犬と歩けば・出発 履歴 

日記の履歴B
第3集 犬と歩けば・出発 201〜300 2010.8.30〜2010.12.9


2010年12月9日(木)
犬と歩けば・出発 300

 2010年12月9日(木) 晴れ

 お寺から封書が届いた。管理料はとっくに振り込んだのにと思いながら開けてみたら、ツアーへのお誘いだった。
 総本山長谷寺参拝と法隆寺、唐招提寺、薬師寺から京都へ廻って平等院、地積院を廻る2泊3日の旅行で、8万3千円也という。このお寺は、姉が元気な頃バイクで走っていて売り出しているのを見て購入し、ついでにこちらも誘われたという繋がりで、先祖代々という方達とはチト違う。
 言われているように、お寺とはお盆、正月、お施餓鬼に始まり、建物の修理増築等々、様々な付き合いがあってその出費もバカにならない。
このまま次代へ引き継がせるのには、迷いがある。
 
 定例のかかりつけ医の通院日で、内視鏡検査の報告をする。先生も同じ萎縮性胃炎とかで、これは例のピロリ菌さえ住めない荒廃した状態であると説明を受けた。更に来春の花粉量は例年の10倍の予想であると、追い打ちをかけられた。

2010年12月8日(水)
犬と歩けば・出発 299

 2010年12月8日(水) 晴れ

 家人の71回目の誕生日。赤飯を炊いて、ささやかに祝った。
そういうこともあると話には聞いていたが、家人のこの1年間の健康状態はまるで、下り坂一直線だった。
 健康診断ではいつも痩せすぎを指摘されていたが、何度もフルマラソンを走る体力を誇っていたのだ。ま、痛風が一つのきっかけではあったが、いきなりスイッチを切ったように原因不明の体調不良が続き、家の中でごろごろしたり寝てばかりいた。本人は不安だったと思うが、廻りだって初めのうちこそ腫れ物に触るようにしても、長くなるとだんだん鬱陶しくなる。
 それをカバーしてくれたのは、川柳仲間のじいちゃん達だった。(こちらもばあさんの仲間だが・・一寸若い。)私の愚痴を聞いて、それはこういう事だああいうことだと説明してくれた。
 でまあ、半年を過ぎた頃から少しずつ元気が戻って来た。
この先もお互いに、こんなことがあるのだと思う。

2010年12月7日(火)
犬と歩けば・出発 298

 2010年12月7日(火) 晴れ

 今年最後の川柳句会。

今月も又、米子から紀の治さんが着ぶくれてやって来た。向こうへ引っ越してから、長袖のシャツを着るようになったという。
互選句の題は「消す」。「いつまでも愛の火種は消さず生き」が4点入り、84歳のAさん(男性)が作者として名乗りを上げたときに、私は思わず吹いて仕舞って叱られ、平身低頭して謝った。ったく我ながら、失礼なことをしたものだ。
 私の「消す」句は「消しゴムの命張ってる仕事ぶり」が3点、「取り替えた電球点けて消して点け」が1点だった。
 課題「財布」では「空財布自分探しも行き詰まり」が、天を取った。

2010年12月6日(月)
犬と歩けば・出発 297

 2010年12月6日(月) 晴れ

 今朝、向こうからやってくるリボンと出会った。口にタオルを銜えているので、もう帰り道だとわかった。ベルよりも2歳ぐらい若い雑種のリボンは、とても利口だ。いつもお父さんと散歩しているが、このあたりでもう帰りたいと思った時には、タオルをねだって口に銜えるのだという。ベルにはこんな芸当はない。家人は「ポチが待ち孫も見習う交差点」という句を作ったが、ベルは信号をみてお座りしたわけではない。飼い主の指示に従っただけのことだ。
 用事があって日本橋三越本店に行った。友人がクリスマスツリーを見てゆこうと言うので、中央吹き抜けのあたりを探したが見つからない。近くに居た店員にどこかと尋ねたら、「申し訳ございません。今年は中止とさせて頂きました」とのことだった。そういえば店内にクリスマスソングも聞こえていない。
静かというか、淋しいというか師走のデパートだった。

2010年12月5日(日)
犬と歩けば・出発 296

 2010年12月5日(日) 晴れ

 鳥取県の米子市に住んでいる紀の治さんに、今月の句会に来るとき「白兎まんじゅう」を買ってきてと頼んだ。来年はうさぎ年だからと言う訳ではないが、白あんの白兎まんじゅうが気に入っている。
 直ぐに紀の治さんから「白兎、お任せあれ。」と返事があって、「11月句会の森中恵美子選で1句選んで貰って、嬉しかったです。」と付け加えてあった。
 森中恵美子さんは、現代日本を代表する川柳作家の1人で、みんなの憧れの的でもある。

彼女のあまりにも有名な一句。「子を産まぬ約束で逢う雪しきり」
 紀の治さんは関西に住まいを移されてから、有名有能は川柳人に揉まれてますます真価を発揮している。精進に老いと若きの区別はない。白髪頭の前屈みで歩く紀の治さんの目が輝いているのが、見える。

2010年12月5日(日)
犬と歩けば・出発 295

 2010年12月4日(土) 晴れ

 第一土曜日は油絵の稽古日。2ヶ月振りにAさんもやって来てフルメンバーが揃い、賑やかだった。
会計担当の私としては、このままAさんが辞めるとでも言われたら、来年の予算が立たないのでその方が心配だったが、これで一安心。胃袋も一緒にほっと緊張を解いた。
 所で今日もBさんが手作りの見事な葉付き大根を持ってきて、みんなに1本ずつ配ってくれた。その上私は、空豆の苗を4本頂いた。早速明日植え付けようと思う。春先にお花が咲くのも良いが、食べ物が出来るのも嬉しい。先日ヤーコンを貰った仲間は、これからの手入れ方法を教わっている。
 さて年明け直ぐに「グループ展」と「千葉市展」があるので、お茶の時間もいつもより控えめにして制作に励んだ。

2010年12月3日(金)
犬と歩けば・出発 294

 2010年12月3日(金) 雨のち晴れ・強風

 予報はあったが、9月の台風のような風雨だった。低気圧が呼んだ南風で、夕方になっても室内温度が20もある。
 今日は仲間たちと美術館へ行く予定だったが、延期とした。10時過ぎれば晴れるからと言う人もいたが、こんな日は高齢者は家の中に居るに限る。
 昼頃、頼んでおいた畳屋さんがやって来た。4畳半の畳をあっけなく剥がして、約束通り5時過ぎには届けに来た。
 何に限らず、他人の手仕事を見るのは楽しい。家人と畳を敷く様子を見物させて貰った。道具を使い見事な手さばきで、あっという間にぴったりと畳は収まり、目には青く良い香りがする。
 もうここだけは、お正月の準備が出来た。

2010年12月2日(木)
犬と歩けば・出発 293

 2010年12月2日(木) 晴れ

 「はやぶさ」を支えた職人集団が、國から感謝状を贈られたことは、久しぶりに気持ちの良いニュースだ。

 昨日治療に行ったら、「弘法の灸」とかいって一升枡位の大きさの中に艾を入れて、胃のあたりに乗せられた。固くなった胃を温めて少しずつ柔らかくするのだという。強く揉んだり刺激しては痛める心配があるので、こうして少しずつすこしづつ手を加えるのだという。萎縮性胃炎は10年単位で進んだ病気だから、なんとものどかな話である。然し、急がば廻れと言うこともあるか。
然し「弘法の灸」は半端じゃない煙を出すから、まるで「ヘソで茶を沸かす」状況が連想されて笑って仕舞った。
 そして今日。弘法の灸は施術の間、何度か動かしてくれたのだが、(お腹の皮膚は過敏なのか)お腹のあたりが痒くてたまらない。更に火傷の後に水ぶくれが出来てきて、これも痒い。
 あー、痒くてかゆくての1日だった。

2010年12月1日(水)
犬と歩けば・出発 292

 2010年12月1日(水) 晴れ

 街中ではとっくにクリスマスイルミネーションが輝いているが、今ひとつ盛り上がりに欠けている。
 昨日のピアノリサイタルでも、ショパンの「雨だれ」が演奏された。演奏者は、この曲はバックに絶え間なくダダン・ダダンという音が続き、それが雨だれを連想させるので名前の由来となった。然し曲の終わりに一瞬その音が途絶える場面があるので、そこを気をつけて聞いて欲しいと解説した。
 演奏会が終わって同行の友人は、やっと納得したと言う。何かというと「冬ソナ」の有名な別れの場面に、この「雨だれ」の曲が流れるのだがそれは(バックの音が途切れることで)別れを意味していたのだと始めて理解出来たと、感心していた。残念ながら私は冬ソナのそのシーンを思い出せないが、雨だれの音が一瞬途切れたことで、私はむしろほっとした。

 午後からパッチワークの会へ行くと、先生が私の手首の火傷後を見て、手厚い処置をしてくれた。

2010年11月30日(火)
犬と歩けば・出発 291

 2010年11月30日(火) 晴れ

 海老蔵。酒の上の喧嘩で殴られて、家に帰ってお母ちゃんに付き添われて救急車で病院へ。お父ちゃんは本人に代わって謝罪。うろうろしている嫁さんは、飾り物かおもちゃか?ワイドショーでは「日本の宝」とか持ち上げていた奴がいたけど、フンだ。
 誘われて仲道郁代ピアノリサイタルへ出掛けた。プログラムは今年生誕200年のシューマンとショパン。
 祖国ポーランドから脱出して4日目、旅の途中で「ワルシャワ蜂起」と、それを鎮圧するロシア軍の侵攻を聞いて、祖国への思いを一気に書き上げた曲だという「革命」。それに続く「別れの曲」。どちらもネーミングは後から他の人によって付けられてと言うが、納得。絶望的なワルシャワ蜂起では、多分ショパンの多くの友人も亡くなったと思う。あれこれ考えていると、突然ぽろぽろと涙が溢れてきた。私の涙腺も随分と緩くなった。

2010年11月29日(月)
犬と歩けば・出発 290

 2010年11月29日(月) 晴れ

 コーヒーを淹れていて、左手をやけどした。
その瞬間何が起きたかわからなかったが、サーバーの取っ手がエプロンのポケットに引っかかったのだ。だから動いた瞬間、コーヒー豆の淹れかす、漏斗は吹っ飛び、入れ立てのコーヒー液が左手首にかかり、残りはズボンと台所に注いだ。
 こういう事故は始めて。何でも加齢の所為にはしたくないが、こんな無様な事故は、注意力が散漫になり反射運動が鈍くなっているからに違いない。

2010年11月28日(日)
犬と歩けば・出発 289

 2010年11月28日(日) 晴れ

 パソコンで調べ物をしていたら、半日近く時間が取られた。それで全部が済んだわけではない。同年代の友人ですっかりパソコンを止めたという人が3人いる。私たちの年代は使い方が、違うのだろうか?
 何となく疲れが取れずあくびばかりして、それでも少し絵を進めて後は、大相撲千秋楽を見た。龍馬伝最終回をみて、そのままNHKスペシャル「白鳳の強さの秘密」まで見た。
 でもやっぱり落ち着かない。戦争前夜の緊迫感がある。戦争は絶対にイヤだ。

2010年11月27日(土)
犬と歩けば・出発 288

 2010年11月27日(土) 晴れ

 Tちゃんの学習発表会見学で、出掛けた。5年生になったTちゃんの様子を見ていると、大人の言うことをそのままは聞かない。わかっているけどワンクッションを置いている風だった。もう思春期の入り口にさしかかっているのだ。そのあとTちゃんも弟たちもお世話になった保育園の子供祭りに参加。駅まで送ってもらい、帰りの電車もずっと座れたのだが家に帰ると疲れた。
 多分、私の日常生活とは違った空間で過ごした所為だ。こういう順応性の低下も、加齢によるものだと思う。
 世界的に不況が続いている中、きな臭い臭いがしている。大丈夫だろうと思うが明日からの「演習」が、きっかけにならないように祈る。

2010年11月26日(金)
犬と歩けば・出発 287

 2010年11月26日(金) 曇りのち晴れ

 マグノリアさんが、韓国旅行のお土産「ポッサムキムチ」を届けてくれた。
なんたって、あの事件が起きたときは未だ、韓国にいたのだ。まして利用したのは仁川空港だという。

 私は友人に、来春韓国に行きたいから調べれほしいと頼まれている。私も来春は、グループ展に市展と追い込まれていて忙しいから、今度の朝鮮半島の紛争は友人との韓国旅行を引き延ばす口実になると思ったが、マグノリアさんはあっさりと「大丈夫、直に片が付く」と仰る。で、どうしたどうしてとせき立てる私に、いろいろと朝鮮半島を取り巻く事情を説明してくれた。
 個人的な旅行はともかく、いつまでも大国に翻弄されているお隣の國を見るのは、辛い。

2010年11月25日(木)
犬と歩けば・出発 286

 2010年11月25日(木) 晴れ

 川柳仲間7人で朝から下町を歩き回った。
地域の川柳連盟では、各句会が持ち回りで年1回、親睦会を開く。来年度はウチの句会が幹事役となった。過去3回の企画は、@隅田川の船下りと浅草A柴又界隈B川柳大会だ。で来年は「柄井川柳のお墓参りと寄席見物」と提案したら、あっさりとその案が通った。然し参加費は1人4千円までと、キツイ縛りがかかっている。バス代が2千円、寄席は割引きでも2千円余かかるから、寄席見物はなくなった。それに代わるものを求めて、現地調査をすることになったが、責任者の民ちゃんが言い出しっぺの私に是非参加して欲しいというので、仲間6人と8時半の電車に乗った。
 9時20分、蔵前到着。20分ほど歩いて龍宝寺に着いた。歩いているとこのあたりは、お寺が沢山あるのがわかる。今でこそ川柳横町とか名付けられているが、川柳寺の龍宝寺は、そのつもりで注意深く見ていないと見落としてしまう、狭い横町を曲がった所にある小さなお寺だった。
 そこからツリータワー見物に適当な場所を探して、浅草、吾妻橋を渡って墨田区役所まで歩いた。お腹も空いたので、11時の開店を待って区役所の食堂でランチを食べる。バス通りまで歩いてバスで清澄庭園へ。私の清澄庭園の印象は悪い。他にも同じ感想の人がいたが、今回行って見てびっくり。見違えるように綺麗になっていた。でまあ、事務所で色々と調べて、また森下駅まで歩く。途中に休めるような喫茶店はない。結局地元に戻って喫茶店で休みながら、現地調査の総括をした。歩数1万5千歩。

2010年11月24日(水)
犬と歩けば・出発 285

 2010年11月24日(水) 晴れ

 ベルの視線に負けて、3時過ぎに散歩に出た。
秋の空は青く深く、ひんやりとした風が心地よい。たまにはベルを走らせようと、私は自転車に乗った。
この夏以来自転車での散歩は止めていたが、ベルはよく走った。
家に帰ったのは4時半。未だ明るくて雨戸を閉めるのはためらわれた。
洗濯物を取り込んで片付けたりしていて、気がついたらもう夕闇が降り始めていた。

 新聞集金のAさんが来たので、ひとり暮らしに慣れましたかと尋ねた。
1年前、奥さんが脳梗塞に倒れ、経済的に困った、ひとり暮らしが淋しいと来るたんびにこぼしていた。それが今年の7月、新潟県に受け入れてくれる施設が見つかって、やっと一息ついた所だった。
 途端にAさんは顔を曇らせ、首を右に左に考えるように振った。「今までこういう経験はしたことがなかったものですから・・」(猫だけじゃあね)と私。「いや、どうしたんでしょうね。その猫もいなくなっちゃったんですよ。誰か連れていっちゃったんでしょうか?」と、更に顔が曇る。しばらく考えて「私は220軒ぐらい集金を受け持っているんですけど、多いですね私のような事情を抱えているお宅は。まあ10軒に1軒はあります」と、自分を奮い立たせるように言った。
 誰でも基本は「ひとり」だと言うことを、忘れて暮らしているのだ。いや「考えないようにしている」という言い方の方が、近いのかも知れない。

2010年11月23日(火)
犬と歩けば・出発 284

 2010年11月23日(火) 雨のち曇り

 朝鮮半島で交戦。現実とバーチャルの境目がわからないような世の中だ。
 
正倉院展と奈良5
 旅行の3日目は秋篠寺、法華寺、海龍王寺を廻った。
秋篠寺では国宝の伎芸天や秘仏を拝見。境内に役行者を祭った祠があった。両脇に供を従えている。そういえば以前油絵を一緒に学んだ女性は良く「私のご先祖様は役行者様の(左だか右だか忘れたが)脇侍である」と誇らしげに語っていたのを思い出して、そんな話をしたらガイドさんは「もしかして三鬼さんという苗字ではありませんか?」と聞かれたが、残念ながら彼女の旧姓は聞かなかった。次は病人や困窮者を救おうとした光明皇后ゆかりの法華寺。有難い国宝十一面観音像を拝観。案内には由緒ある花の庭園とあるが、あまり人手も入って居ない様子。ここはお香を練り込んだ手作りの犬のお守りが有名だと聞いた。小指の先ほどの小さな犬がナント2千円。それより一回り大きい犬は3千5百円。うーん高価だと思ったが、カンパを含めた値段だと割り切って、小さい方を1個買った。
 こんな風にして私たちの正倉院展と奈良旅行は、終わった。3日間ガイドさんに付いて貰ったおかげで、きわめて内容の濃い(いろいろあったがそのことも含めて)楽しい旅だった。
 勿論連れは今から、来年も行こうと騒いでいる。

2010年11月22日(月)
犬と歩けば・出発 283

 2010年11月22日(月) 雨のち曇り

 正倉院展と奈良5

 奈良の旅の話を、もう少し書こうと思う。
今年は奈良遷都1300年祭で各寺社とも秘宝が公開されていて、私たちは行く先々で「国宝」に出会ったが、その中でも印象深かったのは奈良町の「元興寺」だった。
 元興寺は初めの予定にはなかった。観光の2日目、お昼で連れがダウンしてしまった。うどん屋で休み、喫茶店で休んだ。ピンクとバラの花で飾った乙女チックな喫茶店で、70歳台のガイドさんはこういう所には始めて入ったと、あたりを見廻していた。

 しばらく休んでから、じゃあ今日はここまでとしましょうと、みんなで(と言っても我々2人とガイドさん)近鉄で奈良駅へ戻った。すると連れは、この近くの元興寺に寄りたいと小声で言った。聞きつけたガイドさんは「わかりました」と、張り切って歩き出した。
 近鉄奈良駅のすぐ傍に、まっすぐ南へ延びた「東向商店街」という繁華街がある。人を避けて歩きながら「この西側まで興福寺の境内だったので、商店街は東向側だけだったのです。」ガイドさんは、早速説明を始めた。商店街を抜け猿沢の池のほとりを通り、元興寺に着いた。ここは飛鳥から移された古い寺で、飛鳥寺とも呼ばれている。移された1200年前の屋根瓦が現在の寺にも使われ、素人が見ても明らかに色が違うのでわかる。更に梁や柱も一部に古材が使われていて、木材としては法隆寺を上回る古い(586年)ものが見つかった事が、世界遺産と認められた大きな要素だった。
 更に「茶室屋根裏探検」が4時半からの最終回に間に合うとわかると連れは「見る」と宣言。私たちはヘルメットと懐中電灯を渡されて、屋根裏への梯子を登った。10人位の見学者と一緒に説明を聞く。ガイドさんの説明を聞き、懐中電灯の光の先を見ると、東西に延びた梁の表面が小さく波打っている。その時代は木材を縦にひく道具はなく、くさびを打ち込んで割り、表面はやりがんななどで丁寧に両面を平に削った跡だという。千年前の職人の手仕事を見るのは、望遠鏡で遠くの星座を覗いたときのような近くて遠い浮揚感があった。

2010年11月22日(月)
犬と歩けば・出発 282

 2010年11月21日(日) 晴れときどき曇り

 風もなく穏やかな1日だった。朝から来客の予定なので、急いで目に付く所を片付ける。
 お昼は仲間といつもの所で、美味しい食事を頂く。この時のために私は前日から胃の調子を整えて準備した。
 食後私たちはJA直売所へ行き、新鮮な食材やパンジーの苗を買った。私も仲間も冷蔵庫はいっぱいなのに、新鮮だとか安いとか珍しいとかに釣られてツイあれこれ買う。だから買ったときはとれとれでも、使う時は賞味期限切れなんて事もまま(しょっちゅう・・かも)ある。
 買ってきた太い大根で、夕飯はおでんにした。

2010年11月20日(土)
犬と歩けば・出発 281

 2010年11月20日(土) 晴れ

 午前午後とも忙しい1日だった。
毎月第2第4土曜がお稽古の「歌う会」が、先生のご都合で今日になった。午後からは予定通り油絵の稽古で、途中駅で仲間二人を拾って乗せるように頼まれていた。
 歌う会は当番なので、9時には行って会場の設営その他を担当する。今日は予定外の日なので、参加者が少ないかと椅子を20用意したが5つ足りなかった。会場は低音と高音の左右二つに分かれて座る。それに耳の遠い人や、高齢者などが優先的に好きな場所に座る。私は余った一番後ろに座ったがその席は、仲間の色々な様子が見えるという、おまけが付いていた。いや、そこに座る前から、やって来ても自分の殻に閉じこもり、決して笑わない人がいるのに気がついていた。彼女は今日もニコリともしなかった。だからといって不満そうでもない。第一面白くなかったら、やって来ない。いっほう、先生の一寸した話し言い方に敏感に反応しては「オホホ・アハハ」と笑う人もいる。白髪でも彼女の頬はバラ色で、いつもニコニコしている。そして殆どの生徒は、まなじりを決して(読めない)楽譜とにらめっこしているから先生が「せめて歌の最後だけは顔を正面に向けて下さい」と、口を酸っぱくして叫ぶ。
 私たちの年代も未だ、音を楽しむ事をいさぎよしとしない時代のしっぽが、どこかに付いているらしい。

2010年11月19日(金)
犬と歩けば・出発 280

 2010年11月19日(金) 晴れ

 芝居好きの友人が風間杜夫を見たくて買ったチケットが、風間トオルの間違いだった。でまあ、たまには良いでしょうと付き合ったのが浅岡ルリ子主演のアガサクリスティ原作「検察側の証人」で、ルテアトル銀座へ出掛けた。
話は大詰めに来て幾つかのどんでん返しがあるのだが、肩の凝らないエンターテイメント。それよりも確か古稀の浅岡ルリ子が、網タイツで踊ったり歌ったりにおお凄いと年相応に病持ちの私たちは、大いに刺激された。
 観客の中には以外にくたびれた背広を着ている高橋英樹や、普通のオバサンの中に混じって全く違和感のない渡辺えり子などもいたが、じろじろと見る人もキャアーキャアー騒ぐ人もいなかった。
 友人があなたの分も一緒に買ったからと、5年日記をくれた。運転免許の更新みたいだと思ったが、これからの5年間もやはり遊べる健康が第一か。

2010年11月18日(木)
犬と歩けば・出発 279

 2010年11月18日(木) 雨のち晴れ

 正倉院展と奈良
 薬師寺では前に東京国立博物館で一度見たことのある、吉祥天女画像も拝見した。東京では照明を落としたうす暗い所で、人混みに揉まれての拝観だったが、ここではあっけらかんと明るいガラスケースの向こうにあった。その所為か有難い吉祥天女さまも、ぐっと近寄り安い神様に思えた。
次は大修理を終えたばかりの「天平の甍」唐招提寺へ移動する。
 唐招提寺は薬師寺の隣にある。ガイドさんが噂の列柱を本当にエンタシスだと思うかと問うたので、柱に抱きついて上を眺めた。やはり上の方は細く見えるから、ハイと答えると話はそこで途切れた。いいえとかわからないと答えた方が良かったのかも知れない。
 ここの鑑真和上像は確か6月頃3日間だけ公開され、その時油絵仲間のAさんが見に来ている。私たちは鑑真和上の中国式に飾られたお墓のお参りをした。
「天皇でもない人の千3百年前の墓所がはっきりしているのは珍しいのです。それだけ鑑真和上は多くの人々に敬愛され続けたと言うことです。」というガイドさんの説明を、大きく頷いて聞いた。連れは一緒に歩いては来るが、言葉はなし。かなり疲れている。

2010年11月17日(水)
犬と歩けば・出発 278

 2010年11月17日(水) 雨

 正倉院展の続きを書こうと思う。
今回の奈良旅行で強く感じたことのひとつは、たったひとりの人間の力の大きさだ。
 例えば薬師寺。ここは16世紀に焼き討ちにあって、残ったのは東堂たったひとつ。そのまま440年間荒れ寺として大事な碑も、橋として使われていた。
 それを元の姿に戻そうと思い立ったのが1967年、高田好胤管主だった。
私たちの年代では修学旅行でなじみの深い名前である。国宝には修理などで、それなりの予算が出るが、それ限り。

「お写経勧進」という方法でカンパを募った高田好胤管主は、アイディアマンでもあったのだ。以来今日まで金堂、西塔、中門、回廊、大講堂と次々実現しているから凄い。
 他にも東大寺を再興した重源と言う風に、どのお寺もそれなりの人物によって復興あるいは支えられている。また東大寺には現在何人ぐらいのお坊さんがいると思うかとガイドさんに聞かれて、私たちは2,300人と答えたが正解は20人とか。東大寺には檀家がないので、それぞれのお坊さんは地元に檀家のあるお寺を持って暮らしを立てているという。何となく「坊主丸儲け」なんて思っていたから、一寸反省した。

2010年11月16日(火)
犬と歩けば・出発 277

 2010年11月16日(火) 晴れ

 ケアハウスに行って、義姉の電話を巡って最近起きたことを聞いた。
@保険の勧誘員が事前に電話で約束したと言ってやって来たが、事務所で本人の状況を説明して帰って貰った。
A新聞が毎日配達される様になって、本人がどうして配達されるのかと申し出たので、やはり事務所で対処した。
B警察から電話が架かってきたが何だろう?と、本人が申し出た。本当に警察からの電話かどうか確認出来ず、この時点で私へ連絡することにした。
 そのほかにも、「ご飯を食べていない」と言ってくる回数が多くなった。トイレが使えなくなった。・・というのが、義姉の現状だと説明を受けた。
 一方、私が部屋に行くと「今、散歩から帰ってきたばかり」だという。私がケアハウスの事務所に行ったとき、義姉は食堂で「お手伝い」(作業療法のひとつ)をやっていたのだ。何故そんなことを言うのか、理解出来ない。
部屋の掃除はヘルパーさんを頼んでいるので、衣類の交換をする。冬物のズボンを出して目に付くところに置いた。ついでにクロークの中を少し整理する。ベッドをめくってみると、夏物のタオルケットが2枚、ボアシーツが1枚、毛布が2枚かけてあった。ボアシーツは敷き布団に付け、毛布は1枚残してかけ布団を出してかけ、他は畳んで仕舞った。
 私が義姉の部屋に入った時から、視線はずっとテレビを追っているが見ているという感じではない。3年ほど前もこういう状態の時期があったが、その時は未だトイレは大丈夫だった。
 振り返ってみると、症状が進んだきっかけは7月の入院だ。
事務所で、もうここでの生活は無理でしょうかと尋ねると、係員はしばらく考えて「それは施設長が決めます」という返事だった。

だが、その話を切り出されるのはもうそんなに遠い事ではないと、腹をくくるしかない。
 帰るときいつものようにハグをすると喜んだ。エレベーターに乗ろうとしたら、後ろに付いて来ている。車の所まで見送るという。戸外は寒いので、今度は私がケアハウスの入り口まで送った。

2010年11月15日(月)
犬と歩けば・出発 276

 2010年11月15日(月) 曇り

 稀勢の里が白鳳の連勝にストップをかけた。がっかりしたような何となくほっとしたような気分。

奈良正倉院展へ2
 朝、雨戸を開けて布団の中から外を眺めると(宿は奈良公園の中)木々が大きく揺れていた。 
昨日の疲れと今朝は通じがない不安とで、連れは朝から不機嫌だった。
2日目は午前中薬師寺、唐招提寺午後は秋篠寺、海龍王寺、法華寺と一応の予定は立てておいて、ガイドさんとは薬師寺のバス停で待ち合わせた。今はケータイもあって、ドラマの発端になるようなすれ違いは先ずないが、それでも約束の時間に約束の場所に来るか来ないか、知らない土地で知らない人との約束だからスリルがあって面白い。
 
 バスを降りると、黄色いジャンパーのガイドさんは直ぐに見つかった。その様子を見ていたか、私たちに続いてバスを降りた女性ひとりと夫婦連れの3人が付いて来た。女性は「良いですか?」と聞くから勿論「どうぞご一緒に」と答えた。ガイドさんも頷いた。
 薬師寺にこの前来たのは何時だったろうか?回廊など新しい建物も増えた。金堂での説明を聞いて戸外に出たとき、がらーんらーんという鐘の音に気がつき見上げると、西塔の軒の四隅に付いている風鐸が強風に揺られて鳴っていた。いつまでもいつまでも鳴り続けていた。「凍れる音楽」と賛美される東塔の風鐸は、千年余の年月を経て今はない。
然し平安の昔、当時の人たちもこんな音を聞いたのかと、思いをはせた。

2010年11月14日(日)
犬と歩けば・出発 275

 2010年11月14日(日) 曇り

奈良正倉院展へ2

 5絃琵琶の続き。
 表は椰子の木の下を駱駝に乗って4絃琵琶を弾いている胡人を、駱駝が振り返って見上げている。その目はまん丸で、とてもうっとりと聞き入っているという風情ではない。(ああ、また同じ所で間違えたネ)と言ってるのではないかとは、私の想像だ。(^o^)
この琵琶の背中というか後ろ面が、文字通り目を見張るほど美しい。画面いっぱいに胡蝶貝の螺鈿の花輪(リース)が光を浴びてきらきら光って居る。幾らスポットライトを浴びても、全体があんなに綺麗なわけはない。きっと客が帰った夜間に、磨いているに違いないと想像をたくましくすると、くだんのガイドさんは笑って(多分修復が終わったから展示したんだと思いますよ)と仰った。他の展示品でも、今の千葉県勝浦から上納された麻布を、おおらかな波の模様に染め上げたのも心に残った。そうそう毒薬(何かの木の根)とそれを入れた黒色の壺。今でも強力な毒があると説明してある。古代の権力闘争に必需品だったことは誰でも知っているのに、使途不明と説明してあった。
 光明皇后が履いたかも知れないという沓や小さな工芸品も、隅々まで心配りがしてある。更に当時の鑓かんななどの大工道具や紙類の所では疲れ切ってはしょった。
 同じ公園内の宿へ、タクシーで入った。乗車拒否はされなかったが、ライトアップした五重塔を見ますかと言われ、揺れる柳と五重塔が猿沢の池に映る景色をゆっくりと見てワンメーターだった。

2010年11月13日(土)
犬と歩けば・出発 274

 2010年11月13日(土) 晴れ

 ひと月振りで、いきいきセンター(高齢者施設)の歌う会に参加したら、先月末で退会した人が2名もいた。いつも近くに座ってノリノリで歌っていたAさんもだ。二人とも健康上の理由らしい、Aさんは先生と話しながら泣いていたと、事情通が教えてくれた。私はどうして休んだのかと聞かれたから、胃カメラを飲んだ経過を話すと、私はコレステロール、私は肝臓とみんなで病気の棚卸しを始めた。それだけ聞いたら、ここに集まっているのが不思議になる。
来年度は1月半ばにここの発表会があるので、先生だけが躍起になっている。でも、「では立って歌ってみましょう」とかけ声を掛けられても、よろめいて立てない人もいるのだから、焦ってもしょうがないのだ。

2010年11月12日(金)
犬と歩けば・出発 273

 2010年11月12日(金) 晴れ

 薬師寺に行った日(9日)は風の強い日で、思いがけず西塔の風鐸の音を聞いた。がらーんがらーんと意外に大きな音を、今も懐かしく耳の底で聞いている。
 今回の旅行の目的は「正倉院展拝観」だが、丁度奈良遷都1300年祭にちなんで特別公開されている各寺院の秘宝をなるべく沢山見ようと意気込んだ。
 1日目(8日)は9時に東京駅を出発。12時には近鉄奈良駅に着いた。ガイドさんとは12時半に駅で待ち合わせの約束だったが、彼は既に私たちを待っていて直ぐにバスに乗車、転害門に向かった。
 Aさんは67歳で退職してガイドに応募し、半年間の研修後ガイドを始めて7年目だと仰った。通り一遍の説明ではない深く面白いガイドに、私たちは3日間すっかり乗せられた。転害門、正倉院、戒壇院、衣水園と廻って3時過ぎに奈良国立博物館の前でAさんと別れた。このとき連れはもう歩けないと言って、公園のベンチに座り込んだ。正倉院展は入場30分待ちとあった。4時半からオータムレイト時間となり入場料は700円になるから、少し待てばもっと空くだろうと予想したが、休んでいる間にどんどん列は長くなった。去年は入り口で並ぶと言うことはなく、やはり今年は格段に混んでいる。
 ようやく連れが腰を上げて並ぶと、10分ほどで入場できた。
今年の目玉展示品は五絃の琵琶。世界中の美術品の殆どが地中から発掘された品だが、日本のものは、倉の中で保存されてきたという決定的な違いがある。
5絃琵琶の廻りだけは紐で誘導してあり、2人の若い女性係員が「立ち止まらないで、歩きながらご覧下さい」と、声を張り上げているのだが、全身が眼になった観客にその声は届かない。
 その形は教科書にも必ず出ているのだが、5絃の表にはらくだに乗って4絃琵琶を弾いている胡人がデザインされていて、作者のウイットが感じられる。

2010年11月11日(木)
犬と歩けば・出発 272

 2010年11月11日(木) 晴れ

 8日から友人と奈良へ出掛けて、「正倉院展」を見てきた。
友人は出掛ける1週間前に腸閉塞で緊急入院して、4日目に無理に退院してきたものだからま、いろいろとあったが、内容の濃い楽しい旅行だった。
 所が帰宅して、義姉の居るケアハウスの施設長(職員ではなく)から連絡して欲しいとの伝言を聞いた途端、一気に日常生活に引き戻された。
 今朝9時を待って電話すると、施設長は午後からだという。

丁度顔見知りの職員さんだったので義姉の様子を聞くと、このところ立て続けに振り込め詐欺まがいの電話が架かって、義姉はそれに翻弄されているという。暗に個人的な電話は必要ない、むしろ害となると言っていた。
 ケアハウスに入った頃は未だ意識もかなりはっきりしていたので、事務所を通さないで知り合いと気軽にお喋りできる様にと、個人用の電話を引いた。
然し最近の義姉の様子を見ていて、電話はもう無理かなと考えていた矢先だったから、やはりという苦い思いだった。
 直ぐに電話局に連絡して、解約の手続きを取った。
それをケアハウスに報告して、午後から施設長に電話した。
 既に電話解約の連絡は受けていたと見えて、細かい話はなかったが「幾つかの点で、ここではもう限界と思われますので、お目にかかってご相談したい」と、言われてしまった。萎縮性胃炎の私の胃は、さらに一気に縮み上がった。

2010年11月7日(日)
犬と歩けば・出発 271

 2010年11月7日(日) 晴れ

 夕方、台所のラジオが「渋谷アニメランド電子の歌姫祭り」と言うのを流していた。なんでも音楽合成ソフトで作った音楽は、アニメに良くマッチすると言うような話をしていた。番組中で若い人は、合成音楽は選べる範囲を広げたしこの音を聞いてアニメや詩が生まれると、その可能性を熱く語っていた。そしてそうした音楽を幾つか流していたが、私にはどれも同じ様に聞こえた。加齢とともに感性も鈍感になってゆく。
 裏の家の柿の木は、こちらから覗くと余り実が付いてないように見える。
つまりこっちへ廻ってくる数も少なくなるので、気がもめるのだ。家人はいや、上の枝を切ったから下の方になっているんじゃないかと、希望的観測をする。
 家人は随分昔に植えたアケビが、去年あたりから実を付けだして、今年は9個もなっていると毎日眺めては喜んでいる。

2010年11月6日(土)
犬と歩けば・出発 270

 2010年11月6日(土) 晴れ

 気持ちの良い秋の日差しを浴びようと、早めにベルと散歩に出かけた。
筋向かいの娘婿さんが車を洗っていたので、「この頃お母さんを見かけませんが?」と尋ねた。すると先月からグループホームに入所されたとの事だった。
Aさんはもう長いことパーキンソン病を患っていて、身体は大分不自由になっていたが、私とは普通に話をしていたのにと少し腑に落ちなかった。
 美人で身綺麗だったAさんが、数年前から(養老院カット)と呼ばれる散切り頭になった。それでも時々はそれを恥じて、おしゃれな帽子を被っていた。
犬が気を遣ってゆっくり歩いても、散歩に出ると転ぶようになった。家に帰ってもドアの鍵を開けられなくなった。
 然し、弱い声だが話をすると、ちゃーんとAさんがいた。
妻子を捨てた男とこの地へ駆け落ちしてきて、生活が落ち着いた頃に男はまた他の女性の元に去っていったAさんの人生を思った。あの時、自殺未遂して私も駆けつけた。台所はどこもかしこも綺麗に片付いて、お湯を沸かそうとして薬缶を探したが見つからないほどだった。
 Aさんは今、何を考えているのだろうか?それとも世俗のすべてのしがらみから解き放されているのだろうか?

2010年11月5日(金)
犬と歩けば・出発 269

 2010年11月5日(木) 晴れ

 川柳句会の会議があった。地域の句会連合では、各句会が幹事役となって年1回親睦会を持つ。来年4月はうちの当番で、アイディアを出した私も出席せよと言うお達し。民ちゃんが言うのだから行かねばならないと、電車バスを乗り継いで出かけた。雲ひとつない空は高く晴れて気持ちが良い。
 所で私の出した案は、蔵前のお寺にある「柄井川柳」のお墓に詣でた後、浅草演芸ホールに寄るというもの。会費はひとり4千円台に抑えねばならない。喧々がくがく、ああでもないこうでもないと話し合いは続いた。
 所でこのところ体調を崩してしばらく休んでいるAさんが、参加されていた。
お茶菓子をそっくり包んで私に下さるという。太るから・・と遠慮したら「ご主人のお土産に」と言うので、有難く頂いた。Aさんはインフルエンザの予防注射をしたら、直ぐにインフルエンザに罹ってしまって、ようやく落ち着いたという。家の中にばかり居ると、気が滅入る。仲間の顔を見て、お喋りをすると元気になるから出て来たと仰る。それに(みんなに言うのだけど)本当に川柳をやっていて良かったと思う。それは女の人がたと話が出来るから、そしてああ女の人はそういう考え方をするのだと知って、女房の事もちっとはわかる気がする・・と仰った。それに肺炎の予防注射もしようと考えていると言うので、聞いていた私とBさんは慌てて(それは止めた方が良い)と進言した。

2010年11月4日(木)
犬と歩けば・出発 268

 2010年11月4日(水) 雨のち晴れ

 朝から冷たい雨が降って、寒い晩秋の1日だった。
友人はすっかり落ち込んで退院してきた。「今の若い医者は信用できない。何でも直ぐに切れというから、喧嘩してやっと出て来た」電話の向こうから興奮気味に喋った。彼女がどんなに腸閉塞を懼れ、食事に気を遣っているか知っている。長年近くで彼女の様子を見てきた私も、原因は単に腸の具合だけではないような気がする。
 所で私も内視鏡検査の結果を聞きに行った。医師から萎縮性胃炎(慢性胃炎と同じ)で、こういう状態はいろいろな病気を引き起こすベースとなるので、年に1回の経過観察が必要だと伝えられた。初対面の医師は言葉を選んで遠回しに説明したが、かかりつけの医者は、これは胃がんになりやすい状態で、もし出来ていれば内視鏡検査(胃カメラ検査)のついでに取って貰えばいいと、簡単に言ったのだった。
 今まではバリウムを飲む検査をしていたのだが、今年は検査方法を変えて慢性胃炎が見つかった。ほかの臓器にしても、検査しているから安心と言うことはないのだ。

2010年11月3日(水)
犬と歩けば・出発 267

 2010年11月3日(火)文化の日 晴れ

 穏やかに晴れて、気持ちの良い1日だった。

気まぐれに靴箱などを掃除したら、履いた事のある下駄や草履それに登山靴まで何足も場所を塞いでいた。思い出が邪魔をして、処分できないでいる。今回も掃除した後に、そのまま戻しておいた。近いうちに決断しなければならない。
 来週正倉院展見物をかねて奈良へ旅行するが、今年も3日間ボランティアガイドをお願いしてあった当事者から連絡を頂いた。電話ではご年配の男性だった。
早速連れの友人に連絡したが、メールの返事がない。電話は留守電になったまま。にわかに胸騒ぎが大きくなった。
 夕方になって彼女から電話が架かってきた。やはり腸閉塞で、病院に入っていた。大手術してからもう15年余。命を取り留めたとはいえ、こんな風に何時までも苦しめられている彼女にかける言葉はもうない。この春も旅行を2回キャンセルした。今回もキャンセルしても良いと言う私に、彼女は行く・行きたいと言う。明日退院するし、今日からご飯食べているから大丈夫だと頑張った。
 来年にしたからといって事情が好転する保証はなく、むしろ状況は厳しくなる。いや彼女だけでなく、私だってこの先大丈夫だという保証はない。
で、予定通り行くことにした。何かあればその時はその時で、対応すればいい。
明日は明日の風が吹く。

2010年11月2日(火)
犬と歩けば・出発 266

 2010年11月2日(火)晴れのち曇り

 朝からまぶしい日が射したのは、久しぶりの気がする。
我が川柳句会は創立5周年を迎えて、記念の吟行と称して「房総の村」へ遊んだ。実行委員の配慮が行き届いていて、昼食はビール付き暖かい幕の内弁当で、デザートまで付いていて全員が完食。その場で句会もやって、残り時間は各自散歩や買い物を楽しんだ。
 結構出入りの激しい中で、私は一番最初からの会員の居残り、5人の中のひとりだからもう5年も川柳をやっている事になるが、見るべき進歩はない。普通、川柳を始めて面白くなった頃、たいがいの人が2つ3つと句会を増やして勉強をする。
 然し居残り組の私たち5人(男3人女2人)は、5人ともここだけしか参加していない怠け者というか、勉強不熱心な者ばかりである。言い換えれば、余り欲を出さないのが、長続きしたこつかも知れない。
 しかし毎月1回だけ頭をひねり、川柳がどんなものかをちらりと垣間見た。
友達も沢山いるし、とりあえずは続けていこうと思う。

2010年11月1日(月)
犬と歩けば・出発 265

 2010年11月1日(月)曇り

 2001年に公開された韓国映画「JSA」をシネマックス千葉へ見に行ったとき、たまたま出会ったのがマグノリアさんだった。以来10年のお付き合いをさせて頂いている。彼女は私よりも10年年下である。でまあ、映画だけでなく一緒に旅行などして楽しんできた。所が、ここへ来て急に彼女との年齢差を意識するようになった。どういう事かと言えば、(彼女は人一倍頭の回転が速いのだが)彼女の話について行けないのだ。話をしていても固有名詞が出てこない。未だ50代の彼女は辛抱強く待ってくれるが、ああ、どうしよう?

2010年10月31日(日)
犬と歩けば・出発 264

 2010年10月31日(日)曇りときどき雨

 サザンカの蕾が大分ふくらんできた。10月も今日でお仕舞い。
明日から11月、霜月になるが、このところ何年も霜の降りた朝を見ていない。
 先日テレビで久しぶりに、慶応大学フランス文学教授荻野アンナさんを拝見した。お父さんはフランス人で元船長。何よりも女性とお酒が大好き。そしてお母さんは画家というその環境と、彼女のキャラを合わせて考えたら答えはそう、「長靴下のピッピ」その人だと思っていた。
それが、テレビに映った彼女は、目立つやつれようだった。
どうしたのかと思っていたら徹子の部屋に出演されて、高齢のご両親と御連れ合いの看護で大変だったことを知った。そして又今日は、ラジオの「日曜娯楽室」にゲスト出演されてほぼ以前のキャラどおり、明るくて駄洒落好きな彼女に戻っていた。
 この間に彼女のお連れ合いの看病記録「蟹と彼と私」を読んで、彼女の壮絶な体験をこちらも又、追経験した。
 私も肉親の看病と別れを経験している。そしてつくづくと肝に命じたのは、余計な事をしてはいけない。自然に逆らってはいけない・・だった。

2010年10月30日(土)
犬と歩けば・出発 263

 2010年10月30日(土)台風14号  雨

 胃カメラを飲んだ。
還暦を過ぎた頃からやはり、新聞の訃報欄を気にして見るようになった。全国紙上に載るような有名人に知り合いがあるわけではないが、そこに記された年齢と自分の歳を比べてみる。そして何となく自分の残り時間を探ってみる癖が出来た。
 今年のドック検査で胃がひっかかり、かかりつけ医に勧められて胃カメラを予約してからの2週間は、何となく落ち着かなかった。検査慣れしている友人は、「検査の途中で、自分で管を引き抜いた人がいるという話があるけれど、あなたもやりそうだから気をつけて」と笑われた。出がけに朝刊の訃報欄で、同年の人が胃がんで亡くなった記事を見つけ、背中をザラッと撫でられたような不快感があった。
 病院では胃カメラ検査を待っている人が、4,5人もいた。私以外は全部男性だ。先ず胃を綺麗にすると言う番茶色の液体をカップ7分目位飲まされ、少し時間をおいて、口の奥−喉のあたりに粘っこい液を噴霧された。「これは良く効きますからね」と言われると、そうなのかと言う気分になった頃又ハイという合図でもう1回噴霧された。更に肩にブスコバンを注射され、効いた頃に呼ばれて検査室に入った。ベッドに横になって腕時計を見た。
 胃カメラの先にはその小ささに拘わらずまばゆい光線が輝いていた。
管は、喉、食道、胃と3回入り口を感じたが、思ったよりもスムーズに入った。
胃の部分を念入りに探ってから食道に後ずさりして調べ、また胃に戻って来た。
ディスプレイを見ようとしたが高くて、横になった私の位置からは見えずらい。
かなり時間が経ったようで、「一寸細胞を採らせて貰います」と言われるのではないかと考えた。そのうち管の先端が動く度にゲエ−、ゲエ−と詰まるようになった。看護師に「鼻で息を吸って下さい」と指示されたが、全神経が管の動きに集中しているからうまく指示通りにならない。そうこうしているうちに終わった。
 管を抜きながら医師は「慢性胃炎ですね。3年前のポリープは消えています。」と言った。検査室を出て時計を見たら、17分ほどかかっていた。

2010年10月29日(金)
犬と歩けば・出発 262

 2010年10月29日(金) 曇り

 よりにもよって秋が突然冬になった昨日、家人は半年ぶりに歩く仲間達とバスハイクに出かけた。秋晴れなら紅葉がどんなに美しかっただろう安達太良山には、積もった雪が残っていたと言い、夜の10時を過ぎて疲れ切って帰って来た。そんな訳で今朝は朝ご飯が済むと、そのまま炬燵でぐったりと寝込んだ。 然し午後から川柳マガジンの11月号が届いて、投句したのが掲載されていた。更に虫食い川柳(既存の川柳のひと文字が開けてあり、そこに文字を入れるクイズ)の正解者はたった二人でそのひとりに当選していたから、すっかり気分を良くして、久しぶりにジョギングに出かけて行った。
 私はせっせと絵を描いて楽しんだ。

2010年10月28日(木)
犬と歩けば・出発 261

 2010年10月28日(木) 雨

 気持ちの良い秋晴れから一転、雨がぐしゅぐしゅ降る真冬のような1日だった。
気がつけば10月もあと数日、慌てて仲間達と「キノコ鍋」を食べに行った。相変わらず亀楽は、ご婦人達でいっぱい。美味しいものを食べるため、おまけに安いと来ては、雨も嵐も関係ないのだ。味にうるさいAさんは(うん、いつ来ても裏切らない味)と納得し、(せめてビールでも飲みたかった)とBさん。(もう夕飯は食べられない)と満腹のお腹をさすった私。
 それなのに時間になると、ちゃーんとお腹がすくから不思議だ。

この分では降り続くと判断して、早めにベルの散歩を済ませ、雨がひどいので裏口を開けると直ぐにベルが入ってきた。たたきに座布団を敷いてやる。
 今日も美味しい1日だった。

2010年10月27日(水)
犬と歩けば・出発 260

 2010年10月27日(水) 晴れ 木枯らし1番

 友人の誘いで、バンドネオンの演奏を聴きに行った。最近NHKテレビのトップランナーという番組にも出演したという、若干20歳の三浦一馬君だ。バンドネオンという楽器は、タンゴに付きもののアルゼンチンの楽器で、アコーディオンを小さくしたような形をしている。今ではタンゴに限らず、編曲されてクラシックを始めいろいろなジャンルの曲を演奏しているらしい。
彼の演奏するカッチー二のアヴェマリアを聞いたときは、まるでパイプオルガンを聞いているような豊かな音量があった。

アルゼンチンの楽器と言っても、この楽器が作られたのはドイツだと言う。検索して見たら、初期には首から提げて教会の伴奏にも使われたと言うから、そうかも知れない。
友人はあの若さでどうしてあんなに艶っぽい音が出るのかと、感心していた。

 帰りは築地場外市場でマグロ丼を食べ、季節限定松茸入り卵焼きを買った。

2010年10月26日(火)
犬と歩けば・出発 259

 2010年10月26日(日) 雨

 「睡眠第一主義が健康と成功の秘訣」
文化勲章と文化功労者の発表があった今日、受賞者が紋切り型のコメントをする中で、前掲水木しげるのコメントに笑った。そして納得した。
9月末まで放映していた朝ドラ「ゲゲゲの女房」のセットでは、家の中に「無為に過ごす」と書いた額が掲げられていた。そうは言っても、世知辛い世の中、誰もが睡眠第一主義や無為に過ごす頃は出来ないが、ここらで暮らし方や価値観を見直すきっかけにしたいものだ。
 池上さんの番組で、ワーキングシェアーに成功したオランダの例を伝えていた。正規雇用とパートとで、賃金その他の差別はしない。労働時間が短くなった分、家庭生活や地域活動が充実した。賃金が低くなった分社会保障を充実さた。(だったと思うが、この部分の記憶が曖昧だ。)

2010年10月25日(月)
犬と歩けば・出発 258

 2010年10月25日(月) 曇りのち雨

 家人も人間ドックで引っかかった。歳を取ると言うことは、こういう事なのだと、しみじみ理解する。
ドッグの結果精密検査を勧めておきながら、精密検査の予約に行くと、検査に伴う副作用やアクシデントのことばかり強調して「まるで、検査するのがイヤだって言ってる様な医師の態度」だったという。私の時もそうだった。

 夕べテレビで「チリ落盤事故救出」の映像を見た。いろいろな条件をクリアーして全員が救助されたのは、あの画面を見ているとやはり「奇跡」だったと納得させられた。

2010年10月24日(日)
犬と歩けば・出発 257

 2010年10月24日(日) 曇りのち雨

 今朝、朝食を済ませたが、何となく足下が寒い。室温を見ると15でそんなに低くはないのだが、ぞくぞくする。風邪でも引いたら困るので、思い切って炬燵を出した。炬燵大好きの家人は早速首まで潜り込んで、寝てしまった。
老人家族だから、まあいいか。

 散歩の途中で図書館へ寄るときは、ベルは入り口近くに繋いで置く。
今日もそうして置いて、用事を済ませて戻った時は頭を撫でておやつをあげた。近くで煙草を吸っていた男性(どうも図書館の職員らしい)が、大人しい犬ですねと、声を掛けてきた。「ずーっと行儀良く座ったままでしたよ。それにちっとも吠えない。手提げの中を探ったりもしませんでしたよ。」とあんまり褒めてくれるので、私がベルの代わりに礼を言った

2010年10月23日(土)
犬と歩けば・出発 256

 2010年10月23日(土) 満月 晴れ

 家の中にラジオを4台置いて、聞いている。
1階、2階、台所、枕元の4カ所だ。ラジオは何かをしながら聞けるのが良い。それに耳で聞いたことは意外と残っている。
 主に聞くのは音楽。好きな音色はあるが、音楽なら大体何でもOKで邦楽も聞く。
ラテン音楽の時間が無くなって淋しいが、録り溜めたテープが紙袋2つ分はある。
土曜日は時間があれば、TBSで永六輔の土曜ワイドを聞く。今日は珍しく前田武彦(81歳になられたとか)と大橋巨泉が出演して、3人のやりとりが耳に心地良かった。
 
 午後は、引き続いて久米宏の番組を聞いた。ゲストの地球物理学者氏は、数学を用いて宇宙の成り立ちを研究しているといい、「宇宙の始まりは空間(何にも)も無くて、ただ(ゆらぎ)があっただけで或る時、光よりも速い速度で変化が起きた。」と説明した。自慢するわけではないが、私にはさっぱりわからない。というか、想像できない。
然し、そのうちに日常の会話も理解できなくなったらどうしよう?わからないと言うことがわからないからま、いいか?

2010年10月22日(金)
犬と歩けば・出発 255

 2010年10月22日(金)晴れ

 市の施設をお借りした女性だけの集まりで、1日遊んだ。主催者のご苦労で様々な行事が予定されていて、飽きさせない。勿論思いっきりお喋りもした。そのなかで70代のAさんの話が面白かった。何でも先日上野動物園に行ったが、その様変わりに驚いた。そして何よりも雄のゴリラの顔つきの立派さに感動した。出来ることなら自分もゴリラになってあの雄ゴリラの近くに行きたいと言うのだ。一緒に暮らしたいとまでは思わないが、ゴリラやオランウータンの顔つきには私も惹かれる。ちなみにAさんはとても若々しい。
 多古新米のご飯や3時のおやつ、バザーやお土産も貰ってみんな満足して帰った。

2010年10月21日(木)
犬と歩けば・出発 254

 2010年10月21日(木)小雨

 「○○さんのお宅ですか?お父さんの具合は如何ですか?」受話器を取ると、向こうから一方的に話しかけてきた。
家人の歩く仲間だ。家人は、自分は参加できなくても、行事の度に参加者のとりまとめなどをやっているから、今でも家へ連絡が来る。私は電話番に早変わりする。お目にかかったことはないが、お声で(ああ、誰々さん)とわかるようになった。電話を架けてきたAさんは、皆さんが次々と体調を崩して参加できなくなって、家人まで参加しないと話し相手がいなくて淋しいと言った。Aさんは84歳になるが、家人はまだまだ若いので頑張って欲しいと言った。84歳の方に淋しいと言われると、聞いた方にもしみじみと寂しさが伝わってくる。季節も人生も秋なのだ。

2010年10月20日(水)
犬と歩けば・出発 253

 2010年10月20日(水)十三夜 曇り小雨

 大分涼しくなって来たので、一重のコートが欲しいと思って、先日から作り始めた。所がミシンは買って10年余も放っておいて使うのは今回で2回目。それでもなんとかまとめ、今日中には楽々完成する見通しだった。だが、最後のボタンホールでつまずいた。新しいミシンにボタンホールの機能はなくて、専用のアタッチメントを取り付けて操作するのだが、取り付け方から説明書を読むのだから時間がかかった。実際に操作すると3つめでひっかった。何遍やっても糸が絡まって進まない。そんなこんなでボタンホールを4つ作るのに午後中を使った。

今日は旧暦の9月13日で、栗名月とも呼ばれるらしい。
この秋は何度も栗ご飯を炊いたが、もう一度だけ栗ご飯にすることにした。
というのは外向きで、買い物に行くのが面倒だったから、冷蔵庫にある物で間に合わせた。
あらま、もち米も春に1s買ったのが大分残っているので、この際栗おこわに決めた。所が炊飯器で炊きおこわにしたのだが、出来てみたらべたべたでお餅一歩前の柔らかさ。「高齢者向き栗おこわ」と言って、食卓に乗せた。

2010年10月19日(火)
犬と歩けば・出発 252

 2010年10月19日(火) 晴れ

 吉祥寺に住んでいる友達の案内で、井の頭公園や町中を案内して貰って遊んだ。友人の住まいは駅の北側にあり、そのあたりは何回か歩いていたが、井の頭公園のある南側を歩くのは初めてだった。
 ウイークデイなのに公園の中には人が多い。学生も沢山歩いているし、絵を描く人たち、犬の散歩や子供を遊ばせている人と様々だ。井の頭公園の池は川となって流れ出て、神田川となると聞いて、なんだかわからないがへえーと感心した。そこから直ぐはお屋敷街で、洒落た作りの大きな家が並んでいる。友人の94歳になる囲碁のお弟子さんがひとりで暮らしている家もその一角にあると言う。自転車に乗った人とすれ違ったとき、あの人はお手伝いさんだと教えられた。成る程、そういう暮らしをしている人たちも存在するのだと、改めて知った。
 通りに出て「前進座劇場」で「夢千代日記」というお芝居を見物する。観客はこれまた見事に老人ばかりで、ざっと見渡したところ平均年齢75歳ぐらいかな?例のテレビドラマで有名な話であるが、締まった舞台で見応えがあった。女優さん達の着物姿も美しかった。活気のある知らない町を歩いて、とても疲れた。

2010年10月18日(月)
犬と歩けば・出発 251

 2010年10月18日(月) 晴れ

 柔らかな秋の日差しが射す部屋で私は手仕事に励み、ガラス戸の向こうではベルが手足とお腹を思いっきり伸ばして寝ている・・絵に描いたような、静かな一日だった。
 若い頃、年寄りはどうして何事にも穏やかでいられるのかと不思議だったが、自分が年寄りになってわかった。自分で情報を選別して、辛い話やキツイ言葉は遮断していたのだ。(少なくとも私は。)
 夕べ、テレビでアフガニスタンの終わりなき戦争を見た。人的被害を恐れて、無人爆撃機でアフガニスタンの村々を無差別に爆撃するアメリカと、貧者の兵器・自爆テロで対抗するアルカイダや村人達の絶望的な闘いを見たが、辛い話を見聞きすると身体に応える。
 それまでにも辛い話は山ほど聞いて見て、精神的にバランスが取れない状況になった。
 
 午後3時半を過ぎると、ガラス戸の向こうからベルがこちらを覗いて鼻を鳴らす。散歩の催促だ。ベルの鼻声を聞いていると気分が落ち着かなくなる。仕事を中断して、さあ出かけようかと声を掛けるとベルは「してやったり」と言う顔をして、猫伸びをして散歩に備える。

2010年10月17日(日)
犬と歩けば・出発 250

 2010年10月17日(日) 晴れ

 毎年、9月はドック検診を受けている。
まあ、毎年幾つかは引っかかるのだが、そのままにしていた。所が今年は、しっかりと引っかかった。
検診結果をかかりつけ医に見せると、いつもなら「ま、良いでしょう」となるのだが、今年は違った。胃カメラでの再検査を勧められたのだ。
 少し躊躇してから、検診を受けた病院で受診し、胃カメラ検査日を予約をしてきた。それから何となく落ち着かない。
 
 今朝「Akiyama2571」を開けたが更新してない。はてどうしたのだろうか?旅行か?それなら連絡してくる。パソコンの故障?それも連絡をくれる。じゃあ、連絡が出来ない緊急事態が起こったのか?そういえば数日前、喉の調子がおかしいとか書いてあったが・・と、不安は大きくなるばかり。
 本当は気の小さい私は、一寸神経質になっているらしい。 編集長の件は勿論、私の取り越し苦労だった。

2010年10月16日(土)
犬と歩けば・出発 249

 2010年10月16日(土) 晴れ

 「あらー安いわねぇ」八百屋の店先で年配の夫婦連れが言うと、今年は二十数年ぶりの「松茸」の豊作年だと八百屋の親父が答えていた。確かに余り太くはないが、5,6本入って2千円一寸。年に1回のことだからとは思ったが、やはり中国産1パック680円の方を買って、松茸ご飯を炊いた。香りは結構良かった。
 午後からは油絵のお稽古日。お茶を飲んでお喋りする時間の方が多かった。

2010年10月15日(金)
犬と歩けば・出発 248

 2010年10月15日(金) 晴れ

 一昨日だったか、北海道の知人からお米が送られてきた。「ゆめぴりか」という聞き慣れない銘柄である。今までこの知人から送られてきた品物は勿論、「新巻鮭」だった。お米の産地なら北陸か東北地方と相場が決まっている。何でわざわざ北海道からお米を送って貰わなくてはいけないのかと、納得出来なかった。
 所が今日、夕刊を見て驚いた。この「ゆめぴりか」は東京と札幌の試食会で、魚沼産コシヒカリを抜いてトップに選ばれたという。曰く「粘りと柔らかさ、甘み、外観のバランス、口の中で一粒一粒が感じられる「米粒感」さらに、「品種としてのおいしさはコシヒカリを超えている」という。
 我が家は甥っ子が送ってくれた千葉県産新米が未だ、2,3s残っているから、味見は未だ先になる。
 私としてはブランドには余りこだわらず、新米ならば何でも美味しい。新米の炊きたてご飯に生卵は、最高のご馳走だ。
ただひとつ困るのは、お米は沢山食べると直ぐに体重増加となって、表示されることだ。然しこの時期は、日本の食文化を保護しよう。

2010年10月14日(木)
犬と歩けば・出発 247

 2010年10月14日(木) 晴れ

 チリ落盤事故の全員救出映像は、世界中が固唾をのんで見た(と思う)。久しぶりに明るいニュースだった。人間としての自信が取り戻せるようなドラマだった。最後33人目に事実上のキャプテン・ルイスさんが地上に戻ってきたとき、みんなで国歌を歌っていた。歌詞の意味はわからないが、力強いテンポの良い曲で、歌うことで一層気持ちがひとつになり奮い立つのがわかった。
 振り返って、ああいう場面でもし「君が代」を歌ったらどうだろうと、想像した。「きぃ〜みぃ〜がぁ〜あ〜よぉ〜お〜わぁ〜」では、せっかく盛り上がった場面で、みんなの気持ちが盛り下がってしまう恐れが大きい。
そこで提案。日本にも素晴らしい作曲家が沢山いらっしゃる。そこでこの際、元気の出る「第2日本国歌」を作ってはどうだろうか?
ラジオ体操だって第2まであるし。

2010年10月13日(水)
犬と歩けば・出発 246

 2010年10月13日(水) 小雨のち晴れ

 なんと言っても今日の最大のニュースは、チリ鉱山の落盤事故での救出が始まったことだ。
事故にあった33人、ひとりひとりの家族と暮らしがテレビ画面から伝わってくる。是非「全員救出」というニュースも見たい。
 この4月亡くなったAさんは「安全とは金の問題だ」と言い切っていた。
この鉱山はもともと危険だと言われていたとか。
勿論人命はお金に代えられないが、今回の救出作業に一体幾らのお金がつぎ込まれているのか。
 鉱山の安全対策に使うお金と、救出作業に使うお金を比べればどちらが大きいかは直ぐに察しが付く。
然し「効率」とか「利潤」が絡むと、あっけなくそのことを忘れる。
 このことは将来、どんな風に解決するのだろうか?

2010年10月12日(火)
犬と歩けば・出発 245

 2010年10月12日(火) 曇り・小雨

 昨日出かけた先のレストランに喫茶店、そして移動の車の中も冷房が入って居たせいか、風邪を貰ってしまったらしい。今朝から鼻水が止まらない。
 それでも11月に行く正倉院展と奈良遷都1300年祭に付いての下調べで、パソコンの前に張り付いた。宿も予約したし、切符も昨日買ってきた。旅行はツアーも気楽で良いが、自前の旅は計画して調べる楽しさがある。
 午後、聞き慣れない声が「わかるか?」などど気安く、電話の向こうで言った。しばらく考えてから、高校時代の友人A君とわかった。用件は「仲間が何人かB男の家に寄るから、遊びに来ないか」と言って「昼だけどさ」と付け加えた。そう我らももう、夜っぴて遊ぶほど若くはない。ダレとだれとと、名前を挙げていった。男性ばかりだ。マドンナのCちゃんは来ないのかと聞くと、何でも予定が重なってと曖昧な返事だったとか。この夏ばったり上野の路上でCちゃんと出会ったとき、「糖尿病の薬で激やせしたから、誰にも会いたくなかった」と言ってた。美人も歳を取るから困るんだね。
 そこへ行くと個性派は気楽。一昨日の夕方、足りない物があってスーパーへ自転車を走らせたとき、信号を渡って来た自転車が私の横で急ブレーキをかけた。声を掛けられて振り向くと、見上げるような大男が懐かしそうにこちらを見ているではないか?(おばさん、わかる?)と言われ、顔をしげしげ見たらなぁーんだUちゃんではないか。大きくなったねと言おうとしたら(31歳になりました)と、言う。ベルの前の犬の、プルを連れて散歩に連れて行ったひとりだ。確か彼は最年少で4,5歳ではなかったか。(わかるわよ。アタシのことわかったの?)と聞き返したら、(直ぐにわかった。ちっともかわんない)だってさ。

2010年10月11日(月)
犬と歩けば・出発 244

 2010年10月11日(月) 晴れ

 川柳仲間数人と、食事とお喋りを楽しんだ。
その席で、民ちゃんが「般若心経」の解説本を貸してくれた。
実は、やはり川柳仲間のAさんが「写経」を続けているという話を興味深く聞いていたら、先日の句会にコピイを何枚か持ってきてくれた。こんなに細かい漢字はとても筆では書けない。拡大コピイしても良いか?と尋ねたがAさんは「う−ん、どうかなあ」と、否定的な返事。でもせっかく持ってきてくれたのだからと思い、万年筆で書いて見た。A4のコピイ用紙を重ねると、まあまあ写る。わからない文字は他の手本を見ながら、262文字を写した。初めてお目にかかる漢字や同じ文字でも違う書き方があったりと、写し取るだけで四苦八苦した。でも久しぶりの万年筆の滑りが、心地良かった。
勿論内容、意味などは全くわからないまま、今日まで6日間続けた。万年筆を使うなんて写経とは言わないかも知れないが、もう少しやってみようかと思っている。民ちゃんは葬儀屋の教室へ行けば、道具は貸してくれるしわからない事は教えてくれるお坊さんもいる。何よりもおやつをくれて無料だと言うが、私の家からは遠い。

2010年10月10日(日)
犬と歩けば・出発 243

 2010年10月10日(日) 雨のち晴れ

 確かに雨の降っている間は、肌寒かった。然し家人が言う(炬燵を出そう)ほどではないから、聞こえないふりをした。天気予報の通り夕方には、汗ばむほどの気温となった。この頃家人は、たまに走りに行くこともあるが、とにかく寒がるし暇さえあれば猫のように、居眠りをしている。私はと言えば先週、調子に乗って1日に2万歩近く歩いたら、翌日から膝が痛んだ。ま、お互い様と言うことで、無理はしない事を改めて肝に銘じる。
 実はベルは、座布団運びが出来る。
前からそんな風ではないかと思っていたが、今日はっきりとした。
夕べからの雨が朝になってもひどい降りなので、裏口の戸を開けると直ぐにベルは入ってきた。この前の大雨の時にもここに入れて、コンクリートの上では冷たいだろうと座布団を敷いた。その時の座布団が端の方に二つ折りで、置いてあった。雨が小降りになって気がつくと、裏口から出たところに座布団が敷かれその上にベルが横たわって寛いでいた。
 念のために家人に、手伝ったのかと聞いたがNO。やはりベルは、気に入った場所に自分で座布団を運んだのだ。「笑点」で使ってもらおうか?

2010年10月9日(土)
犬と歩けば・出発 242

 2010年10月9日(土) 雨

 雨の中「歌う会」へ出席。もう1月の発表会へ向けての練習が本格化しているせいか今日の参加者は28名で、机をかたづけてもすし詰め状態だった。
 始まるまで、周りの人たちとお喋りをする。私の隣の方は何でもご主人が30万円もする補聴器を買ったのだが、うるさいし聞こえないと言って使わない。買ったところに苦情を言うとその上の50万円のもあると言われたが、とんでもないと断ったと言った。ご本人は血圧を気にして通院していたが、心臓の方が悪かったとか。とにかく、病院の品定め、情報交換会の様だった。

 例によってラジオを聞いていたら、中国では今、日本製の衛生陶器(平たく言えばウオッシュレット)を使うのが、ステータスとして憧れなのだそうだ。
それを聞いて、(ホントかなあ)と思った。だんだん良くなったとはいえ、「中国のトイレ」は、日本人旅行者にとってネックになっている。トイレに対する考え方が日本と中国では基本的に違うのだと思っていたから、とてもウオッシュレットに憧れるなんて考えられなかった。
 然し今回、獄中の平和活動家がノーベル平和賞を受賞すると聞いて、そうか大中国も大きく変わりはじめたらしいから、そういうこともアリかなと考えた。

2010年10月8日(金)
犬と歩けば・出発 241

 2010年10月8日(金) 晴れ

 一寸寄り道してジョンの家の前を通った。
もう7,8年も前の事。まだ公園が整備されない頃に、ジョンもお姉さんに連れられて良く来ていた。ベルよりも一回り大きく、サムより少し小さめの体型で日本犬の黒と茶の雑種だが、とにかく喧嘩っ早くてサムとも互角に戦った。
 犬が家の前を通るだけで、吠えまくった。そんなこんなでだんだん遊び相手がなくなり、お姉さんも忙しくなったせいか、犬仲間が集まる時間には来なくなった。
 そして久しぶりに垣根越しに見たジョンは、うずくまってうとうとしていた。
目尻は垂れ下がり頬は緩んで、すっかり好々爺になっている。ええっと信じられない思いで、もう一度とくと眺めたがやっばり老けたジョンがいた。勿論ベルがいても吠えることはなかった。

2010年10月7日(木)
犬と歩けば・出発 240

 2010年10月7日(木) 晴れ

 義姉のケアハウスへ出かけた。今日から毎週、お掃除と洗濯をホームペルパーさんにお願いするため契約書類の手続きが必要だった。
義姉の部屋の仏壇に、千葉市からの「敬老祝い金」の袋があったので、「1万円ぐらい入っていたの」と聞いたら「なにそんなになかったよ。2千円ぐらいだったかな」と、答えた。私はいつも千円札で届けるが、財布の中には5千円札が入って居たから、少なくとも5千円以上だ。
 
 約束の時間にケアハウスのAさん、ケアマネージャー、そして実際にお世話してくれるMさんの3人がやってきて、私たちは契約書の説明を受け、署名捺印した。良かったのはこのMさんは以前から他の入居者の所にも通ってきているので、義姉とは顔なじみだった事。
 私が書類の書き込みをしている間、ケアマネさん達がそつなく義姉に話かけて、距離を縮めてくれた。義姉も人嫌いではないから、新しい話し相手が出来て良かったと思う。
 いつものように義姉と近くのスーパーへ買い物に行くと、(あれば食べちゃうし・・)と悩みながらも、ミカン、りんご、缶ビール、甘納豆、牛乳、甘辛串団子、そして初めてだがコロッケとイカのフライを買った。
 私は別に納豆と卵(4個入り)を買ったが、レジで義姉は良いからと言って私の分も一緒に払ってくれた。
 痴呆が進んでいると言っても、こういう心遣いは出来るのだ。

2010年10月6日(水)
犬と歩けば・出発 239

 2010年10月6日(水) 晴れ

 久しぶりに仲間たちが集まって、縫い物をした。作品はともかく気の置けない仲間たちとのお喋りが楽しい。でも今回私は話しに加われない。せっせと編み目を数えながら初めての帽子編みに挑戦しているから、うっかり返事でもしたらもう忘れてしまい、はじめっから数え直しとなる。
でも話を聞くことは出来る。
 先生の踊り仲間のAさんもご夫婦2人暮らしだが、近頃そのご主人の様子が少しおかしい。一寸でもAさんの姿が見えないとパニックになり、娘さんの仕事先へ電話して、「お母さんがいない」と訴えるのだとか。勿論Aさんはちゃんと説明をして出かけているのに、である。で、最近Aさんはどんな手を打っているかというと、出かけた先からも「今、会場に着いた。これから練習が始まる。これから帰る支度をする」等々、実にこまめに電話を入れるのだとか。
単に終わったとだけ連絡すると、電話を置いたらもう自宅のドアを開けて入ってくると思うので、特にそこの所はきめ細かく連絡する。仲間たちとお茶を飲んで行きたいときは、さばを読んで連絡する。

 心身の衰え方は千差万別、ひとりひとり違う。
我が家は、私はどんな風になるのだろうか?

2010年10月5日(火)
犬と歩けば・出発 238

 2010年10月5日(火) 晴れ(夏日)

 今日は川柳句会で、駅から公民館まで20分ほど歩いて行ったら汗をかいた。
4ヶ月振りでYさんが参加した。心臓をはじめ幾つもの病を持つYさんは今年の暑さに体調を崩し、特に熱中症にもなり、その時の事を詳しく話してくれた。そして息子達を呼んで、いざというときのことを伝えておいたと言う。
 
Yさんは家人の体調が悪いと私が言ったことを覚えていて、その後体調はどうかと聞いた。そして「こればかりはどうしようもないんだよ。とにかく調子が悪いんだから・・」と、懸命に言い訳した。何故そんなに力を入れて弁解をするのか不思議に思っていると、Yさんは奥さんに「精神がたるんでいるから」と言われたそうで、そのことがひどく応えているようだった。
「そうなのよ」と、民ちゃんは憤慨していった。「奥さんはTさんが熱中症になったことも翌日まで知らなかったし、第一お互いに食事は別々に作って食べるのよ。」まあ、それぞれの家庭にはそれぞれの理由があるとは思うが。

 その家人は今日も長距離介護に出かけたので、夕方もベルを連れて散歩に出た。今まで行ったことのないコースを廻ると、ベルはあちこちと匂いを嗅ぎマーキングと忙しく歩き回った。そんな訳で、今日の私の歩数は19,387歩だった。(過去最高)

2010年10月4日(月)
犬と歩けば・出発 237

 2010年10月4日(月) 雨のち曇り

 野菜の高値品薄が続いている。今日はトマト1200円、長ネギ1本100円だった。これらが必要なときはミニトマト、薬味用ネギで代用するが、誰も考えることは同じで、ミニトマトが直ぐに売り切れる。

 「いきなり・こんなこと初めて」電話の向こうで、Aさんはこう繰り返した。「保険証を使ったことがない」と豪語していたAさんも、還暦を過ぎたとたんに怪我や故障が始まった。
私にしたって身体に不具合が起きた時、これは順調な老化現象なのか病院へ行って然るべく治療を受けなければいけないのかと、判断に迷う。
然し今回のAさんの一過性の目まいには覚えがある。自律神経が弱っていたり、血圧が瞬時に乱高下したときに起こる現象だ。
若い頃のように、天候に体調が追いつかないのだ。その時のAさんの前後の事情を聞いて、心配ないと判断した。Aさんは更に看護士さんにも相談したが同じ様な答えで、それでは今度の通院日まで待っても心配ないと判断した。
 
 夕方何気なくラジオを付けたら電話相談で医師は「それは老化現象だから、サポート器具を使って上手く(自分の身体を)使いこなしなさい」と言うような答え方をしていた。

2010年10月3日(日)
犬と歩けば・出発 236

 2010年10月3日(日) 晴れのち曇り

 散歩をしていると、木犀の香りが漂ってくる。やっと本当の秋が来た。
 雨の予報が外れて、爽やかなお天気になった。
ベルが催促するので3時頃から散歩に出かけ、大廻りして遊歩道まで行った。花見川の橋の上からパンくずを蒔いている夫婦がいた。ベルが近寄って欄干の隙間から鼻先を出して下を見た。オバサンが「おや、わんちゃんにもわかるかい?」という。私も近寄って川を覗いてみると、数十匹のカメが川面に浮かんで餌を待って居た。

 川柳では時代につれて新しい言葉を句の中で使うから、それなりに目配りをする。ここのところ「割り屋」という単語がちょいちょい登場している。例の検察がらみで登場した言葉で、何でも被疑者の「口を割らせるのが上手い検事」という意味だとか。さて何時、どこに出てくるか。

2010年10月2日(土)
犬と歩けば・出発 235

 2010年10月2日(土) 晴れ

 関係者以外余り知られていないが、千葉県では現在「ちば国体」の最中である。
私も今日、お絵かき仲間のお茶のみ話でそのことが話題になって、知った次第。
 何でも、Tさんは開会式に参加(申し込んだが、抽選で落とされた人もいた)したのだが、そのセキュリティチェックの厳しさに驚いたという。会場の入り口で、持ち物は全部調べられるのは勿論、ペットボトルはダメだが水筒はOKというのに従い、熱いお茶を入れて持参した。所が入り口の検査で、それを目の前で飲んでみろと言われたが熱くてなかなか飲めなかったと言った。今では笑い話だが、聞いていてイヤーな気がした。
 何故そこまでやるのか?天皇両陛下のご臨席の故とは想像が付くが、いやそれを口実に或いはもっと先を読んで厳戒態勢の練習だったかも知れない、とは考えられないだろうか?
 テレビドラマの見過ぎかも知れない。

2010年10月1日(金)
犬と歩けば・出発 234

 2010年10月1日(金) 晴れ

 昨日と今日、たった1日の違いで煙草はひと箱100円も値上がりし(煙草は吸わないから関係ないが)、本格的に秋への突入・衣替えの10月となった。然し、先週は夏と冬の日替わり陽気とあって、衣替えまで待って居られない日もあった。家人は「こたつ・こたつ」と騒いだが、聞こえないふりをした。
 さて今日は良いお天気で、油絵の道具の整理をした。描き溜まった殆どの油絵は、よけておく。枠から画布を剥がす作業(特殊なやっとこのような道具で、画布を貼ってある釘を抜く)は、ストレス解消にもってこいなのだ。
 気に入っている数点(15年も描いていて、たったの数点しかない!ちなみに数点とは2007年夏チベット2点、チベットのお婆さん、鶏頭の花と鶏、牛2頭、ロバと桃色ペリカン)は、仕舞っておかないで飾って楽しもうと思いついた。
 地震を考えて架ける場所を考え、家人に手伝えと言うと、「邪魔だ」と言い、「誰かにあげちゃえ」と抜かす。えっ?それがお世話になっている相手に言うことか?さーて、どんなお返しをしてやろうかな?

2010年9月30日(木)
犬と歩けば・出発 233

 2010年9月30日(木)雨

 暑さが続いた所為で、しみじみと9月を味わわないうちに9月が終わる。
9月になればどこからか流れてくる(セプテンバーソング)だって、今年は2回ぐらいしか聞かなかった。
暑いとセンチメンタルな気持ちにならないから、不思議というか可笑しいというか。

一日中ラジオを聞きながら、絵を描いて過ごした。

2010年9月29日(水)
犬と歩けば・出発 232

 2010年9月29日(水) 晴れ

 洗濯物を届けに、ケアハウスへ行った。義姉に話しもあった。
実は、来月からヘルパーさんに毎週1回の割合で義姉の部屋の掃除を頼むことになったので、前もってその話しをしておきたかった。
 2週間ほど前ケアハウスから他の件で電話があったとき、顔見知りの職員だったので、義姉の汚れ物が多くなって、掃除が大変だとこぼした。すると職員はペルパーさんを頼んだらどうかと勧めてくれ、さっさと手続きを取ってくれた。そして来月から毎週木曜日に決まったと、連絡が来た。
 義姉を驚かさないように、前もって「これから行く」と電話連絡してから訪ねると、部屋の中で帽子を被っている。どうしたのかと聞くと、「買い物に行くのでしょう?」と答える。外出したいのだ。
そこでいつものようにスーパーで買い物をしてから、未だ歩けるというので、喫茶店へ行った。喫茶店と言っても近くの病院内の喫茶店だ。眺めの良い10階の食堂は3時でオーダーストップだと断られ(前回は確か3時半だった)、1階の喫茶店で義姉はクリームソーダを注文した。
義姉はひとり暮らしだった頃、ヘルパーさんを頼んだ事がある。その話しから始めたが、やはり覚えていない。来月からヘルパーさんに掃除に来て貰うよう頼んだからと説明したが、納得が行かない様子。いろいろな話をして、義姉は自分の歳を聞いたので、私も歳を取って疲れる様になったと話をした。するとようやく事情がわかった様だった。義姉は私の事を何時までも2,30代だと思っているのだ。
病気が進んでいる今、義姉を訪ねて声かけしてくれる人が増えるのは、効果的だと思う。

2010年9月28日(火)
犬と歩けば・出発 231

 2010年9月28日(火) 晴れ

 二人の娘のウチ姉娘は、以前今頃の季節の変わり目になると良く顔が腫れ上がった。
過労とストレスによるものだった。
今回は唇の周りに水泡が出来たという。そのうち数も増えてきて、皮膚科へ行ったら「ヘルペス」だと言われたと言う。
私は心配になって、その夜は眠れなかった。とにかく過労やストレスから遠ざけなければいけない。どうした物かと思い悩んでいた。

 今夕また電話があって、ヘルペスと診断されて高い薬を買わされたが一向に症状は改善せず、他の病院へ行ったら(季節性のアレルギー)で、薬で2,3日で治るという診断と聞いて、とりあえず安心した。
 子どもには余り干渉しないようにしているが、健康問題は別で心配だ。
まあそれだって、自己管理の問題だと言えばそうなのだろうが。

2010年9月27日(月)
犬と歩けば・出発 230

 2010年9月27日(月) 雨

 冷たい雨の中を年1回の検診に出かけた。
去年の検診結果を見てみたら、3ヶ月とか6ヶ月後に再検査なんて項目があったが、再検査は受けなかった。降圧剤も8月からずっと休んでいたが、急に寒くなって一昨日から血圧が上がったので再開した。
 血圧は毎日測定していて、気温で上下するのはわかっているし、かかりつけの医者には報告している。この年になれば多少の不具合は当たり前と、開き直っている。
 今日、診察してくれた医者は、あかんべーをして瞼のウラを診たり、舌を出させてみたり、胸に聴診器をあてまたお腹を押して触ったりと、昔は当たり前だったが今の医者はやらないことをしてくれた。そうそう問診で看護師は脈を診た。データを見るだけよりも安心感があった。
 この病院で今日は「発達外来」の診察がある日で、ストレッチャーに寝かされ吸入器を付けたままの2歳ぐらいの男の子がやって来た。若い両親が緊張した面持ちで付き添っている。人生は不公平なのだ。
 でも生を受けたからには、生きて行かねばならない。小さな男の子に楽しいことがあるように、若い母親と父親にはたくましくなるよう願った。

2010年9月26日(日)
犬と歩けば・出発 229

 2010年9月26日(日) 晴れのち雨

 八千代市地域の川柳大会があった。お題は、セプテンバーにちなんで@青春AプランB照れるC無茶Dばらばらの5つ。私はこの大会に参加するようになって初めての全ボツ、一つも抜けなかった。ただ、当日参加者のみによる「感謝」に1句だけ抜けた。「プライドを守ってくれる紙おむつ」
 主催者は、年々参加者が増えると自画自賛していたが、周りを見るとどう見ても高齢者ばかり。でもまあ、高齢者も人間なのだから、若い人がいなくて云々などと言っていないで、老人パワーで突っ走るしかないと思うな。

 2日前からクシャミ鼻水が止まらず、花粉症のような症状が出ている。更にお腹の具合も良くない。友人は風邪が流行っていると言うが・・。

2010年9月25日(土)
犬と歩けば・出発 228

 2010年9月25日(土) 雨のち晴れ

 秋山編集長のリハビリ用の「お経詩」って面白いですね。私も唸って見ました。
3回詠んでみて、1回がせいぜい40秒。でも可笑しくって、途中で何度も吹き出しました。
 詩の世界と同じように、川柳でも漢字の音だけを使って作る人がいます。
例えばこんなのがあります。
 「北京上海快晴銃殺刑日和    田口 麦彦」
中国の天安門事件を詠んだもので「ぺきんしゃんはい じゅうさつかいせい びより 」こちらは一寸、物騒な内容です。

 朝のウチの大雨・大風が去ってから、吹く風の冷たかったこと。日差しの弱々しかったこと。夏から一気に晩秋へ季節が進んだみたいだった。
 空が洗われ、今夜のお月様は綺麗です。

2010年9月24日(金)
犬と歩けば・出発 227

 2010年9月24日(金) 曇り

 白鵬が60連勝、イチローが10年連続200安打を達成。日中関係は異常な緊張状態。そして先の見えない不況。台風も近づいている。
 そんな日の一庶民の暮らしは、先ず友人からの電話で始まった。
昨日、珍しく姉弟揃って両親の墓参りに行って、とても疲れたと言う。お天気が悪かったしねと慰めると、そんなことでなくて墓地の中で迷子になってパニックになった。しかも2回もと言う。墓地の中って広いし、同じ景色だからというとそれが狭い墓地で、水くみ場からも直ぐ。これはアルツハイマーの前兆に違いないと思って、落ち込んだとか。今朝になって、アルツハイマーのご主人を介護している奥さんに話をしたら、「迷ったとわかっているウチは、病気ではない」と言ってくれたと、ほっとした様子が伝わってきて、私は電話口で笑った。
 次は掃除機の修理。2階で使っている掃除機が、吸い込まなくなった。
前にも同じ故障があって、その時は買った小売店も無くなっていたので、直接幕張のメーカーの支店へ持ち込んだ。1ヶ月かかって修理代3千円だった。この掃除機は使いにくいし、もう修理に持ち込む気は無かった。新しいのを買った方が良いと判断して、下に降ろして置いた。
 今朝になって、捨てるくらいなら壊しても良いから、詰まっている原因を探ろうとネジを外し、あちこち叩いたり引っ張ったりしたがなかなかばらばらにならない。それでもナントかゴミが詰まっている場所を見つけ出し、取り除いたら又吸い込むようになった。
一寸得した感じ。
 お昼はマグノリアさんが迎えに来てくれて、洒落た店で美味しいご飯を食べた。

2010年9月23日(木)
犬と歩けば・出発 226

 2010年9月23日(木) 曇りのち雨

 夕べは、流れる雲を通して、お月様を眺めた。
それに猛暑日のお月見という、珍しい経験だった。熱帯のお月見ってこんな感じなのだろうか?
そして今日の室温は23。タダでジェットコースターに乗っていると思えば、気持ちも違うというもの。

 涼しくなって嬉しいが、食べ物が美味しくって困る。
今朝も新米の炊きたてはお米がぴかぴか光っている感じで、へらでかき混ぜるのがためらわれた。
飯椀にたっぷりと盛りつけ(朝は沢山食べてもOKと勝手に考えている)卵かけご飯にして食べたらもう美味しくって美味しくって、幸せだった。
 後は1日絵を描いて、楽しく過ごした。

2010年9月22日(水)
犬と歩けば・出発 225

 2010年9月22日(水) 

 この数日続いた暑さのせいで、今朝の公園では蝉がうるさく鳴いていた。現金な物だ。

この頃公園で、ちろちゃんのお父さんに良く出会う。ちろのお父さんは5,6年前に、転勤で京都へ単身赴任して行ったのだが、多分定年で帰ってこられたのだろう。ベルはちろのお父さんを良く覚えていて、身体をくねらせながらすり寄って行く。ちろのお父さんの方も悪い気はしないらしく、「覚えていてくれたか。よしよし」と言いながら背中を掻いてくれる。

 この春亡くなったAさんは、千葉県の労働運動に大きな足跡を残した。
私が小さな機関誌の編集をしていたときに、Aさんの日本中の「島」を訪ね歩いた紀行文「島巡り」を連載で載せた。
その原稿と、やりとりの手紙が私の手元に残っていた。
 それをお彼岸に会わせてご遺族にお返しした所、奥様からお返事を戴いた。
Aさんは他に「秘境駅をたずねて」と言うのも書いていたが、それらを病床で毎日音読して(Aさんに聞かせて)いたと書いてあった。
「なんと読みにくい字、よくぞこの悪筆に長い間おつきあいいただいたのかと、ご苦労様でした。」と、ねぎらってもくれていた。
 
 Aさんの追悼文を頼まれたとき、私は美辞麗句を書く気持ちはさらさらなかった。なぜなら何度かAさんについて「修羅場」をくぐって、お役所との喧嘩のやり方を覚えて来たのだ。白々しいことは書けないという気持ちが強かった。
 (働く者の命と健康を守る運動)を共にしてきたAさんが、自分の命は粗末にしたとしか思えなかった。それはないだろうと文句を言いたかった。
本当に命を大切にすると言うことは、他人と自分の命もまた大事にすることで、それは秋山さんのホームページを読めば一番良くわかることだ。
 だから、かなり辛辣な追悼文を書いた。内心、削除或いは全文カットされる事もありかと、考えていた。
 今回奥様は、私の追悼文に「共感を覚える」と、書いて下さった。彼女と私の立場は全く違うので、どういう意味かよくわからないが、(ほんの少し節制すれば加山雄三のようにまだまだ長生きできたのに)という私の気持ちが、通じたのかも知れない。 

2010年9月21日(火)
犬と歩けば・出発 224

 2010年9月21日(火) 晴れ

 テレビを見ていたら、「大阪地検特捜部主任検事が逮捕」のテロップが流れた。押収品を改ざんした疑いだ。
 事の重大さはさておき、私が注目したのは、係長がそのフロッピーを作成した(最終更新日時)午前1時20分という時間である。彼のむちゃくちゃな長時間労働が、推察できる。しかも彼は、厚生労働省の役人である。
単純に役人の数を減らせというのは、私たちの首を絞める結果にもなりかねない。

 夕方、クロスやさんがやって来た。以前雨漏りがあって、2階の天井のクロスの一部分が剥がれ、そのままになっていたのを、今回見て貰うためである。
彼には、2回ほど頼んだ事があり、その度に奥さんと二人でやって来た。お子さんがいない所為かとても仲の良いご夫婦で、声を掛け合い仕事を進めているのを見ているだけでも、こちらの気持ちも和んだ。今回見て貰った後、時間がかかりますと言う。今まで放っておいたのだからそれは構わないと返事をしたが、一人だから時間がかかりますとイヤに強調する。真意を測りかねていると、妻が亡くなり私ひとりで何もかもやっていますからと、辛そうに言った。掛ける言葉が見つからずにいると、早く散歩に連れて行けとベルが裏口から入ってきた。ああ、ウチにも犬がいますという。成る程車の中にシーズー犬が待って居た。亡くなった奥さんが可愛がっていたらしい。ウチに置いておけないので連れて出ているんですが、この夏はクーラーを掛けっぱなしで参りましたよと言った。
 すっかり髪も白くなったクロスやさんの寂しさを思って、胸が詰まった。

2010年9月20日(月)
犬と歩けば・出発 223

 2010年9月20日(月) 敬老の日 晴れ

 総務省の発表では、現在65歳以上人口は5人にひとりだとか。

我が家も典型的な、高齢者2人家族だ。で、どこからか何かのお知らせでもあるかと思ったが、久しぶりにかかってきた娘からの電話は、医者の問い合わせだった。体調が悪いが、今まで近いと言うことでかかっていた医者は、マックで(ついでにポテトも)の感覚で、とにかく薬を沢山出すだけなのでいまいち信用できないと言う。もっともな話で、あといろいろと話したが、敬老の日や私たちについての話題はなかった。ま、私たちを老人とは思っていないと言うことと、考えた。 

 家人は幾らか体調が良いのか、この二日ほど細々と事務作業をしている。
で私は、今日は完全休日と決めた。決めなくても毎日が日曜日のような物だが、やらねばならないことは幾つかある。それを頭の片隅に追いやって、朝からずーっとテレビをみた。

 午前中はNHKの特集物で日本の里山の四季。画題になりそうな景色が、沢山あった。次は自宅で介護に携わっている人たちの介護短歌サークルの活動。逃げ場のない介護の毎日の中で、短歌を作ることによって物を深く見られるようになったと言う話しに感心した。

私は川柳を5年もやっているが、そういう自覚はさらさらない。
 午後はキンキンの十津川警部シリーズ「連続美女殺人事件」だ。原作者の西村京太郎は、地図を見ていて奈良県の十津川の地名にぴんと来たのが、命名のきっかけだったと現地で聞いた。
でも「美女連続殺人事件」とは安直な題名だと思うな。ブスじゃあ殺されても事件にならないのかね。殺された「美女」は厚化粧で、根性の悪い人に見えたけどね。
 つぎは大相撲見物。なんと言っても白鳳の連勝がどうなるか。しかし、ベルが鼻を鳴らして散歩の催促をしているが、家人は未だ帰ってこない。仕方なく、ベルと散歩に出た。今朝よりは涼しい秋の風が吹いていた。

2010年9月19日(日)
犬と歩けば・出発 222

 2010年9月19日(日) 晴れ

 今朝、ベルと散歩に行くとき霧が出ていたが、日中はまたまた真夏日が戻って来た。
いつもの公園の彼岸花は咲きそろった。夏の猛暑の所為で他では未だだというが、ここは木立の下、北向きの斜面という条件が幸いしたのだろうか?
 今時の彼岸花はあの緋色だけではなく、ピンクから白、黄色まである。
 
 今日は義姉を連れて墓参りに行った。義姉のケアハウスに行くのは、お盆の墓参り以来一月振りだった。今まで少なくとも月に1回のペースで義姉を訪ねていたが、今年の猛暑には勝てなかった。自分の身体を維持するだけで精一杯だった。
 義姉の部屋には兄の写真と並べて、ケアハウスで喜寿のお祝いをしていただいた、素敵な笑顔の写真が飾ってあった。良い写真と褒めると、職員が「笑って、笑ってというから」と満更でもなさそうに言った。
 然し、7月はじめの入院以来おむつをするようになった義姉は、それ以来トイレも汚すようになった。問題なのは、汚れている事に気がつかないこと。
友人に貰ったおむつを持参しても、「それなーに?」と聞く。「パンツの取り替え」と返事をしたが、義姉の中で何がどうなっているのかわからないから、私も対応に苦慮する。でも、義姉本人さえわからないのかも知れない。

2010年9月18日(土)
犬と歩けば・出発 221

 2010年9月18日(土) 晴れ

 お絵かきがあった。でも今日は先生のご都合が悪くて、自習。その所為か出席者はたったの4名だったので、学習時間の半分以上はお茶を飲みながら世間話で過ごした。
 その話のきっかけは、Aさんが高野山と吉野それに室生寺は未だ行っていないから、行きたいと言った事だった。
「室生寺へ行くならついでに長谷寺に寄るといいよ、近いから」とBさんが助言した。私は何年か前ひとりで長谷寺を訪ねたときのことを話した。山の中腹に取り付いたような駅を降りて、確かぐんぐんと坂を下って町中へ入った。それから門前町を緩やかに上った所に長谷寺があったと思う。町中を歩いていて、他の観光都市と少し雰囲気が違うと感じたのは、「解放同盟」の集会のチラシが目に付いた事だった。すると「部落」ってナンダ?と言う話しになって、それなら今度の新しい閣僚の中にも居るんじゃあないかと、誰かが言った。
住井すゑの小説「橋のない川」から50年、藤村の「破戒」から100年経っても、私たちはこの問題を解決出来ないでいる。
 私には実感も切実さもないから、こんな風に人ごとでいるので、勿論それで良い筈がない。

2010年9月17日(金)
犬と歩けば・出発 220

 2010年9月17日(金) 晴れ

 また少し、暑さが戻った。身体が何となく酩酊状態というか、しゃっきりとしない。気持ちも何かに取り組もうという前向きになれず、でれでれ・だらだらと過ごした。
 銚子に近い干潟駅前の和菓子店から「新栗むし羊羹が出来ました」と、はがきが来た。季節は進んでいるのだ。 

 夕方、高校時代の同級生Aちゃんから電話があった。
市立美術館で「田中一村展」を見てきて、懐かしくて誰かと話をしたくて電話したと言った。
 一村は、千葉市千葉寺近くに20年も住んだらしい。で、その近くの風景を何枚も描いているが、その中に「千葉中学の時計台」や「音楽堂」「プール」などもあった。私たちが入ったのは新制高校になってからだが、まだあの時計台も音楽堂もプールもあった。あっただけではなく、実際に使ったのだ。左にカーブする坂道を登って行くと、校門の向こうに時計台が見えた。時計台を中心にして両翼を伸ばすように校舎が広がり、その扇形の校庭は朝礼で使っていた。時計台の下にはその頃は珍しい月桂樹が植えられていた。(あの時計台はね、皇居の方を向いていたんですって)と、Aちゃんは言う。卒業して半世紀も経つが、そんなこと初耳だと答えると、兄たちが話していたという。Aちゃんは外房の旧家で、その母親は5人の子供達すべてを越境入学させ千葉中学なり千葉高校に入れたというゴッドマザーだ。
 あのプールも泳いだわねえと電話の向こうから聞こえてくる声をBGMとして、私の記憶も一気に蘇る。一年生の夏休み。毎日毎日プールへ通って、誰よりも真っ黒になったこと。屋外の古いプールは、一番端っこでやっとつま先立った指が付く深さ。プールの横幅13メートルを泳ぎ切れば単位が貰えるといわれ、水が冷たくて少し苔くさいプールの中にふやけるほど浸かった。
 これらはみな郷愁で、高齢者にはふさわしいかも知れないが、他人には面白くない話しだ。私たちは高齢者で、去年夫を亡くしたAちゃんだから、うんうんと30分も話し相手になった。(かかりつけの医者にこれからもよろしくお願いしますと言ったらね、老いの下り坂は長いよって、言われちゃった。)と、Aちゃんは電話を切った。 

2010年9月16日(木)
犬と歩けば・出発 219

 2010年9月16日(木) 雨

 今日の室内温度は24。昨日あたりから涼しくなったのは良いけれど今度は、急激な温度差に身体が付いて行かない感じ。

今日の午後は、ビデオを見ながら夕方まで気持ちよく昼寝。ま、これが加齢と言うことかなと、直ぐに自分を甘やかす。
 一方、友人の囲碁のお弟子さんは来月95歳になられるが、しばらく休んでいた水泳を来月から再開するつもりだと宣言されたとか。友人は私たちもしっかりしなくちゃねと言うが、これ以上何をしっかりすれば良いのだ。

2010年9月15日(水)
犬と歩けば・出発 218

 2010年9月15日(水) 曇り一時雨

 久しぶりに手芸の会へ出かけた。このお宅には、30号の私の絵を飾っていただいている。ここでみんなが楽しく縫い物をしている様子を描いた絵で、先生が気に入って下さった。
 所で今日、縫い物をしながら仲間のAさんに絵を描いているかと聞かれて、困った。

このところ、全く絵が描けないのだ。今までなんの疑問もなく描いていて、それだけで嬉しかったのに、半年ぐらい前から今までやって来たことが気に入らなくなった。

 だからといって、どうして良いかわからない。今年の県展も迫っているが、去年のように50号を描くのはとうに諦めて、描きためてあったのが1枚あるが、自信がない。
 改めて自分の絵を眺めた。細かいところまで良く描いたと思い、今はもう描けないと思った。じゃあ単に老化で体力、集中力がなくなっただけなのか?
ま、成り行きに任せるしかない。
 ウン十年ぶりにかぎ針を使って、帽子を編んだ。

2010年9月14日(火)
犬と歩けば・出発 217

 2010年9月14日(火) 晴れ一時雨

 夕べ、ごろごろと雷様が鳴り始めたのは、9時のニュースも終わりに近い頃だったと思う。それがだんだんと大きくなり、近づいて来た。犬小屋に近い裏口の中にベルが避難して来た。雷はますます激しくなって耳をつんざき、近くに落ちたような音響を響かせている。ベルはとうとう家の中に上がってきて、洗面所や玄関をうろついて、畳の部屋にも入ろうとして家人に叱られていた。
そのうち台所で栗をむいていた私の所にやってきて、しばらくそこに座って居た。私が仕事を終えて2階へ上がって行くのをみて、2段ほど追いかけて上がったが、そこで止めて恨めしそうに見上げていた。
 今朝降りて行くとベルは、裏口の土間で前足を揃えて座って居た。

 さて家人である。先日、転んで膝をすりむきあばらを打った事件に続いて今度は、指先の怪我である。今朝、散歩から帰ってきたら、梨をむいていて左親指を切ったという。主婦歴うん十年の私にしてみれば、それがどうしたという位2,3ミリの傷である。それが今すぐにでも死にそうな騒ぎようである。輪ゴムで止血して、後はサビオでも貼ればと教えてやったのにイヤ、血が止まらないだの、指先が冷たいだのと騒ぐ。あきれてじゃあ病院でも行ったらとそっぽを向いた。指先にガーゼをぐるぐる巻いて、その上を油紙で包み更に、長い包帯を巻いて茸みたいになった親指を見て、思わず笑って仕舞ったのを悟られないように逃げた。
 ったく、どうしちゃったんだろう。

2010年9月13日(月)
犬と歩けば・出発 216

 2010年9月13日(月) 晴れ

 今日も我が家の室内温度はあっけなく33。昨日のように風がないだけ暑い。またまた保冷剤をタオルに包んで、首の周りに当てる。今朝も6時前なのに救急車と出会ったし、まだ熱中症は過去の物ではない。それでも、さすがに蝉の声は余り聞かなくなった。

 夕方、4月に仕込んだ味噌を開けた。8月に一度天地返しと言って、樽の中の味噌を翌混ぜてまた蓋をして置いたが、開けてみたらカビもなく黄金色に仕上がっていた。
誰が言い出したのか「手前味噌」とはよく言った物で、この味噌よりも味・香りとも美味しい味噌はないと思う。
 新味噌でなすの味噌炒めとナメコ汁を作った。

2010年9月12日(日)
犬と歩けば・出発 215

 2010年9月12日(日) 晴れ

 公園の帰り、私たちが歩いているホンの1メートル先に雀が降り立った。立ち止まって見ていると、くわえていたパンくずを地面に放り投げ、くちばしでちょんちょんと2回突いて3つに分け、一番小さいのを加えて飛び去った。その間、1分ぐらいの出来事だった。
 スズメの飛び去った方を見ていると、ベルが残ったパンくずを貰って食べていた。

 夕べ、寝る頃になって家人が「また足がむくんだ。パソコン作業で3時間ほど座っていたから」などという。足の痛風に伴い、あちこちの故障が始まってもう5ヶ月目。こちらはもういい加減にしてくれと言いたいのを我慢して、痛風と足のむくみを医者はどういっているのかと聞いた。何にも言わないとつぶやく。医者はわからないし面倒だから何も言わないのだから、自分で試行錯誤するしかない。大体足がむくむというのは循環が悪くなっている証拠。甥が病気に気がついたきっかけはやはり足のむくみだと言っていたではないか。ドックを早めに受けたらどうかと勧めたが、毎年なんとか講座に健康診断書を提出する都合で、10月以降でないとまずいとか言う。ええもう、いい加減にせいとか気の重い言い合いをした。とりあえず明日、市のガン検診を申し込むことにした。

2010年9月11日(土)
犬と歩けば・出発 214

 2010年9月11日(土) 晴れ

 また猛暑が戻った。9時の室内温度は、遠慮もしないでするすると上がって32
 午後、友人が農協へ寄ってきたと、新栗に草餅・漬け物などを持ってやって来た。
そしてこの時期だけだから、一般市場には出ていない珍しいものだからと「オクラの花」を届けてくれた。
花びらは立てに撒いた状態で8本が、セロハン袋に入っている。レモンイエローの花びらに黄緑色のがくが付いている。余り綺麗なので、取りだして平皿に少し水を入れて花を拡げた。オクラの花が大きいのは知っていたが、この花は直径が20pもあった。
花の中心、めしべの廻りはえんじ色。いつもながら自然界の配色の見事さに、感嘆する。
 さてどうやって食べるのかと聞いた。するとがくは取って、花びらだけをざくざくと細かく切って鰹節をまぶし、醤油を垂らして食べるという。つまりおしたし感覚だが、こんなに綺麗な色の食材が純和風に調理されるのがちと、腑に落ちなかった。でまあ、夕飯に食べようと、教わったとおり細かく切り鰹節を振りかけたが、調味料は醤油の他に3種類のドレッシングを用意した。
 なんたって薄い花びらだから、かなりの量を口の中に入れてもなんだか綿飴でも食べているときのように、ふわふわして心許ない。
然し能く噛んでいると、オクラの味がした。それが意外なようででも、納得した。

2010年9月10日(金)
犬と歩けば・出発 213

 2010年9月10日(金) 晴れ

 スーパーの店先にやっと栗が並んだ。1袋980円。栗ご飯にしたいが、もう少し値が下がるまで待つ事にする。サバが安い。しめさばOKと標したのが1尾350円だ。半分しめさばにして、残りは味噌煮にした。
 
 日中の気温が30以下というのは、本当に身体が楽。でも直射日光はまだまだ強いので外出を控えた。付き合いも、もう自分の体調を第一に考えて行動する歳だと思う。
 84歳になる友人の囲碁のお弟子さんは、「ここんところ血圧が高くて5sも痩せたが、これは自分の精神がたるんでいる所為だ」と言ってるという。「精神じゃあなくて、この暑さと歳だからでしょうと言いたかったが言えなかった」と友人は言う。この年代の女性はスゴ〜イ。軟弱な私としては、敬して遠ざかっていたい御仁ね。

2010年9月9日(木)
犬と歩けば・出発 212

 2010年9月9日(木) 晴れ

 今朝9時の室内温度は25だった。畳表がひんやりとして、足裏が心地よい。
今朝は少し足を伸ばして、川を見に行った。濁った水が少し動いている程度で、テレビニュースで見たような激しい流れではなかった。ベルは全然関心がなく、欄干から川を覗こうともしなかった。
 
 甥からスイスから帰ってきたと電話があった。当初、医者の滞在許可は2週間だったが1週間伸びたので、現地で宿を探したと言った。今年の暑さは異常だったし、円高だから良いときに行ったと答えた。
あれこれの話の合間に甥は、残り時間も長くはないので、ヘリコプターに乗ってモンブランの上からも眺めたとさらりと言った。私は即座に、憎まれっ子世に憚るだからね、大丈夫よと受けたが、甥は電話の向こうで力なく笑った。
 今日は1日中、(電話を掛けても、話が出来なくなる時が来るのかと)同じ事ばかり繰り返し考えていた。

2010年9月8日(水)
犬と歩けば・出発 211

 2010年9月8日(水) 

 やっと雨が降ったら、台風の大雨となった。

今朝は雨粒が落ちている程度で、天気予報を信じて出かけた。
行き先は女性デーの割引きがある映画館、午後は千葉市美術館で「田村一村展」を見た。
 映画「瞳の中の秘密」はサスペンスと大人の恋が絡み、美しい女優さんと渋い男優が出ていて、マグノリアさんと(良いねー)とため息をついた。
 一方、生前は殆ど無名に近かった田村一村は、千葉に20年間住んだ後、奄美大島へ転居し、そこで画業が一気に花開いた。
展示の演出もあると思うが、その画風が劇的に広がり充実した事が、見る方にはっきりと伝わる。きっかけは何だったろうね?奄美大島の風景や島の人がそんなに素敵だったのかしら?と私たちは話し合った。
マグノリアさんは、それまでずっと一緒に暮らしてきたお姉さんから、独立したことも関係があるかも知れないと言い、成る程と納得した。

 帰りの電車の中で、向かいの席に座って居るのがAさんと気がついた。彼女とも数年ぶりだ。彼女は何かを熱心に見ていて、後から乗ってきたこちらに気がつかない。一瞬今の内に席を変えようかと、考えた。彼女はいわゆる嫁姑間のこじれで、会う度に愚痴を聞かされそれが原因で私も足が遠のいたのだ。またやられるのかと思うと気持ちがひるんだ。然し逃げ出すこともないと、思い直した。
乗換駅近くなった頃、彼女は転げるようにやって来て、私を呼んだ。

 彼女は今まで外出も出来ないほど体調が悪かったこと、姑が施設に入り自分の飲み薬の量を減らして貰ったら、身体が軽くなり頭もすっきりした事など一気に喋った。この調子なら、誰か一緒に行ってくれれば旅行にも行けると言う。
ええっ!もしかして私のことを言っているのではないかと心配になった。
「そうよね、これからはご夫婦で出かけるのが一番よね」と言ってやった。

2010年9月7日(火)
犬と歩けば・出発 210

 2010年9月7日(火) 晴れ

 毎月第一火曜は川柳句会。
暑い暑いと扇子で扇ぎながら今月もまた、米子から紀の治さんがやって来た。
所で今日は4人も欠席があった。全員の欠席理由はわからないが、どうもこの暑さが関係しているらしい。
 Aさんはクーラーが嫌いで犬と2階に休んでいたが、夜中に具合が悪くなった。身体は動かず声も出せない。異変を感じたのは一緒にいた愛犬だったとか。その吠え方の激しさに同居の息子さんが気がついて駆けつけ、事なきを得たという。
 またBさんは、家庭菜園で2時間ほど作業した後帰宅。シャワーを浴びてクーラーの効いた部屋で300mlの缶ビールを飲んだ直後、異変が起きたと言った。身体がかっかと火照り心臓はドキドキ、頭は痛くなってこれは熱中症にやられたと思ったそうだ。身体のあちこちを保冷剤で冷やし、しばらく安静にしていたら収まったのだと口を尖らして言った。
 
 所で先月見学に見えたCさんが、入会した。
(一つの言葉で、こんなにも多くのイメージが広がり、みんなで楽しんでいるのが面白い)というのが彼女の感想だった。いつも宿題に追われてそんな風には考えなかったが、納得出来た。

2010年9月6日(月)
犬と歩けば・出発 209

 2010年9月6日(月) 晴れ

 今日も続く猛暑。その中を家人は、片道100qの遠距離介護に出かけて行った。特養に入っている実姉の通院の送り迎えで、頼めば施設でもやってくれる。実姉も一時それにしたのだが、精神的に不安定となり遠距離介護の復活となった。妄想もひどくなり、この春姉弟が施設に呼ばれた。その時施設の近くに居る弟は「お世話になっているのだから、多少のことは我慢しなくてはいけない」と、この姉にお説教をしていた。姉弟と言ってもみな高齢者だから、自分のことで精一杯なのだ。
 午前中から出かけた家人は、実姉を連れて買い物をしたり、外食をしたりして午後は病院へ行った。実姉の電話の声は以前のように明るく弾んでいた。

 さて、私は明日の句会を控えて宿題に取りかかった。しばらく集中してふと、歯医者の予約を思い出したときはもう、約束の時間を50分過ぎていた。
 我が家ではベルの小屋にも提げるので、毎晩蚊取り線香を3巻は使う。残り少なくなったので夕方ベルの散歩がてら、蚊取り線香を買いによった。30巻缶入りがコープで768円。マツキヨは780円。蚊取り線香は既に秋値段になっている。3軒目のD2でやっと698円のが2缶残っていたので、2つとも買った。

2010年9月5日(日)
犬と歩けば・出発 208

 2010年9月5日(日) 晴れ

 「ベル、元気かあ。また8月が始まったなあ」今朝、公園へ行く途中で出会った、いつもベルにチーズをくれるオバサンの、ご亭主が言った。このご夫婦はいつもお揃いで、公園内をウオーキングしている。ベルが公園デビューして間もない頃からの知り合いだ。
公園の帰りにメイのお母さんに出会った。メイのお母さんもこの頃ひとりで歩いている。メイのお母さんは向こうから近寄ってきて、メイは足が弱って歩けなくなったと言った。(ベルは10歳?ああ、まだまだ元気よ。家のメイはもう14歳だから)

 夕方「またチャチャのご夫婦と出会った」と、家人が言った。チャチャの事を聞いたら「前日は遠くまで散歩に行って、翌朝犬小屋へ行ったら死んでいた」とか。やっぱりねえと頷くと、病気もしていたらしいと付け加えた。
 このところ早朝から深夜まで、やたらに救急車や消防車が走り回っている気がする。ベルはあの音に反応して、「ウオー」と吠えるのだ。

2010年9月4日(土)
犬と歩けば・出発 207

 2010年9月4日(土) 晴れ

 午前9時にはもう、室内温度が30になっていた。こんな暑さが続いてはもう身体を動かすのは億劫で、家の中でごろごろしていたい。
 でも今日は油絵のお稽古の日、行かねばならない。ましてAさんBさんを途中駅で拾って行く約束だ。
 所が約束の時間を間違えたり、夕べ急いで手直した部分はかえって失敗したりと散々だったが、外に出て仲間たちと会ってお喋りするのは文句なく楽しい。
 一番古い仲間のCさんの額に、大きな絆創膏が貼ってある。どうしたのかと尋ねると、自宅の近所で転倒し額を切って5針縫ったという。背中も痛むし、腕も上がらないので、カンバスに向かって筆を持ち、腕を上げるのが辛いという。だからと今日は小さなカンバスを机の上に寝かせて、花を描いていた。
(身体の不調は)1カ所じゃないんだよ。何カ所も同時に悪くなる。歳を取ると言うことは、そういうことだと言う。そうなんだろうな。これから私もそんな風な事態が起こるんだなと、記憶の端にメモした。忘れちゃうかも知れないが。・・

 私の好きな木津川計氏はその著書「人生としての川柳」の中で、年を取らない5つの方法として次の5点を挙げている。@週に1回は百貨店へ行く。A月に1回は封切洋画を見る。B孫と住む。或いは近所の子どもと友達になる。C趣味を持ち張りのある日常を送るD恋心を失わない
 つまり好奇心を失わず、社会性を保つと言うことだろうか?

2010年9月3日(金)
犬と歩けば・出発 206

 2010年9月3日(金) 晴れ

 9月に入っても未だに夏・真っ盛りの強い日差しが容赦なく照りつけている。熊谷では今年最高気温の38を記録したという。明日はこのあたりでも体温並みの36に上がるという予報だ。
暑さ対策としては、熱い光線は遮断するのが一番。そんなわけで私はお日様の動きに会わせて、東・南・西とその都度雨戸を閉めたり開けたりする。一方家人は、部屋に差し込む日差しに足をさらしている。つまりひなたぼっこだ。そんな事していると、気がついたら干物になっているよと注意するのだが、止めない。走れなくなっておかしくなっているのだ。

 宮崎産新米もそろそろ少なくなって来たと思っていたら、甥っ子(家人の)から新米が送られてきた。農家の一人娘の所へ婿に行った彼は、仕事も持っている。家人との電話のやりとりを聞いていると、彼の職場は6,70にもなるとか。どのみち一粒も無駄には出来ない。有難く頂くこととする。

2010年9月2日(木)
犬と歩けば・出発 205

 2010年9月2日(木) 晴れ

 蝉が家のすぐそばへ来て鳴く。その音のやかましいこと。余計に暑くなる。鳴くと言っても、あれは羽根をこすり合わせて出す音だと昔教わったが、あんなに薄い羽根をこすりあわせたって、アンプを付けている訳じゃああるまいし、あんな大きな音が出るわけが無い。もしそうだとしても、直ぐに羽がすり減ってしまうに違いない。とまあこの暑さを蝉に八つ当たりしている。
 「暑さは続くよどこまでもぉ〜」と、今日も暑かった。
東京のマンション住まいの友人と、暑さ比べをする。とにかくこの夏を生き抜いて、涼しくなったら大いに遊ぼうと話を結んだ。

 所で私の甥っ子(と言っても、たった3歳下)が、この夏スイスへ山登りに行くと言ってたが、その後音沙汰がない。病気が見つかって1年。どうしたかと気を揉んでいたが、思い切って自宅へ電話をした。留守電だ。そうなるとますます心配になって、彼の妻のケータイへ電話した。彼女が出たがすぐ、代わりますと言って甥っ子の声で「こんばんわ」何て言う。ああ、とうとう頭までおかしくなっちゃったかと思いながら、スイスは行ってきたのかと尋ねた。
そうしたら、今スイスに居ると言う。まさかあ、アタシはケータイで掛けてんのよと言うと、イヤ本当だ、こちらは寒いよ。昨日マッターホルンは雪が降ったらしいなんぞと答える。いろいろと話をしている内に本当らしいと、私も納得した。そうなると急に電話代が気になった。とにかく声は元気そうなので安心したと言って、切った。
 後で留守電を聞いた娘さんから電話を貰った。「生憎両親はスイスへ出かけておりまして・・」と言うから、その後の経過を話した。そうしたら電話は受けた方が払うと教えたくれた。

2010年9月1日(水)
犬と歩けば・出発 204

 2010年9月1日(水) 晴れ

 やっと9月になった。
歯医者の帰りに駅前のスーパーに寄ってみたら、ありました。ぴかぴかの新サンマが。北海道産とかで、2匹398円。ニュースで言ってた700円とか800円ではないし、初物なので買った。夏大根の辛いおろしをたっぷりと添えて、勿論塩焼きで食べた。久しぶりの苦みさえ何となく甘く感じられた。

 家人が万年筆はないかという。何でも礼状を書くのに必要だという。
この前万年筆を使ったのはいつだか忘れたが、探してみると心当たりの引き出しの中に皮のケースに入って、収まっていた。30年以上前のモンブランだ。名前も刻印してある。インクも一緒にあった。例の靴の形をしたボトルで、こちらは万年筆ほど古くはないが、その半分ぐらい前の物だ。インクは化学薬品のような物だから、劣化していないか心配だったが大丈夫だった。これはカートリッジが出る前の物で、ピストンコンバータ式万年筆といって万年筆のお尻の方をゆるめてインクを吸い上げて内蔵する。
 試し書きをした家人は、「これは良い」とか言ってた。
涼しくなったら、私も万年筆で誰かに手紙を書きたくなった。

2010年8月31日(火)
犬と歩けば・出発 203

 2010年8月31日(火) 晴れ

 8月尽。
夕方スーパーに買い物に行ったら、サンマが出ていた。広告の品一尾98円。
今の時期だから当然新サンマと思ったわけだが、どういう訳がみんな頭を落としてある。もう一度看板を見ると生サンマとあって、新サンマとは書いていない。次々と覗く客はいるのだが、「頭落としてあるし・・」とか言って、手を出す人はいない。どういう素性のサンマなのだろうか?
 この店は一袋19円のもやしが売り物なのだが、売り切れていた。考えることはみんな同じらしい。
 
 昨日千葉市内で「稲葉先生の喜寿と出版を祝う会」があって、毎日新聞朝刊千葉版にもその記事が載った。
 
稲葉先生とは理科の名物教師として千葉高校に長く在籍し、後年大気汚染問題で川鉄に対して損害賠償「青空裁判」(17年間)を原告団長として主導し、勝利に導いたことで地元では知られている。
 実はこの集まりは、「稲葉先生の米寿を祝う会」として計画され、その知らせが来たのは確か、2月頃だった。その時に文集を発行するから、個人的な思い出や出来事を書いて欲しいと依頼も来た。
 そのためのメーリングリストが出来て、投稿される文章はその都度読めた。
それを読むと先生の功績は3つあるようだ。一つ目は教師として生徒に与えた影響。先生の授業を受けて、理科系の仕事や理科の教師になった生徒が多い。二つ目は理科教師を集めて研究会を作り、理科教師を育てたこと。三つ目はやはり「青空裁判」の勝利だ。
 先生は実に筆まめで、必ず返事はくれるほか、ご自分の活動をあれこれコピイしては送っていただいた。久しぶりにお目にかかるのを楽しみにしていた。
それが4月に転んで骨折し、経過を見ていたが会への参加は難しいという事でお目にかかれなかった。本当に残念で仕方がない。
 先生の話は、とぼけているのか切っ先鋭く切り込まれているのか、にぶい高校生にはなかなか理解できなかった。
でも先生のお話を、もう一度聞きたい。

2010年8月30日(月)
犬と歩けば・出発 202

 2010年8月30日(月) 晴れ

 毎朝、何か洗う物はないかと考える。連日の猛暑で洗濯物は1,2時間で干し上がる。
これを利用しない手はないと思うのだが、シーツやカバー類、マットなども一応洗った。押し入れをかき回せば未だ何かあるかも知れないが、この暑さではそこまで積極的になれない。

 我々二人と一匹の高齢者家族の第一の目的は、1日を無事に過ごすことだ。
だから、少し動いた後はすぐに横になる。ベルは殆ど横になったままだ。
 朝晩犬小屋と人間の家の廻りに水を撒く。(水のやり過ぎで、花を付け始めた鶏頭を1本ダメにしてしまった。)
 水を無駄にするようで少々心苦しかったが、夕刊に水源地には十分に雨が降ったので足りていると出ていて安心する。
日中は水分補給の為に、ベルに冷たい牛乳を2回飲ませ、ついでに家人にもジュースなどを用意する。

 最高気温が37、38というよりも40近いと言った方が実感に近いのではないか。この暑さは日本とインドだけと聞いた。

2010年8月29日(日)
犬と歩けば・出発 201

 2010年8月30日(日) 晴れ

 欲しい本を手に入れるにはやはり、ネットで買うのが便利だ。少し前までは送料がかかったが、今ではたった1冊でも無料で翌日か翌々日には届く。
 注文した木津川 計著「人生としての川柳」が届いた。私は木津川計氏のフファンで、氏のエッセイが読みたくて月刊誌「川柳マガジン」を購読していた。
それが今年の1月に連載100回を持って終わってしまった。その時から本になるのを待っていたが、ようやくその日が来たのだ。
 木津川計とはペンネームで、何でも最初は木津 計(キヅケ)だったがそれでは余り見もふたもないと言うので、或る時から木津川計と川が入ったのだと何かで読んだ。
 私はなんの知識も理解もなく、たまたま公民館の講座を受けて川柳を始めたのだが、この本を読んで現在ただいまでも「川柳」は社会的にかくも誤解され、差別を受けているという現実を目の当たりに突きつけられて、唖然とした。
 この本によれば、日本には「日本文芸家協会」というのがあり、会員数は2500人。2008年現在その内訳は詩人350人、歌人180人、俳人260人、そして川柳人は0。木津川計氏は「おそらく川柳を低俗な笑いの文芸という誤った見方から今も日本文芸家協会は脱しきれなかったのだ」と抗議する。その後いろいろとあって2009年に川柳家は、10人加盟したと言う。
 他にも漫画家の山藤章二が対談で「川柳をやっている何て言うと世間体が悪い」。相手の朝日新聞論説委員大伴氏も「隠居の道楽というイメージ」と言っているのには、本当に驚いた。そういえば3大新聞も川柳欄があるのは「読売」だけだ。
 現在、毎日朝刊に俳句のコーナーを持っている俳人の坪内捻典氏は俳句と川柳を、こう区別したという。
 『俳句は言いたいことが言えない文芸、川柳は一番言いたいことを言う文芸』


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