「故郷の廃家」は、アメリカのヘイスの作曲に犬童球渓(いんどう きゅうけい )が訳詞をつけ、
明治40年(1907)に中等教育唱歌に選定された。
犬童はこの曲と一緒に選定された「旅愁」の作詞者でもあり、
いずれも新潟高等女学校に赴任中、遠い故郷を想って書いたものである。
硫黄島への空襲が激化していく中、
夕方になって米軍機が引き上げると、
地下壕から出てきた少年兵たちは夕日を見ながらこの歌を合唱し、
遠い故郷を思い出してはお互いに励まし合った。
それを陰で聴いていた市丸海軍少将はまだ10代半ばの彼らを待ち受ける過酷な運命を思い、
こらえきれずに涙した、と伝えられる。
そして、少年兵の大部分は故郷へ還らなかった。
戦後、唱歌は音楽の教科書から次第に姿を消していき、
この歌も昭和40年代頃には学校では唄われなくなった。
しかし年に1回、小笠原村が硫黄島にて行っている慰霊祭において唄い継がれている。
合唱の中心となるのは少年兵たちと同じ年頃になる、小笠原の中学生である。