここでも暑い中を1時間は待った。待ったが、その甲斐はあって「有名店」よりも格段に美味しかった。
今回は迷わずにこの店の暖簾をくぐった。20分以上待たされたが、前回同様私たちは、口の中でご飯と一緒にとろける香ばしさと旨さを味わって、充分に満足した。所で店の中は12時前には満席となって、次の人が待っているのでゆっくりも出来ない。お腹がいっぱいになったら暑くなったので、涼しいところでお茶をしようと云うことになった。Tさんがただでアイスコーヒーが飲めるところがあるというので、そこへ直行する。そこはショッピングモール内の世界の食材を売っているお店だった。
成る程店頭でアイスコーヒーを作っては、来店客にサービスしている。私たちはここで(おばさんテク)を使って、3杯ずつご馳走になった。勿論3人ともいろいろな食材を買ったが、興味で買った品も多いから、果たして有効利用されるかどうかはわからない。
 ともあれ、もう稲穂が出ている田圃の向こうに夕焼けを眺めながら、帰った。
2008年8月7日(木)
犬と歩けば・ふたたび 951
8月7日(木)立秋 晴れ

 「この暑さを越せば秋が来ると思うから、我慢できる。」と昨日あった友人は言う。私は8月、9月、10月と進み11月になったらまた、あの香りの良い美味しい苺が食べられると思って、ぐたぐた過ごそうか。
 今日は通院日で銀座に出た。ついでに50年前のフランス映画「赤い風船」と「白い馬」を観た。「永六輔はあの映画を観てスキップしたら、転んで骨を折っちゃったんだから、のりやすいアンタもスキップなんかしないように。」と友人はメールしてきた。先週の「土曜ワイド」を聞いて、永六輔が転んで肋骨2本にひびが入り、顎もぶつけたと言うのは聞いていた。ゲストに出ていた同い年の草笛光子に(顎が長いからよ)なんて言われて(大きなお世話だ)と、怒っていたのも聞いた。所で、まさか戸外ではみっともないが、よし家の中でやってみようとテーブルの廻りをスキップして見たら、出来たね。ま、軽やかとはいかないが。・・と、隣の部屋で昼寝をしていた家人が「何だ。なんだ。どうした?」とむくっと起き上がった。「今大きな地響きがしたろ。」「なに寝ぼけてんの、なんにもないわよ」と返事をしてやると、再びことんと寝てしまった。
2008年8月6日(水)
犬と歩けば・ふたたび 950
8月6日(水) 晴れ

 この暑さ続きで、さすがにベルも餌を食べなくなった。パンを焼いてバターを塗ってやるとバターだけを舐め取ろうとする。そうはさせじと小さくちぎって口元に出すと、舌を小さく出して確かめるようにしてからいやいや食べる。2,3片食べるともう、後はくれくれとせがんだ。
 夕方公園へ行くと、珍しくハナのお父さんが寄ってきて「この2日、サムが姿を見せない」と言った。ナナちゃんのお父さんも電話をかけても通じないと言って、心配した。こういうときは一人暮らしだと、何があったのかわからなくて困る。この間の熱中症の様にまた具合が悪くなったのではないかとこもごも言う。サムちゃんと一番親しい(と思われている)私は引っ込みがつかなくて(それではこれからサムちゃん家へ行って、様子を見てきます)と、帰りたがらないベルを無理に引っ張って入口へ戻った。とそこでサムちゃん達と出会って(まあいろんな事情を伺って)一件落着となった。
が、事件はその直ぐ後に起きた。ベルとサムが水道の方に行くので、水が飲みたいのかとビニール袋に水を入れた。犬たちに飲ませるとき、手が滑ってベルのリードが外れた。その時はもうベルは植え込みの中に隠れている野良猫を見つけていたのだ。
あっと思う間にベルは野良を追っかけて広い芝生広場を鉄砲玉のように走っていた。
それに気が付いた仲間の犬たちは一斉に走り出そうとしたが、それぞれの親に押さえられてハナコだけがベルと行動を共にした。「ハナ、その猫は恐いよ。引っかかれるよ。帰っておいで。」とハナコのお父さんは必死で呼びかけている。やむなく私もベルを捕獲すべく後を付けた。ハナコのお父さんの声がしなくなったと思ったら、斜面を2,3メートル滑り落ちたらしい。「お、おれもしばらくぶりでくたぶれたよ」照れ笑いしながら下の道に立っていた。背中一面にドロが、べったり付いていた。
2008年8月5日(火)
犬と歩けば・ふたたび 949
8月5日(火) 曇りのち雨

 毎月第1火曜日は、川柳句会がある。例会後に今日は近くの寿司屋で暑気払いを2時まで。その後仲間5人がガストで口がくたびれるほどお喋りをして家に帰ったのは5時過ぎだった。春菜さんが家まで送ってくれるという。ご亭主はヨットで北海道へ出掛けていて、9月までお留守だし、6時半になるとウオーキングの仲間が誘いに来るが、今日はさぼりたいのでその時間まで家に帰りたくないと言う。じゃ付き合おうかと言うと、いいのさっき美味しそうなうどん屋があったからそこで食べて行く。ったく、アタシって食べることばっか気にしているのよね。といってウフウフと口先で笑った。
  所で今日の互選句(会員が提出した全部の句から、自分の良いと思った句を5句選んで投票し、その合計得点で優劣を競う)の題は「格差」。各自が自分が一番気に入った句の説明をした。正さんは「兄弟の格差がなくて波たたず」を選んで、こんな説明をした。「私は3人兄弟で、みんなが歯医者になりました。」ここで(へえーすごい)なんて野次が入った。「所が3人が3人とも同じ様に藪医者で、格差がありませんでした。だからこの句は私の実感です。」大爆笑と共に、拍手喝采だったことは言うまでもない。
2008年8月4日(月)
犬と歩けば・ふたたび 948
8月4日(月) 晴れのち雨

 夕方の5時頃からゴロゴロと雷が鳴り出した。構わずベルの散歩に出掛けると、ベルは必死になって走る。暑いからそんなに走ると死んじゃうと言ってもベルは、雷から逃げるように脇目もふらず走った。公園には誰も来ていない。芝生に腰を下ろすとベルは、寝ころんで遊んだ。そのうちサム、海、ハナコが来た頃雨が落ちてきたので、みんなで四阿に避難した。雨脚が強くなると、それまで様子を見ていたホームレスのカワイさん(モモのお父さんが、川の側にいたのでそう名付けたという)が、猫を抱いて四阿に入ってきた。ハナコは知らんぷりだが、3匹の犬たち(サム、海、ベル)は一斉に緊張して吼えた。ベルはいつまでも猫を気にして吼えるので、雨が小止みになった頃を選んで、自転車で帰った。久しぶりの雨だが、このあたりは大した降りではなかった。
 一昨日からトイレの照明のスイッチが壊れて、家人は修理にいそしんでいる。昨日はD2と、コジマ電器で部品を買って来て付け替えたが上手く行かない。今日も電源を落としたまま、ロイヤルホームセンターに部品を買いに行ってしまった。トイレと台所は同じ配線なので、この暑さに冷蔵庫が停電している。やむなく他の部屋から延長コードで冷蔵に繋いだ。ロイヤルホームセンターの店員は実に丁寧な対応で、持参した部品と同じものを見つけてくれたとかで、お昼にはめでたく修理が終わった。家人は出張費と技術費で5千円、いや1万円かなと、悦にいっている。部品代は280円。
2008年8月3日(日)
犬と歩けば・ふたたび 947
8月3日(日) 晴れ

 夕べ花火の帰りにスーパーへ立ち寄ったら、玉子売り場に「明日から1パック40円〜50円値上がりします。」と貼り紙が出ていた。今年初めパンの値上がりに始まって、身近なものがこうも立て続けに続くと、なんだか気持ちまで委縮してくる。
家人はヨーグルトをよく食べるが、これも20円値上がりした。でもね、先が短いから高くてもヨーグルトぐらい食べさせてあげる事にする。
  天気予報通りに今日は暑かった。朝の7時にはもう、室内温度計が30度を指していた。サムちゃんに今日も忙しかったのか聞いてみたら、会社から仕事の遅れを容認するお達しがあったとか。今年はサムちゃんの他にも熱中症にかかる人が出ていると
言う。とにかく雨も降らないし、昔なら旱魃だという。
  家人は10時頃ジョギングに出掛け、しばらくして5qで止めたと帰ってきた。
あったりまえじゃんと思ったが、口には出さず(そう)とだけ言った。体力気力ともゼロに近い私は、一日中畳の上にゴロゴロして、新聞や雑誌を読んで過ごした。
2008年8月2日(土)
犬と歩けば・ふたたび 946
8月2日(土) 晴れ・曇り

 第一土曜日はお絵かきの日。今日は、孫の面倒を見るために昨年末で退会したMさんも参加して、一寸賑やかな例会となった。またYさんは、7月になってから例会の度に家庭菜園で採れた野菜を持ってきてみんなに分けてくれる。今日はゴーヤと胡瓜だった。胡瓜は、その場で洗ってみんなで囓ってみたが、味が良いと好評だった。Yさんは(孫が私の作ったトマトや胡瓜は美味しいと言って食べるんです)と、胸を張った。ゴーヤは湯がいてシーチキンと炒め、卵でとじても美味しいとレシピまで教えてくれた。
 夜は、仲間と待ち合わせて佐倉の花火見物に出掛けた。駅から2,30分歩いて田圃が見えてくると、早くも道路は花火見物客で埋まっている。私たちはなおも進んで、屋台の車が止まっている田のくろに3人分の隙間を見つけた。Tさんが用意してくれたマットを敷いて座ると、車の背もたれ付きで前は7,80pに伸びた一面の田圃という1等席。但し難点は斜面の為に、座っていると自重でだんだんと下の方、つまり田圃の中に滑り落ちてしまうのだ。特にNさんは「あらおかしい、どうしよう」と、しきりに気にしているがTさんと私は「落ちないように踏ん張っていれば腹筋の訓練になるから頑張って」と同情しなかった。私たちはTさんが屋台で買ってきたあつあつの焼きそばとジャガバターを食べながら、ヒヤー・ワーと歓声をあげて夜空に次々と咲き乱れる花火を楽しんだ。
2008年8月1日(金)
犬と歩けば・ふたたび 945
8月1日(金) 晴れ・曇り

 夕方の公園で、サムちゃんがケータイのテレビで、組閣を聞いていた。麻生が幹事長になったのでご機嫌なのだ。総理大臣にでもなるつもりかと言うと、(そうなんだって、福田の後に。それに福田ではなくて森に言われたからOKしたんだってよ)とすかさずリョウのお母さんが言った。(このあたりで民主党にやらせてみれば良いんだよ)とも。誰がやっても同じさとハナのお父さんとまあ、皆さんよくご存じだがテレビで聞いたことの口移しだと思う。世論操作なんてチョロいと思っている人(人達)がいるんだ。
 食料品をはじめとしたあれこれの値上がりが、ボデイーブローの様に高齢者家族のわが家にもしっかりときいて来た。
 私はフロア用モップのレンタルを利用しているが、これは4週間で892円。高いなあと思うようになった時、八街に住む友達が500円台でもあると教えてくれた。
早速調べてみると配達エリアがせいぜい佐倉までで、わが家は対象外地域だった。それならと、今利用しているモップのレンタル期間延長はないかと、電話して聞いてみた。すると6週間はないが、8週間はあるという。金額は1.5倍の1338円だというので、それに変更して貰った。私としては同じモップを使うのだし、配達の手間も省けるのだから1.3倍位の値段を予想していたが、まこれを使っている間に他の手を考えることにする。
2008年7月31日(木)
犬と歩けば・ふたたび 944
7月31日(木) 晴れ・曇り

 昨日退院してきた編集長と、電話でお喋りした。
ったく声だけ聞いたら、元気溌剌なんだから誰でも騙される。編集長と喋ったのは、少なくとも2ヶ月振りである。昨日までひと月入院していたし、その前の編集長は声をかけるのも憚れるような忙しさだったから。
私は、とにかく自分の体力の残量を確かめながら、動くこと。今まで5つ仕事があったとしたら、2つくらいに減らす事・不義理を厭わないと、ぐずぐずしつこく言った。編集長は「ハイハイ・うんうん」と大人しく聞いてくれていたが、気が付いたら私は涙声になっていた。声だけは元気だが今は、平らなところをそろそろとしか歩けないというのも、今回全部やったという「検査」は、心身に大きな負担をかけたと思う。
編集長がいるだけで、嬉しい人がいっぱいいるのです。秋山編集長どの。
2008年7月30日(水)
秋山さんへのお喋り(犬と歩けば・番外2)
7月30日(水) 晴れ

 夕方5時半を過ぎた公園に吹き渡る風は、涼しすぎるくらいでした。「涼しいのは良いけどさ、今度はなんかあるんじゃないかって−地震でも起きるんじゃないかって心配になるよね」りょうくんのお母さんは目をぱちぱちさせながら言いました。
サムのお母さんにゆっくり出来たかと聞いたら、夕べはエマのお母さんが持ってきてくれたお総菜(豚しゃぶ、サラダ)を食べ、ビールを飲んで8時には寝たので大分良いと言いながら、肩のトクホンに手をやりました。(60歳だから60肩っていうのかね、お風呂で暖めたら大分良いことは良いんだけどね)と良いながらあれ以来ダメだ、トシは取りたくないとこぼしました。熱中症になったことがよくよくショックだったらしい。
 所で私はケアハウスに入居している義姉を見ているって、話しをしたことあるでしょ?
今月初めその義姉が、2週間ほど3回目の肝臓癌手術で入院したの。そうしたら入院も手術も理解できなくて、毎日私が行くたびに(ここはどこか?何のためにいるのか)って聞く様になってね明らかに痴呆がすすんでしまったわけ。またそれを良いことにして、遠縁の昔からの知り合いが、義姉の通帳から3百万も引き出していたのよ。銀行から偽造カードを使われたんじゃないかなんて照会が来てわかったの。で、私もいよいよなんとかしなくてはいけないとあれこれ考えて、成年後見人になるのがいいだろうと結論しました。
昨日はね、その説明を聞きに家庭裁判所へ出掛けました。暑い中をね。つづく。
2008年6月24日(火)
犬と歩けば・ふたたび 943
6月24日(火) 晴れ・曇り

「CO2削減目標なんて、あたしゃやんないわよ。一番多く出してる原因は戦争じゃないの」と、東京に住んでいる友人は、のっけからエライ剣幕だ。でもさ、そんなわけにもいかないしと、こちらは気弱に反論する。またまた長電話をして、歯医者に行ったり、義姉の細かな用事をしたりしているうちに1日が終わった。夕方、おずおずとヨネちゃんに電話して「未だ何もわからないわよね」と聞いた。ヨネちゃんは「ほら、昨日ご主人が説明を受けているはずだからね。私も未だ行けなくてね」と私をあやすように言った。それは充分に承知の上で、電話せずにはいられなかったのだ。
  夕方の公園は涼しい風が吹いて、気持ちがいい。珍しく海がお母さんと公園へ来ていた。嬉しくってむやみに走り回っているベルは、いきなり海に体当たりをした。驚いた海はサムにぶつかってサムはりょうにぶつかってと、連鎖反応が起きて大騒ぎとなった。ベルは騒ぎの中から抜けると、ボールを追いかけた。所がハナコも同じボールを追いかけてきて、2匹は正面衝突。歯でもぶつかったのか凄い音がしたが、2匹は何事もなかったように離れた。
2008年6月23日(月)
犬と歩けば・ふたたび 942
6月23日(月) 曇り

 朝8時を過ぎた頃、川柳仲間の春菜から電話が来た。「あのさー、ほらやおちゃん今日でしょう?もう心配でいてもたってもいられなくてさー、そうだしっぽの声でも聞こうかと思ってさー」テナわけでたっぷり1時間、電話で相手をした。私だって心配である。すい臓癌の疑いで2週間の検査入院したのは今月の5日。病院へ歩いて行ける距離に住んでいるヨネちゃんが、それとなく寄っては病院での様子を逐一、報告してくれる。それで私たちは検査項目が増えて退院が延びたこと、今日ご主人が呼ばれて検査結果を説明される事を知っている。手紙を書いたと春菜が言った。「またみんなで手料理をご馳走になりたいです。アタシとしっぽの席は予約しとくからね。」と書いたとか。
 それからケアハウスに義姉を訪ねた。義姉も来週入院の予定なので、その準備である。義姉は「どうして入院しなくちゃならないの?どこを手術するの」と、いままで散々説明したのだが改めて聞くから答える。 お昼は(行きつけの回転寿司が閉店してしまったので)近くの病院(ここに入院する)の10階の食堂に行った。この病院の廻りには大きな建物がないので、ぐるりと視界が広がっている。この病院には3回入院しているから食堂も初めてではないのだが、この視界の広がりを義姉はとても喜んだ。気持ちがひろびろする、雲間から見える青空がきれいだと言って、ずっと景色を眺めていた。マグロ丼も全部食べた。
◎鵜の目さん有り難うございます。6/21文中、自殺者は1万人→3万人に訂正させて頂きます。
2008年6月22日(日)
犬と歩けば・ふたたび 941
6月22日(日) 大雨

 九州から上ってきた雨雲が、夕べから大雨を降らせている。明日にも大地震のあった東北に移るという。堰止め湖の決壊は防げるのか。地震の変動で干上がった田圃を眺めて「実っても屑米でしょう。自分の子どものように育ててきたので辛い」と嘆いている農家。
この十数年、阪神大震災以来大きな地震が続いている。日本列島は火山の活動期に入ったのだろうか。自然災害も恐いが、原発事故がもっと恐ろしい。予想が出来ないだけ怖さが大きい。新潟地震では柏崎原発が危うくセーフだった(と私たちは聞かされている)が、東北では福島に2ヶ所、女川原発電所さらに六ヶ所村には核使用済み燃料(つまり核のごみ)が溜まっている。これらの情報はあまりなくて、たまにあっても「大丈夫」とだけだが、みんな本当は信用していない。
  昼間のテレビで「ようこそ先輩」という番組を見た。今日のゲストは中学までに視力と聴力をなくした大学の先生をしている男性だった。彼の場合、母親が必要に迫られてとっさに思いついた「指点字」と言う方法で、コミニケーションをしている。男性の手(指の部分だったかも)に、点字通訳者が直接指で叩くという方法である。それを見ていた小学生の一人は「手の温かさが伝わって良い方法だと思います」と感想を述べていた。所で一番辛いことはと聞かれて「友達とコミニケーション出来なくなったこと」だと言った。また人生の意味は「生き続けること」だとも。私には想像するだけでも耐えられない苛酷な試練である。取りあえずいつでも話し相手になってくれる、愚痴を聞いてくれるあの人この人の顔を思い浮かべて、ほっとした。
2008年6月21日(土)
犬と歩けば・ふたたび 940
6月21日(土) 雨

 2,3日前から急に、小さくて黒いヤブ蚊が目に付くようになった。網戸を立てているのに家の中に入ってきて、気が付くと刺されている。私なんか皮も固いから、蚊も刺すのに大変だろうと思う。今年もそろそろ、蚊取り線香を焚く時期が来たらしい。
午後からはお絵かき。私は今、去年旅行したとき撮り溜めたチベットの写真を素材として30号を描いている。旅行にはデジカメもバカチョンカメラも用意したが、高地病と暑さで写真撮影なんか二の次三の次でどうでも良くなった。自分の身体を保持するだけで精一杯だった。だから自分が撮ったのにはろくな写真はないが、同行者から頂いたのもある。
その中からチベットで出会った人達15人を描いているのだが、どういう訳か殆どの人が微笑んでいる。スナップ写真だから、いちいちポーズを撮って貰ったわけではないのに。
 現地ガイドのニマさんに(日本では自殺者が毎年1万人いるが)と言う話しをしたときにニマさんは、チベット人は幸福の満足度が低いから(自殺者も少ない)と答えたが、本当にそうだろうかと写真のなかの笑顔を見て考えた。
 テレビニュースでは、北京オリンピックの聖火リレーが今日、ラサ市内を通過したと伝えていた。聖火の到着地点ポタラ宮殿前広場では、みんなで記念写真を撮った所である。
ガイドのニマさん、バスの運転手さん、高山病で倒れた仲間を点滴してくれた女医さんと足りないものを届けてくれたその娘さん。行く先々で出会った沢山のお坊さんや街の人達。
あの人達は今、どうしているのだろうか?
2008年6月20日(金)
犬と歩けば・ふたたび 939
6月20日(金) 雨

 スーパーの魚売り場で、試食用のかつおをつまんだ。とろりと脂がのっていて甘味が強く「美味しい」と胃袋が叫んだので、カゴに入れた。あれ、昨日か一昨日も食べたばかりだがまあいいや。銚子産カツオが、半身で398円と安い。所が、カツオの刺身に欠かせないニンニクがナント1個398円。サムのお母さんが常々「国産野菜は値上がっている」と言っているが、実感だ。
 一方、ベルは夏毛への生え替わりの真っ最中で、幾らでもふわふわとした毛が抜ける。サムのような短い剛毛がぱらぱらと抜けるのではなくて、まるでセーターでも脱がすような感じで抜ける場所もある。ベルはブラッシングが嫌いで、ブラシを見ただけでこそこそと逃げ回る。そこを捕まえておいてブラシをかけるのだが、犬小屋の奥へ隠れてしまった時は、パンのかけらを見せると何度でものこのこ出てくるのである。「バッカだなあー」と思ったがまてよ。無着成恭さんは「子ども電話相談室」で(生きることは食べることなんだよ)と、電話をかけてきた子どもに答えていたっけ。人間だって食べ物(利益)をちらつかせられるとそわそわとついて行くから、そーかーベルのことを笑えないね。
2008年6月16日(月)
犬と歩けば・ふたたび 938
6月16日(月) 晴れときどき曇り

 夕方の公園でサムちゃん達とあった。私たちが出た後直ぐに、筍を届けに寄ったと言った。芝生に腰を下ろすとヒンヤリとした風が心地いい。サムのお母さんが「あ−あ、良い気持ち」と言いながら寝ころぶと、それまで私に背中を掻いて貰っていたサムはお母さんの所にすっ飛んで行って、顔中をなめ回した。大丈夫だとわかると、直ぐに戻ってきてまた私に甘えた。時々ベルが様子を見に来ると、サムは鼻先をベルのお腹の下に突っ込んで、ベルを攻撃する。小柄なベルはひょいとかわして逃げる。2
匹のやりとりを見ていたサムの母さんは、大笑いした。それにしてもと、集まった犬仲間は今回の地震の被害のひどさを「四川の地震も、秋葉原の事件もすっ飛んじゃったなあ」と、話し合った。
2008年6月15日(日)
犬と歩けば・ふたたび 937
6月15日(日)父の日 晴れ

 昨日の夕方、コープへ買い物に行ったら、美味しそうなお赤飯が1割引になっていた。店内は「父の日フェアー」とかで、いろいろな売り出しをしている。思いついて、そのお赤飯をひとつ買った。それを今朝チンして、「ハイ、父の日のお祝い」と言って出してやったが、家人は私の気配りに感激した様子はなかった。
 また昨夜、家人はいきなり「明日映画に行く」と宣言するではないか。ハハン、またどこかの公民館での映画会だろうと高を括って、何を見に行くのかと聞くと、千葉劇場へ「靖国」を見に行くという。家人と知り合ってウン十年、「映画館へ映画を見に行く」と聞いたのは初めて。どこか体調が悪いに違いない。私も見ようとは思っていたから、一緒に電車に乗って出掛け、別々に帰宅した。
 夕方は、またサム達と散歩。サムちゃん家まで自転車でベルを走らせて、そこからみんなで花見大橋を渡り、花見川沿いの遊歩道から花島観音、公園と廻った。サムのお母さんは5キロぐらい歩きましたねと言ったが、その間ベルは走りに走って遊んだ。ヒンヤリとした風が心地よかった。
2008年6月14日(土)
犬と歩けば・ふたたび 936
6月14日(土) 晴れ

 テレビ画面の中に見た、あの白く長い紙テープの様なものが「ガードレール」だと知ったときは、四川大地震の被災地をテレビで見た時に劣らないショックがあった。
一体あの垂れ下がったガードレールはどの位あるのだろうか?10mか20mか。地球は一つだもの、やはり四川大地震と関係があるのだろうと、素人は考えてしまう。
この数年、大雨、洪水、大地震と天変地変が続いている。終わりの始まりでないことを願うしかない。
 こちらも体調がイマイチ状態が続いているが、締め切りに追われてニュースの編集作業をしている。集中するには体力がいるので、なかなかはかどらない。気分転換にと決算書類の印刷をして、念のためにと算盤を入れたら、コレが300円合わない。
おかしいそんなはずはないと、あれこれ資料を出して精査する。結果的には写し間違い、ひとます空けたせいかエクセルの計算違いなど3つ位の複合原因があった。体調が悪いときは、注意散漫でろくな仕事も出来ない。300円を探して、残った体力を使い果たした。
2008年6月13日(金)
犬と歩けば・ふたたび 935
6月13日(金) 晴れ

 夕方5時近くなっても未だお日様は地平に沈む気配はなく、爽やかな風が吹いていた。久しぶりにサムちゃん達を誘って、市民の森へ出掛けた。緑は一層濃く、ドクダミと山紫陽花の白い花ばかりが目に付いた。サムとベルは規制されることもなく、行きたいところへかけ上り下りして遊んでいた。大きな木の根元の樹液の出ているところにオレンジ色と黒の縞模様の大きな蜂が群がっている。去年もそうだった。後で誰かが「それはスズメバチでどこかに大きな巣があるのかも知れない」と言った。
 森から出て川沿いの公園まで来たとき、サムのお母さんはめざとくベン達を見つけ「ほら、若いホームレスに食べ物を持ってきたのよ」と言ってから、素知らぬふりして「どこへ行くの?ベン、ほらこっちへ来い」なんて声をかけた。公園では、いろいろな動物に餌をやる人が多いのに驚く。犬猫は勿論、鳩、カラス、スズメ、鯉、亀、そしてホームレス。
餌をやるのは善意だろうか。手軽で残酷な楽しみかもなんて考える。
公園の芝生広場には意外と強い風が通り抜けている。今日は西よりの風だったが、先日の風は南からの風で、潮の香りを運んできた。体調もイマイチ。
2008年6月12日(木)
犬と歩けば・ふたたび 934
6月12日(木) 雨

 昨日はもう1人に泣かれた。過労死の申請が、却下されたと言う知らせだった。電話の向こうでさめざめと泣く若い母親に私も、もうかける言葉もなかった。後は気持ちを入れ替え腹を括って、しぶとく生きて子ども達を育てるしかないと励ました。
 例の秋葉原の無差別殺人事件で、職場の同僚が派遣職場の実態をテレビで話していた。
元同僚の「我々(派遣社員)を扱うのは人事部ではなく、工総(だったか記憶が不確か)です。つまり我々は工具や消耗品の一つとして取り扱われているのです。」という話しはやはりショックだった。街で今、小林多喜二の「蟹工船」が売れているというのも納得できた。犬仲間エマのお母さんが声高に「この事件が恐いのは、私たちの子どもも同じ事をしないって確信がないことよ。同じ様なことはいつでも私たちにも起こるって事よ」といったが、聞いていたみんなも下を向いて頷くしかなかった。
 後期高齢者医療制度もさることながら、若者を絶望へと突き落とす小泉内閣が作った「派遣法」は撤回するしかない。あの時の小泉改革ブームは、どこかが仕掛けたものでなかったか。深夜ラジオでは(この頃与党の法案は、財界主導で進められている)とコメントしていた。勿論NHKではなかったが。派遣法に続く正社員の使い捨てを狙う「ホワイトカラーエグゼンプション」も未だ潜伏して様子を窺っている。
2008年6月11日(水)
犬と歩けば・ふたたび 933
6月11日(水) 曇り

 紀の治さんを泣かせてしまった。
毎月句誌が出来ると川柳仲間が誘い合って、酸吸さん宅へ届けている。今回は私も参加した。お茶を飲みながら、先日奥さんを亡くしたばかりの紀の治さんに話題が集まった。紀の治さんの説明で、奥さんは胃の全部摘出手術からあと数ヶ月で5年だったと、知った。みんなが告別式で披露された句「なにごともなかったように風になり」は、良い句だと誉めると紀の治さんは(あれは作ったのではなくて、片付けをしていたら湧いてきた句です。)と言った。更に数日後、用事で斎場を訪れた時この句のことを聞かれ、書かされたという。うーん仕事で聞いていた人の心にも届いたんだねえと、一同納得した。そこで私はツイ、「紀の治さん、川柳やっていて良かったですねぇ」と声をかけた。紀の治さんは(朝から本を読んでばかり居るなら、広報に川柳教室が出ていたから参加してみてはと勧めてくれたのも、一人になったとき困るからと料理教室を勧めてくれたのも家内だと)説明した。気が付くと、話しながら紀の治さんはメガネを取って、ハンカチで目頭を押さえていたが、みんなは気が付かない振りをしていた。70代で子どももなく連れ合いをなくした淋しさはいかばかりかと、一同言葉をなくしていると「生きていれば、また良いこともあるわよね。」さばさばと酸吸夫人が言った。「アタシはね主人とは33,4年連れ添ったけど、とうとう主人てどんな人だかわからなかったわ。アタシのことどんな風に思っていたのか、なんか書き付けでもないかと探したんだけど、なんにもなかったのよ」Tさんも付け加えた。
2008年6月4日(水)
犬と歩けば・ふたたび 932
6月4日(水) 晴れ

 川柳仲間の春菜さんは、6ヶ所もの句会に通っているという。「うち(私たちの川柳句会)は、メンバーが若くていいねえ。雰囲気がゼーンゼン違うよ。M市の句会なんか、70代後半から80代の爺さん婆さんばかり。アタシが一番若いのよ。この間ね、春菜さん幾つって聞かれたから、64って言ったら(いいねえー女盛りだ)なんて言うじゃない。驚いちゃってさ、へえー私でも女に見てくれるんでかって言ったらね(そうよ一番良い頃だ)って」と言って、エヘヘと笑った。
 もともと川柳句会は男性専科だった事もあって、場所によってはかなり古いしきたりが残っているらしい。お茶の変わりに(おちゃけ)を飲みながら、という句会、終わってからのいっぱいが楽しみで集まって来る句会と様々らしい。勿論今の時代だから、女性が主催者と言うところもある。私もはじめる前は「川柳を捻ろうと言う人達だから、みんなさばけているに違いない」なんて、勝手に想像していたがドッコイ。
ここも世間の縮図、気持ちのいい人もいれば意地の悪い人、あそこまでひねくれているかという人や、権力志向の人。とにかく「○○賞を取りたい」。その為には飽くなき手段、権謀術数を弄するのは意外と、女性が目に付く。とまあいろいろあるが、私は楽しみ派だから今度は、川柳を回文(上から読んでも下から読んでも同じ)で作るに挑戦したいと思っている。
2008年6月3日(火)
犬と歩けば・ふたたび 931
6月3日(火) 雨

 夕べからの雨は朝になっても止まない。しっかりと雨具を来て、川柳会に出掛けた。
今日の参加者は21名。奥さんを亡くしたばかりの紀の治さんも参加して、みんなで喜んだが、紀の治さんはどこかふんわりとして頼りなく、ひとまわり小さくなったように見えた。「あのさ、○△会でも64歳の奥さんを亡くした人が人がいるんだけどね、もうさっぱりして元気元気。紀の治さんの所は子どももいないせいもあって、本当にふたり助け合って生きて来たんだと思う」とは、事情通・春菜さんの弁。私ははるなさんとはるかさんに挟まれて座ったのだが、春菜さんの隣のただしさんを見るとあらま、いつもは直立している頭髪が、きれいに散髪されているではないか。声をかけたら、明日老人会があるので女房がきれいにしろとうるさく言うので、散髪に行ったと言う。更に「私は清潔にさえしていれば、おしゃれする必要はないと思っています。ですが、結婚はガマン・ガマンあきらめですから」と、いつもの持論を述べた。
それはわかったが、重ね着のシャツの襟元のボタンがひとつも止められず、くちゃくちゃになっているのを見ながら、ふんふんとお説を聞いた。いつものようにわいわい楽しくやってから、仲間でラーメンを食べに行った。そこでいきなりYちゃんが、2週間の検査入院をすると言い出した。1年で9キロも痩せたと言う。それは私たちも気が付いていたが、彼女は趣味の会で責任者として心身共に疲労が重なっていたから、ご本人はその所為にしていたし、私たちもそう納得していた。そのYちゃんが雨の中、矢羽根ススキを幾株か私に持ってきてくれた。もうしばらくは会えないと言うように。
2008年6月2日(月)
犬と歩けば・ふたたび 930
6月2日(月) 曇り

 日曜日にスーパーへお米を買いに行った。お米はスーパーの入口近く、お花の横に積まれている。あれこれと品定めしている時、何かが目に入って通り過ぎた。あれ、何だろうとよく見たら、小さなまーるいものがちょろちょろと動いて、米袋を積んだ台の後の方に逃げていった。ああ、ネズミだと思って顔を上げたら、レジで支払いが済んで買った物を袋詰めしていた女性も見ていたらしく、その人と顔があった。で、同時に「ネズミ」と言って、にっこりと笑いあった。小さくてとても可愛らしかったから。
 夕飯の時、その事を思い出して家人に言うと「なんだ、食料品売り場にネズミがいるなんて。店に言ってやらなくては」と、意見された。うーん確かにそうなのだが、あの時は見ていた2人ともが全くそんなことは思いつかなかった。何故だろう。
 昔、私の家の天井裏にはネズミが沢山いた。夜中家族が寝静まった頃、ネズミの運動会が始まった。ねずみ取りも仕掛け、猫も飼っていたが、たいして少なくはならなかったと思う。とにかくあの頃人間は、猫もネズミもハエや蚊やミミズや赤虫やヤモリ、ヘビ、カエルとまあいろんな動物と身近に暮らしていた。小さな子どもは用足しにいちいちトイレなんか行かないで、庭の隅で済ませた。その時「ミミズもオケラもごめんなさい」と、呪文を唱えた。更に人間は身体の中に回虫も住まわせていて、子ども達は毎年回虫検査というのを学校でやった。人間の天敵と目の敵にされた回虫は、時代が変わって今では回虫がいる人は「花粉症にならない」という。回虫博士と言われている人は、体内に「きよみちゃん」と名付けた回虫を飼っているという。毎年花粉の季節になると、(ミニキヨミ)でも飼ってみようかと気持ちが動く。ともかく、日本人は急速に動物である事を否定し、ロボットへ近づいている。でなきゃ、10年連続で自殺者が3万人なんて事態が説明できない。10×3=30万人だからね。
2008年5月31日(土)
犬と歩けば・ふたたび 929
5月31日(土) 雨

 あやとりをやったのは何年ぶりだろうか?来年小学校に上がるAちゃんと、2人あやとりもやった。しなびた手と小さな可愛い手を2つずつ出して、すくい取ったり拡げたりと年を忘れて楽しんだ。JRに限らず鉄道路線をすっかり暗記しているAちゃんは、私があやとりを取り損ないそうになると、こうやるのと図を書いて説明したくれた。
 私が初めてAちゃんにあったとき、彼はベビーバギーにのせられてミルクを飲んでいた。それからよちよちとみんなの間を歩きまわるようになり、お喋りをするようになった。
その次にあったときにはもう、地下鉄路線駅名をみんな覚えていて空で言えた。
Aちゃんが未だ小さな赤ちゃんだったとき、お父さんは仕事が原因で病気になり天国へ行ってしまったから、幾ら記憶力の良いAちゃんでもお父さんのことは覚えていない。でも写真で見て知っている。亡くなったお父さんには弟が一人いて、その子どもで従姉妹が2人いる。たまにこのおじさんに会う機会があるが、写真のお父さんにとても良く似ている。で叔父さんにあった後Aちゃんは、そっとお母さんに言って見た。「ねえ、お父さんがいたらあんな感じなのかなあ。お父さんがいるっていいね」私はぬぐってもぬぐっても涙が止まらなかった。
2008年5月30日(金)
犬と歩けば・ふたたび 928
5月30日(金) 曇りのち雨

 2階にいたらベルが吼えるので、急いで降りていったら玄関にご婦人が2人たっていた。手前のベージュ色のレインコートを来た、ほっそりとしたご婦人が「○○と申します。あの、ノアの箱船のお話は聞いたことがあると思いますが、あれはどう思われますか?本当にあった事だと思われますか?」と、切り出した。思わず1歩下がって、件のご婦人を眺めた。顔の造作は中心に集まり、昔の幼稚園の先生のような優しい顔立ちである。年齢はま、私と同年代か?いつもの「聖書をどう思われますか?」という質問よりも面白そうだが、今は彼女とそんな話しをする気分ではない。丁寧にお断りすると、ではとパンフレットを取り出そうとするので、それも断った。最近では赤ちゃんを背負って来る人は、いなくなった。彼女たちの世界も、高齢化してきたのかはたまた方針が変わったのだろうか? 昨夜、姉娘が正月以来の帰宅をした。今日の「人間ドック」を予約したのだとか。この所億劫で、ろくなおかずも作っていないのに、娘が帰ると聞いて一気にアドレナリンが吹き出した。肉に魚、煮物揚げ物、サラダに・・とあれこれ作った。人間ドックとなれば午後9時以降は食べてはいけないはず。然るに彼女は8時半に帰ってきた。今朝は勿論絶食だから、沢山残った。今日は家人と2人で、残り物を食べて過ごした。
2008年5月29日(木)
犬と歩けば・ふたたび 927
5月29日(木) 

 今日の毎日朝刊3面は、サギの話しばかりだ。その一つ丸紅をめぐる詐欺事件の記事は、興味深かった。事件の首謀者の一人丸紅の課長はある投資話をでっち上げ、会社の会議室を使ったり、偽の稟議書や役員印を見せて相手を騙し、巨額の資金を集めたと言うが、総額幾ら集めて、被害者は何人かなんて事は書いていない。面白いというかおかしいのはリーマンという証券会社が370億円も出資して、うち320億円がひっかかり丸紅と争っていると言う。訴えられた丸紅は「利息を25パーセントも払うという話しに引っかかるなんてプロじゃない・・」という、意味のことを言っているらしい。でも04年頃から始まっていたというから、外野としては本当に「丸紅」が全く関係がなかったのかと疑りたくなる。課長という管理職が詰め腹を切らされるのは、松本清張の時代からのパターンだから。それに一般庶民から見たら、丸紅対証券会社の裁判沙汰なんて(目くそ鼻くそを笑う)話しだ。次は「3個飲んだらDカップ」と言う見出し。薬を飲めばあーら不思議、たちまちあなたはDカップになれるという薬を売って、薬事法違反で捕まったというもの。たまたま帰宅した娘に「薬を飲んだくらいで、胸が大きくなる訳がじゃないの。」と聞いたら、彼女はこともなげに(買う買う。売り方が上手かったのよ。ビフォー・アフターの写真かなんかがついてて)という。うーんわからない。今一つは「船場吉兆」の会見記事。同じく娘は、吉兆の女社長は“ささやきタレント”で売り出せばといっている人があると教えてくれた。回答者として並んで隣の人に『頭が真っ白になって』と言う訳ね、と私たちは笑った。
2008年5月28日(水)
犬と歩けば・ふたたび 926
5月28日(水) 晴れ

 ぶらり歩いてみると、街中はどこもバラが咲いている。色、形さまざまだが、香りのするバラが好みだ。香りがしてもベルは一向に無関心である。バラの種類はどの位あるか知らないが、多様性は豊かさでもなる。なのに日本人は、その体型を(メタボとか)一律の枠にはめようとしている。これからは日本人と言っても、目が黒くて日本語を話すとは限らなくなる。日曜日の公園で、人を避けてベルと池の方に降りていった。お母さんが3,4歳の女の子に、早口で喚いている。大体自分の理解できない言葉は、早口に聞こえるらしい。昔、洋裁学校で韓国人の女の子達と一緒に勉強したとき、(あんた達はあんな早口でよくわかるね)と言ったら、(日本人こそ早口で喧嘩しているみたい)と言ってた。さて、そのお母さんは(スペイン語かポルトガル語かわからないが)とにかく、大げさなアクションもくわえて娘に話しかけている。
見るともなく見ていたら(ナント)小さなお嬢ちゃんは、日本語で母親に返答していたのだ。(いやだあ。まだあそびたいのお〜)と。この年でもうバイリンガルだ。
2008年5月27日(火)
犬と歩けば・ふたたび 925
5月27日(火) 晴れ

 夕方の公園・芝生広場は爽やかな風が吹き渡り、草の匂いがした。「ここは風があって本当に気持ちが良いわね」とエマのお母さんが深呼吸をした。昨日今日で、一段と日焼けしたサムのお母さんは「アー暑かった。これからはもう、サムを仕事に連れて行けない」と汗を拭う。そして新人同僚がひとり辞めたと、私に耳打ちした。サムのお母さんは、今の会社では唯一の女性だったが昨秋女性がひとり入ったのだとか。(私より若いからって、私の担当の仕事も幾つか削らされてその人に廻したんだけど、今月で辞めた。)サムちゃんの話は、身体が持たなかっただろうと聞こえた。
(で、会社の人が、仕事を私に戻すって言うから断った。身体が大変で辞めた人の仕事場なんて、草がぼうぼうに生えていて大変だもの。自分の仕事だって、この頃は休んでいる時間の方が多くなっている)とぼやいた。
 エマちゃんのお母さんがよく通る声で「ったく、ばかにしてんのよ〜」と言った。
事の次第はこうだ。エマチャン家は戸建てで、道路を挟んだお向かいがいわゆるゴミ屋敷だった。ゴミ屋敷の隣はお茶の師匠の家。エマちゃん家をはじめとする町会と、ゴミ屋敷の騒動は(サムちゃんから聞いただけでも)、1年以上は続いていた。駐在さんや、千葉市の担当職員などがつぎつぎやって来て対応にあたったが埒が明かず(大体、建物の中に入った職員は、悪臭で居たたまれず直ぐに出て来たという)。それが今までとは全く違う感じの警察官が4,5人もやって来て状況が一転したのが2,3ヶ月前。それからはエマのお父さんも毎日毎日ゴミ屋敷の片付けにかり出されたという。因みにトラック?台分のゴミ処分費用は2百万とか。やっとかたずいて一段落したら、○明党の議員が電話してきて「私たちは何でもやります。」そしてお父
さんには文書を出すようにと言ったとか。「ねぇー、バカにしてるでしょう?アタシ、石でも投げてやりたい」と、それは大変な剣幕だった。
2008年5月26日(月)
犬と歩けば・ふたたび 924
5月26日(月) 晴れ

 夜のテレビで、火星探査機「フェニックス」が送ってきた火星の地表の映像を見た。
石ころが転がったような煉瓦色の地表面は、何とも不思議な感じがする。自分の中の今まで使ったことのない感覚を自覚したような、浮遊感がある。また、火星の表面は、大小のクレーターや、山脈など凹凸のある月の表面とはかなり違っている。
 フェニックスを操作しているアメリカのチームは、「どう、見たかい?凄いだろう」と有頂天になっていた。私たちは素直に「凄い」と思うし、そう言う。で、その次はどうする。スポンサーが「経済性」を要求する。儲かるものはないかであり、もっと言えば「フェニックス」は桃太郎で、鬼ヶ島に宝物を略奪しに行ったのだ。火星には鮹に似た「火星人」がいると素直に信じていた頃が懐かしい。
 駅前スーパーの安売りが今日までだったと思い出して、下着を買いに行った。夏と冬の年2回、子どもが3人もいる娘に買って送る。その伴侶にも。ついでに私たちのも買う。今年は女性の夏用ズボン下(つまり女性用ステテコ)が売り出されていたので、寒がりの娘の為に買う。いや然し、これは娘だけではなく、冷房病が蔓延している証拠かも知れない。所で娘の連れ合いにはブランド品下着を、家人には2枚組のお徳用を選んだ。家人はブランド品なんてわからないのだ。例えば今日、昼食にトマトスープを作った。食べてみて、牛乳を入れるのを忘れた事に気が付き、慌てて戻して牛乳をくわえた。所が家人は「さっき牛乳は飲んだから良い」と言って、そのまま飲んだ。お腹の中で混ざるからですと。
2008年5月25日(日)
犬と歩けば・ふたたび 923
5月25日(日) 雨

 金曜の夜、ケアハウスの義姉から電話があった。(私に預けてある、段ボールを持ってきて欲しい)と言う。ハテ今頃なんだろうかとアレコレ考えた。義姉が一人暮らしを畳んで初めて入所するときに、多すぎるからと預かった冬物衣類が入った段ボールである。それを言うと(いろんなものが入っているから)と答えた。翌日届けたついでに、いつものように部屋の掃除をして、散らかっている書類の(殆ど病院の領収書)を片付け「あと、なにかやって貰いたいことなーい?」と聞いた。義姉は少し考えてから(アタシの存在をなくして)なんて、過激なことを口走る。こちらは気が付かない振りをして、「それは無理」とかわした。ゆっくりと20分程歩いて、いつもの回転寿司に行く。道々の景色を見て話しをすると、幾らか楽しそう。回転寿司では大トロ、中トロから始まって義姉は7皿食べたが美味しいとは言わない。いつも決まって(たいして食べられないね)という。(あそこでは生ものは出ないからね)と言う。そこから又歩いてスーパーへ寄る。化粧水が空になっていたので、買ってこようと誘った。ついでに食料品も見る。「おやつに苺でも買って置いたら」と勧める。そうねと熱心に見て歩き、他に煮豆、漬け物、エクレア、アイスクリーム、あんパン、ゼリー、塩飴、焼酎1瓶を買った。義姉はいわゆる成人病を幾つか持っているので、好ましい食べ物ではないが、これくらいの楽しみがなくてはやってられないと思う。以前体調の悪かった時は、食べ物にも全く関心を示さなかった。それに較べたら、結構毛だらけ。帰り道義姉はお喋りになって、隣のもうひとつ隣の人がテレビの音がうるさいと言って、文句を言うと愚痴った。「事務所の人に相談しようか」と聞くと、面倒だからと断った。まあ、刺激があった方がいいかなと考えて、しばらく様子を見ることにした。部屋にもどると、私が持ってきた段ボールをみて(あれー、これなあに?)と来た。「頼まれて、持ってきたもの。底に小判でも隠してあるんじゃない?」と、とぼけると義姉は(ハハ、そう1万円札が敷いてあったりするかも)と、笑った。
2008年5月24日(土)
犬と歩けば・ふたたび 922
5月24日(土) 晴れのち雨

 一昨日あたりから、私たちは早々とテレビ桟敷席に陣取っている。勿論お目当ての琴欧州を見るためである。場所前に角番だと聞いて、大関昇進の時には少し騒がれたがその後はすっかり朝青龍、白鵬の影に隠れていたから、ああこれまでかと思った。
所がどうだ、場所が始まってみるとあれよあれよの快進撃。7勝7敗と押し込まれたときなら対戦相手も星を貸してくれるかも知れないが、毎日毎日と言うわけには行くまい。これはどうした訳かと聞くと家人は、膝だが腰だがの故障が治ったからだという。
 琴欧州のキャラは、朝青龍とは対照的である。優勝しても未だ勝負師という雰囲気ではない。野球で言えば高校野球の選手のような初々しさを感じさせる。長い睫毛がジャニーズ系アイドルを思わせる。インタビューの受け答えも、初土俵を踏んだばかりの力士の様。刺激されたのか魁皇や琴光喜も横綱を倒すし、今場所は久しぶりに相撲が面白い。
2008年5月23日(金)
犬と歩けば・ふたたび 921
5月23日(金) 晴れ

 事務所の帰りにいつものJAショップに立ち寄ったとき、Aさんは手にとってためつすがめつしているものがあった。ナニナニ?と近寄ってみたら、小さめの白いウドのようなもので、確か「柏いも」と書いてある。5,6本で60円。(これね、たしか里芋の新芽よね)と言われても、私はぴんと来ない。(今頃の季節にね、里芋の下の方から出てくる新芽なの。上の方の茎はホラずいきといって干すと芋がら)と説明しておいて、店員のおばさんに確かめた。「そうなの、みんな懐かしいって買って行くわよ」とにこにこと教えてくれた。Aさんはしばらく考えていたが、(失敗しても良いから買ってみよう)と、決心したように籠に入れた。食べ方を聞くと、あく抜きをしたあと和え物や味噌汁の具にするのだという。(これはアクが強いので、鍋で茹でているときに絶対に蓋を取ってはいけないの。)(独特の味がして美味しい)と仰るが、山菜と同じ様にAさんの故郷の味なのだろう。その味を口にしたときは、一気に時間が逆戻りして若い両親と兄弟姉妹の賑やかな食卓が蘇るのだろうね。
 夕方のニュースは「減らない過労死」として、去年の過労死・過労自死の労災申請数と認定数を放送していた。私たちは労働基準監督署で「業務外」と決定されたBさんと共に、千葉の労働局へ審査官を訪ねた。小学生の子どもを2人育てている母親に取って、日々生きると言うことは、食費、衣服費、給食費、塾の月謝と待ったなし現金が必要だと言うことである。ろくに病院へ掛かったこともない健康な40歳の男性がいきなりなくなった時、毎日12〜14時間も拘束されていた仕事以外に原因は考えられない。雀の涙・ないよりはまし・貰うだけ腹が立つほどの金額の退職金。守ってくれるべき労働組合もなく、わずかな遺族年金と妻のパート代とで、この先どうやって暮らしてゆけというのか。行政にすがるしかないではないか。と縷々訴えても、眉ひとつ動かさず「前6ヶ月、時間外労働時間」しか言わない審査官を相手に、虚しい疲労を覚えた。公務員とは国民の幸せ実現のために存在する筈である。
2008年5月22日(木)
犬と歩けば・ふたたび 920
5月22日(木) 晴れ

 いつもの小さな森は、すっかり若葉が青葉へと衣替えしていた。ほうちゃく草や鳴子百合、金襴、銀欄、今年はものすごく多かった浦島草など山野草は殆ど終わって、下草が伸び始めた。「福田内閣が19%ですって」サムのお母さんが不機嫌そうに言った。「そんなに後期高齢が、いけないかしらねえ。・・まあ議事録を見ても、小泉内閣で決まってからの宣伝が足りなかったのと天引きがいけなかったと言う事かしら?」とひとりごつ。
公園の芝生広場に着くと、ナナちゃんご夫婦がナナとポンを側に置いて2人仲良く座って5月の風に吹かれていた。サムちゃんは「へへ、声をかけるの悪いみたいね」と言いながら近くによって、挨拶をした。(あーら、違うのよ。座ったらねえ、草臥れちゃってなんだか立ち上がれなくなっただけ)と、ナナちゃんのお母さんは笑った。「ナナちゃん家も国民年金だけだから、これから大変みたい」とサムちゃんは心配するけれど、夫婦元気で1日働いて、夕方公園の芝生広場で休んでいるなんていいなーと、眺めた。
サムが寄ってきて、体を掻いてくれとせがむ。サムはベルの2倍はあるので、掻いていると直に手が草臥れる。それにサムは直ぐにべろりとなめて、お礼をしたがる。
(サム、お礼はいいから)と体を避けると、近くのナナちゃんのお父さんの顔を大きな舌でべろべろと舐めた。ナナちゃんのお父さんはまだ、つなぎを着て顔も真っ黒なまま。ナナちゃんのお父さんはのけ反りながら「何だよサム、いきなりなめんなよ」と笑った。今日は他に犬仲間は来なかったので、早めに帰った。
  鬱になると、(ごく重症の場合は除いて)今までやって来た仕事は出来る。本人にとってはこれがとても苦痛で努力を伴うのだが、端から見ると「なんだ出来るじゃないか。ただイヤでやらないんじゃないか。怠けている。」と見える(らしい)。少し理解のある人ならば、(言われたってやらなければいい)と仰るが、本人にとってやらないとそれが又ストレスになる。或いは「出来ない」と突っぱねた時ごたごたするのが厭で、無理してやる。また「断り方がマズイ」と、忠告してくれる人もいが、本人がそこまで追い込まれているとは理解してくれない。こうしてお互いますます溝は深まる。
2008年5月21日(水)
犬と歩けば・ふたたび 919
5月21日(水) 晴れ

 「何事もなかったように風になり  紀の治」
月曜日も、朝起きてみると寒気がした。火曜日に出掛ける用事があったので大事を取って、紀の治さんの奥さんのお通夜と告別式を欠席した。春菜さんに訳を言って、私の義理の手配はして貰った。今朝、春菜さんから電話があって、葬儀のいろいろの報告をしてくれた。それで紀の治さんはどんな様子だったかとせかす私に春菜は「それでね、紀の治さんがお礼の挨拶をした時に、夕べ作りましたって一句披露したのよ。何事もなかったように風になり。もう、アタシ達みんな泣いちゃったよ」。聞いた私も、電話口でもらい泣きした。
入退院を繰り返す妻に、自らも病気を持ちながら、少しでも滋養のあるものを食べさせたいと料理教室に通った紀の治さん。川柳は少しの息抜きだったのだろうか。今まで、妻を読むことは一切なかった。「何事もなかったように」の語句のウラに詰め込まれた修羅場を思わせる。ひとりぼっちになった紀の治さんが気遣われた。メールを開けたら、川柳句会まこと会長から、会葬御礼が届いていた。彼が紀の治さんを支えて取り仕切ったのだ。幾つになっても友達は大切なんだ。
2008年5月19日(月)
犬と歩けば・ふたたび 918
5月19日(月) 晴れのち雨

 一旦崩した体調が一直線に回復する年齢でもなく、喉が腫れ少し熱が出た。ゴロゴロしていると川柳の連絡網が入って、Kさんの奥さんが亡くなったという。お二人とも重い病気持ちのKさんご夫婦はお子さんがいないせいか、Kさんは「妻より先に死ぬわけには行かない」と言っていたと、春菜が教えてくれた。Kさんは私たちよりも1期後の生徒さんであるが、その手練れの作句にはみんなが舌を巻いた。特に人を見る目が優しい。子どもを題材にした句もあんまりお上手なので、何人お孫さんがいらっしゃるのかと伺ったのが、話しをするきっかけだったと思う。「いえ、私には子どもも孫もおりません。公園や買い物の時よそのお子さんを見ていて、もし私にも孫がいたらこんなだろうなと想像するのです。」と言われた。また川柳の飲み会の時に、終戦後、母親が子ども達を連れて引き上げてきたことや口減らしに自分だけ、父親の実家に預けられたことなどご苦労の一端を伺った。然し、Kさんは実にゆったりと穏やかな人で、女性陣に人気がある。一方、自分や子どもの学歴を自慢し、人が嫌がることばかり言ったりやったりして女性陣に嫌われているNさんもいる。「老成」と言う言葉がある。人間は経験を積んで年を取ったときは、それなりに円熟するのだと思ってきたが、その期待を大きく訂正することになった。加齢により人間は円熟する人もあるが、劣化する人もいる。つまり様々であるという、当たり前の事がやっとわかったというお粗末。
2008年5月18日(日)
犬と歩けば・ふたたび 917
5月18日(日) 晴れ

 この4月、県立八千代台西高校で入学金未納の生徒に対して、入学式に参加させないと言う事件が起こった。ノーテンキに我が国は経済大国だと思っていた私はビックリした。そう言えば高校進学率が100%近くになっても、バブルで日本中が浮かれたときも、高校の授業料は公費負担とはならなかったのだという現実に、やっと気が付いた。ところで、OECD(経済協力開発機構)加盟25ヶ国の中で、公教育費支出額がその国のGDP( 国内総生産)に占める割合を見ると、低い方から2番目なのだそうである。ビリはギリシャ。県民の生の声を届ける必要があると思ったので、「今回の処置は不当である。県は何を考えているのだ」とメールを出した。しばらくして返事が来た。「行政として、規則を正しく実行した」という内容の慇懃無礼な内容である。以下回答原文。
  冬瓜様  メールを拝見いたしました。
 質問については、指導課、財務施設課よりお答えいたします。
【回答】
 この度は、メールにて貴重なご意見をいただき誠にありがとうございました。千葉県立八千代西高等学校の入学式についての千葉県教育委員会の考えは、次のとおりです。何とぞ、ご理解を賜りますようお願いいたします。
  学びの機会の保証は、大切なことだと考えています。
 入学の許可については、県立高校として入学料を支払っていただかなければならないという規則を踏まえ、学校長の判断で行っています。
 八千代西高校については,3月中旬に実施した入学許可候補者説明会において入学金の納入について説明し,事情があれば分割払い等に応じており、学校としては、やむを得ない措置であったと考えております。
 今後とも、生徒や保護者の皆さまには、入学金の納入について十分理解していただけるよう、また、生徒や保護者の皆さまの気持ちに配慮した対応がとれるよう努めたいと考えております。 なお、学校長は、当日中に校長室で、2名の生徒の入学を許可し,現在,通常どおり登校していると報告を受けています。
 また、入学料の徴収については、様々な意見もあることから、今後、学校等の意見を聞き、他県の状況も参考にしながら研究していきたいと考えています。
平成20年4月30日
             千葉県教育庁教育振興部指導課
             電 話 : 043−223−4056
             千葉県教育庁企画管理部部財務施設課
             電 話 : 043−223−4027
これからも,お気づきの点があれば,ご意見をお寄せください。
2008年5月17日(土)
犬と歩けば・ふたたび 916
5月17日(土) 晴れ

 今週号の週刊金曜日の表紙にはギョッとさせられた。高齢者の夫婦が小さな浴槽に浸かっている写真であるが、見る者を離さない迫力がある。何事かと本文をめくると、フォトジャーナリスト桑原史成氏が「老いた両親の暮らし」と題して、実父母を撮影した写真が数枚載っていた。92歳の母は数年前から視力を失いアルツハイマー病も発症して要介護4。それを94歳の夫が介護している。母が4年前に体調を崩して台所に立てなくなったとき90歳を過ぎた父が、初めて料理に挑戦したと言う。東京に出たままで、ろくに親孝行も出来ない負い目を感じている息子はお終いに「それでも両親は息子の私に愚痴をこぼしたことは一度もない」としるしている。老夫婦の写真を見て、息子の報告を読んで私は、人間が生きて行くことの厳しさといとおしさがこみあげてきて、涙がこぼれた。
2008年5月16日(金)
犬と歩けば・ふたたび 915
5月16日(金) 晴れ

夕べ歯磨きをしていたら違和感があった。指で触ってみたら、左下の歯が1本動く。
ハテ痛くもないのに歯が動くなんて、ヒエーもしかしたらこれは話しに聞く「歯槽膿漏」と言うヤツではないかと心配になった。いろいろと考えてみたけれど、どうなるわけでもなく、今朝、かかりつけ医に予約の電話した。受付係の、先生のたおやかな娘さんはおっとりと(4時半ならキャンセルがあります。)と仰ってくれたので、出掛けた。覚悟を決めて「先生、とうとう私にも歯槽膿漏がやって来ました。」と言った。どれどれと口の中を覗いた先生は「差し歯がゆるんだだけだよ」と言って、掃除をして元通りに取り付けてくれた。なんだかとても緊張していて、処置が終わったときには大きなため息が出た。どうしたかと先生がいうので、凄く緊張したと答えたら(ああ、来たのは今年になって初めてだものね)と、気を使ってくれた。
 私の体調は少しずつ良くなっている。舌のザラザラ・ぴりぴり感も(お灸が効いたのか)大分良くなったと東洋医学の先生に報告したら、歯ブラシの先か布でそっと表面を拭うと治りが早いと教えてくれた。更に舌は口の奥の方の筋肉にぶら下がっているだけなので、加齢と共に筋肉の働きが鈍くなると、舌は喉の奥に引っ込むようになる。それが誤飲や咳き込みの原因ともなるから、時々アカンベーをして舌を出した方が良い。出すときは舌の先ではなくて顎を使って出しますと言って、横を向いて実演してくれた。それを見て思わず笑った。鬱になると笑顔がなくなる。笑うようになったら、かなり良くなった証拠だ。
2008年5月15日(木)
犬と歩けば・ふたたび 914
5月15日(木) 晴れ

 久しぶりにサムちゃん達を誘って、散歩に出掛けた。私は犬たちのおやつ用にポケットにパンを入れておいた。特に鼻の利くサムは直ぐに見つけて、ポケットを鼻でつついて頂戴とせがんだ。せがんでおいてもサムは、食べないときがある。お母さんが美味しいものばかり与えるから、グルメなのだ。一旦口の中に入れても気に入らないと、ぷっと吐き出すときがある。勿論ベルはラッキーとばかりに、それを拾って食べる。所が今日はお気に召したようで、いくらでも食べる。それを見ていたサムのお母さんは「あら、そんなに一生懸命に食べてる」とか言って、少しウルウルしている。11日の日曜日、サムは体調が悪くて外にも出たがらず全く何にも食べなかったと言うのだ。でもその日だけだったのでしょう?と言いたいのをこらえた。サムは未整備の林の中をベルと一緒に走り回り、公園でもハナコをまじえて3匹でバトルを2回戦やったし、いつもと少しも変わらないと思った。ベルの背中を掻いてやっているとサムが割り込んできて、俺にもやってくれろという。サムは直ぐにひっくり返って、お腹も撫でてと甘ったれる。その時サムのお母さんがこそこそと植え込みの方へ、小走りに行く。何事かとサムも私も見ていると、ベルがその後をピッタリと付いて行き(なにしてんの?)と聞いた。サムのお母さんは「アハ、ベル見てたの?サムがベルのお母さんに気を取られている間に、隠れちゃおうと思ったの」。サムは私に背中を掻いて貰いながらも、お母さんの様子はしっかりとチェックしていたのだ。さて、「鬱とは」の体験的報告の続き。きょうの昼前、ニュースが出来たので事務所に印刷に行った。この印刷機も気まぐれで扱いにくい代物だが、たった150部裏表を印刷しただけで帰宅したが、へとへとに疲れた。去年は2枚組を印刷して折りたたみ、封書を作り封入し郵便局へ搬入した事もあったが、普通の疲れだった。昼食後1時間ほど昼寝をしたら、かなり回復した。
2008年5月14日(水)
犬と歩けば・ふたたび 913
5月14日(水) 雨のち曇り

 ようやく届くようになった中国大地震の映像は、本当に痛ましい。瓦礫の中から子どもが助け出された場面を見て、思わずテレビ画面に向かって拍手をしてしまった。
日本政府は5億円分の援助支援を決めたと新聞に載っていた。この金額が「国際的相場」かどうか知るよしもない。ないが然し、先日どこかの団体職員が公金を競艇につぎ込んだ額は確か、10億円だったと思う。
 朝食後居眠りをしていたら、春菜さんに電話で起こされた。春菜さんのご亭主は、只今セイリング中である。先月5日、一人乗りヨットで木更津を出航して屋久島に向かった。往復2ヶ月の予定とか。この数日は台風に遭遇して帰路、紀伊勝浦に足止めされていると、教えてくれた。春菜の用事は自宅のFAXの調子がおかしいから、なにか・・「春菜大好きよ」か昨日の句会の句でも書いて送ってみてとのたまう。昨日の互選句の題は待つ。「風待ちの港であった迷い猫」と書いて送った。この句は春菜さんの話しを聞いてイメージしたものだから。何でもセイリング中のご亭主は毎晩、夜は近くの港へ寄港して食事をし、ま、お風呂にも入り、寝るのはヨットの中。そして翌早朝にまた目的地を目指して出航するという。良いなあ、ロマンがあるねえと、私がうっとりと話しを聞いていると「フン、なによ。幾ら若いときからの夢だって、退職金から300万も持って行って、アタシは百均のパンツはいているって言うのに」と、春菜はお冠である。「毎晩電話するって言うから、しなくて良いって言ってやった」なーんて無理している。
 さてまた「鬱」のお稽古。鬱の症状は精神活動にもセーブが掛かる。いつも何気なくできていることが出来ない、或いはとても努力が必要となる。まして考え事や新しく理解することなんか出来にくい。感動もない。今月は川柳の宿題も半分がやっとだった。素敵な男性に見つめられたって、鬱陶しいだけ。そういう事態があったかも知れないが、残念ながら覚えていない。早く治さなくちゃ。
2008年5月13日(火)
犬と歩けば・ふたたび 912
5月13日(火) 雨

 今月は連休があったので、川柳句会は1週遅れの今日となった。バス乗り場でゆたかさんにあった。確かゆたかさんの自宅は駅と団地との中間ぐらいにある。朝のこの時間にバスに乗るわけがない。もしかしたら「朝帰りか?」と余計な詮索をしたら、いつもの穏やかなお顔の目尻を一層下げて「いやいや、残念ながらもうその元気はありませんよ」と答えた。家から駅の近くをグルリ廻ると丁度1時間ぐらいでウオーキングの良いコースなのだが、今日はこの雨と風で寒いし、丁度バスがやって来たので乗ったらしい。
所で公民館は9時にならないと入れてくれないので、ゆたかさんとやはり早く来た正さんの3人で雨風よけに、銀行のATMのスペースに避難した。先月「重い腰痛」で欠席しただしさんに、お見舞いを言うと「イヤ、私も歯医者なんだから、もう少し気を付ければ良いんだけれど・・まあ、慢性の病気はガマン・ガマンあきらめですな」とかニコニコと弁解する。話題はこの所続く大規模災害の事。ミャンマーの水害、中国の大地震と、何万人単位の災害が続くなんて、まるで人類滅亡を思わせる。「そう、人類が消えるときなんて一瞬、あっけないと思いますよ。」なんてただしさんはこともなげに仰った。
 所で「鬱」になると、どんな症状がでるのか。ま、重い軽い個人差といろいろあるだろうが、「疲労困憊」は共通項だろうと思う。だから重くなると起きあがれなくなる。座っているのもしんどい。それが心身共にだから、そう言う状態の時に「もっと仕事をやれ、或いはやらねばならない」状態になると精神的に追いつめられる。私は少し休んで、治療を続け疲労困憊状態は抜けたが、未だ不安定である。すっぱりと仕事から離れれば良いのだが、そうはいかない。この思い切りの悪さが、病状を助長する。
2008年5月10日(土)
犬と歩けば・ふたたび 911
5月10日(土) 雨

 寒い。夕べから天気予報で聞いてはいたが、1日で気温が10度も下がった。夕方ケアハウスの義姉に電話して、掛け布団を1枚多くして休んだ方が良いと言った。6日に掃除に行って、寝具を夏バージョンに替えてきたばかりだった。ついでに取り替えたシーツ類はどうしたかと尋ねたら、そのまんまにしてあるという。確かあの時は「後で洗濯するからそこに置いといて」と言っていたのだが。「今度行ったとき、私が持って帰るからね」と言った。
 朝、目が覚めるとぐったりと全身の疲れを感じて「起きあがれるかな」と思う日々が続いた。眠りが浅い。舌が荒れて口がマズイ。胃が痛む。気持ちにゆとりがない。
丁度4年前も同じような症状で今の東京の医師にかかったのだが、4年前と違って今回はハッキリと原因が自覚できた。その分だけましと言えるのだが、鍼の先生には(3度目はもうありませんよ)と、同じ過ちを繰り返す愚を指摘される。かかりつけの内科医も睡眠を改善するための漢方薬を処方して寄こした。健康を害する原因がわかっているのだから、そこを除去すれば良いのだが、それが難題である。編集長は過労死の原因に「強制された自主性」を説くが、雇用契約のない労働でも同じ事である。否、善意の労働であれば余計に自主性を強制される。休んで少し良くなっても、仕事をすれば疲れは重く残り、病状は長びき回復も遅くなる。然るに私は胃をむかむかさせながら、パソコンに向かって仕事をしている。勿論自己責任であると承知している。
2008年4月19日(土)
犬と歩けば・ふたたび 910
4月19日(土) 晴れ 風

 辞書を引くと、春雨(春、静かに降る細かな雨)と説明がある。実際、小学唱歌は「・・降るとも見いえじ、はあるぅーのああめ」と歌ったし、月形半平太の有名な科白にも「月様雨が・・」「春雨じゃあ、濡れていこう」がある。今、子育て真っ最中の娘が小学低学年の頃、テレビドラマを見ていて(なあーに?)と聞いたので、説明してやったら「はぁるっさめじゃっああ、ぬれていこ。どんどんさかみちくらいみちぃ〜」とおかしなふしを付けて歌っていた。またこの頃「ジェリコの闘い」というポップスも流行って居て、彼女はおはじきを入れた袋をジャラジャラ揺らしながら「じゃらじゃらじゃらじゃらジェリッポン・ジェリッポン・ジェリッポン」と家の中を歌いながら飛び跳ねていた。横道にそれたが、今年の春の雨は、どう見ても(台風)である。これもやはり地球温暖化のひとつなのだろうか。
 夕方、玄関前に筍が3本転がしてあった。サムのお母さんが届けてくれたのだ。前回「くたびれた」と言っていたので、もう無理しないで良いからと断ったのだが「これからは掘らないから大丈夫。土の上に出て来たのを鎌で切りとるだけだから」と言った。成る程、3本とも斜めにすっぱりと切りとられて、根っこの部分はなかった。
 夜「用心棒」を見て、大いに楽しむ。
2008年4月18日(金)
犬と歩けば・ふたたび 909
4月18日(金) 大雨

「自衛隊派遣は違憲」の判決。もしかしてと想像したとおり、裁判長は3月31日で退官していた。でもこういう人が未だ居て、世の中捨てたもんじゃないなと、心が少し温かくなる。
 疲労困憊で治療院へ出掛けた。「胃が大分やられている。ここは急激に悪化しますからね」とは先生の話。文字通り鍼灸で治療していただいたら、胃が動き出した。それが胃とかけ離れたところを刺激しても動くから、自分の身体ながらその不思議さに畏まる。
 この所寝付きが悪く毎晩深夜ラジオを聞いていたら、「宇宙旅行へどうぞ」という話しをしていた。日本でも大手旅行社では一般人の宇宙旅行を受け付けているのだとか。ラスベガスのホテル王は、宇宙に一般旅行客用のホテル建設を進めている。今はまさに宇宙旅行の黎明期で、現在その費用は億単位だが、数百万円になったら自分も参加したいと話し手は言っていた。まあ、時代の流れとしてはそんなことだろうがと、民間人宇宙経験者第一号・民放アナウンサー秋山さんを思い出す。彼は地球に戻ってから会社を辞めて、農業従事者つまり百姓になったのは知られた話しだ。アメリカの宇宙飛行士も帰還後、宗教家になった人が何人もいると聞く。宇宙を体験した人たちは、地球のかけがえのなさ・人間は地球の子どもであることを実感したに違いない。一般人が普通に宇宙へ飛び立てる時代に、健康な地球が存在していれば良いのだけれど。
2008年4月17日(木)
犬と歩けば・ふたたび 908
4月17日(木) 曇りのち雨

 毎年5月頃になると、団地への交差点脇に小さな銀色の穂を付けた草が沢山出て来て、風に揺れる。その様子に、心惹かれる。銀色の穂というと秋のススキを連想するが、小さくて春に咲くというのが不思議でずーっと名前を知りたいと思っていた。今日、ひょんなことからその名前がわかった。(つばな−ちがや)と言うのだそうである。ネット上で読んでいる俳句の今日の分に、その名が出ていたのである。ついでにネットで調べたら、下記のような解説があった。 つばな〔区分〕 有用植物、野に自生、薬用植物、食用植物〔概要〕 野原に普通に生える。晩春、葉がでる前に花穂を出す。それを「つばな」と呼び食用にする。種子は強壮薬となり、根も薬用となる。穂でほくちを作る。
〔由来〕 名前の由来は不明。
成る程、今年は穂を摘んでみようか。でもどうやって食べたら良いのだろうか。そうそう、昨日「吉高の大櫻」見物に行ったとき、仙台近くがご出身だというBさんは、私の仲間のAさんと同じ「すかんぽ」を摘んだ。(似ているけど、これはイタドリとは全然違います。ぱっぱの形がイタドリはハート型です。)なんて言っていた。どこからかゼンマイを摘んできて(これはオスかなメスかな)と言いながら、外側の柔らかい皮を剥いた。Cさんはそれを見て(家のおばあさんは、その皮を集めて手まりの芯にしていた)と言う。私もその皮を指先で揉んでみたが、軽くて柔らかい絹織物のような感触だった。Bさんは剥いたゼンマイの中心部分を摘み取ると、(これを茹でて干したのが売っているぜんまいです)を教えてくれた。私たちはこの50年で、身の回りの植物との付き合い方を殆ど忘れてしまったのではないだろうか。
2008年4月16日(水)
犬と歩けば・ふたたび 907
4月16日(水) 晴れのち曇り

 お絵かきの仲間達6人で「吉高の大櫻」を見に行った。いやあ、出先で買い物に走るのはおばさんだけかと思っていたら、どうしてどうしておじさん(おじいさん)もせっせと買うのを発見した。筍、大根、株、肥料、花苗、地酒、野菜苗、餡餅と、見たものを買いまくっている。じいちゃんたちは売り手と上手に駆け引きをやって、良い物を選んで安く買っている。見ていて、なんだそうだったのかと面白かった。買った物を両手に提げて、「何だ、駐車場までこんなに遠かったな。タクシーを呼んでくれ」なんてわめいていた。
所で大櫻は大分葉桜となっていたが、貫禄十分。見るのが初めてというなかま達は、何回もシャッターを押していた。帰りにチューリップ祭りの会場に立ち寄る。祭りの初日とかで、人がごった返していた。元校長Tさんは「平日にこれだけの人が出ていても、世の中廻っているんだから、高齢者社会なんだね。」と、感心していた。
 この数日、ニュースの編集作業で煮詰まっていたが、思い切って出掛けた事で、帰ってから仕事がはかどった。
2008年4月15日(火)
犬と歩けば・ふたたび 906
4月15日(火) 晴れ

 昨日今日と、サムちゃん達と歩いた。昨日は市民の森コース、今日は花見川沿いのコースと廻ったが、野山はみるみる新緑に染められている。それに「雨後の筍」とはよく言ったもので、竹林の側を通ったらあちこち土が割れていたり、小さな頭が覗いたりしている。また公園広場では、今までなかった場所に土筆がどっさり出ていた。
エマのお父さんと10分ぐらい摘んだだけで、それぞれの小さなビニール袋(犬の落とし物用)がいっぱいになって、エマのお父さんは私が摘んだ分も「いいの?」と言いながら喜んで持ち帰った。エマのお母さんが煮る土筆の佃煮は、酒のつまみに最高なのだそうである。後でサムのお母さんは(エマの家では、土筆を紀伊国屋で買っていたんだって。紀伊国屋って本屋かと思った)と言った。
  日曜日の合同句会がお開きになって帰ろうとしていたとき、気が付いたら、私のみぎ手の平がそっと握られていた。驚く私に「この意味がお分かりになるかしら」と言って、ニッコリと微笑んだ。残念ながら男性じゃあない。どっきっとするような男性はいなかったが、受け付けに座ったまことさんのスーツ姿が、かっこよかった。紺に、見た目ではわからない細い縞が入っていた。「いやーまことさん、背広がよく似合って恰好良いね」と声をかけたら、満更でもなさそうな顔をした。「まことさんは、ウンわかったと言いながら直ぐに忘れる。電話で注意してくれたのに、自分の方で忘れる」と言ったアレコレの苦情はこの際、忘れるとする。所で話しを戻して、私の手を握ったのは御年78歳、健康で色気がありお茶目の(ああいう年の取り方をしたいと、私たち女性憧れの的)N先生である。とっさにええ、とか曖昧に答えておいたが実はわからない。こういう経験は初めてだもの。ま、来月行われる先生の、20周年記念大句会に参加して欲しいというメッセージだと思う。
2008年4月14日(月)
犬と歩けば・ふたたび 905
4月14日(月) 雨のち晴れ

「えー新川沿いの櫻はもう散ってしまいましたが、ここには樹齢ウン十年という櫻が咲き誇っています。」どこぞの会長の挨拶に、会場はどっと笑った。昨日は八千代市内5つの川柳会が集まって、合同川柳句会を開催した。50人ほどの参加者がいつもと同じように投票で決める「互選句」。選者が選ぶ題詠は「楽」と「鳴」。そのどちらのベストスリーにも春菜さんの句が入った。私たち村上の仲間は大いに喜んで、カラオケの時には1曲は歌わなくちゃあ済まないよ、何にすると聞くと、すっかり舞い上がっている春菜は(うーん、わかんないからしっぽちゃんが決めてぇ)なんて、ベルみたいな鼻声を出す。少し考えてから、「鉄腕アトムが良いよ」と言った。(どんなのだっけぇ〜)「ホラ、ランランラ・ラ・ラ・ラーだよ」(うーんもう一寸色気のあるのがいいわぁ)なんて無理なことをいう。私が悩んでいると(ふーん、真っ赤な太陽なんかいいわぁ)と言うからそれに決めた。仲間達を廻って「ハルナ」と、合いの手を入れてくれるように頼んだ。さて6人が春菜を真ん中に並んで、「まっかにもーえたぁ〜(ハルナ)」とやって、ヤンヤの喝采を浴びた。みんなに煙たがられているKさんは出て来て踊り出した。さて二次会はみんなにケーキのひとつもおごんなくちゃねと催促すると、なかま達も「そうよ、そうよ」と身を乗り出す。「でもアタシは年金生活者だからダメ」と春菜は、今度はハッキリ・きっぱりと背筋を伸ばして宣言した。お互いそれを言われると現実に戻る。喫茶店でほっぺたがくたびれる位喋って、酸吸さん家へ寄ってお線香をあげ解散した。スッキリしたあ。
2008年4月13日(日)
犬と歩けば・ふたたび 904
4月13日(日) 曇り

 千葉県立八千代西高等学校(大迫太校長)は、入学金が未納の生徒を入学式に参加させなかったという。『同校の須藤信夫教頭は「入学金を納めないと入学を認めないという県条例に従った。事前の相談があれば一部納入でも構わなかった。判断に問題はない」と話している。』共同ニュース
「入学は認めていたが、入学式の参列を拒否された」と報道しているところもある。
その事実関係を明らかにして、校長・教頭の責任を追及したい。さらに、八千代西高校の校長も教頭も行政官ではあっても、教育者ではない。教育者でないものが学校で教育に携わるというのは、許されない。私は大迫校長と須藤教頭の罷免を要求する。
特に教頭の「事前に相談があれば云々・・」は、自分に責任はなく、悪いのは相手であるという無責任さが透けて見えて、醜い。
 私が高校生の頃も、なかなか親に月謝をくれと言いにくかったし、滞納している生徒もいた。後年その友達は(あんまり遅れると、担任が立て替えてくれたことがあった)と、述懐していた。 日本の社会はこんなにも荒廃していたのかと、慄然とする思いである。
2008年4月12日(土)
犬と歩けば・ふたたび 903
4月12日(土) 晴れ

 気が付いたら、お昼頃から左手の合谷(親指と人差し指が交差する所)あたりに2つ3つ湿疹が出来て、無意識に掻いていた。夕方には矢張り左腕に幾つか湿疹が出来て、そこも掻いていた。ストレスである。今日の集会は参加するのがイヤでイヤで仕方がないのを、無理して出席したからである。参加しても、一日中イライラして不機嫌な自分を見ていると、自分が嫌いになりそう。怒りを我慢しているのはエネルギーもいるし、良いことはない。なんでこんな事を続けなければいけないのかと、やり場のない怒りがこみあげる。
明日は合同句会と親睦会があり、是非参加して欲しいと頼まれているが、場所すら覚えていない。明日は明日の風が吹くと、うそぶいてみようか。
2008年4月11日(金)
犬と歩けば・ふたたび 902
4月11日(金) 晴れ

 昨日4月10日は、編集長の「闘病日記−人生まだまだ半分」が、めでたく100回を迎えられた。おめでとうございます。読む立場になってみて、知人の日記を読む事がこんなに興味深いものだと初めて知った。8日は私の方も900回だったので、2人合わせると千回となる。だから何なのだと言われても、記念品が出るということもなく特に意味はありません。ま、遊びです。編集長にはこれからも楽しませて下さいね。
 家に帰ったら、玄関に筍が2本転がっていた。家人に聞くとサムちゃんが届けてくれたと言う。(今年の初物で、まだ土の中のを掘ってきたって言ってた)と、状況説明もあった。成る程、づんぐりむっくりして未だ黒い土が付いている。先日、吉高の大櫻で筍ご飯は食べたが、わが家では今年の初物である。お米のとぎ汁で湯がいたが、土の中に居た割りには、えごい味がする。この間Aさんが、筍の味は育つ場所の土の質で決まると言ってたのを思い出した。いつもは2合しか炊かないご飯を4合仕込んで、ベルの散歩に出た。お礼を言おうとサムちゃん家へ寄ったが、いつも開いている窓が閉まっている。車はあるがどこかへ出掛けたかと思ったが、ベルが引っ張るので玄関へ廻って呼び鈴を押した。ベルも盛んに鼻を鳴らす。間を置かず、ドアーが開いてサムがその後からお母さんがボンヤリと出て来た。サムのお母さんは、実家へ筍を掘りに行って、ベル、エマ、りょう、ナナと犬仲間4軒分を掘ったら疲れて、帰ってきてサムと一緒に昼寝をしていたと言った。サムも鼾をかいて寝ていたという。でもサムは筍を掘ったわけではないだろうと思ったが、黙っていた。
  帰宅してから、密封容器に炊きたての筍ご飯をたっぷりと詰めて山椒の新芽をのせ、サムちゃん家へ届けた。
2008年4月9日(水)
犬と歩けば・ふたたび 901
4月9日(水) 晴れ

 風速30メートル。昨日、台風のような風雨の中を「お花見ツアー」に出掛けたAさんに話しを聞いた。申し込んだのは44人で、当日のキャンセルは10人。33人でのツアーだったとか。ふんふんそれでと、話しの先を急がせる。道が混んで、津田沼には1時間遅れとなったがその後は順調に進んだの。観光地でもみんな集合時間よりも早く集まるから出発も早くなるし・・・(あの雨風の中じゃ、そうだろうネ)、隅田川の遊覧船にも予定より1時間も早いのに乗れた。ま、乗る人は私たちしかいなかったけどね。船の中で「今日は空いていて、皆さん良かったですね」と言われたって?私は船がひっくり返るんじゃないかと、心配してたけどね。お昼?お昼はバスの中で500円相当の助六弁当。グレードアップしたけど、値段に見合わない内容だった。最終目的地の上野ではお花見組みとアメ横組みに別れて、勿論Aさん達はアメ横組で買いまくったらしい。女性の皆さんはお喋りと買い物、そして美味しい食べ物さえあれば、ちょっとくらいの天変地異ではその行動を止めさせることは出来ない事が証明された様です。それはそれで面白かったわよ〜、絶対に忘れられないしね、とはAさんの感想でした。
 今日の毎日夕刊に「ワシも族予防」という、楽しい一文が載っていた。退職後、目的を失って何をしていいかわからない男性が、「ワシもいく」と妻にべったりくっついて嫌がられるのをどう防ぐかというもの。保健学の石蔵文信先生は「@夫が自立するA妻よりも早く旅立つ。寿命を気にせず好きなものを幾らでも飲み食いすればいい」と仰る。医者に止められているのに、お酒をたらふく飲んでは飲み足りないと騒ぐ人に出会ったばかりだったが、あの酔っぱらいにはそう言う深謀遠慮があったのかと、思い当たった。

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