| 2007年8月20日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 700 |
8月20日(月) 晴れ
「欽ちゃんて凄いね。」とAさんは言った。「でも、あのまま倒れちゃったらどうするつもりだったのかしらね」この土日に行われた24時間テレビの中で行われた、萩本欽一のマラソンの事だ。(私も時々見たよ。もう救急車で運ばれたか、未だか確かめるのにね)と応えた。欽ちゃんはスタートしてから直ぐ、様子がおかしかった。
この所の暑さと66歳という年齢、いや若くても今年の暑さの中では運動を控えるようにと、注意が出ている。例えば高温、湿度、血圧、脈拍などを明らかにして、勇気ある撤退をしても番組や欽ちゃんの株は下がらなかった、むしろ好感を寄せられただろうと話し合った。止めなかったのか止められなかったのか。過去にスタッフの過労死も出ている。一体この番組の意義、目的は何だろうとAさんと考えた。募金か、精神主義の高揚かはたまた話題作りか?いずれにしてももう、今の時代とずれているの結論で一致した。 |
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| 2007年8月19日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 699 |
8月19日(日) 晴れ
気まぐれなプレゼントのように、昨日は1日だけ暑さから解放されてホッとしたが、今日はまた暑さがぶり返した。30℃位の気温だと、楽だと思える今年の暑さである。然し、草地の中にベルはバッタを追いかけ、夜になるとコオロギの音を聞いたと家人が云った。 この10日程、家人は踵が痛い、膝が痛い、走らなくても痛むからこれは痛風だとか言いながら、それでもニュースを作ったり配ったりしている。
少し良くなると使って悪化させ家の中を這い廻るというパターンを繰り返している。
それでも医者には行かない、痛み止めも飲まない、痛風に悪いからあれもこれも食べないと、勝手なことを抜かしている。
サムちゃんだって、踵が痛風だなんて聞いたことがないと言う。
《亭主達者で留守が良い》を唱えて、ひたすら我慢している自分はエライと思う。
今年の酷暑に関係があるのかないのか、この夏は公園にホームレスが増えた。下の四阿を追い出されたら、上の四阿に移ってきて5,6人で1日中酒盛りをしている。明らかに20代前半と思われるやせ細って真っ黒な男性が、ゴミ箱を漁っている。団地にひとり住まいだという年配者も、この2日間公園で酔っぱらっている。それを見てサムちゃんは(あたしもサムがいなくてひとりぽっちだったら、どうなることか?)なんて言う。
ああ、早く涼しくならないかなあ。
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| 2007年8月17日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 698 |
8月17日(金) 晴れ
(言うまいといえども今日の暑さかな)勿論私の作句ではないが、毎日堪らなく暑い。昨日も今日も、ただただごろごろとして身体を休める。夕方から出掛ける用事があったので、4時半にベルを散歩に連れ出した。なるべく木陰や涼しい路を選んで、給水もしたが、団地内を通り過ぎた頃にはとうとう、草地の中にへたり込んだ。直ぐに自転車の前籠に収容して家に帰り家に着くと直ぐに、水道の水をホースでお腹や背中にじゃぶじゃぶと掛けた。お終いにタオルをゆすいで顔も拭いてやったが、別に有り難うとは言われなかった。
夕方からは「天空列車・チベット旅行仲間」の写真交換会があった。皆さんはそれぞれにとても素敵な写真を撮っていて、何枚かを頂いてきた。時系列に記録的として撮った人、興味の対象だけを撮った人、もっぱら景色の中に自分を置いて、記念写真とした人と様々である。あれこれの思い出話をしていたら、T夫人も例のイケメン若いチベット僧と西洋夫人のデイトに気が付いていて(あれはどういう関係なんでしょうね)と仰った。やはり気が付きましたがと聞いたら(だって、外国人旅行客専用のレストランに地元の若い僧がいるんですもの)と続けた。バードウオッチングをしているというAさんに、帰国してから何ともありませんでしたかと、尋ねられた。彼女は帰国してから気管支炎になったという。向こうにいたときから、何となく気管支がおかしかったらしい。同室で、(多分熱中症で)ぶっ倒れたBさんは、遅れて見えたが私に一言の挨拶も無かった。鮭茶漬けを頂いたCさんにお礼を言いたかったのだが、お見えにならなかった。それを言ったら誰かが、体調を崩したCさんも結局は、持参した日本食で回復したと言っていたと教えてくれた。 |
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| 2007年8月16日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 697 |
8月16日(木) 晴れのち曇り
13日にどどっとやって来た娘家族5人が、今日がやがやと帰って行った。アドレナリンの切れないうちに洗濯機を3回まわし、掃除機を掛けモップを動かした。それからおもむろにクーラーを入れ、寝ころんで天井を眺めながらアイスを食べた。
「孫台風去ってふところ秋の風」は去年読んだ句だが、実態はいつもと全く違う生活の緊張度に、身体が追いついて行かないのだ。自分自身がぐるぐる回る洗濯機の中に放り込まれたような、数日間だった。 |
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| 2007年8月13日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 696 |
8月13日(月) 晴れ
今日からお盆。ケアハウスに義姉を迎えに行ったのは、8時一寸過ぎだった。毎日煎られるような暑さなので、なるべく早くお墓参りに行こうと約束してあった。だが、食堂にも居室にもいない。事務員さんが館内放送を流して探してくれた。すると義姉はAさんと(歩け歩け)に出かけたと言う情報が届いた。多分公園へ行っていると思いますがと事務員さんは言ったが、しばらく待たせて貰った。義姉もこの頃気の合う友達が出来たので落ち着いているのだと思う。
墓参りが終わって、お施餓鬼会の手続きにお寺へ寄った。後からバイクが追いついて、ヘルメットを脱いで挨拶したのは、まだ童顔の若い坊さんだった。(あら、見たことない人)と義姉はいぶかった。(ホラ、去年来たときお寺の奥さんが、息子が修行に行っているが、逃げ帰ってこないかと心配で心配で・・と言ってた、息子さんだと思う)と説明したら、そうだったと笑った。
お墓参りの時はいつも、私の姉達と時間を約束して会うのだが、今回は(暑いから、5時起きしてお墓参りをするから待っていない)と、連絡があった。まあ、来月はまたお彼岸でやってくるが、姉の家に寄って顔を見る。わざわざお互いの老けた顔を確認するようなものだが、それでお互いに安心する。更に帰りがけにスーパーへ寄って、義姉の靴を買った。今履いている靴は、中敷きが半分剥がれている。夏物は半額バーゲン中だったので、帽子も買った。義姉は、私の帽子も買ってくれた。1240円だった。 |
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| 2007年8月12日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 695 |
8月12日(日) 晴れ
昼前は、風が出た分昨日よりも過ごしやすかったと思う。でも今日も暑い。その暑さの中をまたまた働いてしまった。いや、そんな予定も積もりもなかった。ただあんまり暑いので、風の路を作ろうと思って(しばらく−数年)締めたままの裏口ドアーを開けた。その途端に、(一寸の積もりで裏口に置いてあった、古本や空き袋、ベルの餌やおもちゃ、枕の中味などなど)が一斉に崩れて来た。落ちてきた分だけかたづけるつもりだったが、結局全部片づける羽目になった。
未だ3時半だというのにベルが鼻を鳴らして遊びに行きたいと催促する。未だ暑いからダメだと言い聞かせたが負けて、少し早いが4時半に出かけた。サムちゃん家に寄る。先日作業表の作り方を教えたが、またわからないことがあると言われていた。
サムちゃん達も退屈していて、直ぐ一緒に市民の森へ出かける。途中団地の中で数日前火事のあったラーメン屋を見て、サムちゃんからこのラーメンやの経緯や火事の原因、様子などの情報をつぶさに聞いた。また犬たちのために名水を汲んだ。森の中は蝉の大合唱で、樹液の出ているところには(カブトムシはいないが)虫たちが集まっていた。然し夏休みなのに誰も遊んではいない。誰にも会わなかった。犬たちにとってそれは好都合なのだが、やはり寂しい。子ども達は何処へいってしまったのだろうかと、顔を合わせる。
花見川沿いの公園でナナちゃん達にあって、一緒に遊ぶ。帰る頃になるとベルは、尻尾は垂れ下がり、舌を出してあえぎあえぎ、漸くみんなの後を付いていった。 |
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| 2007年8月11日(土) |
| 犬と歩けば・ふたたび 694 |
8月11日(土) 晴れ
今日1日で、顎の下にアセモが出来た。昼下がりにやって来た宅急便のおじさんに(暑くて大変ですね)と、声を掛けたら(今朝8時にはもう33度だそうです)と汗を拭った。 朝の用事を済ませて、ケアハウスの義姉を訪ねてお盆の仕度をした。先ず室内の掃除。いつものように布団はシーツを取り替えて陽に当て、小さな絨毯も外に干した。ベッドを動かして掃除機を掛け、ガラス戸や網戸を拭いた。つられて義姉も仏壇代わりの棚の上を片づけたり、兄の写真を拭いたりして動いた。昼食の時間になったが、直ぐに戻ってきた。足りないものを買いに行って、義姉が出した書類を点検する。必要な物と捨てるもの、私が預かって行くものとに分ける。中に義姉が先月末受けた健康診断結果も混じっていた。血圧も血糖値も肝臓もそこそこで悪くない。義姉も(そうなの。元気になったって、先生に言われた。)と、胸を張った。市役所からは平成20年から国保の自己負担率値上げの通知も来ていた。アイスを食べてから私の姉や親戚に電話して、義姉が少しお喋りした。 帰りも暑かった。お盆休みが始まったせいか、いつもより車が混んでいたので、(私にしては)思いっきり車のクーラーを効かした。 |
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| 2007年8月10日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 693 |
8月10日(金) 晴れ
チベット旅行から帰ってみると、川柳の先生・酸吸さんが亡くなっていた。旅に出ることは、あらかじめ連絡してあったので、弔問に行ったとき「今度はどんな絵はがきを送ってくれるだろうか?どんな話しが聞けるだろうか」と楽しみにしていたと、夫人は言った。唄の文句ではないが、しばしば別れは突然やってくる。なかま達はファックスや電話で(さぞ驚いたことでしょう)と慰めてくれた。
「多読・多作が上達の近道。やはりある時期に集中して勉強した方が良い」酸吸さんは私の顔を見ると、良くそう言った。然し私はそれに応えることもなく、未だに怠けている。 先月、酸吸さんと1日違いで入院・手術された紀の治さんが、お元気になって今月の句会に出席された。紀の治さんの句はほのぼのとして意味が深く、大好きである。私が彼の年齢となったら、この様な句が出来るだろうか。
題「あつい」(熱帯夜団扇と汗が添い寝する)題「生き甲斐」(生き甲斐が背中ではしゃぐ遊園地)紀の治さんは良く子どもの句を作るが、彼には子も孫もいない。因みに私の句は「あつい」(叱る声泣く声そとはせみしぐれ)「生き甲斐」(生き甲斐の上に胃袋鎮座する) |
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| 2007年8月9日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 692 |
8月9日(木) 晴れ
チベット天空旅行24
地図帳で見ると、インド大陸がユーラシア大陸にぶつかって出来たヒマラヤ山脈の北に拡がるチベット高原。その土色に塗られた山塊に町があり、日々人々のささやかな暮らしが営まれているのを今回の旅で見てきた。
そもそも天空列車に乗りたくて出かけた旅。高山病の知識が足りなかった。具合が悪くなったら酸素を吸えば治る位にしか考えていなかったが、そんなに簡単なものではなかった。ラサの暑さと、紫外線の強さも想定外だった。幾つか誤算はあったものの、今はあれもこれも思い出のベールに包まれて懐かしい。
現地通訳チベット人のベイマニマさんは、チベット大学で日本語を習得したという闘志満々の才媛。何故日本語を選んだかの質問に、たまたまテレビで歌舞伎を見て面白いと思ったのが動機だと答えた。チベットの街中で見る「公安」の文字や説明に、緊張感が伝わってきた。またある時、チベットの軍事基地を視察にやって来た江沢民が、高山病にかかり慌てて帰ったという話しから、(高山病にかかるなんて、他民族だから)というニュアンスを私は嗅いだ。チベット人の平均寿命は男60歳、女65歳、(まだこの通り貧しいが)山には鉱物資源が沢山埋蔵されていると、彼女は力説した。それに太陽光もねと私は付け加えた。多くの矛盾と波乱と可能性に満ちたチベット。来年の北京オリンピックには、(東京大会のアベベのような)無名の凄いチベット人ランナーが出ると良いねと、私たちは話し合った。
日本へ帰る飛行機の中から、北斗七星が見えた。飛行機が進路を変更すると、(プラネタリュウム)のように、北斗七星は回転した。

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| 2007年8月8日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 691 |
8月8日(水) 晴れ
チベット天空旅行23
所でこのご家族は9人。お爺ちゃんは既に亡くなって、お婆ちゃんと息子が4人、嫁が1人に孫が3人の構成。長男は家に残り、3人の息子はラサに出稼ぎに行っているとニマさんは通訳した。ここまで聞いてもなんと言うこともないが、結婚式は花嫁1人に花婿4人でという説明があり、誰もがはてな?と思った。そう、一妻多夫なのである。それが一般的だと言うのではなくて、一夫多妻も勿論あるし一夫一婦もあると、ニマさんは急いで付け加えた。話しには聞いたことがあるが、いきなり目撃したのは勿論初めて。この土地に暮らし続けた人達の、生活の知恵なんだろうなと理解した。人は誰でも生まれるときと場所を選べない。
所で私たちが泊まったシガツエはチョモランマへの入り口に当たり、山頂を目指す人達はこの町で2,3泊するという。2008年には、ここまで鉄道が延びる予定だとも聞いた。この町で訪ねたタルシンボ寺は屋根が黄金に輝いていて、今までに見たどの寺院よりもきらびやかであった。私はこのお寺に、ラサに到着したとき戴いたカタ(純白の聖布)を納めてきた。ご本尊の前には沢山のカタが納められているが、私はニマさんに自分の希望を伝えて作法を教わった。私は心を込めてお祈りをしてから、カタを丸めて投げ上げた。カタは絹製で滑りやすく、私の丸め方と投げ方が弱かったので一度は滑り落ちてきた。それを見たニマさんはアッと小さく声を挙げたので、もう一度やり直した。今度は上手く納まり、ホッとした。今、日本の自宅から、遥かなチョモランマの麓の街のお寺に納めてきたカタを思うと、不思議な気がする。

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| 2007年8月7日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 690 |
8月7日(火) 晴れ
チベット天空旅行22
今日の夕方、「関口知宏の中国鉄道大紀行」で、「天空列車」が写っていた。それを見て思いだしたのだが、確かに5,231mのタングラ峠では車窓からあの石碑を見た。見たのだが、あの時は格別に感動などはなかった。多分高山病で頭もボンヤリとしていたに違いない。
さて、小学校訪問の次は一般家庭訪問となった。これも又、事前に予約を取ったのではなくて、バスで走っていて適当に止まった所で直接交渉したらしい。
訪問した家は日干しレンガを積み上げた2階家で、1階部分は家畜小屋(山羊1匹と鶏4,5羽がいた)。金属製のハシゴを登った2階部分が住居だった。真ん中を残してロの字型に幾つかの部屋があった。居間には、覆いを掛けたテレビやラジカセもあった。この家は築3年。前の家は山の近くにあったが、土石流で流されてしまった、再建に政府の援助はなかったと説明。さて世界中何処にでも、おしゃまな女の子はいる。写真は、この家の孫娘(5,6歳)が我々一行の1人に写真を撮って欲しいとねだり、急いで顔を洗っているところである。彼女の向こう側に大きな瓶があり、そこから柄杓で水を汲んで洗面器に入れ石けんをつけて顔を洗った。おまけに母親にせがんで、クリームをつけて貰い更に髪もとかしてからポーズを取った。所で彼女の名前は(イマブチ)というらしい。イマは月曜日(生まれた日)、ブチは次は男の子が生まれるようにという意味だとニマさんが教えてくれた。彼女が思春期を迎えたとき、自分の名前にどんな感想を持つのだろうかと考えた。

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| 2007年8月6日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 689 |
8月6日(月) 晴れ
チベット天空旅行21
旅行11日目。今日は一気に350qを走ってラサ空港を目指す。ラサから国内航空で成都を経由して下界(北京)に戻る予定である。天上世界に居るときは、酒という言葉さえ敬遠していた飲兵衛達は、早くも「北京へ戻ったら思いっきり飲みに行こう。北京ダックでも食いに行こう」と誘い合っている。でもここは中国。次々とハプニングが起こって、北京到着が夜中の2時になるとは、神のみぞ知る、だった。
さて、バスは(適当なところで泊まって?)小学校の見学となった。ここは小学校を囲んで何軒かの家があり集落を作っていた。ニマさんが小学校までの道を聞いて、我々がその後を水溜まりを避けながら付いて行った。所が小学校は6月28日から夏休みに入っていて、門は固く閉まっている。仕方がないから帰ろうとしたとき、お爺さんが出て来た。どうも見慣れない我々一行の様子を眺めて居たらしい。ニマさんが交渉すると、お爺さんは自宅に向かって、大きな声で何か言った。
おばあさんが学校の鍵を持ってきて、我々一行を校内に入れてくれた。教室が2つに教員室が1つの小さな学校だった。教室には机が20までなかったと思う。(数えるのを忘れた)黒板には立派な漢字と発音記号が書かれたままあった。トイレは別棟にある。ここは小学校1,2年生だけだと聞いたが、ここのトイレも(慣れないせいか)私たちには恐かった。ところでチベット自治区の学制は、日本と同じ6,3,3、4制で、中学までは無料。然し田舎と都会ではカリキュラムが違う。田舎では小2から漢語、中2から英語の授業が始まるが、都会では幼稚園の3才から漢語、英語の教育が始まる。教育費は高い。 仲間の1人が、プレゼントに
鉛筆とノートを持参していた。先程のお爺さん(村長?)は、包み紙の上にそれぞれの有り高を記入して欲しいと言った。
写真は小学校を出る、われわれ一行。右から2番目の杖をついたk先生の後に見えるのが小学校の門

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| 2007年8月5日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 688 |
8月5日(日) 晴れ
チベット天空旅行S
チベット第2の都市シガツエは、ラサよりも人出は少ないが大きな街だった。夕方ホテルに着いてバスを降りたとき、身体が重いような頭がぼんやりするような感じがあった。寒い。然しホテルロビーに続くサンルームには、日本で見られる夏の花が何種類も満開で、温室で育てるベゴニア類もあった。所で、私たちの部屋は4階でエレベーターはない。私たちはあえぎながら登った。後でニマさんは(驚くので、黙っていたが)ホテルは4200mだったと言った。ホテルの二重窓から見える中庭の樹々は強風に木の葉を振るわせて、既に晩秋の趣がある。チベットはこの時期雨期で、毎日午後になると雲が出て夕立となるので、同室のAさんが楽しみにしていた星空は、残念ながら一度も見ることが出来なかった。また、午後9時を過ぎても明るくて、私たちの日常感覚とは優に3時間位のズレがある。広大な中国全土が、たったひとつの北京時間だけという現実は、「権力」というものの凄さを垣間見た気がした。もうひとつ、同じホテルに「高級幹部」が泊まり合わせたとき、私たち観光客は隅に追いやられる。第一彼等は、トヨタ車のランドクルーザーを11台、他に1,2台を連ねてやってくる。まるで殿様行列である。
さてもう名前も忘れてしまった、古い小さなお寺に立ち寄ったときのこと。バスに戻ろうと降りてくると、中庭に女性が座り込んで絵を描いていた。強烈な日射しの下で、薄布を被っただけでスケッチブックに覆い被さるようにして絵を描いている。思わず近寄って見ると、右手に数本の色鉛筆を持ち、左手で(彼女は、左利きだった)別に目の前の建物を見るわけでなく、さらさらと描き進めている。北京通訳の張さんが何か話しかけたが、無言。張さんは舌打ちするような感じで、(標準語がわからないですね)と言った。私には、絵の世界に没入している彼女には聞こえなかったと思った。集合時間を気にしながら、不躾に彼女の絵を覗いた。


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| 2007年8月4日(土) |
| 犬と歩けば・ふたたび 687 |
8月4日(土) 晴れ
チベット天空旅行R
夕方スーパーへ買い物に行ったとき、ヤツと目があって(全く必要がないのに)思わず買ってしまった。それは、お湯を入れて3分のカップヌードル。(鮭茶漬け)は帰国して直ぐに買った。
今回の旅行で、食べ物はどうだったかと良く聞かれる。基本的には中華料理だと思うが、香辛料が違う様だったと答える。明らかにインド料理だと思えたレストランは、味付けがみんなに好評で、2回行った。私はいろいろな物を少しずつ食べるように努力したが、5日目頃から胃袋が抵抗し始めて、お腹の調子も狂ってきた。そんな時、カップヌードルを貰って食べたのだ。美味しかったのなんのって、汁の一滴残さずすすった。また私が白粥ばかり食べているのを(多分)見ていたAさん(彼もずっと具合が悪そうで、食卓ではいつもしかめっ面、腕組みをして座っているだけだった。)が、これと言ってくれたのが
(鮭茶漬け)だった。白粥に振りかけて、口の中に放り込んだら「うまい」と、あたりに響くような声で胃袋が叫んだ。
旅行9日目と10日目はチベット第2の都市、シガツエに宿泊。都がラサに遷るまでここが第一の都だったという。いままでは青海省の方から10時間かけて到着する都だったが、新しい路を切り開いて(オリンピックがらみかな?)4時間で来られるようになったと聞いた。そうだろうと思う。新しい路は岩山を刻んで作った2車線の路。道路上には、臼ぐらいの落石があって道路がへこんでいた。私たちは往路で、追い越しをかけた観光バスが、タクシーと正面衝突して、2台とも谷底に落下した現場を通った。2日置いた復路で、その現場でクレーン車が落下したバスの引き上げ作業中に当たってしまった。ハイ2時間待ち。驚いたのはこんな(僻地?)で、たちまち交通渋滞が起きたことだった。片側交通が出来るようになっても、相手は3重4重駐車で進めない。えらいさんの到着を待つしかなかった。 |
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| 2007年8月3日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 686 |
8月3日(木) 晴れ
チベット天空旅行Q
今回の旅行に、デジカメとバカチョンカメラを用意した。デジカメは6回分の電池12本とバカチョンは39枚撮りを持って行ったが、どちらもフィルムが残った。写真を撮るよりも深呼吸したり、水分補給に気を使った。ウン十万円もする新しいビデオや、見るからに重そうな一眼レフを構えている人も居たので、欲しいのがあれば後で譲って貰えばいいと考えた。帰国途中、乗り換えの成都空港で日本語もついているチベットの写真集を買った。私の撮った写真は、殆どがブレていた。
旅行の9日目だったと思う。夕食はレストランで現地の舞踊ショーを見ながらという晩があった。10人はかけられる丸テーブルが幾つもある。100人は入ったと思うが、その全部が観光客に見えた。前の方に小さな舞台があって、男女5,6人ずつが入れ替わり立ち替わり踊って見せた。音楽はドラの音なども入っていたが、男性の踊りはコザックダンスそっくりの振り付けもあった。フィナーレは全員が舞台に揃った後、客席を廻って客を一人二人とその輪の中に誘った。私の所に手が伸びてきたので(ついその気になって)仲間に加わった。所がその大きな輪は舞台と客席の間を何回も何回もぐるぐる走って廻るのである。喉がひりついて息が苦しくなってからやっと、ここは4千m近い高地である事を思い出した。右手を繋いだ白人女性を横目でみると、彼女も少し顔をゆがめていた。もうダメだと思ったとき、漸く高地トレーニングは終わった。


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| 2007年8月2日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 685 |
8月2日(水) 晴れ
チベット天空旅行P
バスで移動中はどんな景色かというと、荒涼とした山並みが連なるのが、基本である。続いていきなり砂漠化していたり砂礫が堆積していたり、うーん山は生きて動いていると実感したのだが、そんな中で突然緑の麦畑と菜の花畑が現れてあっけにとられる。これら裸麦か大麦の粉を、バター茶で練ったものがチベット人の主食であると、ニマさんから繰り返し教えられた。然し近年、余所から米も入ってきて、若い人は米の方が美味しいと言うが勿論米は高いという。バター茶は見学したお寺で2度、ご馳走になった。1回目は癖のあるバターの匂いが鼻についてとても飲めなかったが、小さなお寺の庫裏でお爺ちゃんが入れてくれたバター茶は、かすかに塩味がして冷たいミルクティーのようで、飲みやすかった。この庫裡は天井に明かり取りがあって、みんなが木のベンチに座ると曲がった腰で大きなヤカンを持ち、1人ずつ茶碗に注いでくれた。このお寺(名前は忘れた)も山の上にあったが、庫裡の中にはガスボンベとガスレンジもあったから、たまには使うらしい。基本的にはどこも薪を使っているようだったが。
郊外へ移動中の昼食はお弁当だった。1人分ミネラルウオーター1本。菓子パンの様なのが3個、厚い肉(何だろう?)の切り身が3枚ぐらい、同じく肉の唐揚げかフライドチキンのようなのが3,4本。まんじゅう2,3個、バナナ1本が紙の箱にはいっている。あと何かもう一品あったような気がした。私たちは河原とか、林の中でお弁当を拡げた。すると何処からともなく子ども達が集まってくる。当たりに人家はない。私たちには彼たちが(女の子はいなかった)大地から湧いてきたとしか思えない。ニマさんが追っ払うが、遠巻きにして私たちを見ている。私たちはみんな食欲が無く、弁当の中の1,2品しか食べないので、ニマさんは手を付けていない食料を集めて彼たちにやった。見ていると仕切るのが居るらしく、同じように分けて貰ったが彼等はその場で食べない。家へ持って帰るらしかった。


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| 2007年8月1日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 684 |
8月1日(火) 晴れ
チベット天空旅行O
旅行8日目。この日はバスで西に500qの大移動をする。まず、標高4250mに位置するヤムドウク湖を見学する。ホテルを出発した観光バスは、河を渡り、谷を抜け急坂を登っていくが、たびたび羊の群れに立ち往生した。羊は何頭位いるのか見当もつかないが、たった1人の羊飼いが連れていた。羊飼いの(給料)は安いんですと、ニマさんは言う。1年間預かって年末に1頭(?未確認)20元貰うと聞いた。
ヤムドウク湖が近くなって、上から降りてくる観光バス7、8台とすれ違った。
「ヤムドウク湖では、土産物を売る人を相手にしてはいけない。その人達の写真を撮ってもいけない。ヤクがいるが、ヤクの写真も撮ってはいけない。誰も居ないと思っても、あとからやって来て高い撮影料を取られる。(勝手に)トイレをしてもいけない。その場合は罰金20元である。」とニマさんは、繰り返しくどくどと念を押した。
所で晴れたら(大きな藍色の宝石をはめ込んだような湖)のヤムドウク湖は、残念ながら曇っていた。私の撮った写真は湖を撮ったら、知らずにヤクが入ってしまったものである。ヤムドウク湖を見下ろす場所に、土産物売りの台が並んでいた。アクセサリー類が殆どだが、欲しいと思うような品はない。おばあさんが釜(日本の釜と同じ形)で何かを洗っていた。昼食の用意だろうか?土産物売りは2,3才の子どもも含めて、20人ぐらい居た。(あの人達は夜になったら山を下りて帰るのだろうか?)と、Aさんに聞いたら(そんなこと知るかよ)と答えた。

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| 2007年7月31日(火) |
| 犬と歩けば・ふたたび 683 |
7月31日(火) 晴れ
チベット天空旅行N
旅の7日目。昨日からチベットのラサを離れて郊外へと向かった。
現地添乗員のニマさんは「ダライ・ラマ」という言葉は家庭内でひっそり語ることしかできない。ある寺を観光した西洋人の団体に、そこの僧が(ダライラマは偉大だ)と説明したらその団体の通訳に密告され、僧は今もローヤにいるという話しも聞かされた。然しダライラマの夏の宮殿だったという(ノルブリンカ)を見学したときそこは、日本の夏と同じ花々が咲き乱れ、建物の隅々まで掃除が行き届いていた。建物の中の時計が9時を指して止まっていたが、それはダライラマがインド目指して脱出した時刻(午後9時)を示していると、説明された。亡命後50年も経ってなお、チベット人のダライラマに対する思いがどういうものか、うかがい知ることが出来る。
また、この日はチベット最古の宮殿(ヨンブラカン)にロバに乗って登った。片道10元(約180円)だ。20元札しかなかったので馬子に往復とゼスチャーで伝えたら、見学が終わって出て来たら入り口でちゃんと待っていてくれた。
写真はお寺の中から入り口を見たところ。ラサの郊外はこの様に荒涼とした所だった。


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| 2007年7月30日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 682 |
7月30日(月) 雨のち晴
チベット天空旅行M
旅の6日目、私たち一行を乗せたバスは、ラサ郊外のガンデン寺を目指した。チベット滞在中私たちは、同じバスで運転手のAさん(名前は忘れたが、屈強な若い男性)北京からの添乗員・張さん、現地添乗員ニマさんの3人にお世話になった。
ガンデン寺はラサ川南岸、標高3800bワンブル山の頂上にある。7月1日に開通したばかりという道路を、つづら折りにバスはせっせと登っていった。
山門に到着。あたりは霧がかかっていた。右側に小さな小屋があって、ニマさんが拝観料を支払って入門。入って直ぐ左側にしっかりした建物があって、「公安」と大書してある。その前を通り過ぎると、露天で薬草などを売っている人が、数人いた。
「チベット僧は、国からお金を貰っている。多くて毎月200元だが、僧の多くは貧しい家の出身なので、殆どの僧は実家へ送金する」とニマさんが説明した。というと、国家公務員って事かな?と考えていると「でも、ガンデン寺は政府との関係が良くないので、一切援助はありません」へえーそう言うこともあるのか。
帰国してからネットで調べたら、このお寺はチベット仏教ゲルグ派の総本山と言うよりも、文化大革命・チベット動乱の時にダライラマ側の拠点となった所で、その為に徹底的に破壊されたとあった。1981年から少しずつ再建されていると言うが、ここで聞いた話しは身につまされた。(むかし、むかし)ここの僧や住民は、食べ物がなくてここに生えているこの草を食べた。然し、この草は葉の裏に刺があり食べると眠くなったという。寒さの中で眠ったらどうなるか・・。
写真はガンデン寺とあちこちに生えるイラクサ。


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| 2007年7月29日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 681 |
7月29日(日) 曇り
チベット天空旅行L
ラサについて3日目の午後、いよいよポタラ宮殿の見学となった。観光客の見学は 午後と決まっているらしく、暑い盛りの13時半に入り口到着。入場料は観光客10 0元、地元の人は2元と聞いた。いよいよあの(ポダラ宮殿を見られる)と言う思いよりも、高くそびえ立つ宮殿を振り仰いで、あそこまで登れるだろうかと不安が先に よぎる。75才のお婆ちゃんは早々とリタイヤーを宣言して、待っていると言って涼 しいところに陣取った。然し同じく75才のK先生ご夫妻は杖を使いながら、ここに 限らず全行程を歩き通した。脱帽。ここは50年前までダライ・ラマの居城だったと ころ。その頃はこの中に大学があったと説明を聞く。今は軍隊が駐留しているとい う。どっちにしても「権力」が、ここから庶民を睥睨していることに変わりない。
宮殿内を見学してやっと下りにかかった。日陰のある所で一休みしたとき、先客の ペアーに気が付いた。何とも良い雰囲気を当たりに醸している。そのまま通り過ぎようとしたが、思い切って(写真を撮らせて貰って良いか?)と、身振りで聞いたら一 寸はにかんだがOKが出た。気持ちが変わらぬ内にと、急いでバカチョンカメラの シャッターを押した。今、こうしてみても二人とも実に良い顔をしている。昔の日本 人の顔に、そっくりだ。


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| 2007年7月28日(土) |
| 犬と歩けば・ふたたび 680 |
7月28日(土) 晴れ
チベット天空旅行K
次はチベット市内の小昭寺と言うところへ見学に行った。バスを降りてメインストリートをしばらく歩く。乗用車・トラック・三輪車・に輪タクまでごちゃごちゃに走っている。歩道はでこぼこで所々に水溜まりもあった。数軒置きに肉屋がある。ニマさんがチベット人は肉が好きだと言っていた。お酒も大好きでみんなが集まると直ぐにお酒になると言っていた。お酒はアルコール度54度だとか。肉屋は一抱えもあるでっかい肉の塊が、これも又大きいまな板のような上に、幾つも転がっていた。洗面器の様なのに入れてあるのもある。蝿がたかっている。店の人はとみると、男も女ものんびりと座っていて、蝿など気にしていない。なんだかわからないが、スゴイナーと感心した。
メーンストリートを横切って入った路は、左右に風船、靴、ジーンズ、子供服、布、野菜、食料・おもちゃなど生活用品を売る店や食堂、露天商がごちゃごちゃと並び、門前町だなとわかった。後から教えられたが、ここは3年に一度のお祭りの最中だったらしい。
お寺の門を入ると広場には信者がビッシリと座って、マイクで聞こえてくる老僧のお経を復唱している、と聞こえた。お寺内を見学するときはいつも、時計廻り進むと教えられていたが、驚いたことに、広場では座っている信者を左右に避けさせて、私たちは建物の中を目指して進んだ。建物内は更に隙間なく座って読経している坊さん達の身体を左右に倒させて、その隙間を進んだ。暑さと寺院内の独特の匂いと若い僧達の体臭がミックスされて、襲いかかる。その中をただただ転ばないようにと(一旦つまずいたら、若い僧達の中に飛び込んでしまう)神経を集中し、他人の懐の中にずかずかと侵入する心地悪さを感じながら、一歩ずつ進んだ。こんな私たちの一行を、珍しそうに眺めている坊さんもあちこちにいた。この読経は祭の間中2ヶ月間、毎日朝6時から夜の7時まで続けられると言うから、無理もない。更に読経の間に、米と安全ピンが撒かれて、私たちに降りかかった。米は何となくわかるが、安全ピンの意味を聞き損ねた。
こんな無礼をも許される「入場料」は20元(約350円)。地獄の沙汰も金次第というわけか。写真は小昭寺入り口。赤い鉢巻きのようなのをした男達は少数民族か?

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| 2007年7月27日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 679 |
7月27日(木) 晴れ
チベット天空旅行J
「ダシテレ」。両手を合わせてこういえば、(有り難う・サヨウナラ・こんにちは)のどれにも使えると教わった。ハワイの「アロハ」と同じようなものだろうか?
私がニマさんに(有り難う・こんにちは・サヨウナラ)に対応するチベット語を聞いたら「トゥチィチ・フッカムサン・ジェイスジェイオン」と教えてくれた。早速路で出会ったおばあさんに(フッカムサン)と愛想良く言ってみたら、(サシデレ)と帰ってきた。私には聞き取れないが、ダとサの中間の音だと思う。でも私たちの仲間は「ダシテレ→出汁取れ」と覚えた。さて旅行4日目のこの日、午後はかつて日本人僧も学んだという「セラ寺」見学となった。見学したどこのお寺もそうだが、もともと高地(3700b)なのに更に高いところにある。私たちは炎天下、石段を登る。
ただ目の前にある一段を黙々と上る。そうやって運良く登りついたら、お寺の中に入ることができる。お寺の中は黒砂糖とバターを焦がしたような独特の匂いがするが、日陰に入れる。所が今回はそうはいかなかった。私たちの仲間の女性が、階段を登ったところで突然崩れるように倒れたのだ。私と同室の人だ。みんなは慌てて、細い影がある塀の傍に運んで地面に寝かせた。医療関係者もいたので、服を緩め、頭を下げ顔を横向かせ、足を冷やすなど応急措置を取った。外国人(?)や坊さん達も集まってきて大騒ぎとなった。
更にこの日の夜、4人も病人が出て(もっといたのだが、受診を拒否した人もいた)ホテル専属の医師が、3人に点滴をして廻った。翌日更に1人が点滴を受けた。
お尻の注射と2,3本の点滴治療代は、日本円で2万円から3万円の間だと聞いた。
写真はセラ寺の中庭で行われている禅問答(?)と、参拝する少女


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| 2007年7月26日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 678 |
7月26日(水) 晴れ
チベット天空旅行I
昼食は、街の小さなレストランに入った。店内は植木で座席を仕切ってあり、よく見ると10号ぐらいの絵が、何枚も壁を飾っていた。絵のテーマはチベット人の若い娘や老人、露地から見える寺の一部などだが、油絵かと思って近くによると、岩絵の具だった。私たちは真ん中の、ながーいテーブルに向かい合って座った。私の座った向こうのテーブルは白人(米国人)の親子らしい。右手奥のテーブルもヨーロッパ人に見えた。
さて先ず運ばれて来たのは焼きたてのナン。サッパリと塩味で、美味しかった。
次々と運ばれてくる料理で、たちまちテーブルの上は一杯になった。みんなであれこれ品定めをしながら、少しずつ試食する。
その時私の後の席で、声を張り上げて切り口上で何か言ったのが聞こえて、思わず振り返った。そこには、あの臙脂色の衣をまとったチベット僧が、身体を硬くしてまっすぐに前を見て座っていた。しかもその僧は若くてイケメン。彼の視線の先には、金髪の混じった銀髪で、真っ白なスーツをまとった細身の女性が(そうそう西洋版おつうの様な)ゆったりと座っていた。ムムッこれはどんな組み合わせなのかと、私の興味は一気に高まった。誰かが(このカレー味の野菜を、ナンに付けて食べると美味しい)なんて言ってるが、そんなこと気にしている場合じゃない。耳をダンボにして、後の様子を伺う。天から舞い降りたかと思う様な女性は、落ち着いてゆっくりと英語で喋っている。(英語と言うことはわかったが、内容はわからない)と言うことは彼も、英語がわかるってことだ??さっき彼が声高に言ったのは、勿論英語ではない。あの独特のイントネーションの中国語でもなかった。とすると、残るはチベット語か。
私たちの食事が済んで席を立ったとき、何気ない振りをして目を遣ると、彼は俯いて小さな声で英語を喋っていた。ついでに女性の横顔も一瞥すると、彼女は意外に年配だった。私と同じくらいかも知れない。
「若くイケメンのチベット僧と、熟年西欧美人との組み合わせを何通りか考えて、証明せよ。」それ以降今日まで、私はこの問題に取り組んでいる。
(写真は大昭寺屋上から、広場と遠くにポダラ宮殿を望む)

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| 2007年7月25日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 677 |
7月25日(水) 晴れ
チベット天空旅行H
標高3700メートルのラサがこんなに暑いなんて、どの旅行案内書にも書いてなかった。(真夏の7月でも長袖、セーター、上着が必要)と書いてあったから、タートルネックの長袖や、セーター、ダウンのベストまで持って行った。おまけに日射しの強烈な事と言ったら天火の中を歩いているようで、半日も戸外にいたら、人間のローストが出来上がること間違いない。ニマさんに聞いてみると、去年は最高気温が27℃まで登ったが、今年は既に31℃を記録したと言った。「地球温暖化のせいね」日本も暑くてというと、(北海道もですか?)と聞き返された。!!彼女は日本には来たことがないと言う。 旅の最後まで元気いっぱいだったリーダーのAさんも堪らず、広場の露天でチベット人が被っているつばひろ顎ひも付きの帽子を買った。
20元とか言っていた。
午前中はナントカという山の上の尼寺。午後は五体投地の見られるという「大昭寺」を見学したが、この暑さではさずがのチベット人もあんなに激しい活動はやらないよねえと、照り返しの強い広場を見て思った。私と同い年のBさんの足取りがおかしい。お互いに帽子は被っているが、更に傘を拡げてさしかけた。この夜、Bさんは39,5度の熱を出して、ろれつも廻らなくなった。

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| 2007年7月24日(火) |
| 犬と歩けば・ふたたび 676 |
7月24日(火) 晴れ
チベット天空旅行G
もう山も草原も見飽きた頃、列車は「ラサ駅」に到着した。
私たちは平均海抜5500bのコンロン山系や、長江の源流トト河も通ったはずだが、どれがどれやら区別がつかない。そのうちに車内放送サービスも始まるかも知れない。私たちはこの後、山や草原の中に深く入っていってその本当の姿を見ることになる。
列車は途中で「政府高官」害で2時間も遅れたはずなのに、ラサ到着はほぼ予定通り22:30に到着した。
私たちは、現地通訳の(通称)ニマさんに迎えられ、1人ずつ(白い絹のマフラーのような物)カターを首にかけられた。彼女は自分の名前を(ベイマニマ・通称ニマ)と、自己紹介した。チベット人は名字がない。自分の名前のベイマとは蓮の花を意味する。またニマは太陽の意味だと説明した。更にホテル到着後はアルコールは勿論、風呂やシャワーも止め他方が良いと注意された。私たちは開通したばかりのバイパスを通ってホテルに到着したがホテルのロビーは2階部分に当たり、私たちの部屋は1階部分だという。私たちはロビーに降りたって、ここは標高3700メートルであることを頭痛と息苦しさで、実感した。


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| 2007年7月23日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 675 |
7月23日(月) 曇り一時晴
チベット天空旅行F
あれは幾つ目の停車駅だったか、珍しくホームの向こう側にはフェンスが張ってあった。
ふと見ると、フェンスの外側にピッカピカの新しいバイクに寄り掛かった二人連れが見えた。あ、あれはきっとアベックよと言って、双眼鏡を覗いた。同室のAさんは(アベックをのぞき見るなんて厭ねぇ)と言って笑った。矢張り思ったとおり、チベットの若いペアーが、馬でなくバイクに乗って列車を見物に来たらしい。自慢のバイクに寄り掛かってこちらを見ている若い男性は、(チベット人が良く被っている)ひも付きつば広の帽子を被り、焦げ茶のシャツを着ていた。女の子は長い黒髪をピンクの紐できりりと後ろに束ねてあった。二人並んでお尻を突き出してバイクに寄り掛かっている様子は、辺り一面にハートマークをまき散らしているようで、見ているだけでこちらもなごんだ。
しばらくして又二人に目を戻すと、今度はフェンスの向こう側の斜面に、足を投げ出して並んで座っていた。二人の間隔は離れすぎず、くっつきすぎずの(初々しい恋人達)そのもので、しばらく眺めていた。やがて列車が動き出したので手を振ると、向こうの二人も手を振ってくれた。一期一会とつぶやいてみた。 |
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| 2007年7月22日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 674 |
7月22日(日) 雨、曇り一時晴
天空列車は、午前7時頃ゴルムド(2800b)に停車してから一気に高度を上げて、9時半頃には玉珠峰(4159b)を通過、ココシリ自然保護区に入るというが、勿論登山列車のように登っている感じはない。山の裾を右に左に巻いて、進む。
遠くに連なる岩山は光の当たり具合によって様々に色つけされる。裾野には起伏に富んだ草原がどこまでも続く。バードウオッチングをしているという女性が、双眼鏡を覗いて(鳥が飛んでる、ウサギのようなのがいる)と叫ぶたびにみんながどれどれと覗いた。全く意外なことに、列車は昼近くトンネルをくぐった。この後も終点まであと、2,3回トンネルを通った。14時頃、世界一高い駅(5068b)のタングラ山駅を通過とあるが、景色は今までとさして変わらず、期待したような「神々のすむ白きたおやかな峯々」は望めなかった。それでも山並みの向こうに、真っ白な峯を幾つか見ることが出来た。(6千b級の峯はざらにあるので、名前はないという) 一方、午後停車した駅で、発車時間が過ぎても一向に動く気配がなかった。勿論説明もない。それでもホームのあちこちに目つきの鋭い男達が沢山配置され、ただならぬ様子は感じられる。結局どこからともなく「政府高官」が乗車するらしいと、噂が伝わってきた。結局「政府高官」の為にここで2時間も待たされたが、この後も旅の途中で何回かこの「政府高官」という呪文を聞いた。
写真はゴルムド駅と昨日の写真で黒いゴミ袋を集める三輪車


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| 2007年7月21日(土) |
| 犬と歩けば・ふたたび 673 |
7月21日(土) 小雨
天空列車は西寧からラサまでの2千qの内、約半分は標高4千q以上の地点をを走るという。所で朝6時(現地時間)になると列車乗組員の業務が始まるらしく、制服に身を固めた一行が一列に並んで、胸を張り手を振って通路を一等車の方に向かって進んでいった。天空列車にどの位の乗務員がいるのかわからないが、制服は何種類かあり、フリルの着いたエプロンを付けた食堂車のウエイトレスにも、軍隊調の肩章を付けた人もいておかしい。食堂車に行くと、よく乗務員達はたむろしていた。客が座席を探していても自分たちの話に夢中になっているが上司らしい人物がやって来て一喝すると、たちまちクモの子を散らすようにいなくなった。私は12年前の「三峡下り」の時にも中国の寝台車に乗って、食堂車で食事をした事があるが、あの時は食堂車に入れるのは政府高官と外国人旅行者だけだと聞かされ、中国人が食堂車を覗いているのを見て、そうなのかも知れないと思った。そして今、そんな区別はなくなっていた。
最も普通車の乗客の多くは食堂車に関係はなく、カップラーメンに熱湯を注いで食べていた。ヒマワリの種の様な物も、つまんでいた。私たちが食堂車に行くには、四両の普通車を通り抜けなければならない。そこには(顔かたちは違っても)昭和30年代の日本の情景が再現されていた。小さな子どもが騒ぐ、泣く、遊び回る。年寄りは疲れ果ててうつらうつらしている。若者はトランプをしたり、床の上に横たわって熟睡していた。しかし彼等は(中国人)とは違う顔立ち服装をしていた。男も女もみんな真っ黒に陽に焼けている。目つきが鋭い。独特の匂いがする。人間という動物がむき出しになっている。人がはみ出して狭くなっている通路を、ぶつからないように細心の注意をしながら足早にそこを通り過ぎた。
写真は途中下車駅で・キオスクと車掌?この頃は未だみんなが元気だった。


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| 2007年7月20日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 672 |
7月20日(金) 薄曇り一時雨
それでも列車は定時に西寧駅を出発した。これからの車窓にどんな景色が見えるのだろうか、チベットのラサってどんなところかと期待がふくらむ。22時には車内の明かりが消えて、幾らか静かになったが、疲れを知らないこの国の人達は、暗くてもお喋りしながら通路を行き来している。
何となく頭が重くて目が覚めたのは午前2時頃。列車が出発して6時間は経っているが高度はまだ3千には達していないはず。枕元のカーテンを少し寄せて外を眺めた。えっ、ええっ、あの沢山の灯りはなんだろう?列車は西に向かって走っているが、進行方向左側の窓の左端には上から下へと斜めに白い帯が見える。もしかしてあれは星?天の川?そう星に違いない。でもこんなに明るい星がある。こんなに大きく小さく光る星がある。♪金の砂子を撒くように銀の砂子をまくように♪沢山の星達が地平線にまでこぼれている。みんなを起こそうか?まさか。ソッと起き、今度は通路側から戸外を見ると、W型のカシオペアが目に飛び込んできた。まるで手を伸ばしたら届きそう。硝子窓に張り付き、自分だけの星空を眺めていると、空中遊泳をしているような錯覚に落ちた。
そうして小一時間経った頃、(ああ、気持ち悪い・気持ち悪い)と言いながら、Aさんが中断のベッドから降りてきた。携帯用酸素ボンベのキャップを外そうとするが、暗くてうまくいかない。私も懐中電灯を探してAさんの手許を照らした。全く残念なことにこの後Aさんは日を追って具合が悪くなり、成田へ帰着するまで回復しなかった。
(写真はイスラム寺院の僧、天空列車の中でどんどんふくらむ菓子袋)


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| 2007年7月19日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 671 |
7月19日(木) 曇り
チベット天空旅行B
食堂で昼食と殆ど同じ献立の夕食が終わったとき、テレサテンに似た現地ガイドが酸素と高山病予防薬の注文をとった。酸素の値段は忘れたが、高山病予防薬は10mlが6本入って600円ぐらいだった。私は用意して行ったので買わない。それからいよいよ天空列車の始発駅に移動した。
天井が高く薄暗い西寧の駅は、なんとなく浮ついた気分の人々でごった返していた。私もその渦に巻き込まれて、軽く興奮していた。天空列車は普通車4両、1等寝台車2両(軟臥というらしい)2等寝台車(硬臥)8両、食堂車1両で合計15両編成、定員は936名である。私たち21名の団体は、4つだけ軟臥がとれたのでそれは70歳代のご夫婦と75歳の母娘に譲った。確か差額はひとり9千円弱だった。然し1等と2等の違いは、歴然とあった。先ず2等はコンパートメントにドアがない。
2等は3段ベッドで、1等は2段ベッドだから、広さが違う。トイレは腰掛けるとしゃがむの区別があり、清潔さで紙の有無で決定的に違う。更に1等は通路の人通りも少なく静か。若いときならまだしも、26時間を過ごすには矢張り軟臥の方が良かった。
さて私たちおばさんグループも、うきうきと列車に乗り込んだ。所が、目指す座席には既に先客がいたのである。先客は自信満々・確信を持って座っているので、最初はダブルブッキングかと思った。先客はキーキーキャオキャーと騒いで強力に自己主張をする。(それでもねえー・やっぱりここよねえー)とか言って、私たちも静かにしっかりと対抗した。係員はなかなかやって来ない。すったもんだの末、私たちはなんとか自分たちの席を確保したが、後の6人組はその後もしばらく悶着が続いた。さてやっと自分たちのコンパートメントを確保したが、席割りをどうするか。私は自分の年齢を申告して、若い人に上のベッドを使って貰おうと提案した。私はこのグループでは2番目に年を食っていたので、めでたく一番下のベッドを使えることになった。
写真は天空列車の電光掲示板とお元気な75歳の女性参加者


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| 2007年7月18日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 670 |
7月18日(水) 曇り
チベット天空旅行A
前日は北京のビジネスホテルに1泊して、国内航空で天空列車の出発地点西寧に着いたのは昼頃だった。所でこのビジネスホテルには帰りも1泊することになるが、室内を見回して同室のAさんが(必要最小限度の物しかない)と感嘆するほどのつくり。壁には安物の飾りの一つもなかった。ただし、机は広く、インターネットの端末があった。Aさんが、エレベータの中で出会った日本人に(これからおでかけですか?)と声をかけたら(いや、私はここの駐在です)と答えたという。海岸派遣日本人労働者の「労災」は、なかなか認められない。空港から高速で30分のここは北京市郊外で、窓の外からは忙しく働くパワーシャベルや空き地、高層団地群が眺められるだけ。ホテルには「日本料理・祇園」なんて店もあるが、安らぎとか憩いなどはかけらも落ちていない。
西寧ではイスラム寺院と(テレビで関口知宏も登った)道教の北禅寺を見物。半分朽ちかけていたが、南方や台湾では信心する人が多いと説明を聞いた。青海省博物館は(案内書には旧石器時代からの文化財を展示と明記されていたが)ショッピングモールへと変身していた。ただし2階の一部にチベット絨毯の展示があり、そこを案内してくれた女性は9頭身。長い黒髪は後ろで一つに纏めただけ。真っ白なパンツスーツに黒のキャミソール。勿論おへそは出してきんきらの太いベルトを付けていた。パリコレのスーパーモデルではないかと見まごうほどのスタイルに、みんな見とれた。
写真は、みんなの桃を買っているテレサ・テンに似ているのが現地ガイド。青海省生まれと言ったが、漢人でもチベット人でもないらしい。左上の横顔の男性が北京から同行のガイド、張さん。もう1枚は北禅寺前で占いをして貰っている悩める女性。


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| 2007年7月17日(火) |
| 犬と歩けば・ふたたび 669 |
7月17日(火) 小雨
12日間の旅を終え今夜、チベットから帰った。成田について空港トイレに入った仲間のひとりは、(ああ、紙もあるしなんてきれいなトイレでしょう!これなら10元払っても良いわ)と感嘆して言ったので、みんな笑った。同感なのだ。
所で添付の写真をご覧いただきたい。今朝、北京のホテルで撮った写真である。
前の日、ラサからの飛行機は2時間遅れで出発し、なんやかやでホテルの自分の部屋にたどり着いたのは現地時間午前2時、日本時間3時を過ぎていた。北京の添乗員張さんはその度に「中国は広いですからね。何にでも時間かかります」と仰る。疲れ果てていた私は荷物をそのままにして、ベッドに潜り込んだ。所が今朝起きてみて、こんな形のペットボトルにお目にかかった。水はいつでも飲めるように手に持っていたのに、どうしてこんな形になって仕舞ったのかな?と不思議に思ったが直ぐに合点がいった。下界へ降りてきたからである。私はこんなにも、こーんなにも楽に呼吸が出来て、身体も軽くなったが、ペットボトルは反対に気圧に押されて痩せてしまったのである。一緒に写っているトイレットペーパーは何かって?そう、チベットで生き抜くために最低必要な物、それは水とトイレットペーパーなのでした。

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| 2007年7月6日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 668 |
7月6日(金)晴れ
義姉がお世話になっているケアハウスに私の不在を連絡して、準備は終わった。
集合時間は成田12:55だから未だ少し間がある。今日は北京に飛んでホテルで寝るだけ。明日は9時に国内航空で西寧(2、275m)に飛ぶ。午後は西寧市内のイスラム寺院を見学して夜、いよいよ西蔵鉄道N−917号列車に乗り込む。いわゆる軟座か硬座になるか現地へ行ってみないとわからないが、それはどうでも良い。ガイドブックでは青海湖を左に見て、西蔵高原をチベットへと説明しているが日の長いこの時期でももう青海湖は見えないと思う。夜中の午前3時にはデリンハで12分の最初の停車がある。停車時には(身体を慣らすために)なるべく外に出るようにと言われている。寒さはどの位だろうか?その後チャルカン塩湖を過ぎて、7時2分にはゴルムド(2,800m)に到着。ここでも12分停車する。ここから一気にコンロン峠(4,767m)、タングラ峠(5,231m)と一番のハイライト部分を登って、ナチュ(4,440m)に着くのは18時34分。従って日曜日は終日、目を剥いて(神々の峯)を見つめることになる。写真では見たことがあるが、(白きたおやかな峯みね)にお目にかかるのは勿論初めてである。ナチュでは6分の停車時間がある。後は下ってチベット自治区に入る。ラサ(3,600m)には、22時30分到着の予定。今回の旅行12日間は、7月8日のためにある。
今回の旅行で鵜の目さんから、お餞別を頂きました。有り難うございます。
《 天空の旅妨げな恙虫 鵜の目 》
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| 2007年7月5日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 667 |
7月5日(木)晴れ
最初、明日からの旅の事を話したときAは(今度はなんだか行かせたくない)と言った。Aは今ほど海外旅行が盛んでない頃からあちこち遊び歩いていたが、今は行かれないからそんなことを言うんだと思ったが、真剣な様子に少したじろいだ。
「天空列車」の話しがあったのは、去年の秋。それがあっけなく月日は過ぎて、あす旅立ちとなった。所がこの半月程前から体調が良くなく、休んでも一向に良くならなかった。昨日の段階では「思い切ってキャンセルしようか」と考えていたが、今日かかりつけの東洋医学の先生に診て貰った。先生は先ず脈診をとり、マッサージ・鍼・お灸をしたあとまた、脈をとった。更に治療を続けて(これなら《出かけても》大丈夫です)と言って、お終いにしてくれた。普段は30分のところ1時間の治療をしてくれた。
私の体調の悪さを知っている人達が、心配して電話をくれた。21世紀の今(体調の事はあっても)旅に出かけるに当たってこんなにまわりの人が気にかけてくれる場所が未だあった、と言うのがなんだかおかしい。チベットは未だ、いろんな意味で秘境なのだ。
なんの関係もなく突然「馬の鼻向けす」という言葉と、高校時代の古文の教師を思い出した。意味は(旅立つ人を送る時、旅人が乗った馬を行く先に向けて安全を祈った。転じて餞別・はなむけ)だが、私は授業中に当てられ発音させられた。然し何度言っても「違う」と言って、教師は座らせてくれなかったのだ。馬の発音は(ウマ)ではなくで、(ムマ)だと言うのだ。ま、どうでも良いことだが、荷物は機内持ち込み範囲にまとめた。しかし、磁石と双眼鏡は入れた。 |
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| 2007年7月3日(火) |
| 犬と歩けば・ふたたび 666 |
7月3日(火)曇り
7月の川柳句会。酸吸さんが未だに復帰できない中、水面下で密やかに勢力争いが継続している。がともかく、新しい選者を迎えて句会は、滞りなく終わった。いつものようにみんなでラーメンを食べ、更にヨネさん家へ席をかえてたっぷり5時までお喋りした。
この間ね、と春菜さんが喋る。(かき氷を食べようと思ったらカッチカチで、あんまり固いからチンしたの。)へエーとみんなが驚く。かき氷をチンで柔らかくしようという、考え方がわからないとヨネさんは言った。所が、かき氷をレンジに入れた途端他のことに気をとられた。そこへ夫が2階から降りてきてレンジの中を覗いた。
ぎょっとした彼は慌てて妻の名前を呼び、大丈夫かと確認したとか。彼はねえ、あたしが呆けちゃったのかと思ったんだってと笑ったが、私たちは彼に同情した。更に彼女は語る。(この間夕飯は簡単で良いって言うから、納豆を出したの。そしたらこれだけって彼が言うから、ネギをたっぷりかけておいたと答えたら、不満そうだった。
それなら簡単で良い、なんて言わなきゃ良いのに。)いつも夫の愛が足りないと言って悩んでいる春菜さんに、そう言うのを世間では(のろけてるっていうのよ)と教えてやった。 |
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| 2007年7月1日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 665 |
7月1日(日)曇り
仲間と連れだって、編集長が出演するハーモニカコンサートへ出かけた。(いやあ、いつだか忘年会で聞いたときよりも、ずっと上手になったわね)とAさん。Bさんと私はその後も聞かせて貰っているが、やはり格段に上達したなと実感した。こうして、様々な方の演奏を聴かせて頂くと、ひとつ1つの音がはっきり聞こえるのが上手だとわかってくる。そこへ和音が重なり、リズムがあって強弱がある。4人の女性が登場してきたとき、なんだかとても懐かしい人に出会ったような気がした。私が子どもの頃、周りにいたおばさん達はみんなこの様なお顔をしていた。ハーモニカを演奏している人達は、皆さんが穏やかなお顔である。司会者は(ハーモニカの演奏で喘息が治る)と効用を強調していたが、この楽器はきっと、なんとか波(α波とかβ波)が出て、演奏する人の心を癒しているに違いない。さて、身びいきで編集長が一番上手いと思っていたが、3人の先生の独奏を聞くとやはりもっと上手な人がいることがわかった。最年長の先生はなんと、ラテンのラ・クンパルシータを聞かせてくれたし、ブラームスとモーツアルトの優しい子守唄を聞かせてくれた先生もいた。ハーモニカの稽古はとりあえず10年だとか。奥が深そう。 |
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| 2007年6月29日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 664 |
6月29日(金)雨
人間ドッグを受けるために、娘がひと晩帰ってきた。履きやすいストッキングを呉れると言うから、スカートは着ないからいらないと断った。(お母さん、そんなこと言わないで。死ぬまで女を意識しないと)なんて、わかったようなことを言う。ふん、その科白をそっくりお返ししたいね。いい男のたった1人も捕まえられないアンタのために、スーパーでラムネ菓子のおまけの人形(手も足も動くいい男)を買ってきてあげたではないか。バックでも財布でも目立つところへつけておいて、大募集すると良いよ。(あら、3つもピアスしている)って結構気に入ったみたいだけど、大きく値引いて100円だったからあまり期待は出来ないけどね。
その娘がこんな物があるのよと見せてくれたのは、有名女優やタレントの実年齢の表だった。34才の宮沢りえから61才の倍賞美津子までいろいろな人達が載っていた。60代でも吉永小百合や賠償千恵子はもう載っていない。ええっあの人若く見えるけど、こんなトシだったのというパターンが殆どだが、その逆の女優さんがいた。
夏木まりである。
彼女はハナから大人の女の印象があったし、映画「ピンポン」のおばあさん役などのイメージがあってもっと年配だと思ったら、意外と若かった。もっともこれは、私だけのイメージかも知れない。
とにかくこれを見て、自分も元気を貰うのだそうである。ま、とにかく楽しく元気にやってくれたら、良いから。 |
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| 2007年6月28日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 663 |
6月28日(木)晴れ
チベット旅行まであと1週間。今日は通院日で、主治医にいろいろと相談した。旅行業者は(とにかくゆっくりとした動きをすること)が、高山病を予防する最適・唯一の方法であると説明している。腹痛と頭痛の薬は持参することで決まった。(でもね、杉浦康平さんの奥さんは死んじゃったから。一旦高山病になると大事になるといけないから)と心配して、いろいろと調べてくれた。漫画家の杉浦康平さんは大のネパールびいきで、ちょくちょく行っていた。ある時奥さんを同行したら、奥さんは高山病で亡くなったという事である。主治医は予防として、ある薬を探してくれた。これこれの副作用もあるが、我慢できる範囲であったら高地に滞在する期間は、飲み続けた方がいいし給水と保温にも気を付けるようにとアドバイスされた。これで持参する薬の準備は出来た。履きやすいスニーカーもある。あとは少しでも体力をつけるだけ。 |
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| 2007年6月27日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 662 |
6月27日(水)晴れ
夕べのテレビで(タレントの高島忠夫の鬱病と、それをめぐる家族の闘い)を、ドラマ仕立てで見る番組があった。一寸覗くつもりで、とうとう最後まで見てしまった。あのドラマでは原因についてはふれていなかったが、夫を過労自殺で喪ったAさんはドラマを見て《 我が家とにているところがありました。1人(配偶者)だけでは、うつ病の夫はたすけるのは、無理です。社会で助ける体制がほしいです。 私も看病している時、朝から、訳もなく涙がでて止まりませんでした。すぐ、自分もうつだとわかりましたが、転勤族であるがゆえに、どの病院に行けばよいか解りませんでした。妻であり、薬剤師であり、母であり、看護者である。それは地獄でした。自分がどうすればいいのか、判断も決断もできない、毎日を送るだけで精一杯でした。こんなつらいことは、なくなってほしいいです。》と、感想を述べられています。
私もかつてうつ病を経験したので、あのドラマを見ていて納得できるところが幾つもありました。鬱になると、とにかく身体が重い、だるくて動かせなくなるのです。
不眠・食欲不振は勿論、心理的に何も見えなくなります。ドラマでも度々再現していましたが、光がダメ。どういう訳か光が当たると反射的に身体がショックを受けるのです。その後遺症か今でも、私が読み物をしていて家人が(気を利かせて)灯りを点けてくれた時など思わず(まぶしいから点けないで)と叫んでしまいます。同じように音もダメでしたが、音楽は比較的早く聴ける様になりました。医者でさえ【うつ病というとマズイから(あなたのために)自律神経失調症にしておく】なんて言ってた時代でした。そう、ついこの間のことです。 |
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| 2007年6月25日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 661 |
6月25日(月)雨のち曇り
23日付けの日記を読んで下さった鵜の目さんから、メールを頂いた。ウンウン・成る程・そのとおりと胸の空くような解説に感動した。そこでそのメールをここに転載させて頂きます。
《天空列車は21世紀の西部開拓の幌馬車隊、インディアンがジェノサイドされた歴史の現代版。まさに西進するハイテク列車(機関車は自国製、客車はカナダの航空機メーカー製)はチベット国民に間違いない圧制のシンボル。
新幹線がサラリーマンのささやかな一泊出張の楽しみを奪ったこととは世界の違う「改革」を目指している。妖怪は生続けるんですね。
きびしい旅になるんでしょうが、良く見てきてください。
健康にはご配慮を。「救心」も「せいろがん」と共に?
「妖怪は世界の屋根に生きつづけ 鵜の目」本場じゃ。》
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| 2007年6月23日(土) |
| 犬と歩けば・ふたたび 659 |
6月23日(土)晴れ
チベット天空列車の旅まで、あと10日あまり。旅行会社から手紙が来た。この期に及んで何だろうと思って開けると、新聞の切り抜きとチベット旅行記の抜粋のコピイが入っていた。そのコピイにはマジックで【禁句】と大書してある。さらに現地携行不可とも書いてあった。新聞記事の切り抜きは07,4,27付け読売で、見出しは「チベット独立訴え米国人4人逮捕か」だった。米国人と言っても米国籍の亡命チベット人らしい。旅行記の方は、日本人が車で現地案内人とチベット国内を旅行していて、昼食を食べに食堂へ入った。出てくると、埃を被った車の車体に指で「チベット独立」と落書きされていた。ガイドはあたりを窺い、大急ぎでその落書きを消した。公安に掴まれば「国家騒乱罪」に問われる心配があるからだという。もうひとつのエピソードも同じような話しで、文中の「チベット独立」「FREE TIBET」「独立を叫んだ僧侶」「ダライラマ」には二重線が引いてあった。要するにそれらの言葉は【禁句】だと言うのだろう。あくまでも我々は【中国】を旅行するのだと心せよという、注意である。これが社会主義国中国の実像であるのか。
日本軍による集団自決はなかったと教科書の書き換えが行われた今年。今日は「沖縄慰霊の日」である。3年前マグノリアさんと平和の礎を訪ねたことがある。2月だというのに暑い日だった。62年前の6月のその日もどんなにか暑かっただろうか。
妖怪はヨーロッパのみならず、21世紀にはアジアにまで跋扈している。 |
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| 2007年6月22日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 658 |
6月22日(金)夏至 雨
朝は晴れていたが、天気予報通り雨となった。
午後から寝ころんで本を読んでいると、家人がどたどた二階から降りてきて(ええごないかな?)という。私の電子辞書は確か、和英と英和も入っているので教えてやると、怪訝な様子をしていた。しばらくあたりをうろうろしていたがそのうち、川柳句誌を送って来た封筒を見つけて、(これ貰って良いかな?)と言うので、いいよと答えた。すると(えいよんならあるんだげれど)とつぶやいたので、やっとわかった。
えいごはA5サイズの事だったのかと!
私も本の内容に集中していたのでちゃんと話しを聞いていなかったが、これからお互いトシをとるに連れて、こんな風なやりとりが増えて行くのかなあと、思った。
時間があうときはテレビで、関口知宏の「中国旅行の旅」を見る。昨日は寝台列車の中で出会った、一人旅のお爺ちゃんに話しかけていた。このお爺ちゃんは長い間鉄道で働き、今は老人ホームにはいるために故郷に帰って行くところだと言った。たしか(寂しくありませんか)とか尋ねたら、「年寄りはもうなんの価値もない。昔は60才には金を貸すな、70才には宿貸すなと言ったものだ」と答えた。中国は、忠孝を重んじる儒教の国であるとイメージしていたが、建前と本音はこの様に見事にずれているものなんだと納得した。 |
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| 2007年6月21日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 657 |
6月21日(木) 晴れ
夕方浴槽を洗っていたら、台所からジャガイモが煮える匂いが漂ってきた。(そろそろ煮えたんだな)と思って、戻ってガスの火を止めた。土付きの新じゃがは、水道で洗うと親指の腹で皮が剥けた。冷蔵庫に残っていたバラ肉と、人参、それに家庭菜園でとれた玉ネギも入れて煮た。薄皮が付いている煮えたばかりのジャガイモを、ビールをのみながら食べた。実は少し粘りがあって甘かった。
公園の犬仲間は「ビールが美味しい季節だがビール腹は困る」話しで盛り上がっていたっけ。昨夜酸吸さんから電話があった。(どうも今月中は退院出来ない様なので、投稿用選句を頼む)という内容だが、先週とは全く違った声の様子に驚いた。
やっと話していた。その事で昨夜からあちこちに連絡したり、説明したりで今日1日は終わった。でも先日から仲間内でごたごたぎすぎすしていたのが、少し落ち着いてきたから良かった。
国会では、このごろはそれが当たり前のように、自民党と公明党による「重要法案の強行採決」が、連発している。先生の免許更新制度を含んだ教育3法と自衛隊のイラク派遣延長が「多数決」で採択された。そのイラクでは内戦状態が続いている。バクダッドに住む若い女性リバーベンドは、そのブログ(バグダードバーニング)でこう書いている。
『自動車爆弾と私兵集団か(このままこの地に残って、殺されるのをただ待つのか)、それとも、確実なものが何もない未来のどことも知れない場所に、なじみ愛しているものすべてを捨てて去っていくか、どちらがより怖しいかを判断するのはむずかしい』 |
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| 2007年6月20日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 656 |
6月20日(水) 晴れ
サムちゃん家へ行こうと玄関を出たら、目の前を左から右へトンボが横切って行った。あの黄色に黒い縞々のある麦わらトンボだ。ムギワラトンボを見るのは何年ぶりだろう。とここまで書いて、何気なく(ムギワラトンボ)と検索してみたらムギワラトンボはシオカラトンボのメスのことだと解説してあるではないか!私はトンボとりを始めた5つか6つの頃からずーっと、全く別の種類のトンボだと思っていたので、ホントに驚いた。
所でサムちゃんから(パソコンの半角文字はどうするのか)と電話が架かってきた。説明したが、ひどく困っている様なので出かけた。サムちゃんはパソコンが光接続となった機会に、また新しい機械を入れたのだ。テレビも見られて29万円だという。今までのとランで繋いで使うのだという。新しい機械のセットアップは1人で1日で出来たのだが、サービスを申し込む段階になって、どうしてもIDが入力できない。IDのアルファベットの部分が(半角大文字で)と指定してあるのだが、それがわからなかったという。毎日仕事から帰ってきてからやっていたのだが、とうとう10日も過ぎた。そこでこちらにお鉢が廻ってきたのだった。親の焦燥を感じ取っているサムは、私を見るとホッとしたようにそばへ寄ってきた。 |
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| 2007年6月18日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 655 |
6月18日(月) 晴れ
なかま達と乗り合わせて、外房まで車を走らせた。日射しは強いが風は爽やかで気持ち良く、窓を全開にして風を楽しむ。田植えの済んだ水田の上を渡ってくる風は、懐かしい(稲の香り)を車内に運んできた。私たちは、深く深く胸の底まで吸い込んだ。然し今日は、ドライブが目的ではない。Aさんの夫の過労死の労災申請に、労働基準監督署に出かけたのだ。労災申請には「時効」という時間的な制約がある。特に「葬祭料」は、2年以内に請求しなくてはならない。働き盛りの夫の突然の死という天地がひっくり返る様な状況の最中、心身共に弱っているさなかに、労災申請のための「資料収集・証拠集め」をやらなければならない。その事がどんなに辛い仕事であるかを自ら体験して知っているBさんは、Aさんに寄り添って励まし続けた。いつも俯いていて蚊の鳴くような小さな声で話しをしていたAさんは、この2年間に随分と強くなったねと私たちは喜んでいる。
しかし、幾ら彼女が頼んでも会社は労災申請のための資料を、出してくれない。なんの強制力も持たない庶民に、立証責任を負わせるのは間違っている。それが外せないならば、せめて遺族が請求した資料(本人に関するタイムカード、作業日報、仕事場への出入記録など)は、速やかに提出する義務を、法制化して貰いたい。
一方、田園風景が拡がるこの地域でも、現在過労死事案が4件にアスベスト、じん肺事案などをたった3人で調査しているという。思わず同行したCさんが、(それじゃあ労働基準監督署の方が、過労死しちゃうわ)と叫んだ。
帰りは「道の駅」に立ち寄って、たっぷりと買い物をした。Bさんはレジに並んだとき後ろの爺ちゃんに(そんなに沢山買って、家族が多いのか)と聞かれたと、笑った。 |
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| 2007年6月17日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 654 |
6月17日(日) 晴れのち曇り
買って置いたタオル地のシーツを持って、ケアハウスに義姉を訪ねた。義姉は「あら、珍しいわね。どうしたの?」と、私を迎えた。私は4日前の水曜日に義姉を訪ねたばかりである。大分前から、義姉のシーツが未だ防寒用で汚れているのに気が付いていた。取り替えようという度に(自分でやるから良い)と、断られていたのだが、気になって新しいのを買って持って行った。義姉が新しいシーツを仕舞ってあるのはわかっているが、それを聞いても(多分)思い出せないだろうし、そんなことで又落ち込ませるのは可哀相だと思ったのだ。梅雨だというのにピカピカ天気で、空気も爽やか。シーツを取り替えるついでに少しお日様に当てようと、ベランダに段ボール箱を並べて敷き布団を干した。電気毛布も片づけて、掃除機をかける。部屋の掃除が一段落した後で食事に誘うと、(食欲がないから)と尻込みしたがうまいこといって、連れ出す。回転寿司まではゆっくり歩いて15分位。道路脇の、畑や庭に咲いている紫陽花や百合など花の名前を言い合いながら、歩く。回転寿司屋は、日曜日の昼過ぎだというのに先客はたったの二人。義姉はあんまり食べられないものねと言ったが、5皿食べた。帰りは前にも何回か通った道だが、来た道と平行している道を戻った。
スーパーに寄る都合があったからそうしたのだが、義姉は(ここはどこだかサッパリわからない)と何回も言って不安がった。スーパーで水を買って部屋に戻ると、上機嫌で(盆と正月が一緒に来たようだった)と言いながら、鼻歌まで飛び出した。 |
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| 2007年6月16日(土) |
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6月16日(土) 晴れ
今日は第3土曜日で、楽しい楽しいお絵かきがあった。何が楽しいのか。絵を描く事もそうだが、仲間とのお喋りがいいし、何よりも先生が良いとみんなが口を揃える。市民講座から始まった私たちのサークルも10年目を迎え、はじめからの会員は私を含めて3人だけとなった。お互いにトシをとったねと顔を見合わせる。先生だってはじめは30代の若々しい青年だったが、今は円熟味を増している。一方生徒は減る一方で、先生への謝礼もままならず今年から一方的に減額せざるを得なかった。先生は厭な顔一つせず、謝礼なしでも良いと仰って下さった。私たちとしても、そこまで甘えるわけには行かない。仲間のTさんがあれこれと心を砕いて、この4月から1人仲間を増やした。そして今日、お一人見学に見えて入会を約束してくれた。全くの初心者で、必要な道具を先生に教えて貰うと、これから買いに行って来ますと言った。この方は、病気のためお絵かきを断念しなければならなくなったIさんの紹介である。Iさんの看護士さんである。さてこれでなんとか10周年記念行事もやれる見通しが付きそうだ。
夜、酸吸さんが入院先から電話をくれた。先日届けた6月分の選句は、退院してからやるという連絡だった。お声に、いつもの張りがなかった |
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| 2007年6月15日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 652 |
6月15日(金) 晴れ
梅雨に入った途端に中休みとか。今日の青空は真っ白い雲がむくむくと湧いて蒸し暑く、気温は30度に登り真夏の気分だった。5時過ぎてベルを公園まで走らせると、舌を長く出してあえいだ。公園は風が気持ち良く吹いていたが、他の犬たちも芝生の上にごろごろしていて動かない。ベルのためにビニール袋に水を汲むと、犬達が次々と寄ってきて飲んだ。
公園内の低地にある四阿は「工事のため」と称して、入れないようにフェンスで囲まれた。みんなが、あれはそこに住むホームレスを追い出すためのからくりだと言っている。追い出されたKさんは芝生広場近くにあるもうひとつの四阿へ引っ越してきて、4匹の猫と寝ているので、この四阿もしっかり臭いが付いてしまったと犬仲間が嘆いていた。「福祉事務所が保護施設に入れようとすると、住所はここ(公園)にしておいてくれと言うらしい」とさむちゃんが言った。どういう事かと聞き直すと、「お金は欲しいが、管理されるのは厭だって事でしょう」と説明してくれた。更にサムのお母さんはりょうくんのお母さんに、Kさんと出会わないようにと、注意をしている。何でも人の良いりょうくんのお母さんは、ホームレスのKさんに頼まれれば断れなくて、自宅のガレージも貸してしまった事があるからだという。今日は私もりょうくんのお母さんから、白瓜の押し漬けをいただいた。夕飯時に食べたら、とても美味しかった。 |
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| 2007年6月14日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 651 |
6月14日(木) 曇りのち雨
家に帰ると、私たちの川柳会・会長のまことさんからメールが届いていた。《今日は福祉委員の仕事で地域のご年配者のお供をして、大洗に水族館と鮮魚市場の旅に行ってきました。》とあった。あれ?確かまことさんは今年古希だと、ご自分で言っていた筈。70才は客観的に見て、十分不足ない「ご年配者」だと思うが、この文面ではその自覚はなさそうである。ま、聞くところによると彼は、他にもテニス・麻雀・男性の料理教室と幅広く活躍しているらしいから、そうかも知れない。
一方私はどうかというと、ときどき自分の年を口に出して言ってみて、自分に自覚させる。疲れやすくて疲れがとれにくい。忘れ物が多いのは勿論、頭が働かず、詰まらないミスをする。ミスそのものよりも、そんな自分がショックなのである。だから自分の年を唱えて、(トシだから仕方ないさ)と自分を慰める。
どちらが良いかと言う問題ではないが、とりあえず健康が一番と言うことで落ち着きそうである。 |
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| 2007年6月13日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 650 |
6月13日(水) 晴れ
「ぢぢいと ばばあが/だまつて 湯に入つてゐる」今日の俳句(増殖する俳句歳時記)の解説に、田中冬二のこの詩も良いとあった。ここに登場するじじいとばばあは、長い人生経験を経て、いまやっとここに静かなひとときを過ごしている。生々しい人間関係の葛藤ももう過去のことという風にとれる。私は今まで、老人とか年配者について、そんなイメージを持っていた。
然し自分が老人年配者の仲間に入ってみて、それが大きな間違いだと知った。勘違いと言った方がいいかも知れない。年配者は体力が衰え、故障が多くなるから、その事が気持ちに影響することはあるが、年を重ねた事が(枯れる)とか(達観する)事とイコールにはならない。今回の川柳句会のもめ事を見ていて、つくづくその事を知った。私たちの句会は60才台が中心であと50才台と70才台で構成されている。句会の進め方が強引だと会長に批判の動きが出ている。確かに現会長に、一言足りない点はあった。然しその事を取り上げて、引きずり降ろされたと思っている前会長があちこち焚き付けて廻っている。現会長に信用されていないと不満を持っている副会長も、その動きに乗せられている。電話で2時間も長話をやっているらしい。
4,5人で集って喋っているらしい。私は既に「会長派」とレッテルが貼り付けられているのだという。
「川柳をやる人って、どうしてこんなにもめ事が好きなんでしょう?」と、夕べAさんに尋ねた。大柄でいつも笑顔の絶えない温厚な紳士という風情のAさんはよその句会の人であるが、今回の裏話をとっくりと説明してくれた後でこう付け加えた。「川柳をやろうなんて人はね、ちょっとへそが横向いてる人ばかりなんですよ。」と言って、くくっと電話の向こうで笑った。私もつられて笑った。 |
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| 2007年6月12日(火) |
| 犬と歩けば・ふたたび 649 |
6月12日(火) 晴れ
トイレで出産し、赤ちゃんを死なせてしまった女子高生が、殺人容疑で逮捕されたという。なんだか釈然としない話しである。先頃、熊本で始まったばかりの「赤ちゃんポスト」が近くにあったら、彼女は殺人者にならずに済んだだろうか?
彼女の妊娠に気づかなかった、又は彼女が相談できなかった親や教師達に責任はないのだろうか?赤ちゃんも彼女も哀れだ。
先日(9日)仲間6人で山形県・寒河江の「サクランボ狩り」に出かけた。当日私たちのツアーはバス2台で、この日はサクランボ狩りの口開けだったらしく、青いハッピを着た農園の親父が軽トラを運転してバスを先導した。畑全体に網をかけたサクランボの林に入って、真っ赤な「紅さやか」を1時間食べても良いという。所がサクランボというのは、どういう訳か同じ品種だけを植えたのでは実がならないという。だからサクランボの王様「佐藤錦」も混植してあるが、未だ熟れていない。今年の「佐藤錦」の食べ時は22日だという。でも熟れているのがあったら、佐藤錦も食べても良いと許可が下りた。太っ腹な農園主菊地時雄氏である。私は前回のイチゴ狩りで失敗したので、今回は慎重に選んで食べた。色づきは劣るが、やはり佐藤錦の方が食感やこくのある味で美味しいと思った。60粒を食べた頃から満腹感が始まって、80粒を越えると一粒ずつやっと口に入れて100粒の大台に乗せた。それからは仲間と種をとばして遊んだ。こうして私が食べたサクランボは全部で103粒だった。 |
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| 2007年6月11日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 648 |
6月11日(月) 晴れ一時土砂降り
ニュースを見て、未だに「ミス・ユニバース」なんてやっているのだとわかった。
何でも今年は日本人が選ばれたとかで、帰国したその人を見た。なぁーんだ、りかちゃん人形か。顔も身体も型にはめて、大量生産できそうな「美人」である。審査委員は差詰め、美容整形業界の人に違いない。昔(48年前とか)伊東絹子が入賞して、「八頭身」という言葉を流行らせた。しかしあの頃は未だ、「原爆乙女」という言葉が生きていた。広島・長崎に落とされた原爆に被災して、顔や身体にケロイド状の傷を負った若い女性達を原爆乙女と呼んだ。彼女たちは「治療」のために、先進国米国へ旅立った。それが本当に治療のためなのか「資料収集」なのかと、疑う声もあった。とにかく片方では罪もない「乙女達」に心身に深い傷を負わせながら、もう片方の手で「ミス・ユニバース」も作るという米国という国の本当の姿を見るような気がした。正義感に燃えていた少女は怒った。
句仲間にはもめ事の好きな人達が多くて、あちこちからメールは入るは、電話は架かるわで、急ぎの仕事をやっているのに迷惑なことである。私は知らない間に、(まこと派)と言うことになっていた。月に一度の顔合わせではわからなかった、あのひとこの人のもうひとつの顔が見られて面白い。(もめ事に 油を注ぐ 川柳子) |
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| 2007年6月10日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 647 |
6月10日(日) 曇り雨
年間の自殺者が、9年間連続で3万人を上回ったと報道された。然しこれは警察庁の数字で、厚労省の数字では3万人を割ったというが、子どもの自殺が増えたというのは痛ましいと言うよりやりきれない。私たちの周りには辛い出来事、あまりにもひどい事が多すぎて「普通に生きる」事がぼやけてしまった。例えばホリエモンに代表されるように(上手いことをやって)楽に儲けてゴーカに暮らすのが勝ち組で、上手く立ち回れないのはドジなやつで生きる価値さえないような価値観が大手を振っている。
例えば永六輔は、父親から教えられた生き方の一つ「借りたら返す」を、こんな詩にした。
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きてゆくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら
誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう
また、三木 清氏という哲学者が「幸福について」という本の最後に「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福は常に外に現れる。中略(幸福は)自ずから外に現れて他の人を幸福にする」と結んであるという。これは木津川計著「趣味の社会学」という本で教えて貰った事である。この本で「機嫌が良く、丁寧で親切で寛大な人をこそ本当の幸福人と言うのだ」という下りを読んで、あこれは編集長の事だと思い、「不機嫌で乱暴で冷たく尊大な人」では直ぐに例の奥谷禮子女史を思い浮かべた。 |
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| 2007年6月7日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 646 |
6月7日(木) 晴
ええっ、誰のかわかんない(つまり不払い)のが5000万件!!これから多くなる忘れ物の傘だって真っ青になる数字である。言わずと知れた年金問題である。その5000万件の総額が幾らになるのかは、まだ内緒である。大臣は不明と言っているが、本当のことを言ってこれ以上国民を刺激してはマズイと思って隠しているに違いないと、思うな。
この5000万件を1年以内で調査すると言っているが、そんなことできっこないとみんなが思っている。ではどうするか。@具体的な時間の目安を付けて、徹底調査する。が、全部が解明するとはとても思えない。A残った資金を元に、政府は資金を拠出してプールし、それをもとに該当者全員に年金を支給して、この際無年金者を無くす。これこそ政治がやるべき仕事だと思う。
夕べはご飯を食べ終わってすぐ、8時には眠ってしまった。10時半に一旦目が覚めて日記を送信して又直ぐに眠った。今日も朝とお昼は起きたが、午後3時まで眠ってやっと頭痛がとれた。体調を整えたので、明日はなかま達と「山形・サクランボ狩り」に出かける。雨の予報が出ているって?食べて喋って、しゃべってたべるツアーだから、あまり影響はありません。おもいっきり間食するつもり。お腹をこわしているAさんも、ガバガバ食べて治す、逆療法をやると言っている。 |
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| 2007年6月6日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 645 |
6月6日(水) 晴
「間食はしない」と自ら誓ってひと月。月曜日に会ったAさんは(少し痩せましたね)と言ってくれたが、実は先日「誓い」はあっけなく破ってしまったのだ。若いBさんが凄まじい働き方をさせられて、大病に至った経過をその手記で読んだとき、なんだかジッとしていられなくて部屋の中をうろうろと歩いた。身近にあった甘い物を、手当たり次第口の中に放り込んだ。そうせずにはいられなかった。「誓い」を破った後悔なんかちっともなかった。
所で、月曜に事務所に見えた若くて美しいAさんと話しをしていて気が付いた。両手首のリストバンドが、ない。やはり仕事で特に両手首を痛めたAさんは、季節に拘わらずいつも指の出る手袋を付けていた。退職して少し良くなってから手袋はリストバンドに替わったが、白魚のような手指が痛々しかった。初めてAさんとお目にかかってから1年半。彼女の(むきだしの)手首を、まぶしい思いで眺めた。その事を言うと彼女は(そうですか?)と少しはにかんで微笑んだ。傷ついた人が、少しずつでも立ち直って行くのを見るのは本当に嬉しい。苦しんでいる人に必要なのは「勇気と、希望と少しのお金」(映画ライムライト)。チャップリンの言うとおりだ。 |
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| 2007年6月5日(火) |
| 犬と歩けば・ふたたび 644 |
6月5日(火) 晴
先月の句会をお休みしたチエコさんは、その間カナダへ旅行に行っていたとかで、みんなにかえで型クリームサンドクッキーをお土産に持ってきてくれた。クリームはメープルシロップの味がした。食べながら左隣の歯なし歯医者のタダシさんに(カナダへ行ったことがあるかと)話しかけた。陽に焼けて白髪が逆立っているタダシさんは一言(ありません)と言った。それからが早口でとうとうと喋り続けた。70代の後半(?)のタダシさんは、子どもの頃父親が「家庭団らん」と称して、各地を旅行して歩いたのだとか。タダシさんは喋るたびに前歯がないから空気が抜け、ふにゃふにゃの早口だから聞き取りにくい。各地と言っても、国内なのか外国にまで及んだのか聞き損ねた。その旅先で考えられないような極貧の人々を見たのだと言った。「私は共産党でも社会主義者でもありませんが」とわざわざ前置きして、貧しい人達を見てからは自分だけ物見遊山をしてはいけないと思った。それは大人になってもかわらず、だから外国なんてちっとも行きたいと思わないときっぱり言った。私はそんな話しに一寸感動して、「タダシさんはずっと少年の清らかな心をもっているんですね」と口走ると、まるまっちい口元をへの字に下げて満足そうにニッコリと笑った。その時につい目に入ってしまった。急いで右隣に座っている春菜ちゃんに「ねえ、どうしようか?タダシさんの社会の窓が開いている」と相談した。春菜ちゃんもなんだか慌てて、(どうしようって、どうしようか?)だって。 |
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| 2007年6月4日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 643 |
6月4日(月) 晴
今日は事務所当番日だった。人が尋ねてくる約束があったので、近くのスーパーで買い物がてらお弁当の物色もした。弁当売り場の一番端から見て行く。干瓢巻き、カッパ巻き、なっと巻きと続いて五目おいなりさん、美味しそう。海苔弁、鮭弁、冷やし中華、そば、素麺などもある。コロッケやかつメンチなどの揚げ物の隣は、中華弁当がある。反対側にはおにぎりもある。枝豆の試食用に手を伸ばして、これでお終いかと思ったとき鮨コーナーがあった。「あら、これ大丈夫かしら」とAさんがめざとく見つけた鮨折りは、定価980円に半額のシールが斜めに大きく貼ってあった。
然し、ただ安いからと行って、直ぐに飛びつくAさんではない。主婦歴ウン十年。磨かれた選択眼は冷静かつ厳しい。値段が半額となった根拠を探る。賞味時間が13時とあるが、その時点では未だ12時10分。OK、大丈夫、安全圏内であることをしっかり確かめてから、買い物籠に入れた。うろちょろしている私は、20パーセント引の商品(これも1点だったが)しかないので、これを買った。
酸吸さんからメールが入って、電話も来て「体調が悪いから、明日の句会は参加できない」と、残念そうに言った。何でも肺にばい菌が入って炎症を起こしたのだという。良い薬があるので再入院は免れたが、怠くて仕方がないとまん丸い顔で言った。 |
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| 2007年6月3日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 642 |
6月3日(日) 晴
夕方公園からの帰り、焼き肉屋の前を通ると、良い匂いがしてきた。「今晩のおかずなんにしようかね?サム」とサムのお母さんがサムに話しかけた。「そうだ、久しぶりに商店街で焼き鳥を買っていこう」と、お母さんが言った。私たちは団地商店街の入り口で帰ろうとしたが、ベルが寝ころんで捨て身のストライキで抵抗したので、サムちゃん達の買い物に付き合う。サムのお母さんは焼鳥屋で、サムの分10本は味付けなしで注文した。焼き鳥の待ち時間に(向かいの酒屋さんは店じまいしてしまったので)団地のスーパーへ行って焼酎を買う。サムのお母さんが店内に買い物に行っている間、サムベルと私は外のベンチで待った。とっくに6時は過ぎているが未だ空も明るい。風も爽やかで、ゆっくりと黄昏れて行く空の景色を楽しんだ。3週間前も同じよう暮れ方の空を眺めていた。1日目は奈良ホテルの食堂から赤ワインを飲みながら、興福寺の五重塔の照明が夕焼けからライトアップに変わって行くのを眺めていたし、2日目は寒さをこらえながら薪能の舞台が青から紫へと変わって行く夕空と一体になってゆく不思議な感覚に酔った。そんなことを思い出していると、犬たちが鼻を鳴らした。サムのお母さんが酒瓶を下げて帰ってきた。「それにしても日曜のこの時間に、たったこれだけの人出ですよお。商店が少なくなって、サービススタンプも無くなると言うし、悪循環でますます寂れて行きますね。」さむのお母さんの話に、ただ頷くほかなかった。 |
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| 2007年6月2日(土) |
| 犬と歩けば・ふたたび 641 |
6月2日(土) 晴
「地獄への道は心地よく、美しく飾ってある」なんて言葉をどこかで読んだ。
夕べ9時のニュースの時間に「教育再生会議事務局長」山谷えり子氏が出演した。彼女はニコニコと一方的に喋り、アナウンサーが(例えばそんなことは、家庭内の問題であって、いちいち政府に指導される事ではないという意見もありますが)と問いかけても、それには答えず、自分の言いたいことだけを爽やかに話した。彼女の話は内容がちっともわからないが、雰囲気だけが残る不思議なもの。山谷氏自身も経歴詐称等の疑い有りと週刊金曜日が報道していたが、彼女を見ていて冒頭の言葉を思い出した。彼女は実に愛想良く国民を、地獄へ導いている。
夜中に胃が痛くて目が覚めた。枕元の時計を見たら3時少し前だった。しばらくそのまま我慢していたが痛みは治まらないので、ラジオを付けた。ラジオ深夜便で、歌詞はわからないがしみじみと気持ちが伝わってくる歌が流れていた。アナウンサーは歌い手はメルセデス・ソーサ(アルゼンチンの歌手・軍事政権に抵抗して弾圧された)だと解説した。胃痛の原因はわかっている。寝る前に、若い人が苛酷な労働で大病になり、それでも抵抗しながら働き続けている手記を読んだからである。傷つきながらも、尊厳を守って闘い続けている彼女に、心からのエールを送りたい。 |
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| 2007年6月1日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 640 |
6月1日(金) 雨のち晴
夏休みに、中国「天空列車」に乗ってチベットへ行く旅行の、最終説明会があった。何たって列車は、5231メートルのタングラ峠を越え4千メートルあたりをうろうろと観光するのである。「体調が悪くなって普通と思って下さい」と、説明があった。私は13年前、未だ元が7円だった頃(今は15円)山峡下り見物に行って、体調を崩し船の中でずっと横になっていた苦い経験がある。それでもやはり、天空列車からの景色をこの目でみたいという気持ちの方が強い。今回の旅行の正味10日間のうち、7月7日から8日にかけての24時間が、私の目的である。
今朝の公園でサムちゃんが近寄ってきて「やっと出ていった」と言いながら、肩の力を抜いて見せた。ここ10日間ほど、ゆえあって、娘さん家族が寄宿していたのである。(1人でご飯食べなくても良い)と思って、嬉しかったのははじめの2日間だけで、後は毎日(あと何日)と数えていたと笑った。デモね(娘家族がいなくなって)急に家ん中が寒くなりました。それまでは毛布1枚で寝ていたのが、夕べはかけ布団を出しましたよ。若い人の熱気というか、体温はすごいんですね。でも未だサムが様子が飲み込めなくて、誰かが帰ってくるかと思って夕べも11時過ぎまで、窓から外を見ていました。サムちゃん家はまた、二人だけの静かな長い夜が始まる。 |
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| 2007年5月31日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 639 |
5月31日(木) 雨ときどき晴
20年前、「過労死」という言葉を世に送り出した公衆衛生学の上畑鉄之丞先生が、この春5年間働いた私学を退職された。その経緯を書かれた文章を読んだ。まあ幾つか理由はあるが、職場で同僚(教授)が明らかに過労死と思える突然死をしている。続いて管理職も1人亡くなっている。今や象牙の塔も、孤高を守るなんて暢気なことを言ってられない時代となった。
今朝のNHKテレビ生活ほっとモーニングで「急増する過労自殺〜勝ち組の死」と言う番組が放映された。ご覧になった方も多いと思う。マグノリアさんが、ケータイで(やるよ〜)と、知らせてくれた。過労自殺を含む精神障害の労災申請件数を見てみると昨年(18年)は819件で前年よりも163件増えている。それまでの過労死の主役、脳・心臓疾患での申請件数は938件だから、それに迫る勢いである。
労災申請して労災と認められるには労働基準監督署の「認定基準」に、合致しなくてはならない。然し幾つかの実例をみていると、どうも「認定基準」がおかしいと思われてくる。そこで厚労省の担当役人あまの氏に、NHKアナウンサーが直接疑問をぶつけた。@ストレスの原因を、強度T、U、Vとランク付けしてあるが、それはどういうことか?
A:本人にとってどうかではなくて、平均的な強さで一般的基準としている。
ATやUが幾つもあれば、加重されるのではないか?
A:ストレスは時間が経てば減少する
Bそもそも認定基準に該当する項目が足りない。
A:今ある項目で似ている項目を選び、類推する。現在、労災認定でご苦労されている人達には、頭に血が登っちまう回答であった。
☆またまたお詫びして訂正。昨日書いた山菜の事で、根元を叩いてネバネバにして食
べるのは(うるい)ではなくて(みず)でした。Aさんごめんよ〜。 |
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| 2007年5月30日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 638 |
5月30日(水) 雨
「うるい」と聞いて、おっと反応する人は、かなりの山菜通かまたは、自然豊かな地で育った方だろうと思う。
昨日相棒のAさんに誘われて、Aさんの鉛筆画の先生の個展を見に、銀座へ出かけた。銀座裏の安くて美味しい昼食でお腹一杯にしてから、岩手県の物産館へ寄った。
入り口に、山菜の売店が出ていた。それをチラリと横目で見たAさんはもう、(うるい)の前から動かない。売っていたおじさんは、岩手は今が山菜の最盛期だとか答えている。取りあえず店内を見ようと、促す。店内には山海の物産が所狭しと並んでいて、何よりも食品は(お試し用)が、ふんだんに提供されている。さっきの満腹はどこへやらAさんは闘志満々、次々とお試し用を口の中に放り込んでいる。ま、私もそれなりに。あれこれと買って、美味しい牛乳を飲んで一休みした後、また(うるい)売り場に戻った。
(これはね、茎を叩くとドロドロになるから、味噌で味を付けてご飯にかけて食べると美味しいのよ)と教えてくれたが、私は食べた事がない。Aさんは蕗のように立派なうるいとワラビを、私は加工した塩漬けを買った。うるいは(別名:おおばぎぼうし、かえろっぱ、やまがんぴょう、たきな、うり、ぎば)と様々に呼ばれている。それだけ人々に好まれて来たのだろう。うるいの味を知っている人たちが、すこし羨ましかった。 |
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| 2007年5月29日(火) |
| 犬と歩けば・ふたたび 637 |
5月29日(火) 晴れ
すみません。先ず昨日書いた「お手小」の訂正です。正しくは「おてしょう・御手塩」で浅い小皿・手塩皿の意味だと三省堂ハイブリッド新辞林に載っていました。場所によって或いは家庭によってお小皿(おこざら)とも呼ばれているらしい。では「手塩」とは何かというと、同じ辞書で、@古く食膳に備えた少量の塩A手塩皿の意味だと載っていた。
ここまで読んで《何故昔も食膳に塩を備えたのか》と疑問が湧いた。
昨日Aさんは、おかずがなくなって残ったご飯にそこにあった塩をふりかけて食べた。成る程、昔も同じだったのかと思ったが、念のためもう一度辞書を開けると(もと膳部の不浄を払うため)に、小皿に塩を備えたと書いてあった。ええーっ、そうなのぉ。じゃあお祓い用の塩を食べちゃったというわけ?そんなことAさんに言えないと思って、パソコンで検索してみた。そうしたらあった、ありました。【自分の好みに合わせて料理の塩加減を調節するという使い方もあった。】と。更に【そこから他人任せにしない、自ら世話をすることを手塩にかけると言うようになったのである。
他にも自らの手で塩加減を調節して作る漬物、手に塩をつけ味を加減、愛情を込めて
作るおむすびに由来するとも言われている。】 |
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| 2007年5月28日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 636 |
5月28日(月) 晴れ
昼間は乾いてひんやりとした心地良い風も、夕方になると寒かった。月曜日は事務所当番でマーブルに食事に出かけたら、臨時休業だった。仕方なく近くの定食屋ののれんをくぐる。Aさんは悩んでカツ丼を野菜炒め定食に変更したら、もやしに少しのキャベツとニラ、挽肉寸前の小さな肉が入った野菜炒めが、お子様ランチの盛りつけぐらい出て来た。あと味噌汁と漬け物が御手塩(おてしょ)に4切れ(大根2,きゅうり2)。これではとてもご飯1杯のおかずとしては足りない。でもお米は美味しいのよと言いながら、茶碗に残ったご飯に食卓塩をかけて食べていた。私は親子丼を頼んだ。小指の先ほどの鶏肉に三つ葉を卵でとじてご飯の上に乗せてある。味はまずまずなのだが、食べ終わってなんだか物足りない。不満が残った。一応胃袋は満足したのだが、食事をしたという気持ちの満足が足りない。食堂内が特に汚れていたわけではない。ウエイトレスのおばさんが特に不親切だったわけでもない。食事が特別不味かったわけでもない。何だろうと考えて、店のサービス精神が足りないのだと思い当たった。なにを贅沢な、600円で文句言うなと言われそうだが、Aさんも2回は行かないとはっきり言った。 |
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| 2007年5月27日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 635 |
5月27日(日) 晴れ
大相撲千秋楽結びの一番、朝青龍と白鵬の取り組みは素晴らしかった。テレビを見ていて力が入るからおかしい。そして表彰式になると、全員起立して(日本国国歌・君が代)の斉唱となる。白鵬のそれらしくかすかに動く口元が、アップで映し出される。彼はモンゴル国民で、民族服を着たご両親の姿も合間に映し出される。何か変だよなー。背中がもぞもぞするような落ち着きの悪さを感じる。でもイチローや松坂も星条旗に頭を垂れているんだし、まいいか。そうそう、国なんて囲いがなくなればいいのだ。そうなれば「愛国心」を強要されることもないし、「イージス艦の極秘資料」が敵国に漏れる心配もない。このニュースもどうもわからない。「極秘資料」が、コピイされて教材に使っていたという。教材になるくらいなら、極秘資料ではないと思う。007が極秘資料を盗みに、学校に潜入するなんてまるで様にならない。007が生徒の1人になりすまして、教室に座っていれば「極秘資料」が手にはいるのでは、スリルとサスペンスに欠ける。更に漏れた漏れたとマスコミは言うが、どこに漏れたのか一言も言わないし書かない。ただ、(犯人)の妻が中国人で出国したと伝えているので、ああ中国へ漏れたのかと想像する。発覚してから2ヶ月も経って、(学校)の捜索をしたと言うが、この対応も(ま、恰好だけやっておこうか)というポーズに見えなくもない。情報漏れという形で流したと見る方が、007にふさわしいと思うが・・。 |
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| 2007年5月26日(土) |
| 犬と歩けば・ふたたび 634 |
5月26日(土) 晴れ
夜になっても降り続いた昨日の雨がウソのように、今朝は早朝から晴れ渡り、運動会の開催を知らせるドーンという花火の音が聞こえてきた。今日はあちこちの小学校や幼稚園で運動会があるらしく、何回も鈍い音が聞こえてくるので、ナナちゃんとハナは怯えて尻尾を巻いて動かない。ウチへ帰りたがった。公園で久しぶりにあったヒマ(ヒマワリ)のお父さんは、孫の運動会の場所取りに行くところだと言った。チビタのお母さんはレジャーマットを持って、小走りでやって来た。今なら未だ良い場所がとれるからと電話が架かってきたので、行くところだという。それにとサムのお母さんは笑いながら言った。チビタのお爺ちゃんは運動会用に、今朝早く起きて空豆を採りに行ったんだって。運動会のお昼ご飯は、昔のように家族単位で運動場でとるようになったための場所取りらしい。家族の都合が悪い子はどうするんでしょうか?とサムちゃんが言った。勿論私はわからない。
実は最近、編集長は花嫁の父となった。今日の相談会で会ったときに(バージンロードを歩くとき緊張で足が震え、花嫁に支えて貰ったのではないか?)とからかうと、(否、練習したから大丈夫だった)と軽くかわし、結婚式の翌日花嫁から(みんなが、お父さんが一番ダンディで素敵だった)と電話があった。(親をおだてる方法を知っている)と言いながらも、思いっきり(はっきり言うとでれでれした)の笑顔だった。秋山編集長、良かったですね。おめでとうございます。 |
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| 2007年5月25日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 633 |
5月25日(金) 雨れ
天気予報通り6時過ぎから結構な量の雨が降ってきたが、家人は南房総ハイキングに出かけていった。目的地近くまでバスで行って、崖の観音様など4,5箇所を廻るらしい。いつものハイキング仲間と言ってもみんな高齢者ばかり。なまじ人数が集まってしまうと小回りが利かず、ドタキャンも出来ないのが難しいところ。あれこれ思ったが、出かける前なので黙っていた。
さて、夕方1週間ぶりに雨の中をサムちゃん達と散歩に出かけた。あまり人の来ない雑木林に入ったら、足の踏み場もないほど一面に真っ赤なへび苺が咲いていた。
サムのお母さんは、こちらが三言喋ると一言ぐらい帰って来るのがいつものパターンである。所がどうしたことか今日は、こちらが合いの手を打つ間もないほど喋りっぱなしだった。ベルにおやつをくれて別れるとき、愚痴をこぼしてスミマセンと謝るので、愚痴ぐらいなら幾らでもと答えた。
昨日借りてきた「川柳マガジン」に連載中の木津川 計氏のエッセイ「人生としての川柳」だけ拾って、5冊分全部読んだ。更に氏の本を検索して、直ぐに図書館にリクエストした。 |
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| 2007年5月24日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 632 |
5月24日(木) 晴れ
川柳雑誌を借りに夕方酸吸宅へ寄り、奥さんに「お茶でも・・」と誘われ、のこのこと上がった。約1ヶ月振りにあった酸吸さんは、いつにもましてムーンフェイス。
一方奥さんの方は少し痩せたかなと思った。今日は調子が悪くてと言いながらも、次から次へとあれこれ喋る。奈良はどうだったかと聞かれ、薪能を見た話しをすると(八千代でも薪能をやったことがあるんだよ)と言う。実行委員長を2回やって1回に人を1300人集めたという。能舞台を作るのに、4、5百万円かかる事も教えてくれた。昔から好奇心が強くて実行力に富んでいたことがわかる。川柳を始めたら次々と入選して「俺は天才じゃないかと思った」と言って私たちを笑わせた。
「川柳上達のコツは多読,多作。それに読んでいて自分が良いと思った句は、声に出して読んでみること」なまけものの私への苦言と共に、雑誌とノートをどさりと貸してくれた。
どうも頭の動きも鈍くなってね、なかなか川柳が出来なくなったと言いながらも、外出が出来なくても自宅から全国各地へ投句して楽しんでいる。川柳があって良かったですねと、心から言った。 |
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| 2007年5月23日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 631 |
5月23日(水) 晴れ
今朝のニュースには驚いた。《パリで開かれている国際獣疫事務局(OIE)総会は22日、牛海綿状脳症(BSE)の安全基準をめぐり協議し、米国産牛肉の輸出条件について「牛の月齢を問わず輸出可能な国」と認めた。》米国は賄賂を使ったのか脅かしたのか、米国産牛肉安全のお墨付きを、こんな所から手に入れた。しかし、私たちは「危ない牛肉」は食べたくない。魚柄仁之助(食生活研究家)氏は、週刊金曜日でこんな事を書いている。【安くて旨い輸入牛肉だと?笑わすな!!この国にも安くて旨い野生肉があるんじゃ。近頃里に出没する猪の肉をスライスしてすきやきにしてみなさい。一度凍らせてからスライスすると薄切りに出来食べやすい。もうひとつすきやきにして旨いのが、うつぼであります。南紀白浜や河内に行ったら、うつぼのないぞうと中骨を魚屋で分けてもらおう。これを使ったすき焼きを食べたら、輸入のすきやきなんざ、「へっ」だね。】
今年も、ベルにフィラリヤの薬を飲ませる季節となり、通知のはがきを持って動物病院へいった。まず血液を採ってフィラリヤの有無を調べ、その結果で処方される。検査料2千円、予防薬のビスケット千5百円。税金175円。ベルの体重は10.4sで丁度良いと誉めて貰った。私の視線は、自然と先生のメタボのお腹へ移った。お互いにダイエットはなかなか難しい。領収書と一緒にサンプルのドッグフードを一袋貰った。以前サンプルのドッグフードは、籠の中に沢山入っていて自由に貰えたのだ。私やサムちゃんは、公園で犬たちに分けてやるのに、各銘柄を一通り貰っていたから物足りないが、ま仕方がない |
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| 2007年5月20日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 630 |
5月20日(日) 晴れ
ケアハウスの義姉の所へは、2週間毎には行くようにしているが、今回は腰を痛めたりして3週間ぶりに出かけた。部屋の中が少し模様替えしてあった。流しの周りには小さな草花がいけてある。散歩にも出かけているようだ。きれいな壁掛けが、ベットの枕元に飾ってあった。テレビも整理ダンスの上から、テーブルの上に降ろされて見ていた。整理ダンスの上には、保険証と診察券が並べておいてある。引き出しの中に仕舞っておこうかと聞くと、今歯医者にかかっているがしまった場所を直ぐに忘れるので、出してあると言って口を開けて見せてくれた。歯茎が腫れていた。唇も荒れている。リップクリームはと聞くと、色が付いているので厭だと言う。色の付いていないのもあるというと、お天気も良いし、買いに行こうと自分から言った。いつものように、ゆっくりと歩いても5分とかからないスーパーへ行って、いろいろな物を眺めて水や果物などを少し買った。部屋で、買ってきたメロンを半分ずつ食べた。義姉は1人で食べるのは美味しくないと言った。義姉はこの冬の様子と比べたら、随分落ち着きを取り戻した。以前のように、細かい話しも少しした。然し(わかったと言っても、本当にわかって返事をするとは限りません)と職員に言われた事も思い出した。 |
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| 2007年5月19日(土) |
| 犬と歩けば・ふたたび 629 |
5月19日(土) 晴れ・曇り・雨
月に2回のお絵かきの日。2週間前に仲間と会っているのだが、今日会ったAさんもBさんもなんだか急に老けた様に見えた。どうしてなんだろう、私も他の人から見たらやはり同じように老けて見えるのかなぁなどと、くよくよ考えた。
所でこの頃、お茶菓子を用意してお稽古の間に仲間でお茶をする。今日は女性3人男性4人の(現在の)フルメンバーが揃った。先生以外の生徒7人はみんな、リタイヤー組である。煎餅を囓りながらとりとめもない話しをするのだが、おじさん達がお喋り好きなのに驚く。ストップをかけないと、牛のよだれのように連綿と話しが続くのだ。茶碗を洗いながら女性のBさんは、きっと家では話せなくて黙っているのよと言って笑った。
現役の高校教師の先生は、会社周りをして来年の採用予定人数を調査していると言う。学校の先生は、担当教科を教えるだけではなくて、こういう仕事もしているのだ。先生をこれ以上縛って、どんなメリットがあるのだろうかと考える。 |
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| 2007年5月18日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 628 |
5月18日(金) 晴れ
先日奈良の旅行で、初めて口にした物が2つあった。一つは「フォアグラ」。ディナーに(フォアグラのパイ包み焼き)と言うのが出て来た。連れの友人は(香りがよくって、とても美味しい)と満足げだったが、私は初めて食べるので他の場面のフォアグラと比べようがない。私の食べた感想は鮟鱇の肝、つまりアンキモじゃないかと思った。友人には内緒にしておいたが、旅行へ出かける直前二日間は殆ど絶食状態で、ゲップをすれば正露丸の匂いが口から出てくるような状況だったから、(フォアグラのパイ包み焼き)とは不幸な出会いとなってしまった。然しいつだったが八戸へ行ったときに、飲み屋で会った料理好きだという男性の話しを思い出した。彼は、イカのわた(ころとも言う、塩辛を作る内臓)を茹でて、ソッと皮を剥くとこれがフォアグラそっくりだと言っていた。その時はまだ、フォアグラなるものを食べたことがないので、そんなものかと聞き流していたが、今では多分そうだろうなと思う。
もうひとつは、(水茄子)。薪能見物ですっかり身体が冷えてしまい、興福寺境内を出て飛び込んだうどんやで出会った。ポケットに手を入れて足踏みをしながら熱燗を頼んだ。身体が温まって来て店の中を眺めたら、水茄子の品書きがあったので頼む。南泉州だけに産するこの野菜も、吉祥寺に住んでいる友人はデパートに入ると買っているとか。
店の親父は、4つに裂いて食べて下さいと言った。私たちが米茄子と言っているのと同じくらいの大きさで、根元には十文字に包丁が入っていた。噛んで柔らかく、皮の抵抗もない。浅漬けだが水分たっぷりで、甘味があって美味しい。でも1ヶ640円とはいかにも高い。フォアグラも水茄子も、最初で最後でいい。 |
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| 2007年5月17日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 627 |
5月17日(木) 雨夕方晴れ
何時頃だったか夜中に雷が鳴った、と思う。それにひどい降りで、犬小屋のベルを一寸心配したがそのまま眠ってしまった。
朝の公園ではサムちゃん達にしか会わず、四阿の中でおじさんが1人で太極拳をやっていた。犬たちを放してやるとサムはお母さんの側を離れないが、ベルは如何にも用ありげに林の中に入って行った。出て来たときには泥だらけで、杉の枯葉などをくっつけて来た。 帰りに梅の木の下で、大きくなった梅の実を5つも拾った。梅の実はいつもなら老人軍団(と、みんなが呼んでいる十数人の老人の集まり。朝晩公園の四阿に集まって、お喋りしたりしているが、結構悪ガキみたいな事をやるので軍団などと呼ぶのだと思う)が、大きくならないうちにたたき落として採ってしまうのである。それがこの頃は老人軍団も、人数が少なくなって元気もなくなった様だとさむのお母さんが言った。だから今年は筍掘りもやらなかったでしょと続けた。入院したりウチから出られなくなった人が多くなったらしい。帰るとき又雨がひどくなって来 たのでベルと私は、サムちゃんの車で家まで送って貰った。 |
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| 2007年5月16日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 626 |
5月16日(水) 晴れ
「奈良館」の島本さんは、肩幅が広く胸が厚い男性だが、我々のために東大寺の柱に開けた「胎内くぐり」も実演して見せてくれた。どう見ても大人は無理だと思える 大きさの四角い穴に、こうやれば大丈夫入りますと言いながら、身体を斜めにして−つまり四角の穴の対角線上に身体の幅を入れたのである。私は驚きながらも感心して、拍手でもしようかと思っていると、同行のAさんが「時間がありませんので」なんて、冷たく言った。時間はたっぷりとあるが、彼女はお腹が空いてきたのだ。柱の 穴から這いだしながら島本さんは(あ、そうですか。分かりました)と、言った。私 はもっと、もっと聞きたかったのに残念。
夕方散歩に行ったとき、サムのお母さんから絹さやを貰った。実家で作っているのが一斉に実ったとかで、犬仲間に配っていた。サムのお母さんは(息子のウチには持って行かない)ときっぱりと言った。その強い調子に驚いていると、(この前、息子の所に筍を持って行ったときなんて言ったと思います?)と、詰問された。そんなこと急に言われてもわからない。黙って待っていると(嫁が、お母さんこの次は茹でたのを持ってきて下さい。だってさ)と吐き捨てるように言って、(でもそこで私が何か言っちゃ、ややこしくなるから黙っていたけど)と続けた。世代が違うからしょうがないのよと慰めながらも、想像力の弱さは若い世代の特徴なのだろうかと心配に なった。 |
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| 2007年5月15日(火) |
| 犬と歩けば・ふたたび 625 |
5月15日(火) 晴れ一時雨
朝から爽やかな五月晴れが拡がったが、風が冷たく感じた。奈良での3日間も、寒さで震えた。さて、昨日の「奈良館」の島本さんに聞いた話しで、私が忘れてナントカと書いたが、編集長が「ロクロ」だと教えてくれた。その一部を転載させて頂きます。
『聞きそびれた「ナントカ」は「ろくろ」だと思います。古代の社寺仏閣・塔の建立には、「ころ」や「てこ」で横移動し、「滑車」と「ろくろ」で立て起こすといった工法が用いられていましたので。ちなみに「ろくろ」は陶芸などで使われていますね。』
所で「滑車」だが、私が泊まった奈良ホテルの、窓枠を上下するのに使われていたのだ。上下に動かすたびに、コロン・カリンと琴を弾くような音がするので何回も試して同行のAさんを呆れさせた。彼女はどこかに引っかかっているから、そんな音がするのだというが、そんな厭な音ではない。箱根のお土産で、きれいな箱の引き出しを開けるとき、コロン・コロンときれいな音がするのがあるがあれに似ている。念のためもうひとつの窓も試したが、こちらは歌わなかった。
さて島本さんの解説の続き。「お釈迦さんは、インド人なので髪を短くしたときクルクルッと巻いてしまったが、そのままにしたそうですな」それがつまり、螺髪だと言うわけ。な−るほどと、またまた感心した。薬師寺と新薬師寺の違いも伺う。新薬師寺にはご本尊を守護する名高い12神将像があるのだが、かねがね何故土間の上に置かれているのか不思議に思っていたので伺った。「あそこは本来神域で、人間が入ってはいけない場所です。」そうだったのかと、何年来の疑問が解けた。3日目に新薬師寺に行ってみたら、床は叩きではなくてタイル張りのようになっていた。寺男というのか土産物を売っていた人に、ここは叩きではなかったかと聞いてみたら、(確かにそうでした。ずーっと前、私がここに来た頃ですが)と教えてくれた。 |
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| 2007年5月14日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 624 |
5月14日(月) 晴れ
「奈良公園の鹿は、1200頭います」ボランティアの島本さんは、語尾を上がり調子に言った。大阪に住んでいるのかも知れない。「鹿の主食は公園の芝です。観光客に煎餅も貰いますが、あれはおやつみたいな物です。ですから毎日、1200台の芝刈り機で公園内を隅々まで刈っているような物です。また、立木も地面から2メートルまではきれいに、食べてしまいますから公園内は見通しが良くなります。」成る程、更に芝の肥料まで撒いてくれる。奈良公園の鹿は、公園の整備と観光客の接待という重責を担っていたわけで、これもまた認識を新たにした。
「東大寺に行ったら、建物の柱を注意して見てください。さすがに江戸時代にはもう、柱にする太い木がなかったので、12本を束ねて1本の柱としました。押さえの釘と束ねたタガが見られると思います。」後で私たちは、東大寺でその柱をしっかりと見た。太い柱はわかったが、それをどうやって立てたのかと尋ねた。島本さんは即座に「滑車」とナントカと答えた。ナントカは私が聞き忘れたのだが、長い長い縄をグルグルと巻いてあり大勢の人力でその縄を巻き上げたり下げたりする道具であると聞いた。更に、ではその縄はなんで作ったのかと尋ねたら、ツタです。ツタは橋にもするが、強いのですと答えた。具体的で簡潔な回答に、またまた唸った。 |
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| 2007年5月13日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 623 |
5月13日(日) 曇り一時雨
友人と二人で奈良へ行ってきた。友人が昨秋、室生寺近くの「橋本旅館」へ泊まりたいので付き合って欲しいと言われたが、寒そうなので断った。何でも「橋本旅館」というのは写真家土門拳の定宿なので、行ってみたいと言う。私は友人がいつ土門拳に興味を持ったのか知らないがその時、「奈良ホテル」なら泊まりたいと言った。友人はその事を覚えていて、譲歩したのだ。それに「橋本旅館」は山菜料理ばかりだと言うから、ダメだとも言った。友人は大きな手術をしてから、腸閉塞を恐れて繊維質は避けている。
所で「奈良ホテル」のホームページを見ていたら、宿泊「薪能プラン」が1万7千円と出ていた。薪能も見たことはないし、「奈良ホテル」に泊まるチャンスである。
それにナーニ「奈良ホテル」って、意外に安いじゃないのと思った。帰ってから、もう一度「奈良ホテル」ホームページを見直して、高級なものとは縁のない暮らしをしていて、値段を知らない自分のアホさ加減を知った。ここは1泊34万6千円という部屋もあったのだ。
ともあれおばさん二人の気ままな旅で、近鉄奈良駅に着くとそのまま同じビル4階にある「奈良館」へ直行した。私はここのボランティアに、奈良古代史の説明を聞くのが好きなのだ。勿論前回訪ねた時とは違う人だったが、三笠山と聞いて美味しいですねと言わないように注意した。今回のボランティア先生の話によると、この三笠山(若草山)原生林は、その昔、神様が鹿に乗って鹿島神宮からやって来て降り立った所なので、大事にしていると言う。私は千葉からやって来たのだがと前置きして、鹿島神宮って、茨城県の鹿島神宮かと尋ねた。その通り、藤原氏は下総あたりにも大きな勢力を持っていたらしいと答えてくれたので、すっかり感心した。私には初めて聞く話だった。 |
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| 2007年5月9日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 622 |
5月9日(水) 晴れ
今日の午後、会議で会った編集長は(なんだか頬のあたりが、そげたようだ)と、嬉しいことを言ってくれた。勿論お世辞である。仲間のAさんは(ええっ、ホント?いいなあ、そう言われてみたい)などと直ぐに反応したが、「間食しない」が早速効果を挙げたわけではない。この4,5日ずっと胃痛・腹痛が続いき、それが段々と激しくなって行った。特に月、火の2日はひどくて夜中に5回も起きる羽目となった。
脱水状態にならないように、水分を多くとるようにと注意されていたが、水でさえ飲むと直ぐに行きたくなった。とうとう夕べは寝ながら(明日は朝一番で病院へ駆けつける)と、決意した。
で、今朝目覚めると、夕べは一度も起きなかった事がわかり、あっさりと病院行きは止めて、床屋に行った。
実は明日から、友人と二人で奈良へ2泊3日の旅行に出る予定がある。奈良ホテルに泊まり、興福寺の薪能を見物するという私にとってはぎんぎら豪華版旅行である。
所が、鍼の先生は(旅行中も、食事はお粥か温かいうどんを良く噛んで食べてください。)などと親切に言ってくれた。でも出かけてしまえばこっちのものだーい。でも「正露丸」は、忘れずに持って行こう。 |
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| 2007年5月8日(火) |
| 犬と歩けば・ふたたび 621 |
5月8日(火) 晴れ
昨日、サムちゃんに公園に連れて行って貰い四阿に座って待っていると、チャーミーのお爺ちゃんがやって来た。でも今日は1人で、チャーミーがいない。(俺がよ、昼寝から覚めたらよ、誰もいねえんだ。おっかーもよ、チャーミーもよ。んだから公園でも散歩に行ったのかと思って、来てみたんだけどよ。いねえからよ。商店街の方によ。行ってみる。)と、一方的に喋って公園の出口へ向かった。なんだか可愛い。かつて漁師だったというお爺ちゃんは、若い頃工場の女子寮に入っていたお婆ちゃんを誘い出すのに、夜彼女の部屋の窓に向かって鋭く口笛を吹いて知らせたと聞いたことがある。(そうすんとよ、急いで降りてきたよ)世界中に「ロミオとジュリエット」の話しのバリエーションはあるのだ。所であんなに熱心だった、チャーミーに子どもを生ませるという話しは、チャーミー嬢が同じ豆柴チビタを嫌ったので、あっけなく消えた。チャーミーはハンサムなサムがお気に入りなのだ。サムは優しくて、上手に遊んでやるので、若い犬や雌犬に持てる。ハナコはサムを見ると擦り寄ってくるが、サムは直ぐに植え込みに逃げ込んで、ありがた迷惑という態度を隠さない。事情を理解しないベルは、どさくさに紛れてちょっかいを出しては、はじき出されている。 |
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| 2007年5月7日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 620 |
5月7日(月) 晴れ
連休が終わってみると、あっけなく5月も7日になっていた。
今朝、座卓(炬燵兼テーブル)から立ち上がろうとして、腰を捻った。どこかの国では(悪魔の一撃)と言うらしいが、まさに瞬間の出来事だった。でもその後は長い惨めな生活が待っていた。・・でも私の場合は比較的軽くて、午後自分で車を転がして鍼治療に行った。 夕方サムちゃん達が、野菜を届けに寄ってくれた。今年の初収穫だという。絹さや、小松菜、それにキャベツ。なかなかの出来で、絹さやは薄揚げ少しと豆腐も入れて味噌汁にした。昨日までお腹がいたくて、ろくに食べられなかったのに(治療をして貰ったせいか)味噌汁をおかわりした。所で、サムちゃん達が来たので、ベルが鼻を鳴らしてうるさい。家人はどこかへ出かけて不在。昨日ハナちゃんのお父さんにお借りした合羽を返したいので、車に乗せて貰って公園へ出かけた。車に乗るとベルは窓から少しでも身体を乗り出したいので、私の膝やお腹の肉の上に足を乗せる。小さな面積に全体重がかかるので、それが結構いたい。どけるが、それでも精一杯身体を伸ばして外を眺める。車が40キロで走っても結構風あたりが強いと思うが、ベルは何を考えているのだろうか? |
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| 2007年5月6日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 619 |
5月6日(日) 雨
朝、ウチを出るときにぽつりぽつりと落ちては来ていた。でも天気予報が昼頃までは持つようなことを言っていたので、散歩の間ぐらいは持つだろうと思って出かけた。公園の入り口で、サムちゃん達と出会ってそのまま散歩を続けた。
ハナコにもあった。雨が降るっていうから早く出て来たと、ハナコのお父さんが言った。3匹が草を食べているとき、一気に暗くなって雷が轟きざんざ降りになった。取りあえず近くの六地蔵の小屋で雨宿りをしたが、一向に雨脚は弱まらない。サムちゃんが(お墓の近くで雨宿りをするのも何だから、公園の四阿へ行こう)と言う。雷に驚いて、動こうとしないハナコを連れてみんなで移動した。私が雨具を持っていないと言うとハナコのお父さんが(破れているけど)と、犬の散歩バックからごそごそと取り出して合羽を貸してくれた。貸して貰ったブルーの合羽は、ガムテープで破れを繋いであった。勿論家に帰るまでに、私もベルもずぶぬれで、直ぐにお風呂に入って暖まったが1日中頭とお腹が痛かった。 |
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| 2007年5月5日(土) |
| 犬と歩けば・ふたたび 618 |
5月5日(土) こどもの日 晴れ
スーパーへ買い物に行ったついでに、菖蒲湯にする菖蒲を物色していると娘は、菖蒲の隣に置いてあった乾燥菖蒲の方が良いと言った。このパックには菖蒲だけではなくヨモギやミカンの皮も入っているからという。まあ、この方が後始末も簡単なので、これに決めた。娘は昨日は買い物に出かけたり、犬と散歩に行ったりしていたが今日は、食事以外の時間は、殆ど眠っていた。そうして休んでいるのに、だんだんと疲れた顔をしている。やっと緊張が解けてきたらしい。
今日は第一土曜日なので、お絵かきの日である。この頃、先生の提案でお茶休憩をする。その方が能率が上がると仰って、必ずチョコパイを差し入れてくださる。Aさんも休憩がなかったときは、家に帰るとくたくただったがこの頃は、疲れを感じなくなったというが、私も同感である。休憩時には熱いお茶と、お茶請けを出す。私は「間食しない」路線を走っているが、まあ付き合いも大事なので今日はお煎餅1枚と、ジャムサンドクッキーを2個食べた。更に夕飯後デザートとしてカステラを一切れ食べた。 |
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| 2007年5月4日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 617 |
5月4日(金) 晴れ
(休みが取れた)と言って、夕べ遅くに娘がやって来た。正月以来である。
にやにやしながらトイレから出て来た娘は、(あれ、なーに?)と例の貼り紙を聞いた。私は事の次第を説明して、写真も見せた。すると娘は、(間食しない)など禁止するような文言はストレスが溜まるので、写真そのものを貼っておく方が良いと言う。成る程それも一理あると思い、無様な写真を冷蔵庫のドアーに貼った。冷蔵庫を開けようとする度に、不格好な自分の姿を見れば、おやつに伸びかかった手も引っ込むという仕掛け。更にガマの油同様、たらーり、たらーりと脂汗が出れば、なお効果が上がるというものである。然しである。半日経ってみて、冷蔵庫を開けるときはいちいちドアーなど見ていないことがわかった。
所で、わが家のトイレにはオードリー・ヘップバーンの写真も飾ってある。ウチはローマの休日で、義姉の所は「麗しのサブリナ」を貼った。そんなわけで、度々一番美しい頃のオードリーをうっとりと眺めている。然し、晩年の彼女は(よくもそこまで)と思うほど、シワだらけの顔だった。幾ら時代が違うと言ってもそこは大女優、世界の恋人、幾らでもしわ伸ばしの方法はあったろうに、何故しなかったのだろうか?でも、あのシワだらけの顔もまた、美しかった。
昨今、化粧品から大がかりな手術まで「アンチエイジング」とやらが大流行。これも商魂が流行らせているに違いない。 |
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| 2007年5月3日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 616 |
5月3日(木)憲法記念日 晴れ
夕方の散歩の途中、ステラのウチの前を通ったら、国旗が出ていた。日の丸はサムちゃん家にもあるかと聞いたら、無い、実家にはあると言った。サムちゃんの足は(注射が効いて)大分良い、でも使うと痛みまでは行かないが不快感はあると言う。
事務所は大型8連休だというし、この期間少し楽したらとすすめると、足が痛くて動けず休んだ2日半の仕事が押せ押せになっているから、そう言うわけにも行かないのだそうだ。今日は天気も良かったので、公園は人出が多くて犬の場所はないだろうと相談して、花見川沿いのサイクリングロードへ足を伸ばした。途中で、やはり同じ考えでやって来たリョウくんと出会って、3匹は造成中の公園で遊んだ。リョウが未だ1才の頃は、ベルが追いかけるとリョウは逃げ回っていた。所が今ではリョウは身体がベルの2倍くらい大きくなったので、2匹は対等、否ベルはやや押され気味である。今日もベルはリョウにさんざん追い回されていると、どこからかサムが飛んできて2匹の間にすっと入ってリョウの動きを止めた。ベルはやれやれと云った感じで、草の上にへたり込んだ。
先日、ラジオで永六輔が憲法について喋っていた。9条も大事だけれど、この際「憲法って何だろう」をみんなで考え、討論することが大事である。自分は憲法は理想で良い、現実はこうだけれど、こんな風だったらいいなあで良いと思う事を憲法にしたい、と。 |
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| 2007年5月2日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 615 |
5月2日(水) 雨のち晴れ
「間食はしない・07,5,2」太いマジックで、しっかりと書いた。書いてトイレの(丁度目の高さになるように)壁に貼った。今までも決意はしても、自分に甘いので直ぐに決意を反古にするのが毎度の事だったが、今度は違う。決意は固いのだ。と、自分に言い聞かせる。
実は昨日の句会で、文七さんとすす夢さんからお花見の写真を戴いた。どれも楽しそうに良く撮れてはいるのだが、ショックだった。歯なし歯医者のただしさんとのツーショットにしても、たみこさんとのスナップ写真にしても私の紡錘形の身体がしっかりと写っていたのである。会長のまことさんから貰った写真はお腹の部分ははいっていないものばかりだったので、いい気になっていた。うーん、まことさんはそのあたりを考慮したのか。この1年で体重が4キロ増えたが、その分はみーんなお腹の周りに脂肪の帯となって付いたのだ。春菜ちゃんは昼はウオーキング、夜はバウンドテニスそして食事に気を付けて半年で10キロ落としたと言うではないか。私はそこまでは出来ないが、先ず真っ先にやるべき事として、憎っくき「間食」を槍玉に挙げたのであーる。いえね「間食」さん、気を悪くしないでね。あくまでも悪いのは間食しちゃうこの私だって事は、わかっているから。でももう一度「間食はしないぞ〜」。 |
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| 2007年5月1日(火) |
| 犬と歩けば・ふたたび 614 |
5月1日(火) 晴れのち雨
アメリカで、労働者が8時間労働を要求したのが始まりとされる、今日はメーデー。
然し今日は第一火曜日なので、私は川柳句会に参加した。天気予報は雨を予報していたし、公民館は勾配のきつい階段があるので、酸吸さんの出席は無理だと思っていた。私が公民館に着いたのは8時45分だったが、受付で会長のまことさんが事務所の人と話をしていた。歯なし歯医者のただしさんも来ていて、私がチラシを見ていると何かをくれた。見たら黄色のカードで「夫や恋人の暴力に悩む人の相談センター」と書いてある。今のところは必要ないからと言って、戻した。ったく何を考えているのだろう。あとで春菜ちゃんにその話しをしたら、ゲハッハハと笑った。2階へ行くと、ナント酸吸さんが座っている。8時半には到着したとか。信じられない思いで(とっても無理だと思っていた)と言うと、薬の副作用でいつもの2倍ぐらいにまん丸くふくれた顔で(今日に備えて、近くの公園で練習した)と言ってにやりとした。
9時から始まった句会で酸吸さんは、病院から生還した喜びと、見舞いの礼を言った。土壇場になったとき生還する割合は、生き甲斐を持っている人は50%、持たない人は17%で、川柳をやっていてよかったとも言った。
その後、1時間かけて互選句48句を解説したが、一度も咳き込むことはなかった。
私たちはいつものようにラーメンを食べながら(やっぱり酸吸さんがいると、雰囲気がぐっとよくなるね)と噂した。 |
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| 2007年4月30日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 613 |
4月30日(月) 晴れ
今日1日、小さな台風が吹き抜けて行った。
予告されていたことだが、娘家族が5人でやって来た。昼前に来て夜7時前には帰っていったのだが、私は早朝から帰るまで働きづめだった。特に5人の昼食と夕食のために、幾品もの献立を作った。特にこだわりの強い7才の男の子が食べられるようなもの、そして少しは違った物も食べて欲しいとあれこれ頭を捻った。
普段、二人だけの生活ではいつも同じような献立ばかり作っているのに、とりあえずこれだけ作れたのには、自分で驚いた。子ども達に(安全で美味しいものを食べさせたい)という思いが、私を駆り立てたのである。まさしく料理は愛情である。
(ま、上手・下手はこの際問題としない)
自閉の男の子は、(どうしてか)イケメンである。そして今回、彼の声を初めて聞いた。絵本の数字を読んだのである。また彼は「ドラえもん」を見ている間に、私に素直に手の爪を切らせてくれた。こんな小さな事が、私を幸せにしてくれた。しかし、日帰りしてくれて良かった。私はもう、へとへとに疲れた。 |
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| 2007年4月29日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 612 |
4月29日(日) 晴れ
夕方サムちゃんを散歩に誘うと、アキレス腱を痛めたと言う。驚いて行ってみると《木曜日からで、金曜には動けなくなってアキレス腱に注射をして貰った。原因は足の使いすぎで、特に砂利道などは歩いてはいけないと言われたが、殆どが砂利の敷いてある駐車場が仕事場なのだから、それは無理な話しである。でも長びくと言われたので、思い切って休んで毎日うとうとと眠っている》という。でもサムの散歩には行くというので、車で市民の森へ行き、サクラのウチに車を置いて、なるべく平らな所・休耕田とそれに続く森で2匹を遊ばせた。予想したとおりサムは私がリードを持つのを嫌がる。お母さんに、置いていかれるのではないかと思うからだと、サムちゃんは言う。サムは何時もと違う気配を感じているのだ。でもサムのお母さんが下のベンチに座って、私は斜面の高いところに登って、かわりばんこに犬たちを呼ぶと、犬たちは斜面を駆け上り、或いは駆け下りておやつを貰った。珍しくサムが私の持っているおやつを欲しがるので、サムのお母さんは不思議に思って何かと尋ねたので、パンの耳だと教えた。パンを買いに行ってただで貰ってきたものである。サムちゃんもこの数年、怪我が多くなったし、私も小さな段差で転ぶようになった。これが老化の確かな証拠だと、認めなくてはならない。然し森は緑を増し、山道には藤の花がこぼれ、黄色のきん蘭やにりん草に似た白い花が群生して咲いていた。 |
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| 2007年4月28日(土) |
| 犬と歩けば・ふたたび 611 |
4月28日(土) 晴れのち雨
Aさんが(無事、修士課程を卒業しました。)と報告に見えた。修士論文のテーマは「過労死遺族の被災後の心理的変化」。過労死遺族が自ら取り組んだ画期的な労作である。というのは、似たような論文は過去に1例あるが、著者は遺族ではなく調査事例も3例のみで書かれた物であるという。
初めてAさんに出会ったときの事は忘れない。すらりとした長身に知性を感じさせる整った顔立ち・・なのに、顔面は蒼白で全く表情がなく、潤いを喪ったバサバサの髪は半分白くなり、前こごみに歩く様子はそのまま地面にもぐってしまいそうだった。声をかけてもやっと小さな声で、はいといいえしか言わなかった。二人のお子さんを育てながら仕事を始め、過労死した夫の労災申請をおこして調査に駆けめぐり書類を作った。会社との損害賠償もなんとか片づいた時、(過労死遺族の、特に遺児たちをテーマに研究したい)ので通信の大学院へ入りたいと打ち明けられた。そうすることが、亡くなった夫へのレクイエムだとも言われた。それから2年。限られた時間の中で、爪先だって走り続けるような忙しい生活の中で研究を続け、ついに論文として完成させたのである。
そして今、子ども達を随分犠牲にしてしまったので、少し休んでその間子ども達の相手をしてあげたいと仰る。Aさんは今でも種々の難問を抱えているが、一つのことをやり遂げて充実した様子を、惚れ惚れと眺めた。 |
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| 2007年4月27日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 609 |
4月27日(金) 晴れ
今朝、寒いので着替えていると電話が鳴った。両袖を通したところで、つい受話器を取った。川柳仲間の春菜ちゃんからだった。この3月にめでたく定年退職したご主人は、かねてより念願の1人乗りヨットを操作して、仙台へと旅立ったという。沿岸沿いに北上して、夜はどこかの町に上陸して宿泊する。その時は連絡をくれるのだという。(でね、体調はどう?っていうから、アンタには言われたくないって言ってやったの)と言って、ひ・ひ・ひと笑った。(おまけにね、体力が落ちないうちに日本一周をやりたいって目論んでいるのよ)春菜ちゃんは、いわゆる生活習慣病を抱えている。でも話しを良く聞くと、「過労」が原因としか思えない。どの家族にも様々な事情がある。それから勿論川柳の話。今月の宿題(鈍行)は作りにくいとか、あの人この人の噂話とあっけなく1時間が過ぎていた。この間私は寒くて、何度も長袖シャツを頭から被ろうと思ったがうまくいかなかった。電話を切ったときは、すっかり身体が冷え切ってしまった。 |
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| 2007年4月26日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 609 |
4月26日(木) 晴れのち雨
月1回の通院日で、銀座へ出た。終わってからシネスイッチで「サン・ジャックへの道」を見る。エレベーターで一緒になった品の良いご婦人が「これ楽しみですね」と、話しかけてきた。ダークスーツにお帽子までつけていらっしゃる。「大分前からやっていたので、終わっちゃうんじゃないかと思って、ハラハラしていましたの」 のどかな春の日の午後、ドレスアップして銀座へ映画を見に出かけてくるなんて、あーこれこそ映画の一場面になる。映画が終わってから教文館書店へ廻って、9階で開催中の「堀内誠一絵本原画展」を見る。丁度今日からで、入場料600円。この人の「ぐるんぱの幼稚園」というぞうさんが主人公の絵本や「太郎のおでかけ」は、娘達が好きで何度も読んだ。狭い会場も、初日で空いている。今度は品の良い紳士がご覧になっていた。すると女性が(松居先生)と呼びかけていた。確か入り口で(松居直)というお名前をみて、どこかで見覚えがあるお名前だと思っていたが、多分絵本出版社の社長ではなかったか。
次は和光6階で「101人の写真展」を見る。これは無料。有名人も沢山あったが、殆ど興味を惹かれなかった。次は元のガスホールの建物にあったJAのアンテナショップ「お米ギャラリー」へと向かう。この時期、「バケツ栽培用種籾」をくれるはず。所が建物は壊されてそこだけぽっかりと空間が出来て、後ろの建物が丸見えだった。さっきの写真よりこの方が面白い。帰ってから調べたら、「お米ギャラリー」は、東京駅構内へ移っていた。 |
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| 2007年4月25日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 608 |
4月25日(水) 小雨のち曇り
千葉市から、畳み2枚ほどの家庭菜園をお借りしている。昨日、家人はそこの草取りをやって腰が痛いと、朝からごろごろしていたが、夕方早めにベルを連れて散歩に出かけた。ベルが出かけた後、サムちゃんが(ここんところ雨が多かったので、筍が並んで大きくなっている)と言いながら、玄関に泥付きを4本ごろんと置いた。勿論サムも一緒である。二人はベルがいないのが判るとがっかりして、帰ろうとしたとき、ベルが帰ってきた。サムちゃんの車を見たベルは、もう乗りたいと大騒ぎ。仕方がないかと、今度は私が仕度をして、ベルと一緒にサムちゃんの作業車に乗せて貰って公園へ出かけた。
私も今日は家でごろごろしていて、昼のテレビに元NHKアナウンサーの山川静夫さんがゲスト出演しているのを、斜めに見ていたが、次第に話しに引き込まれて行った。彼が歌舞伎通であることは知っていたが、退職後脳梗塞で失語症になった事などは知らなかった。現在は失語症を克服して、私たちが知っている話し方だが、山川さんは番組中《看護士が足りない》と3回、説明部分ををくわえたら合計6回ぐらい(看護士が足りない)と、言った。入院中、看護士さんの忙しい実態を目の当たりにして、退院後、人の集まるところに出たら、必ず(看護士が足りない)と3回言うと約束したと言う。「公共放送」を使って堂々と実行した山川さんに、座布団1枚。いや3枚ぐらいやっても良いかな。 |
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| 2007年4月24日(火) |
| 犬と歩けば・ふたたび 607 |
4月24日(火) 曇りのち雨
スーパーに買い物に行くとAさんは、ガラガラとポリ袋を引っ張って取り、(ハイ。ベルちゃんのお土産)と言って手渡してくれる。ポリ袋はベルの散歩時の必需品である。
夕方サムちゃんに会ったら開口一番(今日は1件5千円という臨時の仕事を貰いましたよ。)と言った。なんの事やらわからず聞き返すと、(犬の落とし物の始末)だという。サムちゃんの仕事は通常1件100円、この頃では単価も下がって90円、80円で請け負っているので、5千円は破格である。良く聞いてみると仕事は、駐車場の車の間に落とされた(犬の落とし物)の処分で、会社に連絡がありサムのお母さんが処分するまでに3日は経っていたらしい。私の感覚ではそう言う場合、見つけた人が「ったく、しょうがないねえとかぼやきながら片づける」だと思うと、おずおず言った。今でも散歩の途中に見つけると、私もナナちゃんのお母さんもサムのお母さんも犬仲間は大体そうしている。「今は違います。管理事務所に通告するだけで、やりません。でもそうだから、仕事が出来てお金が動く」と、サッパリと言った。私たちの世間はこんな風にかわってしまったのか。 |
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| 2007年4月23日(月) |
| 犬と歩けば・ふたたび 606 |
4月23日(月) 晴れのち曇り
今朝やっと片づけた炬燵布団を、夕方になってまた出した。公園では冷たい風が吹いて、人間達は震え上がったが、犬たちは元気に遊んだ。金曜の夜、ワンタが「椎間板ヘルニア」になって、驚いたお母さんは犬仲間に電話をかけまくって大騒ぎだったと、サムちゃんが教えてくれた。しかしサムちゃんは夜9時以降は電話に出ない。何故ってその時間にはもう酔っぱらっていて、面倒だからと言う。だから翌朝、ハナのお父さんに「お前が電話を取らないから、俺の処にもとばっちりが来た」と愚痴られたと、笑った。早い話がとサムちゃんは言う。「ぎっくり腰よね。パソコンで調べたら、ピーグル犬はなりやすいって。」救急病院へ連れて行かれたワンタは、3日間の絶対安静と言われたとか。犬の安静ってどんなのかと尋ねると、走ったりジャンプはダメだけど、平らなところを歩くのは良いらしいと答えた。
私も夕べは胃とお腹の具合が悪くて、2回いや3回は起きた。「イチゴ狩り」の苺が原因なのはわかっている。美味しいのもあったが、明らかに変な味がしたり地面に着いた部分が白く変色しているのがあったが、一旦手に取った苺はみんな口の中に入れて食べたので、食べ終わったとき舌が苦かった。何故か。苺狩りを始める前に真っ赤な割烹着(多分苺をイメージ)を着て長靴を履いた農家のおばさんの説明があった。「この時間(午後3時)になると苺はみんな柔らかくなる。そんなもんです」と説明した。ハウスの入り口でヘタ入れを貰ったが、そのおじさんは(もう足腰が痛くてどうにもならない)(そうですよね。かがむ仕事はどうしてもね)と杖をついたおばあさんと話しをしていた。ああ、そんなに大変な作業をして育てた苺なら、絶対粗末には出来ないと思ってしまったのだ。でも胃やお腹が痛くなって来ると、自分でも「馬鹿だなあ」と思った。 |
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| 2007年4月22日(日) |
| 犬と歩けば・ふたたび 605 |
4月22日(日) 曇り
自宅のある私鉄の駅を降りたら、雨が降り出した。今朝JR千葉駅前に集合したのが6時半。帰着したのが夕方6時半だから、丁度12時間のバス旅行だった。
1月ほど前、幕張メッセのフラワーショウに行ったとき、アンケートに答えた。そうしたら、無料の日帰りバス旅行があたったのである。まゆつばものだと思っていると、相棒のAさんは(せっかく当たったんだから行こう)と言うので、連れられて行ってきた。
そんな訳で、バスに乗るまで正式な行き先も知らなかったが「苺狩りと春の河口湖」だった。早い話が買い物ツアーで、バスを乗り降りしては試食品をつまみ、ワインやジュース、乾しぶどうに真珠、わさび漬け、ハーブの化粧品それに信玄餅などを買わせられた。私も5袋千円という乾しぶどうを買ったが、後で商品をよく見ると産地はチリとオーストラリアだった。バスの一行は35人。男性が3人に家族連れがひと組。現地でもう一台のバスと合流した。今日は日曜日なので、割増料金として千円を払った。時期が花見の後、ゴールデンウイークの間のせいか、どこも空いていた。昼食付きで無料バスに乗せても、70人の客を連れて行けば採算が合うのだろうか。
Aさんと、今日は大きな富士山が見られて、良かったね。河口湖畔では、花が小さくて可愛い(ふじ桜)を見られて嬉しかったねと、日帰りバス旅行を振り返った。 |
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| 2007年4月21日(土) |
| 犬と歩けば・ふたたび 604 |
4月21日(土) 晴れ・強風
昨日サムちゃんに、筍と野ふきを貰った。ふきは菜箸よりも細く、太めの竹ひご位。サムちゃんは湯がかないでこのまま炒め煮にすると言うが、今回はサット湯がいて、柔らかな葉の部分と茎とに分けた。湯がいた柔らかな葉は、少しの酒と醤油で煮たが、独特の苦みが口の中に春を呼び込む。昨日の内にそこまでやっておいて、今日は残しておいた茎の部分を出して考えた。意を決して、その細い細い蕗を1本ずつ丁寧に皮をむいた。(勿論、皮をむかないでも食べられるが、手間暇をかけてささやかな贅沢を味わう)皮をむきながら、酢味噌和えに混ぜようと思いついた。新ワカメは熱湯を通すと、緑色に変身。それにに昨日茹でて置いた筍とこのふきを、酢味噌に山椒の新芽も入れて和えた。夕飯は筍と身欠きニシンの煮付け、ふき葉と厚揚げの炒め煮、それに新ワカメに筍・ふきの山椒葉入り酢味噌和えと、春の献立が揃った。と言えば聞こえが良いが早い話、老人食である。若いときは絶対に肉か魚がないと物足りなく、食べた気がしなかった。家人はいらないというから、1人でゆっくりと晩酌をして春の宵を過ごした。 |
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| 2007年4月20日(金) |
| 犬と歩けば・ふたたび 603 |
4月20日(金) 晴れ
夕方、サムちゃんが実家で掘ってきた筍を届けてくれた。年々体力が落ちて、ちゃんと筍を掘ることが出来なくなったと言った。成る程、根の部分は斜めに折られている。でも、犬仲間の分を掘るのだから、1回に10本では利かないはず。疲れる訳だ。そのままサムちゃんの車に乗せて貰って、公園まで行った。ワンタの家にも筍と野ふきを届ける。ワンタのお母さんは、今日は仕事が休みなのだが、家の中でぐだぐだしていたと言って、喜んで私たちに付いてきた。3匹と3人で花見川大橋を渡り、花見川沿いに造成中の公園で遊ぶ。あたりの雑木林はもう新緑の季節となり、いろいろな黄緑色にあふれている。ワンタのお母さんは声をあげて(癒される)と言って喜んだ。犬たちは藪の中に入ったり、斜面を追いかけっこしたりして遊び、暑くなったのかベルは水溜まりの中に座り込んだ。
夕飯後居眠りをしている間に、編集長が「1万ヒット」の記念品を郵便受けに届けて下さいました。世界中に2つしかないものの、ひとつです。今日4月20日は、発病から丁度10年目だそうです。新しい10年に向かって、出発進行ですよ。秋山編集長!(^^)! |
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| 2007年4月19日(木) |
| 犬と歩けば・ふたたび 602 |
4月19日(木) 曇りのち雨
「椅子にかけ 届かぬ足が 辞典借り」家人の川柳である。家人が昨日の句会に出したら(辞書に足を乗せるなんてとんでもない)と、仲間からごうごうと避難を浴びたとか。
川柳は(今を読む。人間を読む)と指導されている。前述の句は、私を写生したものだと家人は云う。なるほど。私はパソコンに向かっているとき、足が疲れる(脛が短いともいえる)ので片足づつ台の上に乗せている。(おそれおおくも)角川書店発行「字源」の高さが、丁度具合が良いのである。川柳を始めてから電子辞書のお世話になっているので、(権威ある)「字源」の出番は殆ど無い。でまあ、近くにある物の有効利用と言うことで、私の大根足は「字源さま」のお世話になっている。
一方わが家には、辞典よりももっと役に立たない置物がある。言わずと知れた「百科事典」である。家人が独身時代に月賦で買ったという「小学館発行・日本百科大事典全15巻」は、一体何回利用された事だろう。多分10回とか20回。どんなにさばを読んでも三桁になることはない。その上資料はどんどん古くなる。然し、事を分けて説明し処分を提案してきたが、家人はうんと言わない。今では本棚を安定させる重しだと、思っている。 |
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| 2007年4月18日(水) |
| 犬と歩けば・ふたたび 601 |
4月18日(水) 雨
冷たい雨が降り続いた寒い1日だった。
夕べは4時まで深夜放送を聞き、2時28分には長崎市長死亡のニュースを聞いた。
先日上野動物園へ一緒に花見に行ったAさんは、長崎の出身で3才の時に被爆している。ビールが大好きで毎日4,5本は飲んでいるし、煙草も手放さない。バカを言ってはガハハハと笑っているが、検診の時にはひどく怯える。何時だったかどうしても恐くて1人じゃいけないので、一緒に病院へ行ってくれと頼まれたことがあった。
核兵器廃絶運動に熱心だった市長を殺した犯人の動機は、伝えられるような(車のバンパー補償費問題)などではないと、みんな感じている。それに市長へのテロは2度目である。一体長崎の町はどうなっているのかという疑問と同時に、それがこれから日本中に拡がる幕開け・象徴ではないかという漠然とした不安が不気味にふくらむ。 |
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