日記の履歴 11
第 11 集 犬と歩けば・ふたたび 801〜900 2007.12.24〜2008.4.8


2008年4月8日(火)
犬と歩けば・ふたたび 900
4月8日(火) 風雨強し

 場所によっては電車が止まるほどの風雨の中を、Aさんは予定通り「お花見バスツアー」に出掛けて無事に帰った。予定よりも早く済んだという。そうだろうと思う。
こんなお天気ではどこでも空いていたに違いない。
上野の花見A
 Mさんはお昼ご飯の時にビールを飲み始めてからは、ずっと手に缶ビールを持ってのみながら歩いた。お昼が済んでサテと、立ち上がったらボート乗り場があった。遊覧船に乗り損なったので、ここで乗ろうと足こぎボートのスワンに乗った。30分700円で、真ん中にHさんが座って舵を取り、私とMさんが両脇でペダルを漕ぐという寸法。私たちが目を離した隙にMさんは、ボートを手配してくれた高校生ぐらいのお兄ちゃんを口説いていた。(ねえ、アタシ独身なんだけど、アタシと結婚しない?)缶ビールを片手に、ろれつもままならない口で言い寄っている。彼女の孫のようなお兄ちゃんは「エーそうしたいんですけどお・・」とか、やさしく言っていなした。広くない忍ばずの池は、手こぎ、2人のり3人乗りのボートでごった返している。その殆どがペアや家族連れで、おばさん達だけというのはまあ見かけない。Mさんはかけ声をかけるだけでビールを飲んでる。他のボートとぶつかりそうになって必死にハンドルを切るHさん、私はせっせと漕いであっという間に30分が過ぎた。次にMさんは国立博物館で開催中の「薬師寺展」を見たいと言う。そんなに酔っぱらっていたのでは、入口で断られるからダメだと言うと両手を伸ばして直立して見せた。
なんとか展覧会場に潜り込んで、日光月光菩薩と吉祥天像を案内した。酔っぱらっている割りにはフットワーク軽く、見物人の隙間から入って前に出て見てくる。吉祥天像の前から戻ってきた時、Mさんは涙ぐんでいた。驚いてどうしたのかと聞くと、(なんだかわからないけど、ぐっと来た)と言い、外に出て早くビールを飲みたいと急いた。
2008年4月7日(月)
犬と歩けば・ふたたび 899
4月7日(月) 雨
 昨日の上野の花見の続きは後日として、我々の(花より団子記)を。

 仲間の3人で、今年も検見川の麹屋へ味噌を仕込みに出掛けた。Bさんの(麦みそは美味しいわよぉ〜)の一言で、AさんBさんとも今年は麦味噌に決まった。私はいつも通りの米麹味噌とした。てんやわんやの末、なんとか樽に仕込んで一件落着。後は1年かけて熟成を待つ。仕事は昼過ぎに終わって食事となったが、私たちのお目当ての幾つかの店は定休日である。さてどうしたものかと思案しているとBさんが、「吉高の大櫻に行こう」と提案して、それに決まった。3人の頭の中は(大櫻茶屋の筍ご飯と筍汁)でいっぱいになっていたのは、言わずと知れたこと。大櫻に向けて出発したものの心配なのは、(この雨で茶屋が休みだったらどうしよう)であり、開花状況ではない。駐車場へ車を置いて歩く道筋、いつもなら沢山の野菜を売る屋台が出ているが、今日はサッパリ。不安はだんだんとふくらんで大きくなり、Aさんはだれかれ構わず(茶屋は営業しているか)と尋ねている。一方大櫻は、開花前の大きな力を内に込め息をひそめてそこに存在していた。
 さて、茶屋は5月6日まで無休で営業とある。竹の柱で支えられたビニール小屋の中に客はふたりしかいなかった。私たちは筍ご飯、筍と若布の汁、よもぎ餅2ヶ入りお汁粉、味噌おでんを堪能。献立は他に甘酒などもあったが、残念ながらギブアップ。意欲では負けないが、実践は「大食いクイーン」の足下にも及ばなかった。私たちが、小屋の中に入った頃から雨脚は強くなり、夕立のような勢いとなって降りしばらくそこに足止めされることになった。
 「吉高の大櫻」も去年までは、根回りをぐるりと廻って見物することが出来たが、今年から(根の保護のため)禁止となっていた。また、道端に破損して転がっていた幾つかの道祖神が修復されきれいに並べられていた。
86歳と84歳のお年寄りの面倒を見ているBさんはまたお料理が上手で、家族の為に新鮮な野菜を買った。私たちは「そんなに身体に良い物ばかり食べさせるから、長生きしちゃうのよ」・・なんて、言わなかったと思う。
2008年4月6日(日)
犬と歩けば・ふたたび 898
4月6日(日) 晴れ

 昨日、絵のお稽古から帰ると留守電が入っていた。「とうがんさーん、向島のMです。約束は明日だからねぇ。忘れないできてねー」。Mさん達との年1回のお付き合いである。今朝は家を早めに出て、向島のMさん家についたのは9時半。もう1人のHさん共々ウキウキとして、私を待っていてくれた。私たち3人はほぼ同年齢であるが、MさんHさんはそれぞれ(厳しい女の一生)を生き抜いて来ている。去年は3人で上野動物園で花見をしたが、今年は吾妻橋から船に乗って浜離宮の花見をしようと提案した。ふたりともここ向島界隈に30年以上住んでいるのに、Mは遊覧船に乗ったことがあるHは一度も乗ったことがないと言った。桜橋を渡って台東区側沿に花見をしながら松屋に寄ってお弁当を買う。隅田川沿いの花見も以前よりハデになって、屋台の他にステージが立てられ、サンバや阿波踊りの行列に出会った。吾妻橋の船着き場に行くと長蛇の列。予想はしていたが、1時間半待ちだと聞いて直ぐに予定を変更、上野にする。上野公園の桜は大分散って残り2分位だが、予想以上の人出があった。雲ひとつないお天気で喉が渇く。Mはデパートで缶ビールを買ってきた。重いから向こうに着いてからにしたらと言うと、自分で持っていないと落ち着かないと答えた。毎晩250mlを4,5本は飲むという飲兵衛だ。弁天堂の近くに木陰を見つけて、早めのお昼とした。
2008年4月5日(土)
犬と歩けば・ふたたび 897
4月5日(土) 晴れ

 昨日(4月4日)の毎日夕刊、一面に載った青年の写真が目に焼き付いた。彼はナイジェリア国籍、イージス艦「カウペンス」の乗組員で1等水兵オラットゥンボウスン・ウグボクと言い、タクシー運転手強殺容疑者22歳である。若々しい顔にうつろな瞳、広い肩幅にアメリカ軍の水色のシャツを着ている。彼が脱走兵として米軍から追われていたという事を我々が知ったのは事件が起きてからのことある。一時マスコミは、彼をしきりと(ナイジェリア国籍)と言っていて、米軍兵士をなぜその様に呼ぶのかと不信を持った。ラジオの解説で、彼は(米国の永住権)は持っているが(市民権)はないのだと知ったが、米軍兵士であることには代わりない。
  所でナイジェリアを地図で見ると、アフリカ大陸東岸のおでこが引っ込んだ部分にあたる。ナイジェリアの海岸はかつて「奴隷海岸」と呼ばれ、アフリカ大陸からアメリカへ奴隷の積み出しに使われていたところだと解説があった。新聞では彼の家族は米国内にいると伝えている。米国内の若者は、手っ取り早い就職のため、大学入学の学資(入学資格)を稼ぐため或いは市民権を得るために軍隊へ入ると言うから、彼も又そんな理由のひとつで入隊したのかも知れない。それにしてもナイジェリア国籍の彼が、東洋の端の国までやって来てどうして軍隊を脱走しなければならなかったのか、何故殺人を犯さねばならなかったのか。その間にどれ程の事があったのか、わかる術もないが、余程のことがあったのだろうと思うと、殺した彼も勿論殺された方も切ない話しである。
2008年4月3日(木)
犬と歩けば・ふたたび 896
4月3日(木) 晴れ

 今日は定例通院日で、銀座に出た。お絵かき仲間から貰った招待券で、高島屋の 「中山忠彦展」へ寄ってから上野へ廻り「薬師寺展」をじっくりと見た。お目当ては 日光月光菩薩像と吉祥天像。いずれも7,8世紀の制作と言われている。近くで見る 光背を取り去った仏像はとても大きいと言うのが第一印象。バランス良く締まった体 格は美しく見事で、その鋳造技術の高さはいったい誰がどうやって造ったのだろう か。また吉祥天像は、小さなその実物にたどり着くまでに、吉祥天像の部分を拡大コ ピイして詳しい解説を付けた数枚の図を読んで予習するという仕掛けになっていた。 大分色褪せてはいたが、緊張感に惹かれた。どんな人(人達)が、どんなところでど んな道具を使って描いたのだろうか。とにかく千年後に私(私たち)が見て、感心し ている。千年という時間は、人間の歴史、宇宙の時間からみたらあっけないほど短い のかも知れない。
 博物館敷地内の桜も満開で、柳や欅の新緑との彩りがきれいだった。ついでに上野 公園の桜も見て、夕方はベルを連れて公園と花見川沿いの桜を見た。
2008年4月2日(水)
犬と歩けば・ふたたび 895
4月2日(水) 晴れ

 私が属する川柳句会では、先月今月と続いて新入生があった。(新しい人が入って嬉しいね)と言ったら「若い男性でも入ればいいのに」と、春菜はご機嫌斜めだ。確かに新入生は、60歳台のおばさんばかりだ。(若い男なんて面倒。一体若い男って何才位をイメージしているの)と聞いたら「60歳台で元気な男性」だと答えた。
 春菜さんは6ヶ所の句会へ通っている。その中のひとつに、地方都市で歴史の深い句会がある「でもね、みーんな80歳台の人ばかりで、呼名されても耳が遠くて聞こえないのよ。句会が終わってからの飲み会が楽しみで出てくるのよ。」とぼやく。それなら何のために行くのかと、腹の中で思う。「でもね、Aさんはそれは素敵な人よ。ダンスでも何でも出来てスマートでダンディね。」と言いながら、ニヤつく。
「《春菜ちゃん幾つ?》って聞くから63って言ったら、《ああ言い年頃だねえ。人生の一番言い頃だよ。》なーんていうのよ。」「それがね、ここんところ2回続いて休んでいるから、ああとうとう病気にでもなって、きっともうダメなんだなと思うの。だって1回ぐらいなら何か用事でも出来たんだろうと思うけど、2ヶ月続いてではね。えっ、Aさんは86か7位だったと思う」涙をこぼして笑いながら春菜さんの話しを聞いて、まさしく私は今高齢化社会の中で暮らしているのだと思った。
2008年4月1日(火)
犬と歩けば・ふたたび 894
4月1日(火) 晴れ・強風

 夕方のニュースを聞いて笑った。極めて評判の悪い新保険制度の「後期高齢者医療制度」が今日、4月1日から「長寿医療制度」に呼び名が代わったという。今日の川柳句会で、86歳の文七さんが天を取った。題は「夢」。「先がある 後期高齢 夢がない」。(前期高齢、後期高齢と続けば次は末期高齢、その次は・・)と私が云うと、隣の純吾さんがすかさず(死期高齢だ)と続けた。
 夕方の散歩は風が強いので、サムちゃん達と市民の森へ行った。団地から道路を渡って森の入口に入るところで、エマが追いついて来た。少し待つと、エマのお母さんの姿が見えた。それまででれでれ歩いていたエマは、サムとベルが見えたら飛び出したのだと言った。森の中の小径にはどこからか飛んできたのか、桜や辛夷の花びらが落ちていた。犬たちは喜んでやみくもに走って遊ぶ。森を抜け花島観音上の坂にでると、川に沿って菜の花の黄色い帯が伸び、川のこちら側も向こう側も満開の桜が続いていた。「夕暮れや 桜に沈む 人の声」(古川柳)そのものの世界が拡がっていた。ついでにもうひとつ古川柳。「桜を浴びる 馬の横面」
2008年3月31日(月)
犬と歩けば・ふたたび 893
3月31日(月) 雨のち晴れ

 お絵かきのお稽古では、教室の中に自然と自分の場所が決まっている。私は窓側で元学校長Aさんと元航空会社勤務Bさんの間に自分の場所がある。先月末だったか、ふと気が付いて見たら、Bさんがキャンバスの前に座ってパレットと絵筆を持ったまま居眠りをしていた。からかってやろうと思ったが、あんまり気持ちよさそうだったので、そのままにしておいた。 前回Aさんが「お宅の御主人は居眠りなんかしない?」と聞くではないか。(する、する。出掛ける予定がない日は、しょっちゅうよ。
−朝寝して、夜寝るまでも昼寝して、起きている間は居眠りをする−特に冬は、炬燵に寝るのがだぁーいすき。夏は炬燵がなくてもテーブルの下に足を伸ばして寝るけどね。)と答えた。「やっぱりねぇー」とAさんは嬉しそうにして「家でね、寝てばっかりいるっていつも怒られるんだ」とこぼした。Aさんがこの頃あまり大きな絵は描けないと、仰るのもわかる。お絵かきは体力勝負の所があって、私も一度ぐらい100号の絵を描いてみたいと思っていたが、この頃はその意欲も無くなった。体調とか体力とかは個人差があるが、やはり年齢はその一つの証左だと思う。他人がああせい・こうせいと言う筋合いの物ではないと思う。自分の健康は自分で守らねばならない。
仕事では勿論、ボランティア活動でも「強制された自発性」があってはならないと思う。
2008年3月29日(土)
犬と歩けば・ふたたび 892
3月29日(土) 晴れ・この近く桜ほぼ満開

 半年間楽しませてくれた朝ドラ「ちりとてちん」が、今日でお終いとなった。
所で、同じファンの編集長と今月19日に「草若師匠の跡目を継ぐのは誰か」賭をした。その頃ドラマでは、草若師匠の実子小草若は跡継ぎを嫌って行方不明。跡目をどうするかで、残った4人の弟子達がてんやわんやの状態だった。賭をした当日・19日のドラマは行方不明だった小草若がいきなり小浜にやって来たという話の展開があった。編集長は迷うことなく「小草若」を跡継ぎに指名したが、私は(小浜に来た理由はA子との出会いを作り、小草若はA子と結婚して製作所を継ぐるためと読んだ。従って草々が跡継ぎかとかけた。)結果はご存じの通り、実子小草若がめでたく跡目を継いで、私は編集長に(味噌ラーメン)を奢らねばならぬ事になった。
 ご覧になっていた方にはしつこくて申し訳ないが、(小草若が小浜にやって来た仕掛けは)亡き父母との再会、特に父草若との絆を確認し、更にその時(小浜市民会館での草若の口演を録音したテープ)を塗り箸職人のお爺ちゃん(米倉斉年)が繰り返し聞き、B子も聞いたという、回転軸ともいえる大事な場面だったのである。うーん成る程、うまいなあと感心した。美味しいご馳走をいただいた後のような満足感がある、ドラマだった。
2008年3月28日(金)
犬と歩けば・ふたたび 891
3月28日(金) 晴れのち雨

 私が散髪用の椅子に座るのを待って、「ダンスの先生ねえ、今までお兄ちゃんに習っていたんだけど、女の先生に変えようかと思って」と女将が切り出した。こちらは専用の椅子に座らされ、散髪用のスカーフやなんかでぐるぐる巻かれて逃げ出したくても自由がない。捕虜になったも同然で、やむなく話しの続きを聞く。彼女は、今では週3回もダンスのお稽古に通う程熱を入れているとか。たまたまグループレッスンで高子先生に教わったら、指導が具体的で分かりやすいと言う。「この間はルンバをやったんだけどね、女性は自分の左胸を(どう素敵でしょ!)と男性の右胸に向かって見せびらかす様にして、近寄って行くっていうの」と言いながら、カットの手を休めてハサミをもったまま実演してくれた。グループレッスンは1時間1500円で、個人レッスンは30分で3500円だとか。若いお兄ちゃん先生は生徒が少ないから、止めると悪いかなと思うとかなんとか言いながら自分の腹はもう決まっているのだが、それを誰かに言って確認したいだけなのだ。「取りあえず少しグループレッスンでやってみてね。ただやっぱり上手くなるには個人レッスンを受けないとダメなの」と、自分で結論付けた。「とにかく楽しいの。もう少し痩せたいしね」とも言う。楽しいのは誠に結構だが、確かに痩せてスマートになったが顔もしわくちゃになったなあと、つくづく眺めた。
2008年3月27日(木)
犬と歩けば・ふたたび 890
3月27日(木) 晴れ

 昨日図書館へ寄ったら、リクエストの本が2冊届いていた。夕飯が終わってから読み始めて、夜中までかかったが2冊とも一気に読んでしまった。
 何の本かというと、城山三郎「そうか。もう君はいないのか」と、ねじめ正一「荒地の恋」。どちらも大人の「恋」の話しである。城山三郎の方は、亡き妻を恋うる歌とでも言おうか。妖精に一目惚れして添い遂げた話しである。一方「荒地の恋」は、詩人が定年間際になって次々と恋にのめり込んで行く話。主人公の北村太郎も、親友の田村隆一も実名で実在の詩人らしいが、私は全く知らない。本の中に著者のねじめ正一も実名で出てくるが、「力作長編小説」と謳っているから、ノンフクションというわけでもないらしい。
主人公北村は、妻と子ども2人の家庭を持ち、朝日新聞校閲部にずっと勤めている。
若い時から詩人グループ「荒地派」に属して、詩を書いているが作品は少ない。所が家庭も捨て恋にのめり込んで行く頃から、一気に多作となり次々に作品も評価されて受賞するようになる。北村はそういう自分を、キチガイと呼ぶ。
では「キチガイ」にならないと良い作品は生まれないのか。北村がいう「キチガイ」とは非日常を意味するのか、或いは自分を追い込むと言う意味なのかなどと考えた。
いずれにしても心身共にハードな事で、ついに北村は病気になる。ま、そう言うことだろうなと思うだけで、どちらの本もサラサラと読んだ。私も感受性が乾涸らびてきたか。いやもっと重い現実と向き合っているからだと思う。
2008年3月26日(水)
犬と歩けば・ふたたび 889
3月26日(水) 晴れ

 Aさんと事務所で仕事をした。Aさんは「この頃おかしい世の中になったと思わない?」と言う。連日起きた無差別殺人の事を言っているのだ。然も犯人はどちらも(絶望した)若者なのが、私たちの気持ちも暗くする。
 一方、今日の毎日朝刊に「幼児虐待・育児放棄の原因はたったひとつ、資本主義の異常発達である」というフランス文学者鹿島茂氏の一文が載っていた。児童福祉施設に勤務していた友人から、若い夫婦が(幸せになるために必要だと思いこんで?、思わされて?)家電その他を買いまくり、ローン地獄に堕ちて育児放棄をする羽目になったという話しを聞いたのはもう、20年も前のことである。かつて「稼ぐに追いつく貧乏なし」という諺があった。真面目に努力すれば必ず報われますよ・・を信じて、世の中が廻っていた。所がどうだ。働いても働いても若者が、自立できる賃金は払われない。第一仕事もない。正社員となって過労死するか、仕事もなくて或いはフリーターで絶望するか。こういう現実を目の当たりにして、では自分はどうするか。
どうしたらいいか考える。私が手に負える問題でないことは承知している。然し(こういう社会は厭だ)とハッキリ自覚することは出来る。(情けは人の為ならず)、人を信じられる社会で暮らしたいと、はっきり言うことは出来る。「格差をなくしたら世界経済から取り残される」なんて、脅し文句には決して乗せられない。
2008年3月25日(火)
犬と歩けば・ふたたび 888
3月25日(火) 晴れ

 花粉症は、目のかゆみや喉のイガイガ、咳などだけでなく、重くなると頭痛や全身倦怠もある。今日も花粉の飛散は大量と予報が出ているので戸外に出たくはないが、家人が(歩く会)で早朝から出掛けるので、やむなくベルを散歩に連れて行く。6時過ぎの朝日は紅く昇って来たが、ベルを走らせて公園へ着いた頃には霧がかかって白く霞んでいた。犬仲間は誰も居なかったので、公園内を1周して帰る頃にはまた太陽が輝きを取り戻していた。家の中で目薬を差し、鼻へ薬を噴霧し、顔や耳を掻いて、我慢して過ごした。
2008年3月24日(月)
犬と歩けば・ふたたび 887
3月24日(月) 雨

 冷たい雨が降った寒い1日だった。用事が出来て、出掛ける仕度をしていたら電話が鳴った。てきぱき・ハッキリとこちらの名前を言ったのに、向こうは(もしもし)と言っただけで切った。弱々しい声だった。次にケータイが鳴って、小学校時代のAチャンが出た。もう10年以上は会っていない。そう言えば年賀状に「是非会って聞いて貰いたいことがあるから、そちらへ出掛ける」と書いてあった。とんでもない、会えば長々と愚痴を聞かされるだけだから、船橋はいつも通過しているのでそちらでお会いしましょうと返事をしておいた。そのままになっていたから、待ちきれなくなったらしい。病気で3年ばかり入退院を繰り返していたこと、今でもステロイド剤を続けているが運動を兼ねて1時間ぐらいは歩いている事、主人が家事一切をやってくれている・今日も雨の中スーパーの売り出しに行っている事、自分の年金は月額3万一寸でその理由は・・・とまあ、一方的に喋られた。これだけ喋ったらもう話すことはないだろうに、待ってるからねと念を押す。所でAさんは「先日、以前仕事をしていた所でお葬式が出来たので、雑巾を持って掃除をしてきた」なんていう。冗談止めてよ。(リュウマチで入退院を繰り返して、今もステロイド剤を服用している人のやることなの?)と詰問すると、(だってそうしないと病気になっちゃう)だって。
(気持ちがでしょ)と、こちらも強く言うと(そうなの)と嬉しそうに答える。ったく、こういう人を相手にしていられないね。小学校でたった1年か2年同じクラスだったからって、50数年後まで面倒見てられない。小学校の冬、Aチャンのぷっくりとふくらんだ霜焼けなんか、擦ってやるんじゃなかった。
2008年3月23日(日)
犬と歩けば・ふたたび 886
3月23日(日) 晴れ

 夕方ベルが鼻を鳴らすので覗いてみたら、サムちゃんがほうれん草を届けに来てくれた。そのままサムちゃん達と散歩に出掛ける。サムのお母さんが(団地の中を見てみましょう)と言うので、団地内の開花具合を見てまわることにした。中央公園を下に見ながら橋を渡るとき、サムのお母さんは団地商店街を振り返って(ほら、こんなです。6割方シャッターが閉まっているでしょう)と、いまいましそうに言った。
年々団地商店街のさびれようはひどくなる一方である。(米本団地なんかもっとひどいですよ)と言った。若い人はよそで買い物が出来るから良いけど、年寄りはそうはいかないと演説は続き、私はフンフンと相槌を打つか、聞き手になる。
 所で団地が出来て40年。桜並木は、その1本ずつが大人の二抱えもある立派な老木となって、桜色が見えている蕾はカウントダウンを待ちかまえている。並木の端から見ると折り重なった桜の枝は、そのあたりを桜色に染めている。人間は感心して上ばかり見ているが、サムとベルはしたばかり向いてこまめにマーキングして歩いている。団地を抜けて花見川沿いの坂上に出たら、菜の花が黄色の川となって夕暮れの中から浮き上がっていた。遊歩道まで差し出された桜の枝先をみると、3つか4つの蕾がひとかたまりで付いている。(明日は雨だと言うから、その後には一斉に開くでしょう)と、サムちゃんは予想した。
2008年3月22日(土)
犬と歩けば・ふたたび 885
3月22日(土) 晴れ

 昨日は川柳の友達・やほちゃんのお誘いで、蜷川演出「覇王別姫」を見に渋谷まで出た。チケットはお互いに半額で納得した。やほちゃんは蜷川演出というのが見たかったという。私はあの映画がどんな風に舞台に上がったのかが、興味があった。会場に入る前、デパ地下で買ったサンドイッチを、テラスのテーブルと椅子を使わせて貰って食べた。みんな同じようなことを考えていると見えて、紙袋を持った人達が後から後からやって来ては、空いている椅子を探している。「ここ使わせて貰っても良いでしょうか」と声をかけられて、目をあげたら数人の女性達が手に手にカップなんか持って、立っていた。どうぞと言って、テーブルも少し避けた。やほちゃんの隣りに座った年輩の女性が、「孫娘の卒業式に熊本からやって来ました。ついでに東京見物もね。」と話しかけてきた。孫娘と母親と祖母という組み合わせらしい。「まあーお孫さんの大学卒業式に出られるなんて、お幸せですね」とやほちゃんが愛想よく受けた。お婆ちゃんは明日は靖国神社に行くと言った。「私の兄が2人とも、あそこにおります」と、一寸かしこまった。亡くなった人は若いままで、その人を思うときはその止まった時間へと戻る。お婆ちゃんも一瞬にして10代の少女に戻るに違いない。靖国神社においでになるのなら、千鳥ヶ淵に廻ればもう桜が見られるかも知れないわねとやほちゃんが教えた。その次の日は、宝塚を見に行く予定らしい。それに今日は、誰が目的で見に来たかは聞きそびれたが、どうぞごゆっくりと楽しんでいって下さいと言って別れた。
 さて芝居(音楽は宮川彬良)は、東山某は歌も科白もイマイチだったが、舞台は華やかで楽しかった。
2008年3月21日(金)
犬と歩けば・ふたたび 884
3月21日(金) 曇り・強風

 毎年のこととは言え、一昨日あたりからひどく風が吹き荒れている。家に籠もっていても、あちこち痒かったり、喉がイガイガして空咳が出たりと花粉症の症状が出て、うっとおしい。
 所で今日は、編集長が1日入院される日である。入院先の「帝国ホテル仕様のベッド」に、しずしずと休まれる訳である。聞くところに寄ると、「帝国ホテル仕様のベッド」は誠に心地よく、普段の不眠はどこへやらバタンキュウーだったと伺った。
所で編集長の「闘病日記http://www.geocities.jp/akiyama2571/newpage157.html」をご覧の方はご承知の様に、「帝国ホテル仕様のベッド」はあくまでも病院側の配慮というか仕掛けであって、編集長は無呼吸症候群の検査入院であるから、せっかくの「帝国ホテル仕様のWベッド」もお一人でのご使用となる。所で私は診断がついた後の治療について、編集長に尋ねた。「就寝時だけ、人工呼吸器を取り付けるようになると思う」とのお答えで、更にそれはどんな形かと聞いた。私は鼻に管を挿入する形を想像していたが、丁度手のひらで鼻と口を被う形らしい。内側、特に唇に接する部分はどうなっているのかと聞いて、ひとつの提案をした。接触部分は(衛生上)毎日取り替えるに違いない。だとしたらその部分は唇型にして、マリリン・モンローとかペップバーン、ちりとてちんの若狭ちゃんや篤姫と日替わり可能にしてはどうか?柔らかさも選べて、熟睡中に無意識に手で取り払う様な事も有りだろうがその時は(ダメよ〜)と優しく音声が出る。・・
 ったく下らないことを書くなと仰るむきには、何よりも編集長を思っての思案だと弁解させて頂いて、お開きとしますか?
2008年3月20日(木)
犬と歩けば・ふたたび 883
3月20日(木) 雨

 昨夜から引き続き雨。朝食を食べてからまた眠って、電話で起こされた。既に午後1時。川柳のやほちゃんが(どうしたの?具合が悪いの?)寝ぼけ声の私を心配してくれた。
用件はシアターコクーンにかかっている「覇王別姫」のチケットが1枚キャンセルになったが、行かないかというお誘いである。体調を振り返って一寸躊躇したが、直ぐに行きたいと返事をした。それを聞いてやほちゃんもホッとした様子で、あれこれ打合せをした。やほちゃんは、どういう訳か私を気に入ってくれて、何かの時はまず私に声をかけてくれる。私の都合に合わせてくれる、有り難い友達である。それで川柳の宿題の〆切が近いのを思い出して、ノートを引っ張り出してみたがさっぱり気が乗らず、ゴロゴロして過ごした。
2008年3月19日(水)
犬と歩けば・ふたたび 882
3月19日(水) 曇りのち雨

 天気予報通り夕方から雨となった。友達に誘われて、元ザ・ニュースペーパー松元ヒロソロライブで笑った。終わって新大久保の駅に着いたら、神田で人身事故による山手線内外全線運休とかで、あたりは人でごった返していた。友達が「多分飛び込みね」と言った。人の波に混じって大久保駅まで歩き、中央線の各駅に乗った。
 夜は、2月に行われた集会の反省会、兼役員慰労会に参加した。私は役員でもなく大した役割も果たさなかったが、参加依頼があったので率直に開催地についての苦言を呈した。するとAさんが、開催地については前回の終わりに、自分が言及していたと「弁解」した。なに、なに、大会はみんなの協力で成功したと言っているのに、その実Aさんが黒幕でAさんの一存で事が運んでいたというのか?と思ったが、黙っていた。
2008年3月18日(火)
犬と歩けば・ふたたび 881
3月18日(火) お彼岸 晴れ

 ケアハウスの義姉を連れて、お墓参りに行った。墓前で義姉は「どうして死んじゃったのかねえ。死ななくったって良かったのに」「そろそろお迎えに来てくれない?」「(なかなかお迎えがないのは)そっちで良い彼女でも出来たの。」などどひとしきりぶつくさ言った。お昼は回転寿司に寄る。いつもは和食の店に行くのだが、浜育ちの義姉は(コリコリと歯ごたえがするような)お刺身が食べたいのである。しかるにケアハウスでは、絶対に生さかなは食卓に上らない。和食よりもにぎり寿司が良いのだ。結局回転寿司では3人で11皿食べた。私は2皿4個。家人は4皿8個。
食欲がないと言っている義姉は、5皿(大トロ、しまあじ、寒ブリ、焼きあなご、ほたて)10個を食べ、満足したと言った。私が、義姉は食欲がないと言っているので、(ご飯は残して魚だけ食べたら)なんて言ったのは、余計なことだった。食後の義姉を見て、人間食べたいものを食べると元気になるものだと納得する。スーパーへ寄って少し買い物をしてから、満足気の姉を部屋へ届けた。往復のドライブでは、梅の花は盛りを過ぎてこぶしが咲き始めていたし、黄色のミモザが目に飛び込んできた。
2008年3月17日(月)
犬と歩けば・ふたたび 880
3月17日(月) 曇り・晴れ

 一昨日あたりから、会う人ごとに「良いとき行って来たね」と、声をかけられる。
そうチベットの事である。3月10日は、中国解放軍がチベットに侵入して武力鎮圧した日で、その日を(記念した?)僧侶達のデモ行進が今回の騒動の発端であるとニュースで聞いた。 昨年7月に旅行した時、案内人のチベット人ニマさんの言動にも「反中国」が色濃く感じられた。ニマさんをはじめ、バター茶を入れてくれた穏和なお坊さん、街角でゴム飛びをしていた背の高い少女達、どうしているのか。所で記者会見をしたダライ・ラマ14世が、英語で喋っているのを聞いてなんだか驚いた。
 この所一気に暖かくなって、公園の河津桜は満開である。しかし花粉もたっぷりと漂っているらしく、通常の症状の他に頭痛で悩まされている。
2008年3月16日(日)
犬と歩けば・ふたたび 879
3月16(日) 晴れ

 昨夜の飲み会で、懐かしい名前を聞いた。三木 清。遠くかすかな記憶の向こうにある名前だった。私の隣りは元中学校長のAさん、前は建設会社「鹿島」OBのBさんが座った。ひょんな事から、Aさんが兵庫県龍野市の龍野中学卒業と聞いて、Bさんは鹿島守之助もそうだと言った。Aさんは三木清や三木露風もそうだという。三木清の後輩なのお〜凄いと驚くと、Aさんはただ後輩と言うだけだと照れた。私は哲学者三木清の思想のなんたるかなどどいう難しいことは知らない。若いときに「人生論ノート」という単行本を1冊読んだくらいで、その内容も今となってはハッキリと思い出せない。然し戦前、治安維持法の犠牲となって1945年・昭和20年9月(敗戦後)49歳、皮膚病で獄死した事は知っている。保釈中の高倉テルをかくまったと言うのがその逮捕の理由で、刑務所のなかで疥癬患者が使った毛布を支給されたという。
 一方私の高校(旧制中学)の先輩には、あの「悪魔の飽食」・中国で捕虜を丸太と称して人体実験をして殺した「石井四郎」がいる。なんとも心重い事実である。今回、パソコンの「ウイキペディア」を検索して、初めて悪魔の顔を見た。三木清も石井四郎も共に京都帝国大学出身である。苛酷な時代とはいえ、いや苛酷な時代だからこそ人間が悪魔へ変身するのは、華麗だったのだろうか?
2008年3月15日(土)
犬と歩けば・ふたたび 878
3月15(土) 晴れ

 家へ帰る途中で、何度も電信柱にぶつかりそうになった。自覚している以上に酔っているらしい。
今日のお絵かきは、みんなで市展を見ましょうと言う事で、その後駅前の居酒屋で親睦会を持った。私たちの会は、男性は皆大企業のOBだが、女性は私を除いて皆、死別離別で一人暮らしの中高年である。会計担当の私は会長に「女性はせいぜい2千円、3千円を超えない額」と釘を刺しておいた。お開きの時一人2、713円と聞いて、会長に「日本を代表する航空会社にいた人が、13円まで負担させるとは何事か」と詰め寄ったのは覚えている。何故そんなことを言ったかというと、労災を却下されたAさんからメールが入っていたのだ。「最近仕事も含めて毎日の生活が目まぐるしく忙しくて、精神的に楽になりたいひとつでも荷を降ろしたいと弱音を吐いた。
(労災を)諦めたくはないのですが自分でもどうして良いのかわからなくなってしまいました。」を読んで、泣いた。誰かにあたりたくなった。ビールに冷や酒、焼酎を飲んでしたたかに酔った。
 31歳で夫に死別したというBさんが、(一緒に泣いてくれる人がいるなんて、嬉しいわ)と、慰めてくれた。みんなといろんな話しをして、(大丈夫?)と心配されながら無事に帰宅した。
2008年3月14日(金)
犬と歩けば・ふたたび 877
3月14(金) 曇りのち夜激しい雷雨

 目が覚めたらひどい雨降りだった。でも苺狩りには差し支えない−かえって空いているかな−と思って、予定通りの時間に合わせて出発の仕度をしていた。出掛ける直前になってAさんから「財布がない」とせっぱ詰まった声で電話が来て、出発時間は1時間遅れとした。でも財布は直ぐに見つかって、3人で東に向かってドライブ。田舎道の右左に、白や桃色そして鮮やかな緋色の梅の花を見つけて、還元少女達は歓声をあげた。干潟駅を過ぎて、スーパーでトイレタイムを取ったとき、このまま苺狩りをしたらお腹がいっぱいになって、楽しみにしているB食堂で食べられなくなるねと意見が一致、そこからターンしてB食堂へ向かった。途中、干潟駅前では、これも楽しみにしていたS菓子店で苺大福を買う。ここは毎年、秋の新栗を使った蒸し羊羹が絶品である。私は(娘の所にこの苺大福を送れないか)と持ちかけたが、応対に出たお婆ちゃんも娘さんもニコニコしながらノーと言った。B食堂ではそれぞれがお刺身定食と、アジのフライを1皿取って食す。ここのお刺身定食は生きの良い魚介類が(私が数えただけでも13種類)のてんこ盛りで950円。つみれ汁に入っていた、大きめの銀杏切り大根も美味しかった。さて腹ごしらえが終わったら、買い物。道の駅「オライ蓮沼」へ。厳しい目で物色しながら、お目当ての食材をかいこむ。Cさんはお花も買った。そこで坂田城跡梅林というチラシを見つけて、行くことにする。小高くなった丘の上には、成る程梅林はあったが、栽培用梅林だった。最後は苺。Cさんが行きつけの、美味しい選外苺が格安値段で手に入る直売所へ電話をかけて、品物の在庫を確認して注文してくれたので、そこへ寄る。うーん香りも甘味も強くてオイシーイ。約1キロで千円。 試食用苺は3人で全部食べた。千円でイチゴ狩りするよりもずっと良かったねと、見合わす顔と顔。あーあ、良い1日だった。
  家に帰ったら、ドジな春菜からFAXが入っていた。
「おみやげありがとう。すごくうれしくって涙がこぼれたよ。昨日は落ち込んで熱が出ちゃったよ。勉強会頑張って行ったけど冴えないね がっくりきてバイキング食べたら下痢しちゃいました 本当にありがとうね」
2008年3月13日(木)
犬と歩けば・ふたたび 876
3月13(木) 晴れ

 今日は上野に出る用事があったので、少し早めに出て西洋美術館へ廻り「ウルビーノのヴィーナス」を見た。彼女はまるで描かれたばかりのように色鮮やかで、美しかった。
 さて、昨日のバス旅行で私はヨネさんと隣り合って座った。ヨネは彼女の雅号で、母親の名前だと言う。赤いぽっぺでおっとりした気持ちのいい人である。どこへ行くにもご亭主がアッシーとなって、彼女を運んでいる。何一つ不自由のない幸せな人だと見ていたが、座った途端「うちは年金暮らしで大変なのよ」と、可愛い声でしゃべり出すではないか。ま、お喋りの枕詞、ご挨拶代わりかと思って「うちだってそうよ」と答えた。所が、医療費が高い、先年前立腺癌で手術したご亭主の、その後の通院日はひと月にならすと3万は、かかる。自分もコレステロール値が高いので、薬を貰っているので2人合わせると結構な金額になってしまう。車も、保険や車検など維持費が高いからいつまでもてるかって考えている。それなのに引かれる物ばかり多くなって、長生きできないねって話してるのなーんてこぼすではないか。去年酸吸さんが働きかけて、我が川柳会も県下の川柳誌にスペースを貰う代わりに、全員が読者となった。月に500円で1年分6千円の前払いだった。それがこの2月で切れて、更新となった。「アタシにとっては一度に6千円はきついから、半年分の3千円だけ振り込んだ」と言うから、私も全く同じだと言った。「それにね、今度はいる人は一人暮らしだから、アタシのを貸すから取らなくても良いって言った」とこちらの顔を見るので、これ又全くその通りだ答えた。川柳も上手になるには、あちこちの会に顔を出して、腕を磨く必要がある。ヨネさんも2ヶ所、春菜さんなどは6ヶ所も通っていると言うから交通費も含めたら、月に1万円はかかる計算になる。そして腕を上げたら上げたで付き合いもあるから、ますますかかることになる。「ほら、○○先生の5月の大会は、参加費が5千円だって言うけど、どうする?」。年をとるのも大変だね。
2008年3月12日(水)
犬と歩けば・ふたたび 875
3月12(水) 曇り

 美しい富士山を期待して御殿場に行ったのに、チラリともその姿を見ることが出来なかった。川柳仲間のやほちゃんは栄○士である。その同業者団体の、ヤク○ト富士裾野工場見学研修バス旅行に我々川柳仲間3人を潜り込ませてくれた。なんたって、昼食付きで会費は千円ぽっきり。往復海ほたる経由で御殿場では秩父宮記念公園散策つきという。
朝、私たち川柳仲間の集合場所の駅に、春菜が来ない。自宅に電話してもいない。結局彼女は1時間勘違いをしていたのだった。ったく呆ける年でもないのに、去年の春のバス旅行の時も遅れて2度目である。まったく気のいい人だから叱ることも出来ず、気の置けない仲間で遊ぼうと思っていたから、ドジさに余計腹が立つ。
 所で秩父宮別邸は東京ドームの1,5倍の広さとか。広い庭園は起伏を利用してイギリスのカントリーロッジを真似たと言い、杉林をはじめ、苔むしたロックガーデンや花壇ありで、今は2千株のクリスマスローズが花を付けていた。母屋は年代物のかやぶき屋根。その母屋近くには120年という見事なしだれ桜が枝を広げ、桜の向こうに富士山が見えるはずだった。珍しかったのは、イギリスから取り寄せたというシクラメンの原種だという親指ほどの花。臙脂とピンクの2種類がひっそりと咲いていた。
 お昼は近くのホテルでのランチ、生ハムの前菜が美味しかった。出てくるときランチは2千円と書いてあった。結構な1日でした。
2008年3月11日(火)
犬と歩けば・ふたたび 874
3月11(火) 晴れ

 マグノリアさんに誘われて、紀伊國屋サザンシアター・こまつ座公演「人間合格」を見てきた。この前新宿に降りたのは、矢張りマグノリアさんと映画を見に来たときだったが、まあーすっかり様変わりして、外国の街中を歩いているようだった。シアター内を歩いている人のファッションも、私の世界とは全く違う。(あれ?毛糸のパンツ−赤を中心にオレンジ・ピンクと暖色系の毛糸で編んだショートパンツ)にベージュのタイツ、黒のショートブーツの女性がいた。つい、じっと見ると(こういうとき娘が一緒にいると、じろじろ見るもんじゃあないと言って、叱られる。)裾の部分に大きめのビーズが刺繍されているが、その1つ2つは糸が伸びてぶら下がっていた。マグノリアさんは(若い人はいいわね。足に自信があるのよ)と、鷹揚に仰る。
 所でお芝居は、勿論太宰治の「人間失格」をぱくったもの。太宰治の自堕落で退廃的な印象を払拭して、時代に翻弄されたナイーブな一人の青年として取り上げられていた。
前衛党の活動をする友人に「上から下にものを言う。こうあるべきをおしつける」と批判していたところが、私の感想と一致していてニヤリとさせられた。これまでこまつ座は何回か見ているが、すまけいの名前がなくて淋しかった。
2008年3月10日(月)
犬と歩けば・ふたたび 873
3月10日(月) 雨のち晴れ

 今日は義姉に振り回された1日だった。
朝7時過ぎに義姉から電話が架かって、(ベッド番号がわからない)という。聞いているこちらはサッパリ事情がわからず、(9時過ぎたら事務所に聞いて見る)と答えた。事務所に聞いたら、こんな話だった。ホームで仲良くして頂いた方が退所して、その人の使っていたベッドを義姉は貰った積もりだったらしい。然し、移動を事務所で断られると、マットレスだけ自分で自室に運んだらしいという。一方自室には、自分のベッドとマットレスがある。使うのは構わないとしても、マットレスの2段重ねは危ないと事務所の言うのも尤もで、その事を念頭に置いて義姉に話しを聞いた。義姉は、友達はどこか息子家族の近くの良い施設に移ったが、それだけだと言ったのでそのまま事務所に伝えた。昼頃また事務所から電話連絡があって、いま義姉の部屋を見てきたがやはりマットレスが2段重ねになっている。その事を指摘すると、Aさん(貰った相手)何か知らない、ベッドも入ったときからこうなっていると言って譲らないと、困った様子なので、車が戻り次第そちらに伺うと言った。どうしたものかと思案しながら、雨の中2時頃ホームへ駆けつけた。着いたときには、義姉の気が済むまで使わせて貰おうと腹を括っていた。受付では向こうから声をかけた来た。(あれからどこかのスイッチが入って事情がわかったらしく、貰うのは良くないとか言って、あの大きなマットレスをまた、友達の部屋へ戻しに行った。連絡が行き違って申し訳ない)と、謝られた。こちらこそお手数をお掛けしたと詫びて、義姉の部屋に向かった。マットレスの事にはふれず、部屋の掃除と買い物をして、少し話し相手になると、大分落ち着いた。今日は私一人で買い物に出掛けると、義姉は私が帰ってくる道筋をずっと眺めて待っていたと言った。親しい友達がいなくなって、義姉は淋しかったのではないか。
2008年3月9日(日)
犬と歩けば・ふたたび 872
3月9日(日) 晴れ

 今回は落ち込んだ。今風に言えばへこんだというのだろうが、へこんで元に戻らない状態だ。私たちがお手伝いした「過労死」が労働基準監督署より業務外の決定が出た。気持ちを建て直して、不服審査の手続きをしている最中に故人の職場の同僚・上司から関係を絶たれた。遺族(小学生ふたりを抱えた妻)の落胆は、見ていられなかった。落胆はこちらにも移って、今回の事件でのどこがいけなかったかとくよくよ考えた。方針は間違っていなかったが、同僚の証言に頼りすぎた。それにこちらの思いこみも多々あって、施錠場所さえ正確に掴めていなかったのだ。素手の私たちが、職場の業務・環境・人間関係を、それなりに精一杯調べたという自負ある。然し所詮は象の一部をさわっただけだったと、やるせない思いがある。他の人が取り組んでいたら、もっと上手くやれたのではないかと悔やむ。気持ちは、限りなく下方に引きずられていった・・のが、昨日。
気分転換に、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッバイ」を読んで、絵を描いた。
2008年3月7日(金)
犬と歩けば・ふたたび 871
3月7日(金) 晴れ

  昨日東京へ出掛けたせいか、今朝から花粉の症状が一気に噴出。目が痒い、鼻水が垂れるはなんとか対処できるが、全身がぐたっと怠くて持て余した。1月からきっちりと抗ヒスタミン剤を飲んでいて、これだけの症状が出る。薬の量はこれ以上増やせないから、目薬や点鼻薬で対処する。なるべく外出はしたくないが、家人が今日もどこやらへハイキングに出掛けているので、夕方ベルを連れて出た。(仲間のAさんには内緒だが、自転車でベルを走らせる。)公園の梅林は満開、隅に植わっている4,5本の河津桜は8分咲きになっていた。途中でナナちゃんとポンを連れたお母さんに、公園でサム達にあった。サムちゃんは仕事が一段落したので早く上がったが、団地では今足場を組みシートをかけて改修作業の真っ最中。音量を上げてもテレビの音は聞こえないわ振動はすごいわで居たたまれずに、出て来たと言った。日中は暖かだったが夕方になって風がとても冷たく、人出はない。ベルはサムと追いかけっこをして遊んだ。サムが疲れた(?)と言って走るのを止めてもベルは、一人で縦横に駆け回っていた。公園のチャイムが5時を知らせた後直ぐに、ゴロゴロ雷が鳴って西の空が真っ暗になった。音に弱いナナちゃんは家に帰ろうと必死でリードを引っ張る。
私たちも潮時だと言って、公園を引き上げた。
2008年3月6日(木)
犬と歩けば・ふたたび 870
3月6日(木) 晴れ

 今日は月に1度の通院日で、元新聞記者の医師と一寸したお喋りをして薬を貰ってくる。今年の花粉症は始まりが早かったが、この冬は風邪で寝込むこともなかったし、疲れてはいるがまあまあだと、自己申告した。医師は私の持参した血圧測定一覧に目を通し、良い調子だが、風邪の方はもう少し油断は出来ないと言った。そう言えば、今年は去年の冬よりもずっと寒かったが、ケイタイカイロは殆ど使わなかった。
血圧の薬も1日に5rだったのが、今は2,5rになった。理由はわからない。
 終わってから、体調が良かったのでテアトル銀座まで歩いて映画を見た。銀座の表通りも、あっと思う間に様変わりする。いつの間にか、ブランド3社が軒を並べているのを口をあんぐりと開けて眺めていると、何かが私にふれた。と思ったそのとき(あむ・そーりー)と聞こえたので振り返ると、欧米系の白髪の女性が急いで信号を渡っていった。成る程発音が言い訳だなどと詰まらないことを考えた。寄りたいところもあと2つ3つあったが、ひとつだけで我慢した。
2008年3月5日(水)
犬と歩けば・ふたたび 869
3月5日(水) 晴れ

 事務所で労災申請書類を揃えているとき、(お役所で紛失されると困るから、ちゃんと番号を振って、コピイを取って置きましょう)と言ったらAさんが驚いて、(まさかそんなことがあるなんて信じられない)と仰った。でも今回のC型肝炎訴訟やその前の薬害エイズ訴訟の時、お役人がどれだけ(忘れた、紛失した、焼却した)を連発したかを思い出せばわかること。年金問題にしても然り。今朝の新聞が、薬害エイズ事件で元厚生官僚を「官僚の不作為」として有罪になったと報じていた。やるべき仕事をしなかった責任を問われたと言うことだろうか。Aさんにしても夫の労働時間を確定するために、会社に対して「事務所の開閉記録」の提示を求めたところ、「印字が薄くて読めず、かつ復元不可能」という理由?で、拒否された。今の時代、上から下まで不都合なことは隠す、隠すかくす。ほら、イージス艦の漁船撃墜事件もそうだった。
 事務所の帰りにいつものJAショップに立ち寄った。苺売り場に味見用があった。
さすがJA。小さくカットなどしてなくて、大粒のが一粒まんま洗ってパックに入れてある。一粒ずつ食べたら、甘くてとても美味しかった。私たちは店内をぐるりと廻って、お買い得品を物色して買った。店を出るとき相棒のBさんは(あんまり美味しかったので、買いもしないのにもう一粒食べて来ちゃった。)と言って笑った。その晴れやかな笑顔につられて、私も笑った。私もそうしたかった。
2008年3月4日(火)
犬と歩けば・ふたたび 868
3月4日(火) 晴れ

 昨日あたりから花粉にくわえて、中国からの黄砂も混ざって大気中を漂い、地上へと降りかかっているという。その所為か、今日は昼頃から頭痛が始まり、ファミレスの中では煙草の臭いにいつになく敏感になった。私が煙草の煙がと言っても、春菜ちゃんややほちゃんは(そおおー)と余り反応はない。他にも私は目がちかちかする、喉がイガイガそうそう、またお腹までしくしくと痛んだ。
 さて今日は川柳句会。先月インフルエンザで休んだ正さんが早々と着席していた。
お見舞いを言うと、65歳以上の高齢者ではインフルエンザ等肺疾患が死亡原因の一位であると、日本人の死亡原因についての講義が始まった。然し何かと言えば直ぐに学歴を自慢して、みんなに嫌がられているKさんと違って、押しつけがましいとかしつこいと言う感じはない。こんな所に正さんの知性を感じる。しかし白髪は逆立ち、お顔もしばらく床屋へは行った形跡が見られない。お金がないというのでもないらしい。自宅から公民館までタクシーでやってくると言うし、私が一緒に会費を払って来ると申し出たら、財布ごと渡されチラリと覗くと大きいお札が入っていた。
今日の課題「消す」で(日も月も消して耳鳴りなお止まず)が天、(テレビ消し童話の国の戸を叩く)が地、「そろそろ」では、選者の俊さんが私の好きな句ですと前振りがあって(ひとすじの銀の糸引きカタツムリ)が地に抜けた。互選では課題が「愛」(きっちりと計って注ぐ子への愛)(ビデオ屋で欲しい愛だけ借りてくる)は、それぞれ2票づつしか入らなかった。講評の信子先生はビデオやと言うとアダルトビデオと考えるらしく、私は一度もビデオ屋へ行ったことがありませんと言われた。
2008年3月3日(月)
犬と歩けば・ふたたび 867
3月3日(月) 晴れ

 夕方、2階の雨戸を閉めようと戸を開けたら、夕暮れの中に白梅が浮かんでいて、夢を見ているような美しさだった。いつの間にかわが家のたった1本の梅も満開となっていた。
 吉祥寺で一人暮らしをしている友人が、土曜日からお腹が痛いと言っていた。大きな手術の後、たびたび腸閉塞を起こして救急車のお世話になっているから、今回もとても心配だった。メールを入れて置いたら夕方電話が来て、ひとまず納まったと言った。いろいろと聞いてみると、土曜日に囲碁クラブで対戦して、厭な相手に負けた後から腹痛が始まったという。私も腹痛を抱えていたので、なんだアンタもストレスが原因じゃないのとお互いに失笑した。週刊金曜日の先週号に、食べ物の話で(健康の秘訣)が載っていた。面白かったのは、健康に良い友達を選ぶという項目だった。一緒にいて楽しく、元気が貰える人は健康に良い友達で、そう言う人だけ選んで付き合う。更に厭なことはしない。と言う項目では、声を立てて笑ってしまった。だがマテよ。もうこのくらいの我が儘は許される年齢である。よし、今年はこれでいこう。
2008年3月2日(日)
犬と歩けば・ふたたび 866
3月2日(日) 晴れ

 買い物に出て気が付いた。花屋は勿論、スーパーでも桃の花と菜の花のセットが沢山売っている。明日はお雛様なのに、桃の花を買うのを忘れていたのだ。
わが家のお雛様は、三十数年お世話になって、私も飾ったり仕舞ったりするのが億劫になったので、先年勝浦市役所にお嫁入りさせて貰った。ご存じの様に勝浦では集めたお雛様を街中に飾って、この間観光資源とする。然し今年は例のイージス艦が漁船を撃沈させた事件が重なって、例年のような賑わいが伝わって来ない。
 お雛様は遠くに行っても、桃の節句には桃の花ぐらいないと寂しい。桃の花は蕾で買って来ると家で咲かせるのが難しい。蕾のままでぽろぽろ落ちることが多いので、咲いているのを選んで買った。娘達が未だ小さかった頃、お雛様を飾る2月中旬が一番寒くて、仕舞う頃にはほっと暖かくなり身体の緊張も解けたななどと思い出した。
夕飯は鮮やかな緑色の新豆を炊き込んだピースご飯と、ヤリイカを買ってイカ刺しにした。ヤリイカは皮を剥くと、薄くて透き通るよう。口に入れたら少し歯ごたえがあって、春の味がした。蛤は(大きめだが)1個二百円ぐらいのバカ高い値が付いていたので買わなかった。
2008年3月1日(土)
犬と歩けば・ふたたび 865
3月1日(土) 晴れ

 毎月第一土曜日はお絵かきである。最近は、はじめと中間のお茶の時間が長い。多少の甘味とお茶を飲みながらのお喋りは、始まるとなかなか止まらなくなる。元中学校長のAさんもニコニコしながら「フフ、これが楽しいね」なんて煎餅を囓る。今日の話題の中心は矢張り「イージス艦と漁船の衝突事件」。自衛隊側の口裏合わせ工作と責任逃れはとんでもないと、みんなの意見は一致した。沖縄の「少女暴行事件」は、(告訴を取り下げたと言うが、あれでは結局やり得、日本人には金さえ払えば良いって思わせるのではないか)と、Bさんは憤慨した。
 帰りの車の中で「綾小路きみまろ」のCDを聞いて、笑った。これは図書館で借りてきた。でも「綾小路きみまろ」は、本当のこと・事実を言っている(ま、多少の誇張はあるとしても)。きみまろさまは仰る。(彼女の顔を見るだけで胸がときめいたのに、40年後の今では顔を見ると不整脈が起きる)と言って、笑わせる。事実は小説よりも面白いと言うことか。
 夜になると急に冷え込んだ。向かいのお婆ちゃんが(私よりもたった4歳年上)、パジャマの上にチョッキを羽織っただけで、回覧板を持ってきた。風邪引かないでと心配する私に、(ハハ大丈夫)と豪快に笑って帰っていった。
2008年2月29日(金)
犬と歩けば・ふたたび 864
2月29日(金) 晴れ

 例によってラジオを聞いていたら、日本が大きく右へカーブを切るきっかけとなった「2.26事件」が起きた年も、うるうどしだったと教えてくれた。
ベルが甘ったれた声を出すと思ったら、サムちゃん親子がやって来た。今日はお休みだったので、実家近くの「カタクリの里」へセリを見に行ったら、誰かに摘まれた後だったと言った。でもクレソンは無事残っていたので、鎌で刈ってきたといって、バンの後を開けて二つかみほど取り出してくれた。有り難く頂いて、ごま和えにして(春菜)を美味しく食べた。クレソンの生えている田圃の側の小川は、私も知っている。あそこは農薬が流れ込んでいたかしら、なんて食べ終わってから考えた。
 子どもの頃、おねしょの夢を経験している方は多いと思う。眠っているときにトイレに行きたいと思い、あちこちのトイレを探し回るが、どこも先客がいて入れない。
ああ、もうダメだと思って目が覚めるか、ああ、やっと順番が回ってきたとほっとした途端おねしょをしてしまうかのどちらかである。
 編集長が「夢を見た」と、日記にその夢の詳細が書いてあった。
http://www.geocities.jp/akiyama2571/newpage157.html)  内容はかなりユニークだが、上記の(おねしょ夢)の編集長バージョンだと思う。今日は暖かだったが、どうぞ今夜は湯たんぽでも入れて暖かくしてお休み下さい。
2008年2月28日(木)
犬と歩けば・ふたたび 863
2月28日(木) 晴れ

 「イージス艦の漁船衝突事件」。ここへ来て一気に、防衛省関係者の御身大事・保身第一でうろうろおろおろしているのがばれた。ばれているのになお隠そうとしている所がおかしいというか凄い。夕べラジオでこの事を解説していた「軍事評論家」は、自衛隊には階級があるからこういう事が起きるのであって、仕方がない(解決するのは難しい)と言った。つまり、誰もが昇進しようと思う。昇進するには手柄を立てなくてはならないが、戦争がないからそれは出来ない。平時の評価は減点主義だから、ミスをしないようにするしかない。従って事が起こったときにはその事と隠すのが最上の方法であるという。この解説では(国民を守るとか、国民の安全のために)などという言葉は、かけらも聞かれなかった。この「軍事評論家」は、図らずも自衛隊と言うものの本当の姿を教えてくれたね。ひとつの例として、最近起きた「しらね」の火災事故をあげた。調べれば直ぐにわかるのに、修理に300億円も係る事故だったのを、単なるぼやの様に報告した。
 「毒入りギョウザ」事件発生以来、久しぶりにコープへ行った。事件についてはレジの所に小さく書いたものが貼ってあるだけで、待ち時間にそれを読んだらナント、今まで何回か買ったレトルトカレーも回収対象になっていた。ひとつひとつの商品については微量であっても、幾つか重ねて食べた場合の「複合汚染」と言うこともある。
夜のニュースでは、原産地中国が強気の発言をしていると伝えた。「指導部」がないと言うからないという論法。やれやれだ。
2008年2月27日(水)
犬と歩けば・ふたたび 862
2月27日(水)強風 晴れ

 光の春というのか、風は冷たいがハッキリと日脚は延びた。
強風が続くと、ベルの目元にも目やにが付く。拭いてみると涙にホコリがくっついただけだった。今日も本を読んで過ごす。「笑って長生き」(笑いと長寿の健康科学)。著者は医師で日本笑い学会副会長の昇 幹夫氏。要旨は(がんは生活習慣病である)という。人間の身体は約60兆個の細胞で出来ているが、これらの細胞は日々コピイされ60日から120日で入れ替わる。こんなに沢山のコピイをするわけだからミスコピイして出来損ないもある。それががん細胞となるが、上手く出来たもので、ガン細胞を直接やっつけるキラー細胞(NK細胞)が活躍してくれる。所でキラー細胞は寝ている間に活躍するので、睡眠時間が短い人や生活の不規則な人、つまり働き過ぎ過労の人は、マズイ。更に食事や、ストレス・生き甲斐の喪失など心の有り様も大いに関係すると説く。
それまでの生き方を変え「現在を楽しく暮らす」事をモットーに、前向きに考え大いに笑う生活を勧める。と聞くと、がんに限らずなんの病気にでも通用するではないかと、私は思う。
 そうはいっても現在闘病中の方には、おいそれと受け入れられないとは思う。私にしてもお腹が痛むだけで、悲観して何にもやる気が出ない。然し「よくなるよくなる、きっと良くなる、ずんずんよくなる、必ずよくなる」と事ある毎に唱えて、長らえている方も実際においでのようである。
2008年2月26日(火)
犬と歩けば・ふたたび 861
2月26日(火)強風 曇り

 相棒のAさんは「去年もそんな状態がしばらく続いた」と、私のカルテのように言う。爆弾低気圧のせいか体調が戻らない。原因はストレス。楽しいことをイメージしたり旅行にでも出掛けてはと東洋医学の先生は言うが、身体が重くて出掛ける気にもならない。
そこで炬燵に寝ころんで「古川柳」の続きを読む。田辺聖子女史にしてからが、古川柳は難しいという。編まれてから250年の間に、意味が全くわからなくなってしまった言葉があるからだ。例えば「わさびおろしに寒い袖口」。このわさびおろしとは足軽・中間のことであるが、これを明治昭和の時代に本物の「山葵卸し」と解釈した研究家の存在をあげている。某氏の解説「大根おろしだの、わさびおろしだの、いろいろやってみたが、事実“わさびおろし”の時は袖口が不思議に寒い。江戸の人は実に丹念に観察しているのだと感心した」。その後研究が進んだらしく有り難いことに、私の使っている電子辞書にも「わさびおろし」は載っていた。
 所で今朝の某新聞1面に載った、「イージス艦衝突1週間」と言う記事でこんな下りがあった。(・・連日のように、岸壁に集まった住民は、うちわ状の太鼓をたたく儀式でふたりの無事を海に向かって祈りました。・・)。これも辞書(広辞苑)を引けば(団扇太鼓=一枚革を円く張り、柄を付けた太鼓。日蓮宗で用いる。)と出てくる。宗教を認めたくないからこんな書き方になったのか。いやはや私も意地悪ババアになったものだ。
2008年2月25日(月)
犬と歩けば・ふたたび 860
2月25日(月) 晴れ

 炬燵に入って外を見ると、南側の縁側にベルがうつぶせに寝そべっている。然し左側の耳だけはぴったりとガラス戸にくっつけて、こちらの話しを聞いている。試しに名前を呼んでみると、直ぐにこちらを見た。
 電話が鳴ったが、こちらは腹痛を我慢してごろごろしていたから不機嫌な声で出たらAさんだった。数年ぶりである。この年になると、一寸が年単位になる。彼女とは10年前にイタリア旅行のツアーで一緒になった。3年前彼女が夫を亡くした時、お見舞いの手紙を出して以来である。彼女も私に電話しようと思いながら、今日になってしまったと言った。頭も口も回転の良い彼女は、自分で質問をしては自分で答えるから、話し相手はどこでどう口を挟むか気を揉む。丁度、杵で餅をつく場合、つきてのリズムに会わせて、さっと餅の表面をぬらしたりひっくり返したりするあのてこね役の、のりである。彼女は夫の三回忌を済ませたこと、今年またイタリヤへ行くこと、仕事も水泳もぼつぼつ続けていることや娘さんと2人暮らしだから淋しくは無いとか、週一で母親の介護にも通っていると自分の近況を教え、私の事も同じように聞き出した。で、彼女の直接の用件は今週の水・木と一泊旅行でキャンセルが出たが、私に友達の代わりに行かないかというお誘いだった。(でもねえ、急だものね。ないようでも女は用事があるのよね)私が返事をする前に、彼女はこういった。何となく元気がないこちらの様子を察したのだ。全く、手間暇の省ける人である。私は、誘ってくれて有り難うと答えた。
2008年2月24日(日)
犬と歩けば・ふたたび 859
2月24日(日)強風 晴れ

 「犬飼って、桜を愛でて寿司を食う」。NHKは、何年か置きに日本人の嗜好調査というのをやっているのだという。それを昨年も実施して、24年前と比較した結果を本にしたとかで、その紹介をラジオでしていた。昨年の調査の結果、現代日本人の平均像が冒頭に引用した「犬飼って桜を愛でて寿司を食う」なのだという。ふんふん成る程。では私は全く平均的日本人ばーちゃんであることが、証明されたのだ。でも嬉しくない。かといって悲観する程でもないが、まあまあそんなところか。
 今日も一日中強風が吹き荒れて、花粉症持ちは家の中に閉じこもって炬燵でごろごろしていた。田辺聖子の「古川柳の世界」を読む。百年、二百年と時と時代を経ても変わらぬ人間の心根を、楽しませて貰う。こんなのがあった。「暗い心に知恵は貸し損」田辺聖子の解説には(鬱々とした人に知恵をつけてやっても効なし)。現代は言わずと知れた(鬱病)が社会問題化しているが、花のお江戸もその枠がきしみはじめた頃、今で言う鬱の人が結構いたのではなかったか?この句を読んだとき、作者の「また、顔に立て皺寄せたあの人が、同じ事を言いにやってきたナ・・」という、うんざりしたため息も聞こえて、同情を禁じ得なかった。
2008年2月23日(土)
犬と歩けば・ふたたび 858
2月23日(土)春一番 晴れ

 今日は1日中千葉市コミニティセンターの6階にいたが、そこから見た空も茶色にけぶるほどの強風だった。
 公園でベルが、ピーグル犬ワンタを追い回している。ワンタはベルよりも若いが体重は2、3s重い。然し経験の差か、終いにはベルに追い回されてキャンキャン鳴いて逃げ回る。サムは2匹の様子をしばらく観察してから、猛然とベルに突進してべるを追い出す。まるで「弱いものいじめは止めろ」と言わんばかりである。一方、ベルが追っ払われるとワンタはサムの側に駆け寄って、身体をこすりつけたり寝転がってお腹を見せたりして母親のように甘える。他の犬たちの場合もサムは仲裁役をする。
所が、ハナはサムには足や耳、首などやたらに噛みついたり、後から乗ったりとやりたい放題。ベルがそれを見つけるとハナコと一緒にサム攻撃をかける。幾らやられてもサムは反撃しないで、やられるに任せるか逃げの一手で、見ている方は歯がゆい。
かつてサムは、コーギーのケンタと一騎打ちをしたときは、ケンタの片耳と足に怪我を負わせた。ケンタのお爺ちゃんは(犬動詞の喧嘩だから、治療費もなにもいらないと言ったそうだが)その一件以来、ケンタは公園に来なくなった。今でこそ大人しくなったが、サムのお母さんはちょいちょい治療費を払ったり、菓子折を持って謝りに行っていた歴戦の闘士である。それが年老いたとは言え、我が儘いっぱいのハナコにやられているのを見るのは忍びない。ハナコはメスだからサムは遠慮しているのだろうかと、サムのお母さんといつも話しをする。
2008年2月22日(金)
犬と歩けば・ふたたび 857
2月22日(金) 晴れ

 今日も暖かかったので、夕方花見川沿いをベルと散歩した。歩いていると、鴬の良い声が聞こえてきた。ただし「ホー・チチッ」としか鳴けない。未だ2月だもの仕方ないね。 夕べからお腹の具合が悪い。実は昨日、青光りした大きめの寒さばが半身で350円だった。シメサバOKと表示してある。勿論買ってきて塩で締め、生酢に漬けた。ころ合いを見て切ってみると、周りは白く中は未だ赤い。口の中に入れるとはじめに酢と塩で締められた味を感じ、次に真ん中がとろりと甘く口の中に拡がる。
自家製だから保存料などはない。しかし食事をしてから3時間後、お腹が痛み出したのだ。ジンマシンはない。同じものを食べた家人は何ともない。では風邪の症状のひとつかななんて考えていた。所が今朝、電話をかけてきた仲間のAさんに言うと、彼女はきっぱりと「それはサバよ。鯖にあたったのよ。」言うではないか。でも家人も・・と抗弁する私に「体調が悪い人に出るのよ」「それに1年くらい前にも鯖にあたってひどい目に遭っている」とたたみかける。そんなことは、本人の私が忘れていたことだ。今年の冬は風邪をひかないから調子が良いかな?と思っていたが、やっぱり歳で体力が落ちているのかなぁ。
2008年2月21日(木)
犬と歩けば・ふたたび 856
2月21日(木) 晴れ

 海に向かって大勢の人が一心に団扇太鼓を打ち鳴らし、祈る姿にショックを受けた。イージス艦の犠牲になった父子の無事を祈る、地元勝浦の人達である。ドンツクドンツクドンドンツクツクという団扇太鼓の音は、昔は結構あちこちで聞かれた。あの太鼓は確か日蓮宗だったと思う。日蓮は勝浦の近く、小湊の出身である。テレビから聞こえた太鼓のリズムは、身体の中に奥深く眠っていた人間としての深い悲しみ、強い憤りを揺すぶる思いがした。ドンツクドンツクドンドンツクツク・ドンツクドンツクドンドンツクツク・・
 思いがけず時間が出来たので、前から見たかった映画「アメリカンギャングスター」を見に行った。予定時間の5分ぐらい前に入ったのに、観客は私一人だけ。
ま、良いけど広い映画館の中で一人は少し恐いなーと思っていたら、予告編が終わった時高校生のアベックが大きいポップコーンのカップを持って入ってきた。ええっ、今頃は期末試験じゃないのと思ったが、道連れがいた方が良い。彼等のぽりぽりと食べる音が耳障りだったが、次第に画面に吸い込まれてそれも気にならなくなった。音楽も良かったし、マグノリアさんの言うとおり2時間半があっという間に過ぎた。
2008年2月20日(水)
犬と歩けば・ふたたび 855
2月20日(水) 晴れ

 今朝も雨戸を開けたら、向かいの屋根に霜が降りていたが、日中は暖かでサムちゃんも仕事中は上着を脱いだと言った。いつもの公園では河津桜が咲き始めた。公園へ入って行くとナナちゃんのお母さんに(桜が咲いたの知ってるう〜)と声をかけられ、サムちゃん達と、どれどれと見に行った。一日中陽の当たる場所で河津桜の枝先に(言われて見たら)4つ5つ、色の濃い花びらの細いサクラの花が咲いていた。
 お昼から、ケアハウスに義姉を見舞った。毎年この時期は、施設利用費決定のための申告がある。収入は年金証書の写しだけだが、支出は社会保険とか医療費とかがある。義姉の場合収入額は最低ランクだから、控除分の支出はあまり意味がないと去年言われたが、それでも義姉が溜めていた領収書を集計して書き込んだ。用事が済んで買い物に行ってくるというと言うと義姉は、一緒に行くという。ここしばらくは(ま、寒かったせいもあるが)誘ってもちっとも外へ出たがらなかったのだ。それなら行こう行こうと誘って、スーパーへ出かけたのだが、ここで又驚いた。今までスーパーでは(なんにも欲しいものはない)と言うだけで、熱心に商品を見ることはなかった。それがどうだ。(何かこう、美味しいものはないかねえ)とつぶやきながら、熱心に商品を見て歩いた。買った物は(苺・アスパラ・らっきょうの漬け物・粉茶・水・のど飴・鯛焼き・缶ビール2缶・ティッシュ・トイレットペーパー)。パックに入った小さな鯛焼きは冷たい。調理場でチンして貰うのかと聞いたら、ビニール袋を何重にもかけてしばらく湯に浸けておくと答えた。義姉の部屋には簡単な調理台があって、ガス水道が使える。水道は熱湯も出るのでそれを利用するらしい。私はイヤー凄いアイディアだねえと、絶賛した。事務所では相変わらずもの忘れがすすんでいて、お風呂に入った日は大抵(未だお風呂に入っていない)と催促に来ると言われたが、人間忘れるのと工夫するのとは違うらしい。義姉は照れて、食べたいからよと言った。
2008年2月19日(火)
犬と歩けば・ふたたび 854
2月19日(火) 晴れ

 「軍隊はその国の国民を守らない」。東京湾の入口で起こったイージス艦による漁船衝突事件は、そのまっぷたつに千切れた小さな漁船の映像を見たとき、その言葉を思い出した。どこかで読んだ本の一行である事は確か。確か沖縄戦についての本だったと思う。いや中国東北部にいた関東軍についての記述だったかしら。
その前日の「護衛艦しらねの火災の原因は、缶コーヒーを暖める器具の加熱」という新聞報道も、物価高・低賃金にきりきりまいしている庶民の気持ちを十分逆撫でしてくれた。修理に20億〜30億円もかかるという。もちろんこれは税金で賄われる。
防衛省と言うところは、前事務次官のつまみ食いなど目じゃない幾らでもお金が余っているらしい。
 今日はなかま達の食事会があって、2次会はカラオケへ流れた。いやあウイークデイの午後だというのに、カラオケやさんの駐車場はほぼ埋まっている。私たちがついたときも他の車から4,5人の中年女性が降りてきた。そう女性は上手にストレスを発散するのであ〜る。私たちはここに4時間近く居座った訳で、ガナリすぎた私は気分はスッキリしたが、頭ががんがんした。
2008年2月18日(月)
犬と歩けば・ふたたび 853
2月18日(月) 晴れ

 今朝テレビを見ていたら、「○○線人身事故のため△から□間の運転を休止」なんてテロップが出た。未だ8時台である。今日は月曜日でもあるし、自殺ではないことを願った。この頃テレビにこの手のテロップがやたらと出るような気がする。
今日は良く晴れて寒さが厳しかったが、家の梅も2つ3つ咲き出した。ベルも日向で手足を伸ばして昼寝をしている。春は近い。だが私にはこの寒さが身体のあちこちに応えている。だから用心して、家にこもる事にした。郵便を出しに行ったついでに、買い物をしようとスーパーへ寄った。レジに並んで財布を開けたら、あらま千円札が1枚と小銭しか入ってなかった。幾ら何でもこれでは足りない。慌ててレジの人に(郵便局へ行ってお金を下ろしてくるから、品物を預かって下さい)と訳を話した。
前にも同じ事をやったが、その時はコープで、カードが使えたので助かった。どうも緊張感が無くなったようだ。
 店を出たら大きな荷物を両手に提げて歩いているのは、向かいのお婆ちゃんである。声をかけて私の自転車に荷物を積んで、2人でお喋りしながら帰った。彼女はとにかく元気である。そう言うと(そうね、毎日出歩いて1日に1万5千歩から2万歩は歩く)と言った。負けちゃったよ。完全に。
2008年2月17日(日)
犬と歩けば・ふたたび 852
2月17日(日) 晴れ

 1年くらい前から、見え方がぐっと変わった。細かいものを見るときには眼鏡を外す。その度に、外した眼鏡の置き場所は気にしてきた。所が今朝、ツイ夢中になっていて外した眼鏡を踏んでしまった。レンズは大丈夫だが、つるが曲がってしまった。
さてどうしたものか、下手に素人がいじって壊しては元も子もない。面倒だが思い切って買った船橋のデパートまで出かけた。日曜日にしては空いていて、客の一人だと思った中年男性が、軽やかに近寄ってきて声をかけてくれた。グレーがかった紺の細畝コーデュロイのジャケットに黒のパンツ、グレーのベストが覗いている。笑顔も良い。用件を言うと、無料で直してくれた。余計なことも言わない。映画館を出たときのようにすっかりヒロイン気分で、店を出た。さて帰りの電車に乗ったら、一人分が空いていた。腰掛けようと思ったら、1円玉が落ちているのに気が付いて、右隣のおばあさん(私と大差ない)に持ち主かと聞いてみたら違うと言う。左隣のお爺さんは船を漕いでいる。1円玉を手に持って、さてどうしたものかと(拾って嬉しいような、嬉しくないような。交番に届けなくちゃいけないね)と独り言を言ったら、左隣のおばあさんが(1円玉なんて拾わない人もいますよ。デモね、お金はお金。お金は大事ですよ。云々)とお説教をする。(ハイそうですね、では有り難く頂戴します)と答えてポケットの中に1円玉を落とした。
 所で昨日の永六輔の「南大門」は大きな誤解だと、マグノリアさんが教えてくれた。
【マグノリアさんのメール】 
  柳宗悦が強く残すべきと訴えたのは景福宮(キェンポックン)のある光化門(クァンファムン)だよ=日本が朝鮮総統府庁舎を立てるのに邪魔だからって、デモ運動のお陰で移動したんだけどね、その後朝鮮戦争で消失して、ボク大統領の時コンクリートで再建され今元の位置に復元する工事をやってるところ=南大門はむしろ朝鮮総統府がかってに宝物第1号に指定したんだよ(1934年)永さん勘違いしてるよ 今回の件で私も「東」と「南」は有名だけど、「北」と「西」の門てあるのかな?と思って調べたら・・・因みに正式名は儒学の徳目「仁・義・礼・智・信」からとってる。
東大門=興仁之門 
西大門=敦義門(1915年朝鮮総統府により撤去)、現在は地名のみ南大門=崇礼門・・・・南方の火の悪山・冠岳山を封じ込めるための意味の「崇礼」をつけた・・なんか意味深だよね 
北大門=粛靖門(「智」の代わりに「靖」・・老朽化のため近づけなかったが2007年4月より開放されている。最後の「信」はソウルの中心を現して「晋信閣」という鐘で現在は国立中央博物館の庭園に移され保管されてる。
勉強になるな^。。^
2008年2月16日(土)
犬と歩けば・ふたたび 851
2月16日(土) 晴れ

 先日、韓国国宝第一号の南大門が放火によって焼失されたことが大きく報道された。マグノリアさんも(南大門焼けちゃったね)と残念がっていた。ツアーでソウルに行ったときに私もマグノリアさんと一緒に見たはずなのだが、その近くの市場の印象の方が強くてぴんと来なかった。所が今日、またまたラジオワイドを聞いて永六輔に教えて貰った。
彼は(今回の報道の中で、どこでも言わなかったから)と前置きして、実は南大門は前にも壊されかかったことがあったと言った。それは日本が朝鮮を占領したときに、「これからはここは日本なのだから、朝鮮王朝の建物なんかいらない」といって、南大門を壊そうとした。その時真っ先に反対したのが柳宗悦氏(http://www.mingeikan.or.jp/html/yanagi-soetsu.html)で、それに武者小路実篤など当時白樺派と言われた人々も賛同した。それがきっかけになって、現地でも反対運動が起きて壊されずに済んだ経緯があった。柳宗悦氏が存命だったら、今度のことはどんなにか心を痛めたであろうと言った。
  今日はお絵かきの日だったが、たった7人のメンバーのうち2人もお休みで淋しい。先生を入れても6人だ。でもお茶を飲みながら、みんなで「毒入り餃子」なんかの話しをした。(何だって今度のオリンピックでアメリカは、食材から調理人までぜーんぶ連れてくるそうだ)とAさんは言う。お茶の後かたづけになると、元中学校長だったというBさんは気軽に手伝ってくれる。(洗剤は付けなくても良いよね)とか言いながら、手際よく茶碗を洗う。Bさんは76歳とか言っていたなと思い出しながら、感心した。
2008年2月15日(金)
犬と歩けば・ふたたび 850
2月15日(金) 晴れ

 昨日仕事が一段落して、今日はでれでれしようと思っているところに、マグノリアさんから映画の誘いがあった。午後から千葉で「ヒトラーの贋札」を見て、お茶を飲んだ。
マグノリアさんは一人暮らしのお年寄りに給食配達のボランティアをしている。この仕事を通じて(土壇場になると女性は強い)と、確信を持ったという。この仕事を始めた5,6年前当時、かなり弱っていたお婆ちゃんは、いまでもそれなりにしっかりと生きているが、一人暮らしになった男性は、半年も経たないうちに見る影もなくなってしまうと言う。お爺ちゃん家への配達も何件かあったが、今ではたった1軒になってしまったという。(マグノリアさんの担当内で)フーンどうして?と聞いてみたが、どうしてかしらねという。 夜7時を過ぎてNHKの集金がやって来た。そして4月からは経費節減のために、個別集金が無くなるという。では配転先は決まったのか聞いてみると、未だだという。集金以外にも営業の仕事はあるが、なにせ人を大幅に減らすという方針で、自分はまだどうなるかわからないと愚痴るから、思わず頑張って下さいと言ったら頑張りますと力んだ。所でついては口座引き落としの手続きをして欲しいと言う。ん?それって自分の首を締める事になるのでは?口座引き落としは絶対にイヤで、現金払いしかやらないと言う人もいるだろう思うが、その場合はどうなるのか?などと思ったが、取りあえず口座振替契約を取れば彼の特典になるのだろうと、OKした。でももう少し押してみれば良かったかなと少しくやんだ。
2008年2月14日(木)
犬と歩けば・ふたたび 849
2月14日(木) 晴れ

 今朝も冷え込んで、公園からは真っ白に化粧した富士山が思いの外大きく見えた。
公園の入口で、いつも犬たちにチーズをくれる(チーズおばさん)に出会った。おばさんはウオーキングが終わって帰るところだったが、ベルが近寄ると(ああ、残して置いたからあげるよ)と言って、ベビーチーズの大きなかけらをくれたので私がお礼を言った。食べたのはベルだ。次にこれも又帰るところのサムちゃん達に出会ったが、誰も居ないから帰るところだったがと言いながら私たちと一緒に公園へ戻った。
そこでナナちゃん達にあった。ハナコ達もベンもハッピイも来た。小型犬のベン(ベンチに捨てられていたからモモのお父さんがベンと名付けた)はどういう訳か、ベルの後を追いかける。ベルは、はじめは知らんぷりしているがそのうちにうるさがって、追い払う。どうもベンはベルに追いかけられるのが嬉しいのじゃないかと見ていて思う。サムのお母さんが、この間の雪の降った日に市民の森へ遊びに行ったときの写真をくれた。写真に写った自分を見て私は(ああ、母に似ている)と思った。私もそんな歳になったのだと、つくづく思った。
2008年2月13日(水)
犬と歩けば・ふたたび 848
2月13日(水) 晴れ・寒風

 朝から冷たい風が吹き荒れていた。こんなに寒くても、花粉は思いっきり飛び回っているに違いない。何故なら花粉症的頭痛がするし、口の中もざらつくからである。
従って終日家にこもって、ニュースの編集作業に集中した。
 今朝マグノリアさんが、ハナちゃんの予防注射の帰りだと言って寄ってくれた。その時に(昨日の日記に、ベルがまだ散歩に行っていないって言うのがわかったと書いてあったが、本当か?)と聞かれた。私は少し考えてからまあ、少しの誇張はあるけど、頷いた。あの時の事を思い出してみたのだが、ベルの鳴き声や様子つまり、全体の気配でそう感じたのだ。私たち動物は「言葉」以外でも、コミニケーションすることが出来る。まして毎日顔を合わせている相手となら、なおさらの事。昨秋、相棒のAさんの飼い猫が病気になった。家族で、出来うる限りの治療を施したが、それが厭だと言って猫が隠れたのだという。「それがね、私たちからは見えないところに気配を消して隠れていたのよ」とAさんは言った。仲間の猫や可愛がってくれる家族から隠れて、息をひそめ体温を感じさせずびくとも動かないでジッと我慢している猫のEチャンを想像して、不憫に思った。なんだかたったひとつの命を持った同じ生き物として、Eチャンの態度が切なかった。あれ、何を書こうとしているのか忘れてしまった。この頃家人とも「ほら、あすこのあの子がああなったらしい」で会話が通じてしまうのも、ぼけだけではなくて、少しは相手の気配を感じて暮らしているからだろうか?
2008年2月12日(火)
犬と歩けば・ふたたび 847
2月12日(火) 雨

 ダラダラと長く続くものの例えに、牛のよだれや金魚のフンがあげられるが、今日の雨はそれよりもずっと長くしっかりと降り続いた。おまけに雪のなり損ないだから冷たい。相棒のAさんは夫が故郷の新潟に住みたいと言ったときに、重くふさがれるような冬の空を見て賛成できなかったと言うが、私などは今日一日でうんざりした。
パソコンで夏の青空を探して、鬱憤を晴らした。
  所で日曜日の夕方、私が出先から帰るとベルが(散歩が未だなんだよ)と、訴えるではないか。家人はいるらしいがともかく、家に上がらないで自転車を出し、ベルを公園まで走らせた。ベルを遊ばせて帰ると、家人がしょんぼりとしていて(レース中に転んで顎を打った)と言う。成る程顎のあたりにしの字が寝たように傷があった。
口の中は?手足は?と聞いたがそこはたいしたことはないという。(転ぶのに何で先に手が出ないの?)と、つい非難がましく言った。(それが出なかった)と、家人はますますしょげかえった。
私にしても、今までなんの不都合もなくすらすらとやれたことが、ミスをする重荷になる事で自分の変化を知る。困るのは、廻りがその変化を認識しないことである。
ニュース編集中の家人がどたどたと二階から降りてきて、明日は会議と集会があるから云々という。それを聞いて、私たちはもう、一度にひとつのことしか出来ないのよと、偉そうに教えてやった。
2008年2月11日(月)
犬と歩けば・ふたたび 846
2月11日(月) 晴れ

 土曜日曜と筑波山へ出かけた。と言っても今頃ハイキングではない。労災職業病の「学習交流集会」に参加するためである。出かけた日は天気予報が雪で、何年ぶりに味わう寒さだった。集合場所の西船橋に集まったなかま達はみんな、着ぶくれていた。西船から武蔵野線で南流山まで行き、そこから「つくばエクスプレス」に初めて乗った。ホームは(ゆりかもめ)版で、車内は明るい。田園が削られ掘り返されて宅地造成の真っ最中の真ん中を、エクスプレスはためらいもなく東に向かった。南流山から24分、お喋りしている間に終点のつくばに到着した。
 往復バスの中から眺めただけの街であるが、住みたいとは思わなかった。迎えのマイクロバスは、30分ほど走って筑波山神社の大鳥居をくぐって止まった。増築を繰り返したホテルだろうと思う。廊下は曲がりくねって階段は狭く高い。たった一人でここまでやって来たという車いすの青年には、全く気の毒な会場である。然しその事を聞いたとき、私たちは彼の勇気と行動力に感動した。彼が階段が登れないで困っているとき、数人の男性が協力するために走ったが、その中に古希を迎えた飲兵衛のAさんが入っていた。多分Aさんも同じ思いで自分の歳を忘れたのだろうと思う。
 聞いてみなくてはわからない事がある。私たちは女性5人部屋で、お喋りで時を忘れた。Bさんは福島県のご出身である。彼女の出身地では(お正月のお雑煮は)汁なしだと聞いて、私たちは驚いた。お正月は「とうふもち」と言うのを食べるのだそうである。「豆腐餅」とは@豆腐を鍋の中で炒めるAそこに醤油、味醂で味を付けるBそれを焼いた餅に絡めて食べる・・従って汁はない。それを三が日食べると言う。
(それが美味しくってね、お餅が幾つでも入っちゃうのよ)とBさんは仰る。聞いていた一同は、イメージが湧かないが(ふーん)と感心した。でもあの頃は私たちだって、お雑煮、あんこ餅、きなこ餅と5つ6つは普通だったなと思い出していた。
2008年2月7日(木)
犬と歩けば・ふたたび 845
2月7日(木) 晴れ 

 月に1回の病院通いの帰りに、駅前の八百屋に立ち寄った。スーパーでぶりのアラが安かったので大根が欲しかった。ついでになにか安い品があればとの魂胆である。
いつもだが狭い店内は混んでいる。誰かが「ニラはないの?」と聞いた。「ここんとこさ、急に手作りギョウザが流行っちゃって、ニラは高くなって品薄なんだよ」と八百屋のお兄さんが答えた。聞いていた客のみんなが、納得した。
 当たり前だが、「毒入りは食べない」のは当然なこと。この所女が集まれば、話題は「毒入りギョウザ」のことと、「生協」の事だ。お絵かき仲間Aさんのご出身は神戸。生協は品物によってはスーパー・一般商店よりも割高だが、安心安全料だと思って買っていたのに、裏切られたと憤慨している。生協とは20年以上の付き合いという川柳仲間のBちゃんは、商品のクレーム対応は以前に比べてずっと悪くなった。今では普通の会社の方が丁寧・良心的だとご自分の経験を言った。結論は、生協離れが急速に進むだろうで一致する。「生協は、生協ブランドに寄り掛かりすぎていたんじゃないの」と纏めてくれたのは、マグノリアさんだった。どうなる生協、どうする生協。
2008年2月6日(水)
犬と歩けば・ふたたび 844
2月6日(水) 雨ときどき雪 

 昨日は第1火曜日で、川柳句会があった。春菜ちゃんは私の顔を見ると直ぐに「今日、正さんはお休み」と言った。何でも、ひどい風邪をひいてこれから医者に行くからお休みすると、電話をかけてきたとか。宿題も預かったという。「ね、ねこれ良いでしょう」と春菜さんが見せてくれた正さんの句は“淋しさは遠く聞こえる救急車”。いつだか「私は家の中でもひとりぼっちです。食事は自分で作って食べます。」と言っていた正さんを思い出して、胸が痛くなった。あの時私たちは(あら、アタシ達がいるじゃないの)なんて言ったのだ。
 春菜さんがベージュ色の素敵なコートを着て来た。よく似合うと言うと、(ホント?)と嬉しそうにニヤリとした。(夫の上着を買いにデパートへ行ったら、とっても素敵なのが千円で売っていたの。それを買って、良かったぁーと出てくる途中でこのコートが目についてね、気に入ったの。1万円だったけれどいいやと思って買ったらね、何となく夫に悪い気がしたから、さっきの千円の上着を、スミマセンって返して5千円のを買ったの)でその5千円の上着は素敵な品だったのかと聞いたら、(とにかく5千円だからいいの)とか。ま、その気持ちわからないでもないけど。
 私の句 題 風「風つかみヒマラヤも越す鶴がいる」「もがりぶえすらすら嘘を言う私」
2008年2月5日(火)
犬と歩けば・ふたたび 843
2月5日(火) 晴れ 

 今朝ベルの散歩に出かけたとき、慎重に雪かきの済んだ部分を選んで歩いたが、スニーカーの底は道路表面に張り付くような感覚がした。凍結しているらしい。団地の所で偶然サムちゃん達と出会って、連れだって公園へ向かった。ようやく明るく輝く朝日が昇ってきた。小川から川霧が立ち上っている。池の周りをグルリと廻っていつもの芝生広場に着いた頃には、辺り一面に靄がかかって視界がどんどん悪くなっていた。昇ったばかりの太陽も白くボンヤリと霞んでいる。私たちは7時半で公園を引き上げたので、霧が晴れるのにどの位時間がかかったのかわからないが、ごく身近で自然の変化を見ることが出来た。 
「英語より労働法を」という小さなコラムが昨日(1/4)の毎日朝刊に載った。『「使える英語を身につけるには、早いほどいい」というので、間もなく小学校から英語教育が始まる。それももっともだが、最近若者の労働環境に付いて驚く様な話しばかり聞く。仕事の内容は1日中ビラ配りなのに、給与から「教育費」が天引きされている。3時間の労働に対して1時間分しか払われていないのに、こんなものかなと思っていた女性とか、とにかく違法行為に気づかず、雇用者側の言いなりになっている。
将来「使える英語」が必要になる子どもよりも、「使える労働法」が必要になる子どもが圧倒的に多いはずだ。・・』
更に問題なのは、若い人でなくても何となく「自己責任」という言葉に惑わされて、政府の無策を棚に上げ、《仕事で病気になっても、亡くなってもそれは本人の責任だ》と思いこんでいる人が、結構いることではないだろうか?
2008年2月4日(月)
犬と歩けば・ふたたび 842
2月4日(月)立春 晴れ 

(ベルが餌を食べないから、犬小屋の中に置いた。)と、家人が云った。よそのベルならともかく、家のベルに食欲がないなんてと半信半疑でベルの小屋を覗いた。成る程食器が中に置いてあり、中味もそっくり残っていて、ベルが物言いたげに小屋から出て来た。どうしたのと、カリカリを手に乗せて差し出したがチラッと見ただけ。頭や身体を撫でてやると、私の手に載った分だけ食べた。
 昨日公園で珍しくナナちゃんが私の所に寄ってきたので、(カリカリでいい?)と聞きながら手に乗せてナナちゃんの鼻先へ出した。ナナちゃんもその気になって、一歩前に踏み出した途端、どこからか風のように飛んできたベルが、口を出して横取りしてしまった。まあいつものことだが、それがベルの実態である。
 そうなるとベルの食欲不振はやはり、家人の云うとおり、時折屋根から落ちてくる雪の塊が原因で、ヤツは恐いのだ。誰にだって恐いもののひとつやふたつはあるさ。
マア仕方がないと、食器に残ったカリカリは全部いちいち手に乗せて食べさせた。ベルはその度に(すまないと言うように)潤んだ目でこちらを見上げた。
2008年2月3日(日)
犬と歩けば・ふたたび 841
2月3日(日)節分 雪 

 雪の天気予報が何度かはずれて、今日は未明から本格的な雪になった。(雪になったら困るのよね。ほら家の前は坂になっているから、雪かきしなくちゃならないんだけれど、ご近所はみんな高齢化しちゃって誰も出てこないの)と、言っていたのはエマのお母さんだった。でも久しぶりの本格的な雪で、楽しまない手はない。サムちゃん達を誘って市民の森へ出かけた。5,6p道路に積もった雪は、水っぽいぐじゅぐじゅした雪で、ご近所の人達は家の廻りの雪かきに精を出している。Aさんは、サムちゃんお下がりのレインコートを着込んだベルに、(うれしい?)と聞いた。無愛想なベルは、振り返ったが返事もしないで通り過ぎた。やむなく私が代わりに返事をした。
 雪の積もった森に入るのは初めてで、雪の上に大きな犬の足跡が付いていた。サムのも結構大きい。ベルはサムの半分以下、可愛い足跡が付く。人間は滑らないように笹の上を登って行くと、先に飛んでいった犬たちが柴犬の側にいるではないか。サムもベルも柴犬とは直ぐに喧嘩する。私たちは驚いて呼び戻そうとすると、なんだか様子が違う。サムのお母さんが先に気が付いて(アンだ)と、呼んだ。そう、ベルが6ヶ月で公園デビューした頃の犬仲間で、その後お父さんが病院を出たり入ったりにするようになって、仲間からは抜けていた。然し犬たちは覚えていて、アンもリードを外して貰うと3匹で雪の上を走り回った。アンのお母さんと、まあお久しぶりでと旧交を温める。アンと別れて、先へ進むとまた向こうからやってくる人が見えた。いつもは滅多に会わないのに、雪の今日は良く出会う。年配の二人連れで、犬なしだった。(風流だね)サムちゃんが感想を言う。雪の森を駆け回っている内に、ベルのレインコートの右前足が引きずるようになった。走りにくそうなのでレインコートを脱がせると、たちまち枯れた杉葉をお尻に付けた。雪の重みで折れたのか、大きな枝が行く手を塞いでいる。小鳥たちも遊んでいて、ベルに追いかけられた。森を抜けていつもの公園へ行くと、ナナちゃんやワンタがいてひと遊びする。さすがに今日はウオーキングの人達もいない。ナナちゃんのお父さんは、(寒いから焼酎を3杯ひっかけてきたんですがね)なんて言ってご機嫌。遊び疲れたベルは熱いのか、雪の上に腹這って休んでいる。5時のチャイムを聞いてからみんなと引き上げた。雪の中2時間の散歩だった。
2008年2月2日(土)
犬と歩けば・ふたたび 840
2月2日(土) 晴れ

 千葉市展が近い。私たちの油絵サークルは、昨年から千葉市展を(勝手に)グループ展とさせて貰っている。一人あたり5千円の出展料はかかるが、一切の手間が省けるから結果として安い。それにサークルの生徒全員が合格すると先生のお墨付きもある。会期は3月8日から3週間だが、油絵の搬入は2月9日だけ。私はその日都合が悪いので、ナントしても今日のお稽古で完成させて仲間のAさんに搬入を頼みたかった。所が、描けば描くほど筆は予期しない方向へ進んでいってしまい収拾がつかなくなった。
 描いたのは、サムちゃんに貰ったケイトウの花。次にその花を見上げるおんどりを描いた。背景はたった1本だけ持っているシャガールも使ったという絵の具の青色を使った。これでOKと思ったら先生が、正面を向いているニワトリがもう1羽欲しいとアドバイスして下さったので、めんどりを描いた。これがどうしてもうまくいかない。仲間は目がつり上がっているだの、ニワトリの目じゃないとか勝手なことを言う。それでもなんとか恰好を付けたら又先生が、めんどりの足下が宙に浮いている様でおかしいと、仰る。仕方がないのでひよこを描いてめんどりの足下を隠した。そこまで描き進めたら、出来上がっていたはずのケイトウの花が貧弱に見える。エイッとばかりに花に色を重ねていったら、丸く盛り上がっていた花がぺったんこになってしまった。えいっままよと、紅く描いていた花の付け根を緑色にした。そこまで描いて今日、先生は平らになってしまったケイトウの花は、それでもいいと仰ってくれた。
が、然し、ハデハデなケイトウと背景が悪くはないが馴染まないと、腕を組んで考え込まれた。私も何となく落ち着かなかったので、背景のあいたところにニワトリの足と尻尾を影のように描き入れたら、やっと先生のOKが出た。めでたくAさんに搬入をお願いすることが出来てホッとしていると、元中学校長だったBさんが、どうしてこんな風に考えられるの?と聞くではないか。それでわかったのだが、私はゼーンゼン考えていなかったのだ。
2008年2月1日(金)
犬と歩けば・ふたたび 839
2月1日(金) 晴れ

 夕方の散歩のついでに、動物病院へ寄ってベルの予防注射をして貰った。年に1回の9種混合と言うヤツで、9,450円。4月には登録料がかかり狂犬病予防注射もある。5月からは毎月フィラリヤの予防、7月からは虫さされ予防も加わる。これだけでざっと年間3万円かかる。受付のお姉さんは「ベルちゃんはホントに病気しませんねぇ」などと言ってくれるが、怪我や病気をすれば3万円に上乗せされることになる。昨秋、以前からある背中の脂肪の塊が大きくなったような気がすると言ったら、医師は注射器の様な物でベルの脂肪を一寸取って顕微鏡に乗せた。その拡大画像を診察室のディスプレイに映して見せて、脂肪の古くなった物だと言った。見せられてもこちらにはわからないけれど「ああ、そうですか」と言った。会計の時にその検査料1,500円もしっかりと入っていた。ベルに洋服代はかからないが、学費は少しかけた。ベルが5ヶ月のころ、犬仲間4,5頭と一緒に公園で訓練士に付いたことがある。犬と飼い主のペアーで、1回3千円だった。全部で何回コースだったか忘れたが、ベルは3回受けて落ちこぼれた。あの頃は未だサムちゃんと知り合いではなかったが、サムちゃんも個人授業を受けたと云っていた。所でこの季節は動物病院もヒマらしく、「2,3月限定健康診断 」というはがきが来た。公園であったサムのお母さんは、仕事が一段落したらサムの健康診断に行かなくちゃと言うから、そこまでしなくてもと口を挟んだ。飼い主の方は健康診断をやったという話は聞いたことがない。(いや、血液検査もやってくれますから、フィラリヤの時改めて検査をしなくても済みます。)と言う。ま、(サムいのち)とご自分で仰るのだから、そうですかと引き下がった。
2008年1月31日(木)
犬と歩けば・ふたたび 838
1月31日(木) 晴れ

 この数日、どうも体調が良くない。花粉が本格的に飛び始めたせいか、或いは風邪の前症状か。家人は6回目の新年会だと言って出かけた。ひとりで炬燵にとっぷりと入って、本を読んだ。田辺聖子著「川柳でんでん太鼓」。古い本である。「小説現代」に連載されたのが本になって、出版されたのが1985年。全20句を取り上げ、それにまつわる話しや句がおせいさんの切り口で調理され味付けされて、読者を離さない。昨日今日と2日で読んだ。意外だったのは、その20句の内に2句も鶴彬が取り上げられていたことである。鶴彬はその代表作「手と足をもいだ丸太にしてかえし」で、プロレタリア作家と呼ばれる。小林多喜二が築地署で殺されたのは昭和8年で、この句が発表されたのは2.26事件が起きた昭和12年。特高が幅を利かせ、ファッシズム嵐が吹き荒れるまっただ中での、まさに命がけ行為だったことがわかる。また危険を冒して、鶴彬の作品を堂々と句誌「川柳人」に載せ続けたのは、井上信子という女流川柳作家だったというのに驚いた。特高に引っ張られたとき彼女は68歳で、高齢を理由に帰されたが、なんと度胸の良い女性ではないかと、我がおせいさんは絶賛している。同性の先輩として、なんだか私も胸を張りたくなる。おせいさんは鶴彬が29歳で獄死したとき、小林多喜二のように取りすがって泣いてくれた母はいただろうかと、心を痛める。更に彼の命をかけた業績は殆ど無視されている(平野謙・昭和文学史などでも鶴彬のツも載っていない)と、憤慨している。そんなおせいさんを見て、しなやかでたおやか、自由むげだと思っていた田辺聖子のイメージが、深まる思いがした。
2008年1月30日(水)
犬と歩けば・ふたたび 837
1月30日(水) 晴れ

 夕方のラジオで、食中毒のニュースを聞いて驚いた。昨日、スーパーの売り出しで半額だった冷凍ギョウザを買ったばかりだった。コープではないが慌てて買ったギョウザの詳細を見ると、販売会社は記入してあるが生産場所はなかった。お客様相談室に電話したが、繋がらない。それにしてもコープ製品がこれほど中国産があるとは知らなかった。更に昨年28日にも中毒事故が出ていたのに、コープは公表しなかった。そこは私も会員のコープである。コープに行くのは、安心安全な食品が欲しいからなのにねえ。
2008年1月28日(月)
犬と歩けば・ふたたび 836
1月28日(月) 晴れ

 しばらくぶりにAさんと事務所へ出た。編集長も立ち寄ったので、お昼は3人でマーブルに行く。マーブルで思いもかけず鵜の目さんにお目にかかれた。編集長個人のブログでは鵜の目さんのもリンクしてあり、お二人は旧知の間柄。鵜の目さんが少し肥ったように見えたのは、薬の副作用か。私は先日の土曜日、成田へ行く途中で、甚兵衛渡し跡の見事な松の大木に抱きついて「気」を沢山貰ってあったので、鵜の目さんにもお裾分けした。
 事務所の帰りにいつものJAショップに立ち寄ったら、なんとふきのとうが並んでいた。驚く私に、そうなの今日初めて入ったのと、顔見知りのおばさんがニコニコしながら言った。パックに大小11個入って180円。生産・出荷者はふじこさんと明記してある。仲間のAさんは、ふじこさんが出荷した漬け物だと安心して買う。美味しくて安い。私は迷わずに今年初めてのふきのとうを買った。(初物を食べると75日長生きする)は、母の口癖だった。Aさんは漬け物の他にお米30sを8300円で買って、無人精米所で精米した。Aさんは安い、安いと言って喜んだが5s単位でしか買わない私にはぴんと来ない。でこれを書きながら計算してみたら、5sで1,400円だ。成る程これは文句なく安い。
 買ってきたふきのとうは、夕飯に天ぷらで塩をふって食べた。家人は(ん、にがい)と叫んだ。暖冬とはいえ、寒のうちに採れたふきのとうである。私の口の中でも、しっかりと春と自己主張をした。
2008年1月27日(日)
犬と歩けば・ふたたび 835
1月27日(日) 晴れ

 大相撲の千秋楽、白鵬と朝青龍の対決にテレビに釘付けになった。土俵の上で朝青龍が裏返しになった事はあったのだろうか?22歳白鵬の若さと力が輝いた勝負だった。これで今までの朝青龍を中心とする相撲の流れが変わったと感じた人は、少なくないと思う。
 夕方ベルが甘ったれた声を出していると思ったら、サムちゃん達がやって来た。海に引っ張られて右肩を骨折した海のお母さんが退院したからと、お返しを届けてくれたのだ。来月1日から仕事に復帰するとも伝えてくれた。電話で海のお母さんにお礼を言うと、他は何ともないから出て来たと、お元気そうに言う。然しあとしばらくは右手が使えないのでは、毎日の暮らしも不自由だろうなと考えていると(ベルちゃんも自転車は危ないからね)と、言われてしまった。
  今日は電話の多い日で、もう2,3年音信がなかった人からもかかってきた。(一番美しい時期のクロアチアへ行かないか)という誘いだ。この人達はずっと前から2年置きにイタリア各地とヨーロッパを廻っている。値段はと聞いて、即座に断った。
電話をかける相手を間違っているよ。65万円も出して、未だ地雷も埋まっている所へなんぞ行かない。やっぱり少し残念そうな気配も混ぜて(みんなで、もう最後だから少し高くても行こうと言っているの)と受話器から聞こえてきた。体力と金力のある方はどうぞ、どうぞ。
2008年1月26日(土)
犬と歩けば・ふたたび 834
1月26日(土) 晴れ・寒風

 今日は仲間と夕飯を済ませてきたのだが、帰宅してからカリントウを半袋食べてしまった。胃のあたりにストレスが溜まって、お腹が空いているわけではないのに、つい手が出てしまい気が付くと半分空になっていた。
じつはお昼前、暮れに過労死が不支給になったAさんと今後の打ち合わせを行った。
不服審査請求用紙の書き方やこれからやらねばならない事などを話し合ったあと、突然Aさんは呻いた。お腹から絞り出すように(この2年間、毎日毎日仏壇に手を合わせてお願いしますと欠かさずお祈りしてきました。私の出来ることは全てやりました。でも結果はダメでした。もうこの世の中には神様も仏様もいるとは思えません。)と、呻いた。私たちは(3人で相手をしていたのだが)Aさんにかけるひとつの言葉さえ思い浮かばすに、俯いてジッとしていた。多分40sにみたない細い身体のAさんが、これから小学生の2人の子どもを育てていかなければならないことを思うと、私たちも辛い。私たちも精一杯の援助をしたが、結果は出なかった。
「相談会」に遅れてやって来たBさんは、出がけにアルツハイマーの叔母さんがウンチまみれになって、そのお世話や部屋の掃除、ご自分の始末などで大変だったと言った。前からいろいろと話しを聞いていたが、実母と叔母さん2人を看護している彼女の苦労が思われ(大変ねえ)と同じ科白しか言えない自分が、薄っぺらく思える。
 日中の日射しは昨日よりもあったが、風は相変わらず冷たい1日だった。
2008年1月25日(金)
犬と歩けば・ふたたび 833
1月25日(金) 晴れ・寒風

 今朝は8時過ぎだった。今度は20代の男性で、やはり書留を届けに来てくれた。
大変ですねと声をかけ、この間は7時半に来たわよというと、早くからスミマセンと謝った。いやね、構わないけれど配達してくれる人が大変だと思ってねと付け足して、勤務時間は何時からと聞いた。7時からで書留だけ届けるという。で、終わりは一応3時45分ですが・・と言って少し間をおいてから、残業がありますからその時間にはと言って語尾を濁した。民営化になってからいろいろと・・とも言った。
 最近、沢木耕太郎の「無名」と言う本を読んだ。実父を書いた物だが、未だ羽振りの良かった時代の実父が通った、銀座裏の飲み屋のエピソードがある。そこの常連の中には、文学好きの築地署の警察官もいて、どうもそこの魅力的な女将と訳ありらしい。ある時、その警察官が青い顔をして飛び込んでくると酒をあおり「大変だ、大変なことをしてしまった、小林多喜二を殺してしまった。」とうわずった声で言ったという。その人は直接虐殺に関わったわけではないだろうが云々・・という記述である。実は去年7月、私はチベット旅行を前にして、かかりつけの医師から(高山病予防薬)を処方して貰い、それを置いてある薬局を教えて貰って聖路加病院方面に歩いていった。高速道路に架かった橋を渡ったところに「築地署」があった。これが多喜二の殺された警察署かと、深い思いで見た事を思い出していた。
2008年1月24日(木)
犬と歩けば・ふたたび 832
1月24日(木) 晴れ・強風

 川柳仲間のやほちゃんが、(ふぐ鍋をするから来ない?)と誘ってくれた。勿論参加。春菜やたみ子さんも来て、6人で食事。11時から3時まで、顎がくたびれるほど喋って笑った。鍋を食べ雑炊も食べたあと、持ち寄った最中やくず餅・ケーキまで食べた。私は苺を持参した。話しの主なテーマは(川柳会の今後の運営)と言えば聞こえが良いが、酸吸さん亡き後、酸吸さんの遺言を実行しようとする会長と主導権を取ろうとするAさんとの対立。Aさんに付いてあわよくば会長職に納まりたいCの暗躍と、なかなか面白い人間模様がある。今までムベさんや春菜さんはAさん側だったが、あることを契機にしてAさんを見放したのだと言った。私たちに取って川柳は遊び。批評ばかりして誉めることを知らないAさんでは、生徒はいなくなってしまうのは確実であると、みんなで確認した。 所で私は春菜さんの左隣に座ったのだが、彼女の左の鼻の穴から鼻毛が大きく伸びて出ているのに気が付いた。ついでに口の周りのむだ毛も濃く伸びている。私と春菜の間柄だから、教えてあげようかと思って、タイミングを探ったが、ノリノリで喋っている彼女に言うチャンスはなかった。
 所で私は思わぬお年玉を頂いた。ロシア民族楽器のバラライカである。以前やほちゃん家へ遊びに来たロシア人(夫の仕事上の知人らしい)が、バラライカをおいていった。捨ててしまおうと思うのだが、いればあげるという。バラライカで直ぐに思い出すのは映画「ドクトルジパゴ」。印象的な映画音楽と共に、話しの舞台回しの小道具として活躍したバラライカ。でも手に取ってみるのは初めてだった。弦は2本ずつ3組み合計6本で、共鳴板は三角形、胴はマンドリンのようにふくれている。
ちょっとさわってみただけでも良い音が出た。これで1曲でも演奏できたら、どんなにか嬉しいだろうか。
2008年1月23日(水)
犬と歩けば・ふたたび 831
1月23日(水) 雨

 寒い1日だった。東京では雪が降ったらしいが、このあたりでは終日雨だった。
夕方、2階の雨戸を閉めるときに梅の蕾が大分ふくらんでいるのに気が付いた。

所で明治生まれの私の母は、弁護士の事を(三百代言)と言っていた。何があったか聞くチャンスは逃したが、(ウソ八百だから八百代言)とは余程腹に据えかねる経験をしたらしい。
 所が時代は変わって今、過労死遺族のAさんが会社との交渉を依頼している弁護士のBさんは、一言で言うと「誠実の人」である。AさんはB弁護士が(キチンとこちらの目を見てお話下さる)と第一印象を語った。依頼人の話しをよく聞いて、心情まで理解する。約束はきっちり守る。常に連絡が取れる。作成文書の中味をオープンにして、加筆訂正を嫌がらない。はったりはきかせない。もう弁護士にしておくのは勿体ないようなお人であるが、Bさんは新聞記者を長く経験された人であることを思うと、頷ける。
Bさんのような弁護士がこれからも増えたら、被災者は本当に助かる。その時やっと(三百代言)なんて蔑称は消えると思う。ええっ、もうとっくに消えてたって・・
2008年1月22日(火)
犬と歩けば・ふたたび 830
1月22日(火) 曇り

 今朝呼び鈴がなって玄関に出て、それが書留の配達だったとわかったときに思わず振り返って置き時計を覗いた。7時半だった。こんなに早く届ける方の労苦が思われた。ご苦労様と言って受け取ったのは現金書留だが、差出人は思い当たる節がない。
会計を担当している会の関係かな?などとあれこれ考えていると、(川柳のAさんじゃないか)と家人は云う。成る程いつもは雅号で呼び合っているので、つい本名は忘れていた。Aさんは酸吸さんのあとに、講師として私たちの会にやってくる様になった。句歴は勿論、年齢も先輩である。丁寧で優しいので、一気に女性陣の人気者となった。
開封してみると、一字一字かっちりとした楷書で(・・ご手配戴きまして誠に心より御礼申し上げます。・・)と書かれた礼状と、現金が入っていた。
 事の次第はこんな事だった。今月初め、Aさんと数人の川柳仲間でお喋りをしたときにAさんは(田辺聖子の古川柳おちぼひろいが欲しくてずっと探しているが、出版社に聞いてもそんな古い本はもうありませんって断られた。)と言った。図書館にはあるでしょうと言ったが、手許に置いておきたいと仰る。その後インターネットで本を探していたときに、その話しを思い出した。その本は「古書」というジャンルに見つかったので、Aさんに連絡して、その本を注文した。届け先はAさんにしておいたので、注文してからあっけなく届いたという連絡を頂いた。代金はハードカバーで1500円に送料が340円である。ネット上で決済はカードでと言うので私が立替えたが、代金は来月の句会で良いと言っておいたのだった。
現金書留は請求額を大きく上回る金子と、図書券が入っていた。直ぐに電話して届いたことと中味が多すぎると言った。あれこれやりとりがあって後、(またお願いするかも知れませんので・・)を受けて(では、前金として)私は頂戴することになった。
2008年1月21日(月)
犬と歩けば・ふたたび 829
1月21日(月) 曇り

 今日は寒かった。私も毎日血圧測定しているからわかるのだが、編集長の血圧値の推移を見ているとやはり同じだと納得する。特に自覚症状がなくても測定値が上がっていて、(ああ今日は寒いんだ)と改めて意識する事がままある。人間の身体というのは、(例え湯たんぽを入れ布団を被って暖かくしていても)確実に自然に左右されているのだと認識させられる。
  昨日は絵の先生のグループ展を見に、千葉市中央区に出来たきぼーる(Qiball)へ出かけた。と言ってもこの建物のことは何にも知らなかった。お絵かき仲間のAさんに教えて貰って、裁判所の少し手前の交差点角に建った大きなビルを見上げて唖然とした。ご多分に漏れず千葉市のど真ん中の商店街も、閑散としている。そんな中に行政主導の建物がデーンと出来て、街の景色も一変していた。私が高校生でこの道を通っていた頃、この角には酒まんじゅう屋があって、何時も大げさに湯気を立てて腹ぺこの学生・生徒を誘っていたのだ。そして街は人出が多くて活気があった。とにかくこの一角にあった画廊「ジュライ」がこの建物の2階フロアーに入り、そこで先生のグループ展が開催中だった。会場の真ん中で数人が談笑していたが、その中で一際大声で話しをしているのは先生の先生、千葉大名誉教授のT先生に違いない。2月には例年通り京都へ舞妓さんを描きに行くらしい。この大先生は裸婦像で有名らしいが、舞妓のモデル代は1日2万5千円で家でヌードモデルを使うと2日で2万5千円だとか言っていた。
  ついでだからプラネタリュウムを見て帰ろうと思ったら、2時半も3時半も売り切れだと言うので諦めた。暇なオバサンは日曜祭日に来ることはないのだ。
2008年1月20日(日)
犬と歩けば・ふたたび 828
1月20日(日) 晴れ

 今になって思い出したが、昨日は「デイジーチェーン」について書こうと思っていたのだ。昨日は楽しい、待ちどおしいお絵かきの日だった。お絵かきサークルでは去年からお茶の時間を取るようになって、甘い物も少し出す。家でお皿の変わりに、広告紙で8人分の箱を作った。なるべく固い紙から使っていったら、残ったのは霊園やお墓の広告ばかりとなってしまった。お絵かき仲間は、いちいち広告紙の内容まで見るとも思えないが、みんな高齢者なのでそれは避けて、前日の広告紙の中から固いのを選んで作り足して教室へ持参した。
 所で仲間のAさんは仏像ばかりを描いている。何時だったか(若いとき余程悪いことしたんでしょう)と言ってからかってやった。そのAさんが仏像のいろいろな写真を持ってくるが、とうぜん神社仏閣も写っている。神社仏閣の中には菊の紋所がついているのもある。Aさんが「Bさん、デイジーチェーンってご存じでしょう?」と言った。AさんもBさんも仕事上2,3カ国語はOKらしい。「この頃あまり菊の御紋はあまり見ないようですね。欧米の人達はあれを見て、何であんな物を麗々しく飾っておくんだろうと思うでしょうから」とか言っている。当然私はナンダなんだと口を挟んだ。デイジーはヒナギク?チェーンは鎖?だと言うが、はぐらかしてハッキリした意味は言わない。ネットで調べれば直ぐ出てくる言葉だと言うが、調べてもわからなかった。ただ2人のやりとりから察するに、性的な隠語らしい。うーん何だろう。
2008年1月19日(土)
犬と歩けば・ふたたび 827
1月19日(土) 晴れ

 お正月に、還暦祝を兼ねた同窓会で田舎へ帰ったAさんが、空足を踏んで靱帯を痛めて帰ってきた。その事を年のせいだと言って、ひどく落ち込んでいる。サムちゃんは車を盗まれたと勘違いしたとき、呆けたのではとがっくりと落ち込んだ。相手がこんな時は、どんな慰めの言葉も通用しない。その人の心の有り様で、自分が納得しないと解決しないからである。振り返って、では私はどうだったか思い出そうとしたが思い出せない。現在の私は「事件或いは出来事」がありすぎて、その事をどうやってやり過ごしたらいいか、または折り合いを付けたらいいかに焦点が移っている。ズバリ解決法はひとつ。起こったことをそのまま受け入れる事である。他のことに気を取られて歩いていれば、足下を取られる事もある。自分ではしっかりしていると思っても、思い違いはある・・と。そしてやたらに「トシのせい」にしない。単に自分が不注意だったことであると、冷静に事実を認める事だと思っている。Aさんも若いとき、仲間とハイキングに行って自分だけどこぞから落ちて足を痛めたと聞いている。
その時と同じだと思う。
  ただ疲れているときは不注意になりやすいし、いろいろな「事故」に遭遇し易い。
そして歳を重ねると疲れやすいのも事実である。だから若いときのように沢山のことを同時進行では出来ない。少しのことをゆっくりとやる。各駅停車の旅はまた、違う景色も見えてくる。・・あれ、今日はこんな教訓的なことを書こうなんて思っていなかったのに、どうしてこうなってしまったのか? ゆっくりするとこんなにずれることもある・・のだ。ヘヘ。
2008年1月18日(金)
犬と歩けば・ふたたび 826
1月18日(金) 曇り・この冬最低気温

 「この間風呂釜が壊れたと思ったら、今度は湯沸かし器がダメになりました」サムちゃんが言った。着火点を、その度にヤスリで磨いたりして使ってきたがとうとう点火しなくなった。でも10年使ったとも言った。「これは量販店で買ってきて、その頃は未だ生きていた亭主にああせいこうせいと言って、自分達で取り付けた物です。」「今でも店頭では2万円ぐらいで売っていますが、自分一人で取り替えようとやってみましたが、長年の油汚れでネジは動かず第一取り替え作業中、湯沸かし器を一人で支えていられません。」と、残念そうに言った。公団に頼んだら値引きして貰っても4万円だとか。無理して、万一怪我でもしたらかえって高い物に付くから、良かったのではと言って慰めた。普通湯沸かし器の耐用年数は5年だと言われた。それを10年も使ったのは、私があまり使わなかった証拠ですねと笑った。でもねとサムちゃんは真顔になって言った。団地の中は高齢の一人暮らしが多くなって、冷蔵庫や洗濯機が壊れても買い換えることが出来ないって言っています。毎日の暮らしが精一杯で、纏まったお金は出せないんです、と。それでね、取り付け工事に来た人が、頼みもしないのにガスレンジへの(ホース?)は耐用年数が過ぎているからと言ってただで取り替えてくれた。なのに湯沸かし器への(元栓?聞いていてもよくわからなかった)は、2980円だという。頼みもしないこっちがただで、そっちが有料とは納得できないと言ったら公団へ言ってくれという。そんなわけで公団と半日やりとりして仕事を休んだが、結局それも無料で決着したと笑う。納得できれば払うが、納得できないから聞いたまでのこととサムちゃんはとぼけるが、決め手は(自治会に持ち込んで問題にしてやる)と言ったことだったと言った。
2008年1月17日(木)
犬と歩けば・ふたたび 825
1月17日(木) 雪のち晴れ

 夕べ、夕飯の後片付けをしながら小豆を煮た。なんだかサラサラと音がした様な気がしたが、(まさか雨でもないし)煮ている豆の音だと思ったが、あれはみぞれだったに違いない。今朝起きたら、あたりは雪でうっすらと覆われていた。直ぐにベルを連れて出かけた。勿論歩きで。公園にはサムのお母さんが首から大きなカメラをぶら下げていて、(12万画素。又買っちゃったから、撮りたくてうずうずしていた)と言った。大した雪でもないが、ベルはわざわざ雪の上を歩いてみたり、舐めてみたりしている。しばらく公園で遊んでから、花島観音下の公園へも行った。ここは幾つか遊具があるが、サムのお母さんはしきりにサムを滑り台に誘導している。どうするのかと見ていると、雪の積もっている滑り台からサムを滑り降ろそうというのだ。状況を理解できないサムは、足を突っ張って滑り台を駆け下りた。サムのお母さんに(どうして犬は座って滑れないんでしょうね)と聞かれたが、(教えたら座って滑るようになるのでは?)と答えた。サムとベルは藪の中へもぐったり、鳥をおいかけたりして遊んだ。いつもの池に廻ると、沢山の鴨やオシドリが私たちに寄ってきた。今日は餌をやる人は未だ来ないんでしょうかと、サムちゃんが言った。散々遊んで家に帰ると9時になっていた。3時間も遊んだのだ。
  今日は13年前に「阪神淡路大震災のあった日」で、ニュースでは死者6,431人と報道していた。ふと、この数字は地震当日から何日までの数字かなのかと、思った。
お絵かき仲間のAさんはこの大震災の被災者のお一人であるが、彼女からこんな話しを聞いたからだ。彼女のお母さんは一人暮らしだったが、駆けつけたときには幸い近所の人達に助け出されていた。それから1年後、ようやく気心の知れた数人の人達と新しいマンションに入居できたのだが、そこに落ち着いてから2人も相次いでなくなったというのだ。ダメージの現れ方は、一様ではないらしい。
2008年1月16日(水)
犬と歩けば・ふたたび 824
1月16日(水) 晴れ

 年相応に暮らしていても、毎日元気というわけにはいかない。昨日は出かけたので、家でぐたぐたして過ごした。時間があっても本を読んだり絵を描いたりする気にはならないが、今日はダスキンの交換日だから仕方なく玄関廻りの掃除をした。注文したモグサも届いたが、想像していたよりもずっと雑な品物だった。合間にお借りしている韓流ドラマを再生したが、電話が架かってきて1時間足らずで中断。何となくゾクゾクするし、風邪でも引くと厄介なので、夕方のベルの散歩も家人に頼んだ。
  夕飯は、ネギと生姜を利かしたおじやにした。
2008年1月15日(火)
犬と歩けば・ふたたび 823
1月15日(火) 晴れ

 句会の帰りに、駅前のいつもの鯛焼き屋へ寄った。そうしたらあらま、1匹105円だった鯛焼きが120円となっていた。鯛焼きよお前もか!
 定例の川柳句会は第一火曜日なのだが、今月は丁度元旦に当たったので、繰り延べで今日となった。お借りできた部屋もいつもとは違う和室で、高齢者には正座が辛いし、空調が悪くて寒かった。でもまあ、しばらく休んでいたたみこさんや病気で一度退会した前会長も復帰して賑やかに、いつものようにみんなで楽しく遊んだ。
「新しい」という題の宿題が出ていた。「年の瀬に畳を替えて春を待つ」は純吾さんの句だが、先生は(畳は障子でも句意は変わらないし・・)と講評した。すかさず(年の瀬に夫を替えて春を待つ)と声が上がり、大拍手と大笑いが起こった。私の成績は、2句出した互選で1句がボツ、残る1句がたった1票だけ入った。宿題の(作る)は、3句出したが全部ボツ。もうひとつの(冬)は2句抜けた。うち、天になった句(寒卵 どうして私だけ試練)終了後、河岸を変えて、私たちだけでお喋りに花を咲かせたのは言うまでもない。
2008年1月14日(月)
犬と歩けば・ふたたび 822
1月14日(月) 晴れ・成人の日

 (昨日美容院に行ったらガラガラで、今日も着付けの予約は一人だけですって)。
昨日美容院へパーマをかけに行ったサムちゃんが言った。団地の中を歩いても、成人式関係の華やかな恰好をした若い人には出会わなかった。(今は、着付け・写真・パーテーとセットになっているのが安いから、流行っているんだそうです)と、教えてくれた。
夜のテレビで、技能オリンピックで上位入賞した若者の紹介をしていた。驚いたのは、技能オリンピックに出場させるための体制が出来ている事だった。選ばれたどの若者も身近に尊敬できる人間(親方・先輩・師匠)がいて、仕事を通して人間としての自分も育てている。一昔前までは、誰にでも当たり前のステップだったが、今では一部の人たちにしか許されていないのか。日給、時間給で、単純反復作業だけをやらされているワーキングプアーが、人間としての夢や希望を持てないのは、人間として扱われていないのだから当たり前。こういうと必ず、選ばれるように努力すれば良いので本人の努力が足りないから仕方がないという人がいる。ではそう言うやり方で来て、日本国民は幸せになったか?経済はどうか?自殺者はどうか?いじめは減ったか?過労死は減ったか? 
 サムちゃん達と連れだって市民の森から、減反で放置された荒れ地へ降りていった。確か2年前までは森に沿った端が道になって抜けていた。所が枯れ草が被っていて、道がなくなっていた。サムとベルは枯れ草の中をポンポン飛び跳ねたりもぐったりして大いに遊んだ。しばらくしてサムは戻ってきたが、ベルはどこへ行ったかカサと音もしない。サムにベルを呼んできてと頼んだら、しばらくして2匹で戻ってきた。家に帰り着くと、ベルよりも私のズボンに沢山の草の実がくっついていた。
2008年1月13日(日)
犬と歩けば・ふたたび 821
1月13日(日) 晴れ・風強し

 今日は冷たい風が吹いて、ようやく本物の冬の1日だった。この冬は12月になっても寒に入っても生ぬるい、締まりのない冬である。明日の朝はこのあたりでも−1度だと天気予報が言っていたから楽しみである。ゆっくりと朝寝坊する事にする。
 所で夕方のニュースで自転車の乗り方の法律が変わって、ケータイや音楽を聴きながらの片手運転が禁止になったと伝えていた。「でも、犬を走らせながらの片手運転禁止ってのはない・・」と安心したら、すかさず家人は「そんなの言われなくっても、当たり前だろう」と、偉そうに言った。パンを食べながら・口紅を付けながら片手運転というのも、見たことがある。
  「年金者組合新聞」新年号の編集をしている家人が、(今年の抱負)欄に応募してくれる人が少ないから、私にサクラになってくれと言う。去年もそんなことで書いたはず。で、去年私はなんて書いたか?と家人に尋ねたら「100号の絵を描きたい」だっとと、教えてくれた。だから「去年未達成の100号の絵を今年こそ描きたい」と書いて未だ余ったので、「楽しいことをたくさん見つける」と付け加えた。
所で編集長の「闘病日記」に、『日齢』の話しが載っていた。とても興味があったので、計算方法をお聞きしたら、「日齢」のサイトがあると教えてくれた。「日齢」という考え方で日常を見直してみると、何気なく過ごしていた1日1日がとても大事に思えて来るから不思議である。興味のある方は次の方法でどうぞ。
《まず、ヤフーかグーグルで「日齢計算」と入力して検索する。その表にて、誕生日を西暦で入力し、表示ボタンをクリックするだけで知りたい情報が得られるという仕組みです。》
2008年1月12日(土)
犬と歩けば・ふたたび 820
1月12日(土) 雨

 ベルと私の散歩コースのひとつに、花見川沿いの遊歩道がある。でもそれは、昨日の編集長の散歩コースとは、花見大橋を境にして上流と下流になる。たまにサムちゃん達とそちらも行く事があるが、そこは野良猫の天国で白・黒・茶色にぶちとわんさといる。だからサムもベルも猫を追いかけようとして、鼻息は荒くしてリードは引っ張る事になる。
でも野鳥が川から上がってくるのは知らなかった。私たちの散歩コースでは川沿いの藪の中に小鳥の巣があるらしく、サムとベルは入って行くことがあるが、私たちが鳥の姿を見ることはない。公園下の池で鴨やオシドリが餌を目当てに、ギリギリ端近くまで寄ってくることがあるが、側で見ているベルの事など全く意に介しないか、からかってさえいるように見える。やっぱり猫に比べて犬はドンクサイということになる。 
 今日は家人も(新年会とか)留守で、結構結構。のんびり1日中炬燵にもぐって過ごした。それでつくづくと自分の年を考えたら、驚いて焦った。
2008年1月11日(金)
犬と歩けば・ふたたび 819
1月11日(金) 晴れ

 毎週金曜日には「週刊金曜日」が届く。今週号の大見出しは「ナショナルセンターの歴史的“連帯”はあるのか」で、連合の高木会長と全労連坂内議長への特別インタビューだった。聞き手は佐高信。一寸期待してページを繰った。昨秋の福田・小沢の大連合発覚以来、佐高はことある毎に労働者側でも「中連合」ぐらい出来ないのかと繰り返し言っている。一読してあっけなく期待は消えた。労働組合運動が盛んだった頃、(要求で統一する)とか(小異を捨てて大同につく)とか、耳にたこが出来るほど聞かされたが、既に過去のコピイであることは、一昨年から昨年一時的に盛り上がった「ホワイトカラーエグゼンプション問題」で実感している。このことに関しては編集長後記で(原点に戻ろう)と、編集長が呼びかけている。「一人は万人のために、万人は一人のために」この国でいま必要なのは思いやりとやさしさである、と。
 あの文豪が言ったように幸せな人は同じように幸せであるが、不幸な人は様々に不幸であるというのは、全く頷ける。然し、傷ついた人達が一旦力を合わせたら国家をも動かす事を、C型肝炎訴訟や拉致被害者の運動で見ている。不利益を受けたり傷ついた人達が団結して立ち上げれば、だら幹(この頃余り聞かなくなった言葉だが組合・政党などの堕落した指導者のこと)をまっとうにすることなど朝飯前・・の筈、だと思うが、これが又難しい事もホントである。
2008年1月10日(木)
犬と歩けば・ふたたび 818
1月10日(木) 晴れ

 編集長の「闘病記」をご覧の方は気が付いておられると思うが、毎日の血圧値の隣りに「トロンボ値」という欄がある。私はツイ「トンボーロー(東坡肉)」を連想して、美味しそうな名前だがなんだろうと思っていた。今日夕方の会議でお目にかかったときに聞いてみた。答えは、簡単に言うと「血液のサラサラ度」らしい。数字がどの程度ならOKなのかは聞きそびれた。こってりした物を食べると数字は上がって、お茶漬けなんかだと下がるのかしら?それで思い出した。海のお母さんが毎日飲んでいる血圧降下剤の中にも血液をサラサラにする薬が入っているので、骨折した腕の手術が遅れて明日になったとサムちゃんに聞いた。別にわざわざ知らせてくれる内容でもないと思うのだが、電話をくれたからフンフンと聞いた。 所で私も毎日血圧測定をして記録し、毎月主治医に持参する。今日はたまたま通院日だったが、待合室で計ったら106−74だった。それが主治医に計って貰うとたちまち30位跳ね上がるのである。彼は何時も綿パンにシャツ姿で医者らしい白衣は着ていない。が、やはり私は緊張しているらしい。去年チベットに行く話しをしたとき、(標高の高い)チベットで血圧を計ったら下がりますかと聞いた。主治医はさあどうでしょうねと答えた。いま気が付いたのだが、チベットの首都ラサでは仲間が4人も点滴を受けた時、確か医師は血圧も計っていたのではなかったか?今度あの時の誰かに会ったら(血圧のことを)聞いてみよう。
2008年1月9日(水)
犬と歩けば・ふたたび 817
1月9日(水) 晴れ

 向かいの奥さんが車で送られて帰ってきた。臙脂色のサンバイザーに同じ色のベストを着ている。どこへ遊びに行ってきたのかと聞いたら、パークゴルフだと言った。
手に持っている細長いカバーにはグランドゴルフと書いてあると言うと、カバーだけはねと言ってグランドゴルフは週3回。パークゴルフは遠いので月に2回だけ。少しルールが違うと教えてくれた。フーン矢張りそれが元気の源なんだねと感心した。
2日程前だったがテレビで、登山家夫婦の話をやっていた。このご夫婦はヒマラヤで、揃って両手足の指の殆どを凍傷で失ってなお、今度はグリーンランドの未踏岸壁に挑んだ記録である。奥さんの方は鼻の頭も取られた様子であったが、何回も“楽しくて”を繰り返し、終始笑顔であった。9歳年下のご亭主の方は、何をしているときにも二言目には奥さんの名前を呼んでは確かめていた。こういう生き方もあったのだと今更ながら、感心する。ろくな仕事もしていないのに、年中肩こりに悩まされて自分をなんとかしなくちゃねと、首を廻しながら思った。
2008年1月8日(火)
犬と歩けば・ふたたび 816
1月8日(火) 晴れ

 隅田川にかかる橋のひとつに、桜橋がある。完成は1985年で隅田川に架かる橋の中では唯一の歩行者専用橋である。確か10年程前までは、X型の橋の真ん中に桜の木が1本植わっていた。台東区側の桜橋の近くに(今戸の渡し跡)というのがある。そこから狭い緑地がずうっと地図の上の方に伸びていて、「吉原大門」という表示で終わっている。そう、その緑地はかつて吉原に通うお大尽が船を通わせた、水路跡だと案内で読んだことがある。その桜橋の側に住む友達から電話が架かってきた。
年賀状の代わりである。花が咲いたら、必ず出ておいでと、早い花見の予約でもある。友達は、ホームレスのテントも一段と増えたとも言った。
 夕方サムちゃん達と公園の帰りに、ベンとお母さんにすれ違った。あとからサムちゃんは、「ホームレスにえさじゃなかった、弁当を届けに行くのよ」と、厳しい顔で言った。野良猫にエサを遣るおじさんやオバサン。池の鯉や鴨に餌を撒くおじさん・オバサン。公園の鳩に餌を撒くオバサン。とりあえずは平和な風景ではある。
2008年1月7日(月)
犬と歩けば・ふたたび 815
1月7日(月) 曇りのち雨

 昼前、パソコン作業中にひとつ大きなくしゃみが出た。涙目も始まっている。やっぱり、とうとう始まった。花粉症である。温暖化に伴ってか、毎年どんどん開始が早まる。実はどうも様子がおかしいので、2日前から抗ヒスタミン剤を飲み始めていた。これからたっぷり4ヶ月は薬を飲み続けなければならない。
  3ヶ月休んでいたニュースをお正月休みに編集して、やっと今日印刷発送し終えたら、どっと疲れが出た。
2008年1月6日(日)
犬と歩けば・ふたたび 814
1月6日(日)小寒 晴れ

 今朝雨戸を開けたら、向かいの屋根が霜で真っ白になっていた。これだけ白くなったのは、この冬初めてだと思う。夕べサムちゃんから電話があって、電話の向こうで相談したいとかなんとか言っているが、ハッキリと聞こえないし内容もわからない。
多分お酒が入っていたのだと思う。でその時は明日は必ず行くから、その時に話しを聞くと言って電話を切った。今日の夕方迎えに行くと、仕事は午前中だけで午後は階段の新年会だったといって、またアルコールが入っていた。昨日の話しを聞いたがもうひとつよくわからない。わかったことは、公園で犬仲間のナナちゃんのお父さんの態度がよそよそしいが、理由がわからないと言うことだ。毎日あっているサムちゃんに理由がわからないのに、私にわかろう筈はない。(しばらく放って置いたら)と答えたら、ベルちゃんに話してもダメかとがっかりした。2人と2匹で市民の森を抜けていつもの公園・芝生広場に出ると、ナナちゃんのお父さんもやって来た。気が付くとサムちゃんはナナのお父さんと話し込んでいるではないか!帰り道(話せて良かったね)と言うと、いやあれは特別でとかなんとか未だ拗ねている。それから私に娘が帰ったかと聞いてから、正月の話しになった。サムちゃんは一男一女がいて、それぞれに家庭をもち孫もいるが、今年は誰も来なかったという。いや注意深く話しを聞くと、お年玉を貰いに顔を見せには来たらしい。そうか、サムちゃんは今年のお正月寂しかったのだ。それでごちゃごちゃと愚痴ったに違いない。きっとそうだ。
2008年1月5日(土)
犬と歩けば・ふたたび 813
1月5日(土) 曇り一時雨・晴れ

 今日から新年の油絵教室が始まった。今年から又ひとり休会で、総勢7人と先生が集まった。Bさんは太いアロエの葉を、Cさんはご自分で作った大根を持ってきて、みんなに配ったりして絵を描くよりもお喋りの時間の方が長かった。先生はAさんから(新年、ばんざい)と書かれた年賀状を貰ったと、とても喜ばれていた。Aさんは私たちの会の言い出しっぺであるが、残念ながら病床に伏している。未だAさんがひとりで歩き回れた頃、(生命維持装置を外す判断は、ご自分でして下さい。)病名が決まったとき先ず医者にそう言われたと、Aさんから聞いたとBさんは俯いた。
「絵を描くことはとても良いことです。なによりもリラックス出来ます。」と先生はいつになく力説されたが、今日は重い話で疲れた。で、Aさんは相変わらず本ばかり読んでいるの?と聞いてみると、瞼が重くて目を開けているのも辛い状態だと言われ私は、返す言葉をなくした。
2008年1月4日(金)
犬と歩けば・ふたたび 812
1月4日(金) 晴れ

 今日から仕事始めである。なんて人並みなことを言ってみる。
この頃「楽しむ・楽しもう」という言葉が頻繁に使われる。さっきのテレビに出演していた北京オリンピックに出場するアスリート達も(一生に1回出られるかどうかのチャンスなので楽しみたい)なぁーんて、喋っていた。ご本人がそう言うのだから、なにも私が文句言うこともないのだが、何となくそぐわない。私なんか昔流、応用が利かない一直線だから、事に当たっては常に一生懸命に頑張る。自分ではいつだって精一杯やっているつもりでもそこは生き物。体力・気力の衰えに従って、出来は劣化している。何のことを言っているかというと、労働基準監督署に提出する書類(自己意見書という)の事である。だから結果が良くないと、こたえる。労災申請の手伝いをしていて、楽しんだことなんか一度もない。
 私は、絵を描いているときは、文句なく楽しい。音楽を流しながら、ああでもないこうでもないと筆を動かす。或いはチューブに固まった絵の具を、掻き落とす。今年は絶対・必ず・きっと絵を描く時間を増やす。
2008年1月3日(木)
犬と歩けば・ふたたび 811
1月3日(木) 晴れ

 夕べから喉が痛む。涙目で鼻づまりがする。幾ら何でも花粉症は早いと思うと言ったら、娘が(いや今年は大流行だそうだから、始まってもおかしくないのでは?)などと嬉しいことを言ってくれる。いや、彼女は何というか誉め上手で、娘が来てから私はうろちょろと動きっぱなしだから、疲れて風邪でも引いたのだと思う。例えば(お母さん、絵上手くなったわねぇ。前はどこを見て良いかわからなかったけれど、ちゃんと見せるポイントが出来たわね。)(この黒豆、味の含み具合がバッチリ。お煮染めは素材の味が生きている。ごまめのパリパリ、いいね。)テナ具合であるから、乗せられてツイツイ彼女のために台所に立ってしまう。では私が、娘を誉めて育てたかと言うと、そうではない。彼女が小さかった頃私は、過労で頚肩腕障害や鬱を患っていたから、自分のことで精一杯で子どものことなんか殆ど頭の中になかった。
あの頃姉に(もう少し、この娘の事をかまってあげたら)と、注意された事もあった。長じて反抗期もあったが、子どもは意外に親を冷静に見ていると思う。私が楽しくしていると、むすめ達は安心しているようである。
2008年1月2日(水)
犬と歩けば・ふたたび 810
1月2日(水) 晴れ

 (元旦からね、573円のパンを買って、500円分はポイントがあったから、73円しか払わなかった)昨日Aさんから電話があったとき言った。Aさんは、私の言い方の中に一寸、得意そうな気配を察したのか(あら、それはポイントを溜めてあったから当然でしょ)と、軽くいなした。(私なんかさぁ、昨日遅くにスーパーへ行って、お節料理ぜーんぶ半額で買ったわよ)電話の向こうで、鼻をうごめかすのがわかった。デモね、私と同じ事を考える人が結構いたのよと言って、くすくす笑った。
参ったと素直にシャッポを脱ぐ。 
 元旦に配達された年賀状の中に「千葉県シルバー人材センター連合会」からの1枚が入っていた。「警備技能講習会のお知らせ」である。※講習を修了された全ての方対象に合同面接会を開催しますと、わざわざ但し書きもある。就職のお世話もしますよと言うことか。でもどういう基準で私が、案内郵送先の対象に選ばれたのだろうか?
 秋山編集長がご自分のブログに「闘病日記
http://www.geocities.jp/akiyama2571/index.htm》をはじめられた。8月に重い手術を控えておられる。ぜひご一読をお薦めします。
2008年1月1日(火)
犬と歩けば・ふたたび 809
1月1日(火) 晴れ

 夕べ「紅白歌合戦」が始まってから、姉娘がやって来た。娘の解説付きで、久しぶりに「紅白歌合戦」を大体見た。大体というのは、なんやかや用事をしながらと言うことだ。今年の紅白は舞台装置から違っていた。今までは何人ものNHKアナウンサーが、仕切って進行していたが、彼等が前面から撤退してスッキリとした。やっと歌を聴かせる番組になったねと娘は言った。
 そして元旦。(ベルがお肉を残しているよ)。ベルを日向に繋ぎ直しに行った娘が、ベルの椀を手にして戻ってきた。ベルが肉を残す事なんてあり得ない。どこか具合でも悪いのかしらと言いながら椀の中を覗いた。ナントお椀の中には、乾し椎茸の戻した茎が幾つも入っている。捨てた筈である。娘は勘違いを笑ったが、私は笑えない。家人に干し椎茸の茎と知っていて、ベルの餌にまぜたのか?はたまた娘と同じに勘違いして混ぜてしまったのか詰問した。家人は(いやあ、あの、菜っ葉も茹でたのを細かく刻んで混ぜると食べるから・ムニャムニャ・・)と語尾を濁した。干し椎茸の茎は茹でても、刻んでもいない。うーん、家人はとぼけているのか、ボケの始まりか、それが問題であ〜る。
 更に年賀状が配達されて眺めていると、なんとAさんからの賀状には全く我家の住所が記入されていない。Aさんのは印刷ではなく、万年筆の手書きである。裏面には鉛筆描きの島影なども入っている。
 私を含めて今年は、高齢者社会の現実がひたひたと迫るを実感した、元旦だった。
2007年12月31日(月)
犬と歩けば・ふたたび 808
12月31日(月) 曇り・一時雨

 とうとう今年も押し詰まってしまい、慌ただしく午後から酸吸さん家へお線香をあげに寄った。あらかじめ電話で確認してから出かけたのだが、広い家の中は薄暗く静かだった。いるだけで活気があり賑やかだった酸吸さんはやはりいないんだと、改めて知らされた。直ぐに帰ると言ったが奥さんに引き留められ、しばらく思い出話に付き合った。「ご主人を大事にしてね。私たちは旅行も温泉もゴルフも食べ歩きも、どこでも一緒に行った。」と仰る。まあ、大事にすると言っても、それぞれの尺度がある。仲の良かったのは結構なことではあるが、それはお互いに2度目の相手だったからではないかなあと腹の中で考えた。
 日本海側から寒冷前線が山を越えてきたのか、黒い雲が上空を激しく動いて、時折お天気雨がぱらついた。午後4時。サムちゃん達と花島大橋の上まで来ると、東の空に大きな虹が架かった。公園に着いたとき、犬仲間にその話をするとチャーミーのお爺ちゃんは(それはよ、しあわせになれるっちゅうことだよ。来年は良いことあるってことだよ)と言ってくれた。休日が続くと、公園には常連以外の人達もやってくる。いつもの芝生広場には大学生ぐらいの男性が3人、サッカーで遊んでいた。近くの芝生にジャンバーが2着脱ぎ捨ててあった。犬たちは遠慮して端の斜面で遊んでいたが、人影が少なくなって芝生広場に移った。あっと気が付いたときにベルは、何気なくトットと歩いて行き、ジャンパーのひとつにオシッコをかけた。私が(べるぅ〜だめ〜)と、叫ぶのと同時だった。走ってジャンパーを取り上げ調べると、右袖の袖口近くが濡れていた。大慌てて拭っていると持ち主が現れて、(あ、ウチが近くですから帰って洗いますから大丈夫です)と言ってくれた。
(誰かがやると思っていたが、やっぱりべるかぁ)苺のお父さんに言われてしまった。
2007年12月30日(日)
犬と歩けば・ふたたび 807
12月30日(日) 曇り・一時雨

 昨日、例によって「永六輔の土曜ワイド」を聞いていたら、ゲストに松本ヒロが出演した。彼は(やっと安倍さんの物まねを覚えたら辞めちゃった。次の福田さんも直ぐに辞めそうだから、物まねを覚える気がしない)とか言って、安倍元首相の物まねを聞かせてくれたが、まったく過去の人に思えた。だが考えてみると、安倍首相の突然の辞任劇から未だ、たったの4ヶ月である。時折国会中継で放心したような元首相を見るが、毎日何をしているのかな? 
 今日は、朝からお節料理に取りかかった。黒豆、きんとん、ごまめ、煮しめを、午後までかかって作った。家人は全く珍しくこまめに家の掃除をしてくれたので、やはり雨が降った。お天気雨だ。娘から電話が架かってきたので、ついでに28日はどうしたのか聞いてみた。息子3人と雄犬と連れ合いとで暮らしている娘の多忙を思って、普段は殆ど電話をかけない。然し、休みに入った28日は連絡することがあって電話をしたが、娘の連れ合いは(今日はひとりで出かけています)と言ったのだ。その事を尋ねると娘は、ああと言った。ひとりで町をふらふらしたり、本を読んだり好きな事をして過ごしたのだと言った。連れ合いも承知してくれて、ひとりで出かけたと言った。
 私も、娘2人を保育所に預けて働き続けたので、娘の気持ちは理解できる。一世代経って、息抜きを実行できる様になったのかと、感慨深かった。
2007年12月29日(土)
犬と歩けば・ふたたび 806
12月29日(土) 曇りのち雨

 マグノリアさんは私より10歳お若い。その所為だろうと思うが、流行に敏感かつ耳が良い。23日の天満敦子のコンサートでは(テンポが早い)と、直ぐに気が付いた。確かに天満敦子はあの日、何かとても急いでいて、例によってCDを買ってサインして貰う列に並んだのだが、せかせかとしていてサインしながら機械的に握手の手を差し出してきた。前回ほどではなかったが、それでもまた私は凍ってしまった。
会場までマグノリアさんの車で送迎して頂いたのだが、車の中で徳永英明のカバー曲(恋に落ちて)を聞かせて貰った。当時流行ったテレビドラマ「金曜日の妻たち−金妻」のテーマ曲で(もしも願いが 叶うなら・・)というあの歌。(昔聞いたときは歌詞に気が付かなかったが、これがとても良い。湯川れい子の作詞だった)と、マグノリアさんが教えてくれた。私はあの曲を聴くと、直ぐに思い出す少女がいる。永年勤めた職場を退職したすぐあと、私は1年間洋裁学校に入った。そこは、早く言えばいろいろな意味で落ちこぼれて、普通の高校に進学できなかったり退学になった少女達が学んでいた。私が入学したのは専科という名目で、同級生は高卒のAさんだけだった。でも教室は高校生の少女達と同じで、お弁当を食べたり、ホームルームも一緒だった。テストも一緒に受けた。個性的な少女がたくさんいたが、その中のひとりAさんは、色白ですらりと背が高く、未だ薄い肩を斜めに付きだして、何時もいらだったような顔をしていた。(すれ違うときによぉ〜、向こうがガン付けてきたんだよぉ〜)と朝、青ざめた顔で目をつり上げて教室に入って来ることもしばしばだった。宝塚の男役にでもしたら、ぴったりな娘だった。このAチャンが良く(恋に落ちて)を鼻で歌っていたのだ。ある時Aチャンは私の机を挟んで両腕を机の上に乗せてしゃがみ、私を見上げて言った。「ねえ、冬瓜さんのダンナさんて、よく毎日ここに来ていることを許すね。うちの親父なんか、お母さんが外に出るのすっごーく嫌がる。」  彼女ももう30代後半。どこでまた、(恋に落ちて)を聞いているのだろうか?
2007年12月28日(金)
犬と歩けば・ふたたび 805
12月28日(金) 曇りのち晴・雨

 夕方の5時過ぎ、サムちゃん達と散歩の帰りに団地の商店街の端を通りかかった。
(ホラ見て下さい。この時期にこんなに閑散としている)サムちゃんは、商店街に目を遣った。
(公団は全国で45万戸を減らして、そこの売却代金で残した部分の改修費用とすることに、この国会で決まったそうです。)と言った。商店街を過ぎると、保育園沿いにズラリとお迎えの車が並んでいた。(ここでもこの間、駐車違反で捕まった)(1万5千円)と私。(第一、駐車場問題がうるさくなってから、それまで週4回ぐらい来てたのに私自身もここに寄らなくなった。)とサムちゃん。ここの団地は緑地も多く、住環境は悪くないと思う。団地が出来てからの40年間に、生活スタイルがすっかり代わったのだ。
海のお母さんは、今回の事故で(海を手放しては)と言われるのを恐れている。ペットもただ禁止だけではなく、増える独居老人に合わせて(民間ではペット可の共同住宅も出て来ている)新しいルールを作ってはどうだろうか?なんて話しをした。
 今朝家を出たのは8時半、帰ったのは15時半だった。義姉と墓参りに行ったのだが、どこかで事故があったとかでひどい渋滞に巻き込まれてしまった。途中、警察署でトイレを借りた。
2007年12月27日(木)
犬と歩けば・ふたたび 804
12月27日(木) 晴れ

 暖かい歳末で、商店街にも門松が見られない。この数年、クリスマスには自宅にピカピカと電飾するひとが増えているが、門松のない歳末風景は寂しい。
さて今日の午前中は台所の掃除で、午後は犬仲間数人と海のお母さんを病院へ見舞った。海のお母さんは右腕を直角にまげて固定し、左頬と顎にハッキリとしたアザが出来ていた。(この前よりずっと顔の腫れが引いたね)とサムちゃんが言った。足は全く大丈夫なので、ロビーで30分ほどお喋りして帰った。本人は肩の脱臼だと言っていたが、夕方海を連れて公園へやって来た娘さんの話では、骨折で取りあえず引っ張っているとのことだった。それで様子を見て、手術か他の方法を選択するようになるが、いずれにしても来年になってからのこと。手術をしなければ入院は長びく。前回矢張り海に引っ張られて左肩を痛めたときは、早く仕事に復帰するために手術をしたが、今回本人は手術はイヤだと言っている。やはり疲れが出たのかも知れないと言い添えた。先日矢張り犬に引っ張られて転び、ケータイも壊れたサクラのお母さんは、私を振り返って(私たちも気を付けましょうね)と言った。帰り道サムちゃんは入院費用のことを言った。入院したのは8人部屋だから差額ベッド代はいらないと思う。1日の給食費は785円とか言っていたが、市に低所得世帯として届ければ、半分になるし3万円以上の入院費は帰ってくると思う。教えてあげようと思ったが、言う機会がなかった。自分も団地の階段で転び骨折したときから届けて、毎年更新していると言う。自民党員として人の面倒を見てきたというサムちゃんは、さすが詳しいと感心した。
2007年12月26日(水)
犬と歩けば・ふたたび 803
12月26日(水) 晴れ

 スーパーの食品売り場は、すっかりお節料理に占領されてしまった。正月用お飾りも勢揃いしたが、肝心の消費者の方がいまいちその気になっていない風に見える。
さて、昨日の動物園同行記の続きである。娘一家も移動は車である。運転は娘の連れ合い、助手席は娘、運転席の後は赤ちゃんがチャイルドシートにくくりつけられている。その隣の席はちっち。ちっちは赤ちゃんがむずかるとあやして遊ばせる。一番後が、いた君。私はいた君の隣りに座るはずだったが、(ちっちがここに座って良いよ)と言うのでそうしたら自分は私の膝にちゃっかりと座った。ちっちはお喋りで、ときどきお母さんから(うるさい)と注意される。彼女の小さいときと全く同じだと、私は内心ニヤニヤする。行きは何がきっかけだったか、しりとりをして遊んだ。
ちっちはお気に入りなのか、繰り返し「森の熊さん」を歌うので、私も一緒に歌うと(この歌、知ってるの?)とさも意外そうに聞く。(そうよ、この歌はね、ずうーっと昔からあるのよ。)と教えながら、4歳の彼にとって昔という言葉はどんな風に聞こえるのかな、などと思った。帰りも同じように座ったが、しばらくすると、後の座席からいた君が、私たちの座席に出て来て、ちっちを押しのけて私の膝に座った。
ちっちも負けじと戻ったので、私は左足ににいた君、右足にちっちと2人を乗せる羽目となった。さすがに重い。がいた君が、初めて自分の意志で私に甘えてくれたことを思えば、大腿骨が折れようがここは我慢のしどころである。私はもう一度大きな声で、♪あるうひ♪もりのなっか♪くまさんに♪でーあぁった♪とうたった。
2007年12月25日(火)
犬と歩けば・ふたたび 802
12月25日(火) 晴れ

 23,24日と、孫台風が駆け抜けて行った。午前中は踏ん張って、毎日使う二部屋の照明器具を外して掃除し、蛍光灯を取り替えたが午後は動けなかった。
  昨日は孫達のお供で、風の中を千葉市動物公園へかり出された。娘の長男は自閉症で父親が専属で対応する。末の赤ちゃんは娘が、そして真ん中で4歳のちっちは、相棒に家人ではなく私を指名したのだ。つまり3組みに別れて行動するのだ。動物園到着後ちっちと私は先に入った。ちっちは前日から(アンパンマンの乗り物に乗る)ときっぱりと宣言していた。所が園内のスロープを登り終わる頃(トイレに行きたい)という。慌てて探したが見つからない。(どっか、はじっこ。はじっこでいいよ)と本人が言うし、目の前は象舎で今日は外の運動場にいると表示してあったので、そこのはじっこに急いだ。ズボンを降ろそうとすると(あ、もう出ちゃったよ)という。
濡れているズボンを降ろすと、小さな穂先から一気に透明な水がほとばしり出た。それは(北アルプスの水)に匹敵するきれいな水で、いっとき見とれた。だがパンツとお出かけ用の新しいジーンズはたっぷりと、シャツの前一部も濡れてしまった。さてどうした物かと戻って娘に報告すると、ちっちの背負っているリュックの中に着替え一式が入っているとさらりという。ああ、そうだったかとなるべく風の当たらない場所を選んで、着替えさせた。シャツは着替えなくても、ズボンの外に出しておけば直ぐに乾くからと、娘に言われた。
 ちっちは動物園の遊園地がお気に入り。前回(8月)来たときは、殆ど私と一緒に乗る物を選んだが、今回は全部ひとりで乗る物を選んだ。乗り物は100円のと200円のがあり、200円のはカードかがらぽんのお土産が付いて、あっけなく千円札が2枚消えた。だが、彼が次はどれに乗ろうかと目を輝かせて物色しているのを見るのは、興味深い。階段を登ったところに黄色の乗り物がある。誰かがそれに乗って揺すっている。(これはただだよ)と教えると、(でもね、恰好が良い方が良いよ)とかわされた。一通り乗り終えると、かき氷がソフトクリームが食べたいと言う。お腹が冷えるしお母さんに聞いて、良いと言ったら買ってあげると約束した。1時頃娘達と合流して食事、ちっちは母親にソフトクリームならとOKを貰った。売店の人に種類はと聞かれて、私がバニラ、チョコ、バニラとチョコ、抹茶と読み上げるとちっちは(バニラとチョコぉー)。レストハウス中に聞こえる様な大声で叫んだ。ミックスソフトクリームが来ると、ちっちは2,3回舐めてから(ハイッ)と私に差し出した。私がひと舐めして返すと次は母親に差し出した。弟には(コーンをあげるからね)と優しく言ったものの見ていると、コーンもむしゃむしゃ食べている。忘れちゃったのかと思ったら、自分の指先ほどの小さなコーンのかけらを(ハイッ)と弟に差し出した。
2007年12月24日(月)
犬と歩けば・ふたたび 801
12月24日(月) 晴れ

 夕方6時前に、白い満月が登った。丁度その頃サムちゃんが大きな白菜を1個届けに来てくれたので、外に出て12月の満月を見た。ついでにサムちゃんは、夕べ海のお母さんが海に引っ張られて怪我をして、救急車で運ばれた事も教えてくれた。何でもリードの先についている輪に腕を通して(ホラ、いつものようにと付け加えた)お喋りをしていたら、海が猫を見つけて急に追いかけた拍子に、引っ張られて転んだという。前歯を折って頬も怪我をしたらしいが動けなかったので、救急車を頼んだらしい。でもその事は内緒にしておいて欲しいという。然し犬仲間でお見舞いをするのなら、入れてと言うと、今日はもう家に戻って来たと言った。大した怪我でなくて良かったが、ここに来ての怪我は何とも気の毒である。
 家人の知人の奥さんも自転車に乗っていて転倒し、大腿骨骨折したとか。自転車でベルを走らせる私は、ますます肩身が狭くなった様である。

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